外伝第20話 メイプルリーフ家の一日




 メイプルリーフ家。

 デッカイドーに広く知られる由緒正しき魔法使いの家系である。

 現代の当主、オートン・メイプルリーフもまた多くの魔法論文を世に出した魔法研究の権威である。


 魔法使いにしては逞しい身体の、立派な髭を生やした男は執務室にてドンと目を通していた書類を机に叩き付けた。

 その様子を傍らに立ち見ていた秘書、リーヴが表情一つ変えずに見ていた。


「どうされました、オートン様。」


 鋭い目突きの厳格そうな男は、ぎろりとリーヴを睨み付ける。


「…………アキちゃん、大丈夫かなぁ?」


 不安げな声が髭の下からぽろりと零れた。

 リーヴが呆れたように溜め息をつく。


「いつまでソワソワしてるんですか。」

「だって、初めてじゃないか……男の子家に上げるのなんて。」


 オートンの一人娘、アキ・メイプルリーフは、今日自宅の部屋に客人を招いている。

 今日は自宅での重要な会食があるので外出は認めていなかったのだが、それまでの時間、自宅でという事でアキが頼み込んで来たので、オートンは渋々ながら同意した。

 しかし、その時は勇者の友人と聞いていたので、てっきり同性の勇者である"剣姫けんき"を招くと思っていたのである。

 実際に来たのはまさかの異性、"拳王けんおう"の方であった。

 故にオートンは気が気ではないのである。




 オートン・メイプルリーフは相当な親馬鹿である。


 厳格な貴族として恐れられ、娘からも畏敬の念を抱かれているが、その実娘が可愛くて可愛くて仕方が無い溺愛っぷりの超がつくほどの親馬鹿なのである。

 普段は人目も気にして娘にデレデレになるような真似はしないし、娘にも威厳のある親の体裁を保ってはいるが。


「いや、男の子の友達くらいいるでしょう。そもそも勇者のお仲間じゃないですか。」

「そうなんだけど……! そうなんだけど……!」


 オートンは頭を抱えて顔を伏せる。

 そして、がばっと顔をあげてリーヴを睨んだ。

 ちなみに、この睨んでいるのは怒っているのではなく、純粋に素の顔の目つきが悪いだけである。


「でも、アキちゃんに悪い虫がついたら嫌じゃあないか!」

「猛火流拳闘術といえば国の中でも五本指に入る名門武術家の家系でしょう。若くして流派の師範代をつとめ、実力だけなら当代師範を既に超えているとも聞きます。未だ負け知らずで最強の武術家"拳王"の称号を得た勇者ともなれば、十分にお嬢様に釣り合うと思いますが。」

「くぅ……!」


 勇者ナツ。オートンも知っている。

 魔法を専門とするメイプルリーフ家とは縁遠いものの、その流派とナツ本人の実績や実力の噂はオートンの耳にも入るほどである。


「釣り合うとか言うのやめて……!」


 それはそれとして、オートンは悲痛な声をあげた。

 

 オートンは娘のアキを溺愛している。

 本当なら誰にも渡したくないとさえ考えている。

 しかし、家を継がせる以上は誰かと結ばれなければならないという、家名を守る者としての理性もギリギリ持ち合わせている。

 どこぞの馬の骨とも分からない有象無象に愛する娘を渡すくらいならと、早い段階から自身の目で選んだお見合いを組んだりもしているのだが、未だ迷い続けている。


 勇者ナツ。アキとも釣り合う程の別分野で実績を残している男。


 そんな男が娘の部屋に上がっているというだけでオートンはもう気が気でなかった。


「何かの間違い起きてないかな? 顔出しちゃ駄目かな?」

「やめてください。お嬢様に怒られますよ。」

「それは嫌だけど……! でもでも……!」


 オートンはバッと立ち上がる。

 そして、そわそわしながら執務室の中を歩き回り始める。


「監視の魔法で覗くとかなら……。」

「お嬢様多分見抜きますよ。」


 アキはオートンの教育を受けたエリートである。

 魔法学校でも主席の成績を残し、若くして既に魔法研究の論文等の実績も多く、魔法の実力に限って言えば全盛期を過ぎたオートンよりも、下手をすれば全盛期のオートンよりも優れている魔法の天才である。

 それがオートンには誇らしく愛おしいのだが、今日ばかりはその行きすぎた才能を小憎たらしく思った。そういう抜け目のないところも好きなのだが。


「あの愛らしい小っちゃな身体に、ムキムキの男が迫ると思うと……!」

「小さいって言ったらお嬢様怒りますよ。」

「あああああああ! 仕事なんてやってられない! もう投げ出したい!」

「それはやめてください。」


 冷静にツッコミを入れてリーヴが制止するものの、オートンは落ち着く様子がない。

 実は以前から何度か娘の為に重要な仕事を投げ出しているので今のは冗談ではないのである。娘の入学式卒業式、勇者の就任式それ以外にも授業参観。果てはその他ちょっとしたイベントまで何かと大きな仕事を投げ出している。

 オートンはリーヴに窘められて、ぐぬぬと眉間にしわをよせた。

 ぐるぐると歩き回る足を止めたものの、未だ席には戻らない。


「……ちょっとだけ見に行ってもよくない?」

「駄目です。」

「いや、一応相手は勇者なんだし。挨拶してもよくない? ほら、娘と仲良くしてやってくれって……絶対に娘は渡さんぞ……!」

「なんで一人で言って一人でキレてるんですか。」


 オートンは完全に取り乱していた。


「ちらっと……ちらっと様子見に行くだけだから……! ちらっと見に行ったら仕事に戻るから……!」


 オートンは必死にリーヴに懇願する。

 その様子を見て、リーヴは深々と溜め息をついた。

 こうなったら言っても聞かない事は、長くオートンに仕えるリーヴは知っている。


「分かりました。様子を見たら仕事に戻って下さいよ。あと、お嬢様に嫌われても知りませんからね。」


 渋々ながらリーヴは席を外す事を許可する。

 オートンはその同意を受けて曇った表情をたちまち明るくした。


「そうと決まれば早速行くぞ!」


 オートンは勢いよく執務室を飛び出した。






「……なんでお前まで着いてくるんだ。」

「オートン様が変な事をしないか見る為です。」


 アキの部屋の傍までリーヴも着いてくる。

 オートンが暴走しないための見張り……というのは実は建前である。


(お嬢様が本当に大丈夫か私も見たいからに決まってるでしょう。)


 実はリーヴもアキの事が気になっているのである。

 長くオートンに仕えてきたリーヴは、当然アキの事を小さい頃から知っている。

 オートンの教育の場に居合わせたり、親子の取り次ぎ等々でアキと接する機会も多かった。

 娘とまでは言わないが、妹のような存在として実はリーヴもアキを溺愛しているのである。


 そんな主従二人組がアキの部屋の前まで差し掛かると、その時点で異変に気付く。


 アキの部屋の前に人集りができている。

 その人集りはメイプリリーフ家に仕えるメイド達のものであった。

 

 それを見たオートンとリーヴはぎょっとする。

 さささと音を立てずに廊下を早歩きして、メイドの人集りに小声で話し掛ける。


(おい、君達……何をしている……?)

(貴方達、何をしているんですか……?)

(あっ……オートン様……リーヴ様……!)


 メイド達は小声でざわめいた。


(オートン様とリーヴ様も様子を見に来たんですか?)

……って、まさか君達もか……!?)

(就労時間中に何をしているんですか……!)

(だって、気になるじゃないですか……!)


 メイプルリーフ家のメイド達もまた、アキを溺愛しているのである。

 いつまで経っても小さな少女のような愛らしい容姿から、お人形のように愛でられている。あまり可愛がりすぎると子供扱いするなと怒られるので、普段は抑えるように心掛けているのだが、裏ではその愛を隠そうとしないのだ。


 メイド達もアキが異性を連れ込んだ事を気に掛けて覗きに来たのだ。

 しかし、絶対に娘を渡したくないオートンとは若干興味の持ち方は違うようで……。


 何処か嬉しそうに、ウキウキとした様子でメイド達は顔を見合わせていた。


 その様子を見るに、アキの状況を覗き見ていたのだろう。

 今の状況が知りたいオートンはそわそわしながら尋ねる。


(で、どうなんだ……? 変な事になってないか……?)


 その問いに、メイド長がフフフと笑って答えた。


(良い雰囲気ですよ……! さっき手を取り合っていました……!)







 オートンは凍り付いた。


(その前は拳王様の背中から擦り寄っていたりして……かなり良い関係のようですよ……!)


 実際は、ナツの相談事、異能とも呼ぶべき体質の問題の解決の為の接触であったのだが、そんな経緯はオートン達は知らない。


 娘が、連れ込んだ男の背中に擦り寄ったり、手を取り合ったりしている。


 それを聞いたオートンの中で何かが弾けた。


 ふらっとオートンがよろめく。

 そして、ビターン!と大きな音を立てて、オートンは廊下に倒れた。

 

「オートン様!?」


 リーヴとメイド達が慌てて駆け寄る。

 オートンはショックのあまり失神していた。

 ざわざわとざわめき、オートンが失神している事を確認したリーヴは、慌てて声を上げた。


「オートン様を自室までお運びして!」


 メイド達に命じれば、ドタバタとメイドが動き出す。

 担架を持ってこようとする者、駆け寄って様子を確かめる者、ちょっとした騒ぎになる廊下。


 そんな騒ぎの中、ギィ、と扉が開く音がした。


 扉の音に、その場にいた気を失っているオートン以外の全員がびくっとする。

 恐る恐る扉の音の方を見る。


 そこには、今この廊下で起こっている事態を大体察したアキが、怒りの形相で立っていた。


「……何してるんですかあなた達ッ!!!!!!」


 屋敷の中にアキの怒号が響き渡った。













 オートンが目を覚ましたのは自室のベッドの中での事だった。

 目を覚ますと同時に感じたのは、右手から伝わる小さな手の温もりと回復魔法の魔力。

 それだけで、今手を握っているのが娘である事は分かり、顔を傾ける。

 思った通り、娘のアキが手を握って回復魔法を施していた。

 思いもよらなかったのは、その表情がぶすっとふてくされたものになっている事である。


「……目は覚めましたか? お父さま。」

「………………あの……。」

「聞きましたよ。リーヴから。」


 アキは顔をしかめてオートンの手を離した。


「みんなして覗き見なんて悪趣味です。」

「ち、違うんだ……!」

「何が違うんですか。」


 アキはしかめ面でオートンを睨む。怒った顔も愛らしい……等と考えている場合ではないとオートンは気を取り直す。

 娘に嫌われるのはオートンにとっては身を切り刻まれるような苦痛である。

 しかし、それよりもオートンには先程起こっていた事件のほうが耐えがたいものであった。


「アキ……あの部屋で"拳王"ナツ君と何をしていたんだ……?」


 オートンは恐れていた事を尋ねる。

 不純異性交遊などは絶対に認められない。

 娘には清純に順序を踏んでしっかりとした付き合いをして欲しい。それがオートンの願いである。

 拳王ナツを部屋に招いて、アキは何をしていたのか。

 その答え次第ではオートンはアキに物申そうと思っていた。


「何をって……ナツが魔力に関係する特異体質で相談を持ち掛けてきたから、その相談に乗ってただけですよ。特殊な魔力が暴走してしまっていたから、私が魔力を整える手伝いをしただけです。」

「え?」


 オートンは呆けた声をあげた。


「ナツに感謝して下さいよ。騒がしいからもう帰っちゃいましたけど。お父さまを部屋まで運んでくれたの彼なんですから。」

「ちょっと待って……。え? 魔力の暴走? 相談?」

「そうですけど。何かおかしな事でもありますか?」


 アキはナツの魔力の相談に乗っていたらしい。

 魔力の暴走の症例はオートンも知っている。

 外部から魔法使いが直接触れて魔力の制御を行う事で、魔力制御の感覚を覚えさせるという治療はよく行われている事である。

 よくあるのが魔力の根源になる心臓に近い背中から触れる方法、魔力制御が一番行いやすい手に触れる方法だ。


 アキがナツに治療を施していたのであれば、確かに手や背中に触れているのは何もおかしな事ではない。


 オートンは自身の早とちりに気付いた。

 ほっと一安心する。それと同時に馬鹿な勘違いをしていた自分がおかしくなる。


「ふはははははは! いや、何もおかしな事はない! すまないな、アキ!」

「きゅ、急に笑い出してどうしたんですか。」


 治療だったとはいえ、異性に触れる事にアキが何も動じていないという事は、アキもナツを友人程度にしか思っていないのだろう。

 それであればナツはオートンが危険視する程の相手ではない。

 それどころか、気絶したオートンを部屋まで運んでくれるという感心な若者である。アキの友人としてならば、これ以上はない良い青年だ。


「いや、メイド達がお前が彼の背中に擦り寄ったり、手を握ったりしていたと言ったからな。何か妙な勘違いをしていたようだ。ははは!」







 アキが数回ぱちくりと瞬きをする。

 右手を胸元に引き寄せ、左手で握り込むように手を合わせる。

 そして、見る見る内に顔を赤くしていく。


「な、な、な、なに、何を言ってるんですか!!!!!!」


 アキは上擦った声を上げた。


 その反応を見たオートンは「えっ。」と声を漏らす。

 アキは取り乱していた。手を握って、わたわたとしている。

 恥ずかしがっている。照れている。明らかに意識をしている。というより、オートンの一言で意識させてしまっている。


(あれ? もしかして……意外と気が……。)


 気付いてはいけない事に気付きそうになって、オートンの意識は再びふっと途切れて、ベッドにぱたりと倒れた。


 オートンが次に目覚めたのはその日の夜の事であった。

 その日の記憶がすっぽりと消えていたという。




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