第97話 虫の息




 魔王城にて、魔王が緊張した面持ちでコタツに構える。


 それと同時にゲートで僅かに空中に開いた穴からは、魔王の配下の二人が息を潜めて覗き込んでいた。

 一人は魔王軍幹部、トーカ。もう一人は同じく魔王軍幹部"魔道化"テラ。

 のほほんとした空気が常の魔王城に珍しく緊迫した空気が張り詰めている。


 今日、魔王の元にとある来客が訪れる。

 正確に客と言っていいものか。

 それはとある凶悪な魔物であった。


 "三厄災"と呼ばれるデッカイドーに悪影響をもたらす災害級の魔物。

 虫を支配しあらゆるものを食らい尽くす"暴食の王"。

 寒蠱守ふゆこもりと名乗る魔物が魔王に交渉の答えを聞きに来ると告げたのが今日であった。


 一週間前、魔王城に突如として現れた虫の塊の魔物、寒蠱守。

 彼は魔王に情報提供と引き換えに移住を手伝うように要求した。

 答えの要求が一週間後、今日である。


 魔王は寒蠱守の要求に応じる準備はできている。

 ただでさえ勇者でさえ滅ぼしきれなかった危険な魔物である。

 出来る事なら事を構えたくないというのが魔王の本心だった。


 しかし、その目論み次第では、提供した移住先に混乱をもたらす危険性もある。

 寒蠱守自らが自身の性質を語り、他の世界に危害を加えるつもりはないと言っていたものの信用はしきれない。

 そこで、魔王はこの交渉の回答の席に、トーカとテラという二人の部下を配置した。

 トーカは心を読む力を持ち、寒蠱守の本心を改めて探る事ができる。

 テラは戯けた態度とは裏腹に魔王配下の中で最も荒事に長けている。

 駆け引きはトーカの力で、もしも交渉が決裂して争いになったらテラの力で、魔王はあらゆる場合に備えて待ち構えていた。


「しかし、あのムシケラがまさかそんな交渉を持ち掛けてくるとは驚きましたよ。」


 ゲートの小窓からテラの声がする。

 寒蠱守が現れるまで魔王達はかなり退屈であった。一週間後とは言ったものの時間までは指定していない。既にこの状態で三時間近くは待機している。

 流石に飽きてきたのかテラが話し始めた。


「昔から小競り合いをしてきましたが、そんな理性を持ち合わせてるとは思えなかったんですがね。」

「小競り合い? お前でも倒せないものなのか? この後、大丈夫だよな?」


 テラの話を聞いて魔王が不安げに聞けば、小窓からくくくと笑い声が漏れた。


「いやぁ。そこはご心配なく。タイマンなら私は負けませんよ。やつらを処理できなかったのは、処理した後の影響が面倒臭かったからです。」

「後の影響?」

「"三厄災"は互いに拮抗した力を持って牽制し合う魔物でした。一角崩すと他が暴れ出す。一角を注視しすぎると他が動き出す。下手に手を出すと被害が広がるから、あえて泳がせていたんです。」


 今や"三厄災"と呼ばれた存在はあと僅か。

 想像以上に凄まじかった勇者の戦力により、ほぼほぼ壊滅状態である。

 今であれば、寒蠱守単体をテラは処理できるのだという。


「私の事より、あんなムシケラの心でもトーカさんは読めるんですかね?」

「虫でも心は読めますよ。人間や動物と比べれば幾分か単純ですけどね。交渉を持ち掛けるような知性があるなら大丈夫だと思います。」

 

 テラがトーカと窓越しで話す。どちらも問題はないという話らしい。

 

 魔王も警戒はしているものの、交渉に応じる準備はできていた。

 虫が暮らしやすい、かつ悪影響を与えづらい環境の世界を選んで既に用意している。寒蠱守に敵意や悪意がなければ移住の手伝いをするつもりはある。


 状況は万全。あとは寒蠱守がくるのを待つのみである。




 そして、その時はやってきた。





 どこから入ってきたのか。

 ブブブブブと羽音を立てて無数の虫が集まっていく。

 背筋が冷えるおぞましい光景は、以前に見た魔王も未だ慣れない。

 虫は次第に集まっていき、目と牙を形作り、異形の化け物へと変わっていく。





 しかし、そこからは以前と違った。




 以前はもっと黒く色濃く密度が高く寄せ集まっていた虫達は、今日は少しまばらになっているように見えた。

 そして、形も今にも崩れ去りそうな程に不安定であった。

 緩慢にゆらゆらと揺れ動くその姿を見た魔王は思う。


(弱っている……?)


 一体一週間の間に何があったのか。

 明らかに雰囲気が変わった虫の魔物、寒蠱守。

 寒蠱守は牙を動かし声をあげた。


「ア……ア……。」


 以前までの流暢に聞こえた喋り声も掠れた途切れ途切れの声になっている。

 異常な状態なのは明らかであった。


「ど、どうしたんだ……?」

「ア……シ、ツ……シツレイ、シマシタ……少シダケ……トラ、ブルが……ありマシテ……。」


 声が次第に安定してくる。


「申し訳、あり、マセン。お聞き苦しいかと、思い、マス、ガ。少々。お付き、合い。いただけ、マス。ト、幸い、デス。デス。デス。デス。」

「……何があったんだ?」 

「話せる、時間、そう、長く、ない、デス。手短に。用件だけ。伝え。マス。」


 寒蠱守はブブブブと羽音を立てて身を震わせる。

 魔王の傍に控えた小さなゲートの窓から、魔王に向けてテレパシーが響く。

 トーカからのメッセージであった。


(魔王様。そいつ、死にかけてます。)

(何……?)

(戦ったみたいです。と。)


 思わぬ話がトーカから飛び出す。

 もうひとつの"三厄災"。

 既に滅んだ"雪女"。今ここにいる"暴食の王"。それ以外のもう一つというのであれば、それは"死の王"と呼ばれていた魔物の事だろう。

 あれもまた、勇者達によって滅ぼされた筈だった。魔王もゲートから遠目にその最後を確認した。


(あっちもまだ生きてるのか……!? いや、だがなんで寒蠱守がそいつと戦う必要があったんだ……!?)


 寒蠱守は既に魔王と交渉をして、移住の地を探していた筈だった。

 この地にいる敵対する魔物と改めて争う必要など無いはずである。

 それが、こうやって死にかけるまで戦う理由が見当たらない。


 魔王は緊張した面持ちで寒蠱守の言葉を待つ。


「フフ、フ。交渉していた、移住の件。アレは。忘れて貰って。構わない。デス。ワタク、シ。ニ、ハ。もう、必要なくなり、マシタ。デス。」

「何があった。どうして移住を諦めた。」


 寒蠱守は移住の交渉を諦めていた。

 必要なくなった。それは今死にかけている……もう助からないと自覚しているからなのだろうか?

 魔王が問い詰めれば、寒蠱守はキシキシと牙を剥いて笑った。


「ちょっと、した、気の、迷い、デス。いや、今までが、血迷ってた、の、かも、デス。ワタクシ、失敗、シマシタ。思っていた、以上に、ワタクシ、弱っていた。アイツ、強くなっていた、デス。」

「アイツというのは"死の王"の事か?」

「キシ、シシ、モウ、分かって、マス、か。話、早くて、助かり、マス。そう、デス。ハイベルン、デス。」


 "死の王"ハイベルン。アンデッドを率いる魔物。

 やはり寒蠱守は残る三厄災と争っていたらしい。


「何故争った。お前は移住するつもりだったんじゃなかったのか。」

「………………気の迷い、デス。この世界を、見捨てる、気持ちが、ほんの少し、薄れた、デス。今から、アナタに、話すのも、そんな気の迷い、の、延長、デス。」


 この世界を見捨てる気持ち。

 滅び行く世界に見切りをつけて、他の世界に移住をしようとしていた事だろうか、と魔王は考える。

 ということは、この魔物はこの世界に見切りをつける気持ちに迷いが生じたという事だろうか。

 それが何故、"死の王"との対立に繋がるのか。

 その理由は寒蠱守から語られる。


「一週間。それ以上。待てない。と言ったのは。それだけ。破滅が。近付いて。いた。から。もう。破滅の。足音は。そこまで。来ている。」


 ぷつぷつと、違う声が、入れ替わり入れ替わりに語り始める。


「あなたの。持ち込んだ。おぞましい。怨念。それは。あいつと。"死の王"と。ハイベルンと。すこぶる。すこぶる。相性が。悪い。」


 ザザザザザザと寒蠱守の身体がざわめき崩れ始める。


「ハイベルン。"死の王"。死の国からやってきた。死者を統べるもの。死者の魂を統べるもの。死者の怨念を統べるもの。」


 魔王がぴくりと眉を動かす。

 魔王の持ち込んだおぞましい怨念。

 そして、、ハイベルン。

 

 魔王の持ち込んだおぞましい怨念。それが願望機シキに残された死者の祈りだとしたら。

 怨念を統べるものハイベルン。その魔物に、そういった死者の祈りを操る力があるのだとしたら。

 誰の手にも負えない程の巨大な呪いを、その手に収める魔物がいたとしたら。


 ひとつの恐ろしい可能性に行き着いて、魔王は背筋を凍らせる。


「ハイベルンに。気をつけろ。あいつは。もう。気付いてる。あなたの。隠した。巨大な。怨念に。」


 寒蠱守は魔王に警告をしに来た。

 魔王の抱える大きな課題の、大きな障害となる存在を。

 トーカのテレパシーが魔王の中に伝えてくる。

 その言葉に嘘も裏もない事を。

 

「……ハイベルンと戦ったのはそれを止める為か? どうして俺にそれを伝えるつもりになった? 世界の滅亡なんか関係無く、他の世界に行きたがっていたお前が。何がお前の心を変えた?」


 魔王は哀れむ様な表情で、虫の塊に問い掛ける。

 寒蠱守はキシシと笑った。


「それは。教えて。あげ。ません。」


 寒蠱守は次第に霧の様に薄れていく。

 集まった虫達が次第に散っていっている。


「ま、待て!」

「私。には。もう。時間。あり。ません。最後に。ひとつ。聞いて。もらえ。ます。か。」


 最早、目や牙は見えない。

 もやのような塊は、途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「巫女に。伝言を。怨念に。名前を。形が。あれば。それは。壊せる。」

「何を言って……。」

「私の。言葉。それ。だけ。後は。任せ。ます。」

「お、おい……!」


 その最後の言葉と共に、虫達はばらばらに飛び去ってしまった。 


 魔王は手を伸ばして呼び止めるが、止める事はできなかった。

 完全に虫達が消えた魔王城に、人間大のゲートが二つ開き、隠れていたトーカとテラがそこから出てくる。

 テラは仮面で表情が見えないが、トーカは珍しく深刻そうな表情だった。

 魔王が先程の寒蠱守の言葉の意味、内心を聞こうとするよりも先に、トーカは立ったまま口を開く。


「あの魔物、もう先が長くないです。今のは最後の遺言のつもりで伝えにきてます。多分、二度と会う事はないです。」

「遺言……?」

「心の中にずっと思い浮かべてました。長く生きてきて忘れてしまった事。諦めてしまった事。そして、それを思い出すきっかけをくれた人を。本当は最期の時にはその人に遭いに行きたかったんです。それでも、その人が生きるこの世界を生かす為に、魔王様にメッセージを届けにきたんです。」


 トーカは暗い表情で腰を下ろす。

 彼女にしては珍しい深刻な表情であった。

 心を覗ける彼女は普段は他人の感情にあまり流されない。他人の感情に流されれば、自分が曖昧になり、感情が不安定になるからだ。

 そんな彼女がこんな表情を曇らせるほどに、あの魔物の内心は悲しいものであったのだと魔王は理解した。


「……それ以上はごめんなさい。私からは話せません。悪い魔物ではあったと思います。でも、最期の想いだけは汲んであげて欲しいです。嘘や裏のない本心からの助言です。」

「……お前がそういうなら信じる。」


 トーカがあえて内心を伏せた。彼女のそんな気遣いも珍しい。

 魔王はその意図を汲んで、それ以上深入りはせず、最期に残した言葉は助言であると信じる事にした。


「巫女に、伝言を……。巫女……あいつのことか?」


 魔王は寒蠱守が去り際に残した言葉を復唱していく。

 巫女と言われて思い浮かぶのは、以前に魔王城を訪れた女神オリフシが語った事。

 ハルは巫女の一族の末裔であるという事。

 寒蠱守の残した言葉は、ハルに対するメッセージという事なのだろうか。


「怨念に、名前を。形があれば、それは壊せる。……これは全く分からないな。あいつに伝えたら分かるのだろうか?」


 まるで何も分からないが、トーカの言う通り、死に際の遺言という事であれば何か意味のある言葉なのだろう。

 魔王はゲートからメモを取り出し、そこに言葉を書き留めておくことにした。

 今の話では蚊帳の外に居たテラも、座ってコタツに入り込む。


「そちらも気になりますが、私としてはハイベルンの奴がまだ生きているという事が驚きですよ。まぁ、動く死体だから生きているというのが正確かは分かりませんがね。」


 寒蠱守は三厄災、"死の王"ハイベルンと争ったという。

 ハイベルンは今だ健在。弱っていたとはいえ、寒蠱守を倒す程度の力は残っているらしい。

 魔王はメモをゲートにしまいながら、深刻そうに表情を曇らせた。


「……その助言は理解できた。"死の王"ハイベルン。予想が正しければ、そいつを何とかしないとマズイ事になる。」


 ハイベルンは怨念を統べるという。

 世界を滅ぼすのがシキに残された死に行く人々の生者への嫉妬の怨念だとするのであれば……もしかしたら、その魔物にシキの力を利用されてしまう事はないだろうか。

 ハイベルンというこの世界に仇なす魔物に、世界を滅ぼす程のシキの力を奪われる。

 それが魔王の想像した最悪のシナリオ。


「テラ。ハイベルンの対処を頼めるか? 今後は絶対に討ち漏らす事のないようにしたい。」

「ご命令とあらば。」


 テラは恭しく頭を垂れる。

 

 魔王との交渉に現れた魔物、寒蠱守。

 彼から図らずも得られた情報をもって、魔王達は動き出す。





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