第96話 ナツと理解者




 ナツは緊張していた。

 王城を訪れた時も緊張したが、それより小さいとは言えこれが個人の持つ邸宅と思うと粗相がないかと心配になる。

 そこは、今日ナツが招かれた家。正確には、ナツから会いたいと頼んだところ顔を合わせる場に指定された家。


 ナツを案内したメイドが、目的の部屋をノックする。


「お嬢様。ナツ様がお越しになりました。」

「通して。」


 中から女の子の声がする。返事を聞いて、メイドは扉を押し開いた。

 そして、扉の脇に寄り、ナツを通すように中に入ることを促せば、ナツの視界にも部屋の全容が見えてきた。

 大きなベッド、鏡台、クローゼット、テーブル等々が備え付けられた部屋は、如何にも女の子のものといった可愛らしいデザインの家具が並ぶ。

 

 そのテーブルの傍らに、少女、アキは立っていた。

 そこはナツの同僚である勇者"魔導書"ことアキの部屋であり、この屋敷はアキの実家メイプルリーフ家である。


「いらっしゃい。」

「あ、ああ。お邪魔する……。」


 ぺこりと一礼して、ナツはぎくしゃくした動作でアキの部屋に入る。

 ナツが中に入れば、メイドは静かに扉を閉じた。

 

「今日は呼び付けてしまってごめんなさい。あまり時間を取れなかったんです。」

「い、いや。俺こそ忙しいのに時間を取らせて申し訳無い。」

「気にしないで下さい。さ、そっちに掛けて下さい。」


 今日はナツが相談事があるという事で、アキに会えないかと話を持ち掛けた。

 しかし、アキは連絡をした時点で当日家から離れられない用事があったらしい。

 後日も色々と立て込んでいるらしく、今日この時間にアキの家でなら構わないという事で、ナツはアキの部屋を訪れたのであった。

 アキに促されナツは椅子に座る。同じくアキが座ると、部屋の扉がノックされた。


「お茶をお持ちしました。」


 扉が開きメイドがお茶を運んでくる。

 それに対して、ナツは「どうも」と頭を下げる。

 大きな屋敷に招かれた事、女の子の部屋に招かれた事、目の前のアキが普段と違う私服姿で雰囲気が違う事、色々とあってナツは緊張していた。


 メイドがお茶を運び終えてアキの部屋を後にして扉が閉まったところで、アキは口を開いた。


「それで、何か相談事があるんですよね?」


 アキは早速本題に入る。

 ナツから相談をしたいと話を受けた。

 普段あまり話す事もない相手、同じ勇者であり実力を認めた相手、前は仲の良くなかった相手からの相談という事でアキは張り切っていた。

 本来であれば今日この後家で用事があったので予定は一杯一杯だったのだが、父に無理を言って少しだけ時間を取ったのである。相手が勇者の一人と言ったところ、特に却下される事なく今日の約束を取り付けるに至ったのだった。


 言ってから若干先走りすぎたかとアキは心配になったが、ナツは緊張しつつすっと手のひらを上に向けて手を前に差し出した。


 その手のひらの上にボッと黒いオーラが炎のように灯る。


「実は……何か身体からこんなのが出るようになってしまって……。」


 最近ナツに発現した謎の黒いオーラ。

 最初は意図せず噴き出た正体の分からないオーラで、後に出し入れは自由にできるようになったものである。


「ある日突然出るようになってしまって……一応、病院にも行ったが異常はないし、誰かが触っても悪影響のあるものではないみたいなんだが……得体が知れないものだから恐ろしくて。魔法の知識があるアキなら何か分からないかなと。」


 病院に行ってもナツの身体に異常はなかったこと。

 誰かが触っても平気なものであること。

 アキを不安にさせない為に予め前置きをしておく。

 同じ転生者に見せたところかなりドン引きされたので、アキも気味悪がったりしないだろうかとナツは心配していた。

 実際自分自身でも不気味だと思っているので、そう思われる覚悟はしていたのだが……。


「……ちょっとよく見せて下さい。」


 アキは身を乗り出し、迷わずナツの手を取った。

 小さな手でナツの右手を握りつつ、まじまじと黒いオーラを眺めている。

 息づかいが分かるくらいに思いの外顔を近づけてきたので、ナツは思わずどきりとした。

 まるで怖がる様子はなく、むしろ興味深そうにオーラに手を触れたり眺めたりしつつアキは口を開いた。


「これ、出し入れできるんですよね? 引っ込められますか?」

「あ、ああ。」


 ナツが手のひらから黒いオーラを引っ込める。

 その手のひらをまじまじと見つけ、指を滑らせてにぎにぎと触る。

 細い指が手のひらを這ってこそばゆくなったナツの身体が強ばる。


「もう一度出してみて下さい。」


 アキに言われた通りにもう一度黒いオーラを出してみる。

 すると、先程よりもより大きなオーラがボッといきなり噴き出した。

 そのオーラがまじまじと手のひらの上から眺めていたアキの顔に噴きかかる。


「わ、悪い! 加減ができなかった!」


 ナツは慌てて謝罪して、オーラを再び引っ込めた。

 しかし、アキは驚いて逃げるどころかまるで意に介した様子もなく、ふむと黒いオーラが噴きかかった額を撫でてすっと椅子に戻った。

 

「だ、大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。悪影響のあるものではないので。」


 アキは身を乗り出して乱れた前髪をさっさと手で直しつつ言う。

 ナツの方が驚く程に気味悪がる事も驚く事もしないアキ。

 あまりにも平然としているので、もしかしたら彼女であれば何か分かるのではとナツは期待する。


「何か分かるか? まぁ、そんなにすぐ分かるものではないかもしれないけど……。」

「分かりますけど。」

「……え?」

「分かりますって。」


 アキは平然と言ってのける。

 アキは今、ほんの少しナツの手のひらを見ただけだった。

 期待をしていたナツでもここまですぐに分かるとは思っていなかった。

 信じられない、という顔をしているナツを見て、アキがぶすっと口を尖らせる。


「何ですか。私なら分かると思って訪ねてきたんですよね。何で意外そうにしてるんですか。」

「す、すまん。疑った訳ではなくて……。まさか、こんなにすぐ分かるとは思わなくて。」

「侮らないで下さい。私の"魔導書"という異名を知っているでしょう。全ての魔法のお手本になるような魔導書みたいな魔法使いって意味です。こと魔法に於いて私の右に出るものはいません。」


 胸を張ってアキが言う。

 正直異名の意味はナツも初めて知ったのだが、知っていた風に「そうだったな」という雰囲気の顔をする。

 とにかく、アキはナツが思っているよりも凄い魔法使いらしい。そして、ナツの黒いオーラの事が分かるという事は……。


「……という事は、この黒いオーラは魔法由来のものなのか?」

「まぁ、大体そんな感じです。正確に言うと少し違うのですが。」


 アキはすっと立ち上がり、すたすたとナツの後ろに回り込む。

 ナツは視線で追おうとしたが、「そのままで。」と止められ、そのままアキを後ろに立たせた。

 背中に手のひらが当てられた感覚がする。

 更にその手のひらから何か不思議な力が流れ込んでくるような感覚がした。

 そして、ナツの身体から、ボッ、と黒いオーラが噴き出した。


「わっ!」


 驚いて声を上げるナツ。


「今、私の魔力で直接ナツの中の"それ"を動かしました。全身から出す感覚、掴めました?」

「え?」


 アキに言われると、ナツは不思議と全身から黒いオーラを噴き出した時の身体の力の入れ方を思い出せた。

 今まさに力が入っている部分から力を抜いて緊張をほぐすようにしていくと、次第に噴き出したオーラが収まっていく。

 出し入れができるようになった、とナツは思っていたが、今一気に噴き出した事で十分に扱い切れてはいなかったのだと理解する。

 そして、謎のオーラの引き出し方を分かっているアキは本当にこれの正体を理解したのだと確信できた。


「次に右の手のひらを見てみて下さい。そして、そこから"それ"を出してみて下さい。」

「あ、ああ。」


 言われた通りにナツは右手を開いて黒いオーラを灯して見てみる。

 黒い炎のようなもやがかかって右手の全体は見えない。


「今から背中から魔力を流しますのでそれに身を任せて下さい。」

「身を任せる……?」

「流れたら分かりますから。変に逆らったりしないで。」


 背中に当てられたアキの手からまた不思議なものが流れ込んでくるような感覚がする。確かに何かが流れてきたのが分かった。こそばゆくて身体を強ばらせそうになったが、アキに言われた通りにナツは力を抜いて身を任せる。

 すると、流れてくる不思議な感覚は右腕を伝い、やがて右手に辿り着く。


「段々、黒いオーラが見えなくなってきます。」


 アキがそう言うと、次第にオーラが収まっていく。


「手のひらを見て下さい。」


 ナツは手のひらを見てみる。先程はオーラに覆われていた手は見えるようになっていた。しかし、それ以上に変わったところはない。

 

「何か違和感ありませんか?」


 言われてもナツは今ひとつ理解できない。

 ナツが困っていると、ナツの肩越しにアキの手が伸びてくる。突然伸びてきた細腕にナツは思わずびくりとした。

 アキの手にはハンカチが握られている。手はそのままハンカチを開いたナツの手の上にぱさりと落とした。


「手の汗凄いですよ。拭いて下さい。」

「え? …………あ。」 


 そう言われて初めてナツは気付いた。

 手には汗で湿ったような感覚がある。恐らくアキの屋敷、部屋に来てから緊張して拳を握りしめていたから手汗を掻いていたのであろう。

 しかし、先程ナツが手のひらを見た時には、手に汗は見られなかった。


「気付きました?」


 アキは笑みを浮かべながらナツの背後から離れて前に回ってくる。


「手の汗が見えなかった……?」

「正解です。実は今、ナツの"それ"を使ってみたんです。」


 アキは再び自席に座り、得意気に胸を張った。

 "それ"というのは黒いオーラの事だろう。

 手の汗が見えなくなったのは、黒いオーラの力らしい。


「これは一体……?」

「あえて呼称を付けるのなら、魔法というより"異能"と言うべきでしょうか。意図して作り上げた魔法ではない、元々の体質みたいなものです。」

「異能? 体質?」


 ナツが分からないといった顔をしていると、アキは身を乗り出して説明を始めた。


「魔法は術式を組んで魔力を流す事で望んだ事象を起こすものです。魔力を術式を通して魔法という形あるものに変換するものだと思って下さい。異能というのはその魔力自体に元々特性がついている状態を指します。」

「……?」


 分からないといった表情のナツに、アキは手元のティーカップを持ち上げて見せる。


「このお茶で喩えてみましょう。水が魔力です。水を熱して、ティーポットの茶葉を通すと美味しいお茶になる。これが魔法です。」

「ふむ……。」

「異能というのはこの水そのものが味を持っている、という感じです。無味無臭の水を魔力として、そこに色や味や香りをつけるには普通はティーポットを通す必要がありますよね。でも、稀に元々特徴を持った水、魔力を持つ人もいるんです。」

「……なるほど。」


 ナツは何となく理解できた気になった。


「魔法にしなくても、何かしらの事象を引き起こす魔力。それが異能です。」

「その異能を俺が持っていると?」


 アキはこくりと頷いた。


「あえて"異"と言いましたけど、実はそう珍しいものでもないんです。たとえば、演説がうまい人がいるじゃないですか。その人は声に無意識に意思を伝える力を持った魔力を乗せていたりします。異性を魅了するのがうまい女性を"魔性"と呼ぶのもこれが由来です。魔法を介さない"才能"にも以外と魔力が絡んでるんです。」


 はぁ、とナツは感心し、そして気になる。


「じゃあ、俺のは一体どんな異能なんだ?」

「言葉で表すなら……強いて言うなら……隠蔽? 虚勢? 見栄?」


 並べられた単語を聞いて、ナツはひとつ思い付いた言葉を口にした。


「…………"虚飾"?」

「まぁ、そういう類いの才能です。」


 アキはぽんと手を打って合意した。

 "虚飾"。咄嗟に出た言葉は、ナツが女神ヒトトセに与えられた称号が"虚飾の勇者"から思い付いたものである。

 つまり、これはヒトトセが意図した才能という事なのだろうか?


「どんな時でも表情や態度に出さない人っているでしょう? 辛いときでも平気で振る舞ったり、どんなに嬉しいときでも何でもないように振る舞ったり。ナツの"それ"はそういう"覆い隠す"力を持った魔力です。」


 ナツはハンカチの乗った手のひらを見つめる。


「黒く覆うような魔力は、本心を隠すように姿を眩まします。ナツは感情が読み取りづらいと思われる事ありませんか?」

「……よくある。」

「それは無意識下で魔力で自分の姿を覆ってしまっているんです。一般人から見れば、常に平常であるように見えてしまうんです。無表情、無感情と言われる人は割とこういう異能を持っている事があります。」


 ナツは自身の顔に手を当てる。

 今まで散々悩んでいた自身のうまく感情を示せない理由が、意外なものにあった事に初めて気付いた。

 

「黒い霧のような形で発露したのは、多分何かそれが出た状況下でかなり強く思い悩んでいたんじゃないですか? 平静を保つのが難しいくらいに。」

「…………ああ。ああ。そうなんだ。」

「きっとそのストレスが、大雑把に姿を隠せる黒い霧という形で現れたんだと思いますよ。つまり、一時的な精神的な疲労から来る事象で、その魔力自体はナツが元々持ち合わせているものだから何も悪いものじゃないって事です。」


 黒いオーラが発現した状況までぴたりと言い当て、それが全く心配するようなものじゃないと教えてくれるアキ。納得のいく話を聞けて一気にナツの中の不安が和らいでいく。

 その一方で、ナツはその力をあまり快くは思えなかった。


「……そうか。……俺は、感情表現をうまくできない身体に生まれてしまったのか。」


 感情表現豊かな周りの人々を見て、それを羨んでいた。

 しかし、それが生まれつき手に入らないものだと分かってしまった。


「いやいや、そんな事ないですよ。」

「…………え?」


 そう思っていたナツに、アキはくすくすと笑って言う。


「今、私が手伝って制御できていたように、異能だって慣れや訓練次第で自由に使いこなせますよ。感情表現ができないなんて事ありません。」

「ほ、本当なのか?」

「ええ。本当です。」


 アキはハンカチを載せたまま差し出されたナツの手に両手を添える。

 すると、ぼやっと黒い煙が立ち、ふよふよと空気に溶けて消えた。

 アキがナツの手のひらからハンカチをぱっと取り除くと、うっすらと汗ばんだナツの手が現れる。


「ほら。」


 本当に、隠されていたナツの手が現れた。

 目の前で実証して、改善できるとアキは示してくれた。


「ナツ、この異能を疎ましいと思ってませんか?」

「…………それは……。」

「思ってるんですよね。顔に出てますよ。」


 言われてナツは顔に手を添える。

 アキはその反応を見て、くすりと笑った。


「どんな才能だって使い方次第ですよ。きっと、その異能を役立てる機会だってあります。」

「役立てる機会……。」


 ナツの手に再びアキがハンカチを乗せる。


「訓練なら私が付き合ってあげますから、その才能と少し向き合ってみませんか? 嫌ったままでいるのはもったいないですよ。」


 アキは優しく微笑んだ。ナツの胸がどきりと高鳴った。

 

「…………ああ。よ、よろしく頼む。」


 ナツの声が不思議と上擦ってしまう。

 

 初めて自身の悩みを解き明かしてくれた。

 初めて自身の欠点を肯定してくれた。

 その上で手を引いて導こうとしてくれている。


 ナツは、自分の中で何かが少しだけ変わったような気がした。



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