第95話 魔王散る
ハルが帰った後の魔王城にて、魔王はコタツの上に突っ伏していた。
久し振りのハルの来訪。
お洒落をしてきた彼女により明かされた、魔王が心をときめかせていた謎の女性"春風の女神"の正体。
ハルがいる間は魔王は平静を保っていたが、ハルが帰った途端にばたりと糸が切れた人形のようにコタツに倒れたのである。
その様子を暫くお茶を啜りながら眺めてから、トーカは声を掛けた。
「今更来たんですか? ハル様居る時は割と平気そうだったのに。」
「……うん。急に来た。」
魔王は顔を伏せたまま返事した。
「……そっか、ハルかぁ。」
魔王は顔を伏せたままぽつりと呟いた。
「魔王様、"春風の女神"とか呼んでましたけど。」
「やめて。」
魔王は勝手におめかししたハルを別人と勘違いして"春風の女神"と呼んでいた。
なんなら惚れていると言っても過言ではないくらいに心奪われていた。
「いや、別にいいじゃないですか。魔王様気付いてなかったみたいですけど、ハル様普通に美人ですよ。」
「なんかそういうのを意識し出しているのが悔しいというか恥ずかしいというか申し訳ないというか何か違うというか……なんて言ったらいいのか分からん……。」
魔王は別にハルが嫌いな訳ではない。
しかし、異性として見ていたかというと、女性だとは思っていたがどちらかというと娘に近い庇護欲のようなものを抱いていたくらいで、そういう目では見ていない。
そんな相手が姿を変えたらそういう目で見てしまっていた事に罪悪感にも似た感情を抱き、魔王は訳が分からなくなってしまったのである。
トーカはすっとポケットからレコーダーを取り出す。
「実はここにハル様の歌が入ってるんですけど。」
「え?」
「ポチッとな。」
レコーダーから歌が流れる。
透き通るような美しい歌声だった。
魔王は思わず伏せていた顔を上げる。コタツに潜っていたシキも誘われて出てきた。
魔王がかつて外で見掛けた彼女が歌っていた暖かい声と同じもの。
レコーダーから歌が流れている間、魔王もトーカもシキも、揃ってぽかんと歌に聴き入っていた。
長い時間に感じる程の、歌だけに聴き入る満たされた時間。
レコーダーが終わると、しばらくぽかんと呆けた後に、魔王とトーカはハッと我に返った。
「どうです?」
「…………お前、マジでやめてくれ。」
魔王は額に手を当てて深く息を吐いた。
(つい聴き入ってしまった……。ますます意識してしまう……。)
今の歌で魔王の心は更に揺さぶられた。
それ程に美しい歌声。今までの粗暴な勇者のイメージからのギャップが余計に効いてくる。
レコーダーを流したトーカがふと我に返った。
(何してるんですか私。)
トーカはすっとレコーダーをポケットにしまった。
(いやいや。魔王様をハル様に惚れさせてどうするんですか。ライバル増やして良いことないでしょう。ただでさえナツ様という距離的には私よりアドバンテージある相手がいるのに。ハル様の魅力を伝えたいという気持ちに抗えずに余計な事を……。)
トーカはハルに好意を抱いている。
同じくハルに好意を抱いているナツに嫉妬した事もある。
此処に来て魔王までそのラインに並べる事はトーカの本意ではないのである。
「……まぁ、親馬鹿ってあるじゃないですか。娘を可愛いとか美しいと思う事とかあるんじゃないですか? そういう感じじゃないですか? 子供いないから分かりませんけど。」
「……そうかな?」
魔王は顔を上げた。そして、また伏せた。
「いや、でも、"春風の女神"とか言っちゃってたし……。」
「何で自ら黒歴史掘り返していくんですか。」
せっかくトーカが娘のような存在として可愛いと思っているという方向に話を流そうとしたのに、自ら軌道修正する魔王。
「それに、俺別にあんな歳の娘がいるような年齢ではないぞ?」
「面倒臭いなこのおっさん。」
魔王は割と年齢の弄りに対してシビアである。
そんなおっさんに本気で面倒臭くなってきたトーカ。
「それなら妹とかでいいじゃないですか。」
「そこまで歳も近くないし……。」
「…………。」
「ガチで面倒臭そうな顔するのやめて。」
「いや、ガチで面倒臭いんですって。」
トーカはハァと溜め息をつく。
「グチグチグチグチうるさいです。私の業務に魔王様の愚痴を聞くことは含まれてません。」
「ご、ごめんなさい。」
「一体どうしたいんですか。実は恋心抱いちゃったと認めたいんですか認めたくないんですか。」
「………………。」
「悩んでる時点でちょっと好きになっちゃってたって事ですよ。もう認めちゃって下さい。」
魔王は悩ましげな表情を浮かべていたが、苦しそうに唸りながら声を捻り出した。
「…………認める。」
「その上で、実はその相手は全く脈なしのハル様だと分かったんです。つまり魔王様は今、失恋しました。」
「…………うん。…………うん?」
魔王は一瞬納得しかけて、顔を上げて怪訝な顔をした。
「え? 脈なし?」
「いや、どう考えたってそうでしょ。冴えないおっさんと思われてるんだから。」
「俺、失恋した?」
「失恋したでしょ。恋を諦めたんだから。」
魔王はがくっと項垂れる。
「俺失恋したのか……。そうか、この何とも言えないもやもやはそういう事なのか……。」
「まぁ、それを"春風の女神"様に打ち明ける前に分かって良かったじゃないですか。まかり間違って告白なんてしてたら今頃死ぬほど気まずかったですよ。」
「言われてみれば確かに……。」
「今後も魔王フユショーグンと勇者ハルとして付き合っていけばいいんです。魔王様もそっちの方が嬉しいんじゃないですか?」
「うん……そうだな……別に今までと何も変わらないか……。」
トーカの矢継ぎ早の説得に魔王は次第に説き伏せられていく。
別に失恋したという訳でもなく、脈なしというのもトーカが一方的に言い切って無理矢理ねじ伏せているだけだったのだが、魔王は気付かない。
「今までと同じような付き合いを続けられる」、「下手したら関係が壊れていたかも」という今の妥協点が最適だと思わせる話し運びにより、魔王が現状を納得できる方向にトーカは誘導した。
(実際脈なしではあるんですけどね……。ハル様の好意の矢印って何処にも伸びてませんし……。悔しいですけど。)
心を覗けるトーカだからこそ知っている。
ハルは他人に好意を抱くことこそあれど、恋心のような深い好意の矢印は誰にも伸びていない。それは魔王に限らず、彼女に好意を抱いているナツやトーカに対しても言える事である。
今のところ誰もが脈無しであり、逆に言えばそれは誰にでもチャンスがあるという事でもある。
(魔王様はまぁ……ライバルにはならないと思いますけど。敵は少ない方がいいですよね。)
トーカはうまく魔王の気持ちを切り替えた事でほっと胸を撫で下ろす。
魔王もそちらの結論の方がスッキリしたようで、パンパンと頬を叩いて気合いを入れ直していた。
「よし。まだまだこれからも協力するんだもんな。気を取り直さないとな。」
魔王の初恋は儚く散ってしまった。
「話聞いてくれてありがとうな、トーカ。」
「え? あっ、はい……。」
感謝されたトーカがちくりと胸を痛める。
ライバルを蹴落とす事ができた喜びや、悪戯好きの楽しみなど掻き消すような真っ直ぐな感謝の言葉に流石のトーカも申し訳無くなる。
「……あ、お茶冷めちゃいましたよね。淹れましょうか……?」
「ああ、すまんな。」
これからはちょっとだけ魔王に優しくしてやろうと思ったトーカであった。
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