第94話 ハルのしつけ教室




「シキの教育係?」


 すき焼きとケーキを漫喫した後、ふぅと一息ついて寛ぐハルに魔王は今日の本題を切り出した。


「シキ、ハルが来てるぞ。」


 魔王はコタツに呼びかける。

 すると、するするとコタツから黒猫が出てきてコタツに飛び乗った。

 黒猫はコタツの上でハルの顔を見つけると、尻尾をゆらゆらと揺らした。


「ハル!」

「わっ!」


 そして、ぴょんとハルに飛び掛かった。

 ハルは突然飛び掛かってきた黒猫を素早い手の動きでさっと抱きとめる。

 すりすりとハルの身体に身をすり寄せて、黒猫は甘い声を上げる。


「ハルハルハルハル!」

「待て待て。落ち着けシキ。そんなに私に会いたかったのか?」

「会いたかったのである!」

「ははは。そうか。ごめんな、なかなか会いに来られなくて。」


 黒猫シキと戯れるハル。その様子を見て、魔王とトーカはぽかんとしていた。

 二人の視線にはっと気付いて、ハルが不思議そうに尋ねる。


「どうしたんだ? 二人とも。」

「いや……シキが喋っても驚かないんだなと。」

「ん?」


 ハルは抱きかかえたシキを見下ろす。シキはハルを見上げて口を開いた。


「ハル!」

「…………。」


 ハルは黙ってシキを見つめている。

 もしかして、喋っている事に気付いていなかったのだろうか?

 であれば、また旨いものを食べた時のように急に大声を上げるのではないか?

 そう思って魔王が耳を塞ぐ準備をする。


「…………お前喋れたのか。」

「喋れるようになったのである!」

「へぇ。すごいなぁ。」


 思ったよりも淡泊な反応だった。魔王は意外そうに尋ねる。


「……驚かないのか?」

「いや。喋る虫とか最近見たしな。喋る魔物もよく見るし。猫が喋ったところで今更じゃないか?」

「……まぁ、そうなんだが。」


 魔王は内心で喋る虫というところに引っ掛かったのだが、一旦それは置いておく事にした。

 何にせよ変に驚いて騒がない方が助かる。


「まぁ、こうやってシキが意思疎通できるようになった。会話もできるようになったから、前のように勝手に家出する事とかがないようにしつけをしたい。」

「その躾を私に頼みたいのか?」

「ああ。お前によく懐いてるみたいだから、お前の言うことならよく聞くと思ってな。」


 ハルは今の様子を見ても分かる通り、何故かハルには良く懐いている。

 抱きかかえた黒猫とじっと視線を合わせてから、ハルは魔王の顔を見た。


「できれば力になりたいけど、私は動物の躾とかした事ないぞ?」

「そこまで気負わなくていい。時間が取れる時にシキに会いに来て、色々教えてやってくれればいい。」


 ハルはうーんと悩ましげに唸る。

 あまり良い感触ではない。大した頼みではないので聞いてくれると思っていた魔王は思いの外乗り気ではないハルを見て、心配そうに声を掛けた。


「何か駄目な理由でもあるか? 無理にとは言わないが。」

「いや。嫌な訳じゃないんだ。ただ、色々教えると言っても今ひとつピンと来なくて。」


 ハルはシキをコタツの上に置く。

 再びハルに近寄ろうとジタバタと戻ろうとするシキに対して、ハルは目線を合わせてキッと睨み付けた。


「待て。」


 シキはそこでぴたっと止まる。

 ピンと背筋を伸ばして座り込み、ハルに言われた通りに飛び掛かるのを我慢して待っていた。そのシキの頭を優しくぽんぽんと撫でると、ハルはシキの横から顔を覗かせて魔王に視線を合わせた。


「ほら。何も教えなくてもちゃんと言うこと聞くぞ?」


 ハルはぱっと手のひらをシキに差し出す。


「お手。」


 シキはハルの手のひらにぽんと手を乗せた。

 

「ほら。」


 魔王とトーカは顔を見合わせる。

 横からトーカがシキの背中をぽんぽんと叩き、自分の方を向かせる。


「シキ。お手。」


 シキはトーカの額にパァン!とパンチを叩き込んだ。


「…………。」


 無言で額に肉球を載せたまま、トーカが真顔でスッと差し出していた手のひらを上げる。親指に中指を引っ掛けて、中指を曲げてぐぐっと力を込める。

 そして、その手をシキの頭に寄せてピン!と弾く。所謂デコピンである。

 パチンと額を弾かれたシキは「ナッ!」と声を上げて、さささとハルの懐に飛び込んだ。


「ハル! トーカが苛めるのである!」

「トーカ……苛めたらダメだぞ。」 

「ハル様今の見てましたよね!? 私悪くなくないですか!?」


 ハルはシキを抱え上げて、じろりとトーカを見る。


「いや……猫相手に大人げないと思う。」


 トーカの胸にハルの一言がグサッと刺さった。

 ハルに抱えられたシキがトーカと目を合わせる。

 そして、にやりと不敵に笑った。してやったりという顔である。


(このクソ猫が……!)


 トーカが若干泣きそうになりながらキッと睨み付ける。

 シキのせいでハルに白い目で見られている。その事実がトーカに深く刺さる。

 シキはハルに庇われ得意気になっていたが、くるりとハルの方に顔を向かされ、じっとハルに睨まれた。


「シキもトーカに意地悪したらダメだぞ。」


 ハルの視線にびくりとして、シキはバツが悪そうに目を逸らす。

 そして、コタツの上に降ろされると、トーカの方にとことこと歩み寄る。

 トーカの前にちょこんと座ると、シキは頭をぺこりと下げて言う。


「ごめんなさい。」


 シキが謝るとトーカは目を丸くした。傍らでそのやり取りを見ていた魔王も驚く。

 トーカがシキの頭に手を伸ばし撫でてやる。


「こ、こっちこそごめんなさい。」

「よし、これで仲直りだな。」


 仲直りしたシキとトーカを見て、ハルがにっと笑った。

 シキはハルの言う事であれば思った以上にしっかりと聞くらしい。

 魔王やトーカであればおやつで釣らなければろくに言う事も聞かないのに、軽く叱るだけで謝らせる事までできている。


「なぁ、ハル。そんな感じにやって良いこと悪いこととかをシキに教えてやってくれないか?」


 魔王が改めて頼む。

 しかし、ハルはうーんと何かを考えている。


「その都度注意するならできるけど……予め何かを教えるとかだとキリがなくないか?」

「……まぁ、そうだな。」


 確かに、その都度注意するのと予め教えておくのには大分差がある。

 ハルの言う通り、どこまでのケースを想定するのか考えたらきりがないだろう。


「それより、魔王とトーカが普段からシキに言う事を聞かせられるようにした方がいいんじゃないか?」

「それができたら一番いいんだが……。」


 魔王がうーむと悩めば、ハルは顎に手を当てて考える。


「私の村では猟が盛んだから、猟犬を飼ってる家が多い。そこの家でよく聞くのは、犬は家族の中で順位を付けるらしい。」

「順位?」

「こいつは自分より格下だとか、この人は偉いんだとか。」


 ハルは魔王の顔を見た。


「魔王、シキに舐められてるんじゃないか? なんていうかその……。」

「分かった。それ以上言わないでくれ。」

「威厳とか全く無いし。」

「言わないでって言ったじゃん。」


 魔王は普通にへこむ。ハルは腕を組んで魔王に尋ねる。


「なんかシキに何かする度にエサとかやってないか?」

「……何かとおやつをねだられてあげてるが。」

「そういうの駄目らしいぞ。何度も言うことを聞いて貰えると思うと舐められるらしい。無駄吠えするから相手をしてやる、とかしてるとクセになったりするんだと。」

「そ、そうなのか……。」


 先の駄目だしから割と真面目にペットの躾の方針について指摘を受ける。

 その指摘を受けてそわそわし始めたのはシキである。


「そ、そんな事ないぞ。おやつを貰ってもきちんと良い子にできるのだ。」


 ハルの今の助言を聞くと「無闇矢鱈におやつをあげない」という事になる。

 それはシキにとっては溜まったものじゃない。

 シキは魔王とトーカをきょろきょろと見上げてあたふたしたあと、ハルの方に向いて猫なで声で話し掛ける。


「ハル~……意地悪しないでほしいのである。」

「そんな声出しても駄目だ。第一、食べ過ぎは身体にも悪いしな。」

「そんな……!」


 シキの媚びにも動ずる事なく、ハルはぴしゃりとシキを制する。


「こうやって、締めるところビシッと締めないと駄目だ。」

「な、なるほど。」


 魔王とトーカはこくこくと頷いてハルのレクチャーを受ける。


「ご褒美を上げる事自体はいい。ただ、きちんと何か良いことをした時に与えること。あと、あげ過ぎに注意。催促されたらあげる、なんて事はしないように。」

「わ、分かった。気をつける。」

「確かに私、催促されたらあげちゃってました。それで舐められてたんですねぇ。」


 そんなレクチャーを聞いていて気が気でないのはシキである。

 今までは欲しがれば割とおやつを貰えていたのに、このままでは今後貰えるおやつが減るかも知れない。 


 シキはそれだけは納得がいかなかった。

 いくら好きなハルとはいえ、ここは物申さねばならないと思った。


「ハル! 我が輩はおやつをくれないとお前の事を嫌いになるぞ!」


 ビシッと言ってやった、とシキは踏ん反り返った。

 嫌いになると言えば、ハルはきっと謝るだろう。

 何故ならシキは猫である。誰からも愛される魔王城の王様だから。


 そんなシキをハルは真顔で見ていた。


「……ハル?」


 ハルは真顔でシキを見ている。何一つ言葉を発さず無言でいる。


「……ハル? 聞いていたのか? 我が輩はお前の事を……。」


 ハルは真顔でシキを見ている。相変わらず無言である。

 瞬き一つしない。身動き一つしない。まるで人形のように固まっている。


 ショックを受けて固まってしまったのだろうか?

 シキはそんな勘違いはしなかった。

 目の前のハルから感じるのは無言の圧。

 直接的に脅してきている訳ではない。

 しかし、シキの中の獣の本能が確かに感じ取る。




 こいつを怒らせたらいけない。こいつに逆らってはいけない。




 ふるふると震えながら、シキは身体を低くした。


「……ごめんなさい。もう我が儘言わないのである。」

「よしよし。良い子だ。」


 その瞬間、ハルはにこりと笑って優しくシキの頭を撫でた。

 柔らかく暖かい手に撫でられ、シキの身体からはふわりと力が抜ける。

 先程逆らってはいけないと思った人間に、たちまちメロメロになってしまう。

 今でのゴロゴロと喉を鳴らしているシキ。

 そのシキを撫で回しながら、ハルは魔王とトーカを見た。


「我が儘を言ったら徹底して無視すると良いんだと。下手に体罰とかしたら駄目だ。悪さをしたらその場で短く叱ると良いらしい。」

「な、なるほど……。さ、参考になった。あ、ありがとう。」


 魔王とトーカはハルのレクチャーを受けて一つ学んだ事があった。


 先程の真顔。無言の圧。

 それを見ていた魔王とトーカの方も確かに思った。




 こいつを怒らせたらいけない。




 今後は下手な事を言わないように、しないように気をつけようと魔王とトーカは思った。




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