第93話 衝撃の事実




 魔王城にてすき焼きの準備を終えて、コタツに籠もった魔王とトーカがそわそわとしながら待っている。


「ハル様遅いですね。」

「何かあったのか。」


 今日、久し振りにハルが魔王城に来る。

 今回はハルに頼み事をする立場なので、魔王はもてなそうと気合いを入れていた。

 ―――そういう建前の元、久しく来ていなかったハルの来訪を待っている。

 

 なのだが、ハルが珍しく中々訪れない。

 

「今日は俺がゲートで迎えに行った方が良かったか? 変な事故に巻き込まれてなきゃいいが。」


 魔王は次第にハラハラし始めている。

 通話の魔石に何度か連絡を入れているのだが、ハルは応答しない。

 通話の魔石を持ち忘れているのか、それとも通話に出られない状況なのか。

 

 そろそろ探しに外に出ようかと魔王が思い始めたその時であった。


 コン、コン、と魔王城の扉をノックする音がした。

 魔王とトーカがバッと勢いよく扉の方に首を向ける。


「来ました!」

「全く……心配かけて……!」

「あっ、遅いからって怒っちゃダメですよ! あくまで今日はもてなすんですから!」

「わ、分かってる!」


 魔王がコタツから出て扉へと向かう。

 さささと小走りで扉に向かい、素早く扉を開け放つ。

 扉の向こうにはハルがいる。そう思って扉を開けた魔王の前には思わぬ光景が待ち受けていた。


 いたのは想像していた人物ではなかった。

 しかし、装いこそ違えど見覚えのある人物であった。


 さらさらとした艶やかな髪、ふわっとした可愛らしい服、うっすらと化粧を乗せた整った綺麗な顔立ち、ほんわかと漂う暖かい空気……。


 かつて魔王がカムイ山の麓で見掛けて、魔王城に尋ねてきた事もある、魔王が一目惚れした不思議な女性。

 通称"春風の女神"。装いこそ違うものの、まさにその人がそこに立っていた。


「遅れてすまない。服や髪が乱れると思っていつもよりスピードを出せなかった。」


 その女性から、聞き覚えのある待ち人の声がした。


 魔王は固まった。

 コタツから開いた扉を見ているトーカも固まった。


 静まり返る魔王城。

 硬直した魔王の顔を覗き込み、ハルの声がする春風の女神は不安げに尋ねる。


「もしかして怒ってるのか……?」


 言われて魔王はハッと我に返った。


「い、いや! 何かあったのかと心配してただけだ! 全然大丈夫だ!」

「心配かけてすまない。」

「いいんだいいんだ! ほら、早くあがれ!」


 魔王はハハハと笑って手招きする。ハルはほっと一安心したように魔王城に上がると、早速コタツに潜った。

 コタツに並べられたすき焼きを見て、良い香りをすぅっと嗅ぐと、きらきらと目を輝かせる。


「なんだこれ!」


 声とその表情でやはりこの女性はハルなのだと魔王とトーカは確信する。

 トーカはコタツに入り直す魔王の横顔をちらりと伺った。

 魔王はハハハと笑った。


「これはすき焼きというものだ!」

「スキヤキ……?」

「今日は頼み事があって呼んだからな! 奮発してもてなそうとしたんだ!」

「おお! ありがとう! ……ところで、頼み事ってなんだ?」

「まぁ、先に食ってからにしよう!」

「そうだな!」


 ハルはにっこりと笑った。

 魔王は自身の手元にある器に卵を割って落とす。そして、箸でちゃちゃっと混ぜるのをハルに見せる。

 ハルはその様子を見て、真似して手元にあった卵を割ってかき混ぜる。


「そこの鍋の中にある肉や具を卵につけて食べるんだ。」

「なるほど。」


 グツグツと煮立つ鍋から、ハルはまず肉に手を伸ばす。

 甘く芳ばしい香りに頬を緩ませ、卵を絡ませ口へと運ぶ。

 口に含んだ肉を数回咀嚼すれば、ハルはわなわなと身を震わせる。

 

 そして、カッと目を見開いて声を上げた。


「旨いッ!!!」


 ハルは叫んだ。

 その叫び声を聞いて、魔王とトーカはやっぱりこの女性がハルだと再認識した。


「なんだこれ! 甘辛くて、卵でまろやかになって、口の中でとろけるような……! 旨いぞ!」


 ハルが今度は肉以外にも手を伸ばす。

 その様子を見て、魔王とトーカも鍋に手を伸ばした。


「なんだこれ、ぶにぶにしてる……。」

「それはしらたきだ。」

「この四角いのは?」

「豆腐だ。」


 あれこれと質問しながら、どれもこれも満足げに味わっていくハル。

 その嬉しそうな笑顔を久し振りに眺めながら、魔王は尋ねる。


「きょ、今日はなんかいつもと違う格好で来たんだな。」


 ハルは以前までは身だしなみを気にしていない自然体の、防具や武具を身につけて魔王城を訪れていた。

 今日のように私服姿で、おめかしをして来る事はなかった。

 それを聞かれたハルは箸を止めて、あははとはにかんで頬を掻いた。


「あ、ああ。最近身だしなみに気を遣うようになって。アキからも助言を貰って、色々と服を着るようになったんだ。」


 恥じらう姿はいつもの荒々しい姿とはまるで違う。

 違う顔を見せると魔王とトーカはドキリとする。


「そ、そうなのか。大丈夫だったか? ここも別に安全な道のりじゃないと思うが。」

「魔物くらいなら素手でいけるから大丈夫。」

「す、素手……?」


 デタラメな強さを実際に見た事があるので、強ちハッタリとは思えないのがこのハルという勇者である。この可憐な見た目で魔物を素手で薙ぎ倒す姿は想像も付かなかったが、本当にできるのだろう。

 再びハルが箸を動かす。魔王も再び手を動かした。


 そんな中、トーカが一番気になっている事を口にする。

 

「ハル様。この前も同じようにおめかしして魔王城に来た事ありましたよね。」


 魔王がぎょっとする。

 以前、それはバレンタインデーの事。

 魔王とトーカが魔王城で贈り物をしに来る者達を待っていた時、突如として魔王城に現れ、口数少なく魔王にチョコレートを贈り、風のように消えてしまった、魔王が一目惚れしていた女神。

 

 トーカの質問は、魔王が最も恐れているものであった。


 ハルは「ん?」と箸を咥えてトーカの方を向く。

 ん~?と少し悩んだ素振りを見せている。

 思い当たる節の無さそうな様子を見て、魔王はあの春風の女神はやはり別人なのかと僅かな期待を抱く。

 そこにトーカが更に尋ねる。


「チョコレート持って来てくれませんでした?」

「……ああっ! あれか!」


 ハルは思いだしたようにハッとして、僅かに頬を赤らめた。


「あ、あれは、アキを助けて貰ったお礼にと女神様に相談して贈り物を考えたんだけど、女神様がおめかししろって言うから……。あの時は慣れてなくて恥ずかしすぎて……。」

「そ、そうなんですか……。」


 トーカがひくひくと頬をひくつかせて笑った。

 魔王の方をちらりと見れば、魔王も頬をひくつかせて笑っていた。


 春風の女神は、ハルだったのである。


 あの時口数が少なく、声が引き攣っていたのは恥ずかしがっていたからなのである。トーカが心を覗いても正体を知れなかったのは、頭の中が恥ずかしさで一杯になっていたからなのである。


「女神様はやたらと可愛い格好をさせたがるから……。でも、今日のはアキに色々と教わってお洒落をしてきたんだ。」

「そうなんですね。」


 トーカ的には今のハルはとびっきり可愛いと思うし、普段であれば興奮して誉めちぎるところであった。

 しかし、魔王の心境を思うと反応に困る。

 とはいえ、お洒落に話をした以上、それに対する評価を口にしないわけにはいかない。

 トーカは極めて冷静に、ハルに感想を述べる。


「すごく可愛いですよ! お似合いです!」

「あ、ありがとう。なんだか照れるな。」


 ハルは照れ臭そうにはにかんだ。

 普段とギャップのあるその反応も可愛らしく、トーカはどきりとする。

 その反応を魔王はどう思っているのか?

 トーカが気になり魔王の方をちらりと見れば、呆けた顔をしていた。

 そこからトーカの視線に気付いたのか、魔王はハッとして我に返る。


(魔王様、見惚れてるじゃないですか……!)


 更に、ハルがそんな魔王に追い討ちをかける。


 ハルは魔王に視線を移して、口をもごもごとさせてから、目線をちらちらと逸らしながら尋ねる。


「ま、魔王はどう思う?」


 トーカは思わず口に手を当てる。

 魔王の方を再び見れば、完全に固まっていた。

 

(魔王様! 聞かれてますよ!)


 テレパシーで声を掛ければ、魔王はハッとする。

 そして、心の声でトーカに話し掛けてくる。


(ど、どうしよう……! 何て答えたらいい……!?)

(可愛いって言っとけばいいじゃないですか! なんでそんな日和ってんですか!)


 魔王はうむと頷くと、引き攣った笑みを浮かべてハルに言う。


「可愛いと思うぞ。」


 すると、ハルの顔はたちまち赤くなり、顔をばっと伏せてしまう。

 その反応を見た魔王の方も、ダラダラと冷や汗をかいてくる。


「あ、ありがとう……。」

「お、おお……。」


 トーカが交互に魔王とハルを見ながら焦り始める。


(何ですかこの空気……!)


 ハルは困惑していた。

 アキに煽られて魔王を見返してやろうと気合いを入れてお洒落をしてきた。

 どういう反応をするだろうかと期待はしていたものの、いざ真正面から可愛いなどと言われると流石に照れる。

 いつも小馬鹿にしてきたり舐め腐ってきている魔王から改めて褒められると妙な気分になった。

 何故、アキに煽られてこんな恥ずかしい事をしてしまったのか。

 女神オリフシとの特訓で、可愛い格好をして人前に出るのに慣れたと思っていたが勘違いだったと今更気付く。


 魔王は困惑していた。

 そもそも、一目惚れした春風の女神が実はハルでしたという現実に脳が追い付いていない。

 その上、勢いでストレートに可愛いと言ってしまった。

 実際可愛いとは思う。好みのど真ん中だと思う。

 しかし、相手はハルである。

 簡単に食べ物に釣られる食いしん坊で、豪快で図々しい少年気質な幼い性格。女性というより娘くらいの気分で見ていた相手。

 なのに、今日はやけに女性らしい恥じらう姿を見せてくる。

 これにどういう感情を抱いていいのか分からなくなってくる。




 そのお互いの心中を見られるトーカが一番困惑していた。


(いやいや……気まずいですって……! 何かお互い変に意識しあっちゃってるじゃないですか……!)


 トーカはハルに好意を抱いている。

 魔王がハルの魅力に気付く事や、彼女の魅力で取り乱すところを見るのは嬉しく楽しい事なのだが、こういう空気感になるのは予想していなかった。


(嘘でしょ……二人結構歳の差ありますよね……? 親子って程ではないと思いますけど……良い空気になるわけないですよね……?)


 しかし、とトーカは考える。

 魔王は元々、春風の女神なる女性に一目惚れしていた。

 その春風の女神がハルであった。

 今だ二人が同一人物である現実を飲み込めずにいるのだが、実際着飾ったハルが魔王のタイプである事は間違いないのである。


 一方、ハルはというと、別に魔王に好意を抱いている訳ではない。

 今の恥じらいはあくまで異性に対して容姿を褒められた事による照れからくるものであって、別にそういう感情があるわけではないのをトーカは見抜いている。

 しかし、少なくとも魔王のことをそこら辺のおっさんではなく異性として見ているという事でもある。


(……可能性あるの? もしかして?)


 トーカは焦る。

 トーカはハルに好意を抱いている。割と強めのガチガチの好意である。

 どういった関係を望んでいるのかはトーカ本人も理解はできていないのだが、ハルとは良い関係になりたいと思っている。トーカは他人の心は読めるが、自分の心は読めないのである。

 ハルとどうなりたいという具体的なビジョンははないのだが、少なくとも一つだけ分かる事がある。


(……それはちょっと悔しい……!)


 ハルと魔王が良い感じになるのは、何故だか知らないがとにかく悔しい。




 静まり返った魔王城で、感情の一旦の整理がついたトーカが口を開いた。


「そういえば! デザートのケーキも用意してますよ! 早く食べちゃいましょう!」

「ケーキ!」


 その瞬間、ハルが目を輝かせた。

 トーカは見た。一瞬でハルの困惑はどこかに消し飛んだのを。


(…………チョロい。)


 その表情の変化を見た魔王も、強ばった表情を崩してフッと笑った。


(…………まぁ、こういうやつなんだよな。)


 そして、魔王はトーカにちらりと視線を送る。


(ナイスフォロー、トーカ。)

(……ふん。あとで何かお礼してくださいよ。)


 トーカは口を尖らせてぷいと視線を逸らした。

 魔王はどうしてそんな拗ねたような態度を取られるのか理解できなかったが、空気をリセットして貰った事に感謝しつつ再び食事に戻る。


 その後は特に変な空気になる事はなく、以前までと同じように食事を楽しんだ。




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