第90話 ハルよ来い




 魔王城にて魔王はコタツに入りながら本を読む。

 直近はシキに関連した調査であったりその他にも普段から抱えている他の仕事の処理で出歩く事も多く、それ以外も来客が多かったので落ち着ける機会は少なくなっている。

 久し振りに寛げる機会……というわけではなく、今目を通しているのはシキ関連の資料である。アキからの指摘や調査結果を見て、魔王もシキの資料を改めて見直している。


 魔王側近のトーカがお茶を淹れて魔王の前に置く。

 そして、そのままコタツの向かい側に入って、自身もお茶を淹れてふぅと一息つく。


「ハル様最近来ませんねぇ。」


 トーカがぽつりと呟けば、魔王は本から視線を上げた。


 勇者"剣姫けんき"ハル。

 以前は来すぎだろうというくらいに魔王城を訪れ、タダ飯をかっ食らっていった図々しい勇者。

 ハルが魔王城を訪れる事は最近めっきり減っていた。


「一応連絡はしたんだが、最近あっちはあっちで忙しいらしくてな。」

「そうなんですか。」


 魔王はハルに持たせた通話の魔石を通して連絡は取っている。

 黒猫のシキがハルに会いたがっている事、教育をして貰えないかという事を相談しようと思ったのだが、ハルは最近忙しいらしく魔王城への来訪を断られている。

 何やら勇者としての仕事が増えているだとか、女神の元で巫女の勉強をしているだとかであちこち出回っているという。

 特にシキの課題について助力を申し出た女神の元で勉強をする事は、世界の滅亡に対する打開策になるかも知れないので、ハルなりに動いてくれている事は魔王としては有り難いことである。


「寂しいですね。」


 トーカが何気なく呟けば、魔王は「むっ。」と唇をへの字に曲げた。


 ハルなりに考えて動いてくれている事は有り難い。

 それはそれとして、今までは呼んでいなくても押し掛けていたハルが、すっかり訪れなくなった事に対して魔王は若干思うところはあった。


「別に寂しくはないが。」

「私の前で嘘を吐く意味ってあります?」


 トーカが頬杖をつきながらにやりと笑うと、魔王はバツが悪そうに本に視線を戻した。トーカは他人の心を覗くことが出来る。彼女の前ではどれ程取り繕った嘘でも意味を成さない。


 魔王は寂しいとは思っていない。

 しょっちゅう尋ねてきていた慣れた顔が、すっかり足を遠のかせてしまったので、少し調子が狂うというだけである。

 ハルが以前に来た時に約束をした中華まんなども在庫を仕入れて用意している。その用意が無駄になると思うと勿体ないという気持ちもある。

 

「そんな心の中で言い訳しなくても。」

「うるさい。」


 トーカが茶化せば、魔王は本に再び視線を落とした。

 それでもお構いなしにトーカは続ける。


「シキにもハル様呼ぶ約束してるんだから、もう一度連絡してみたらどうです?」


 トーカがそう言えば、コタツの中からのそのそと黒猫が這い出してくる。


「ハルを呼ぶのか?」

「ほら、シキも期待してますよ。」


 シキはハルに懐いている。

 この間からハルを呼べ呼べと言っているのだが、なかなか呼び寄せられていない状況である。

 コタツの上にぴょんと飛び乗り、本と魔王の顔の間に入り込んだシキが、魔王を真正面から見てくる。


「ハルを呼べ。」

「……とりあえず退け。」


 本を読んでいる場合じゃないので魔王が本を置く。


「ハル様呼ばないとまたシキ脱走しますよ。」

「そうだ。ハルを呼ばないと我が輩はまた脱走するぞ。」

「シキに悪知恵吹き込むな。」

「あ痛っ!」


 シキに脅しを吹き込んだトーカ。

 その頭の上に開いたゲートから、ボールが落ちてゴン!とトーカの頭を打つ。

 トーカの頭を弾んでぽんぽんとコタツをボールが跳ねれば、シキはくるりとボールの方を振り向いて、ボールに飛び掛かった。言葉は喋るが基本的に習性は猫なのである。

 ボールにじゃれつくシキを見て、魔王は再び本を持ち直す。


 頭をさすりながら、トーカは不満げに口を尖らせる。


「……私もハル様と会いたいんですけど~。」

「結局お前が会いたいだけなんだろ。」


 魔王ははぁと溜め息をついて、呆れたようにトーカを見た。

 トーカがハルに好意を抱いている事は魔王も知っている。

 魔王やシキを理由に使ってはいるものの、結局の所はトーカ本人が会いたいだけらしい。

 魔王はやれやれと首を振り、通話の魔石を取り出す。


「まぁ、シキに痺れ切らされても困るし。一応連絡はしてみるけど。」


 魔王は通話の魔石をハルへと繋ぐ。

 暫くしてから通話が繋がる。


「もしもし?」

『ん? 魔王か? どうした?』


 ハルの声が聞こえる。トーカが身を乗り出し、シキがバッとボールから離れて振り返る。


「前から言ってた相談事があるって話、覚えてるか?」

『ん? ああ、何か言ってたなそんな事。急ぎの用事なのか?』

「実はシキがお前に会いたがっててな。また飛び出していきそうだから久し振りに顔を見に来て欲しいんだが。都合が合えばでいいんだが。」


 魔王はあくまでシキの為という体で話してみる。


『今日は無理だな。今女神様のところだ。』

「そうか……。いや、別に今日すぐに来てくれとは言わないが。」

『明後日とかじゃダメか? 明日も実は用事があって。』

「お前の都合でいい。明後日来てくれるのか?」

『いいぞ。』


 身を乗り出したトーカがぐっとガッツポーズをした。

 

「すまんな。じゃあ明後日、待ってるから。」

『ああ。じゃあ、切るぞ。』

「じゃあな。」


 魔石の通話がぷつりと切れる。

 次の瞬間、トーカが元の姿勢に戻り、ニコニコと笑い出す。


「さて、明後日はどんな料理でもてなしますか?」

「もてなす? いや、そこまで気合い入れんでも……。」

「何言ってるんですか! お願いする立場なんですからもてなさないと!」

「…………いや、まぁ確かにそうか。」


 今回はいつもの押し掛けではなく、仕事の依頼とも言えるお願い事をする立場である。トーカの言うことに一理あると思い、魔王は本を閉じて顎に手を当てた。


「でも、どうしようか。焼肉とか鍋にするか?」

「せっかくだからまだ出した事のないものにしたらどうです?」

「そうか。何かあるかなぁ。」

「我が輩はおやつが欲しいのである。」

「お前には聞いてない。」


 魔王とトーカは腕を組んで考える。

 

 しばらく考えた末に、魔王はぽんと手を打って、ひとつの案を思い付いた。


「すき焼きとかどうだ。」

「…………あ~。いいですね。」


 トーカもうんうんと頷いて同意する。

 明後日のハルをもてなすメニューは割とすぐに決まった。

 魔王はコタツから出てバッと立ち上がる。


「そうと決まれば早速準備するか。」

「え。明後日ならそんなに焦らなくても。」

「いや。せっかくもてなすんだから良い物探したいだろ。」


 魔王は人間大のゲートをぱっと開く。


「ちょっとインターネットでレシピとか色々調べてくるわ。」

「え? いや、私が用意しますよ?」

「いや。俺から仕事頼むんだし、費用は俺持ちで出すぞ?」

「いや、費用は出してくれていいんですけど。準備とか調理は私がしますって。なんでそんな前のめりなんですか。」


 魔王はハッとした。

 いつになく気合いを入れて用意をしようとしている自分の前のめりっぷりに、トーカから言われて初めて気付いた。

 トーカがにやりと悪戯な笑みを浮かべて、魔王を見上げた。


「やっぱ魔王様もハル様来てくれるの嬉しいんじゃないですか。」

「ばっ……ちげーし!」

「そんな男子中学生みたいな否定あります?」


 魔王はトーカのツッコミを受けてむぅと顔をしかめた。

 確かに、なんでこんなに前のめりになって準備をしようとしているのか。

 来てくれる事自体はありがたいとは思っているが、別に嬉しくてウキウキしている訳ではない。タダ飯ぐらいの厄介者くらいに以前は思っていたのである。

 魔王は考える。


「…………いや、多分俺が久し振りにすき焼き食べたいだけだし。」

「そこまで必死に否定しなくても。」


 言われてみれば、と魔王はむぅと顔をしかめる。

 そこまで必死に否定になる方が本気っぽくてむしろ恥ずかしい気分になってくる。

 あれこれ考えるとドツボだと気付き、魔王ははぁと溜め息をついた。


「とにかく。俺が準備するから留守番よろしく。」

「はーい。」


 魔王があれこれ悩むのをやめた途端に、トーカはつまらなさそうに眼を細めた。

 どうやら、今までのあれこれ考えている魔王を見て楽しんでいたらしい。

 相変わらずの悪戯好きの部下に呆れつつ、魔王はゲートを潜って別の世界の拠点に移動した。


 魔王が潜ったゲートが閉じる。

 とっとと行ってしまった魔王を見送り、トーカは下唇に手を当てて怪訝な顔をした。


「あれ? なんか割と…………?」


 魔王の反応と心の動きを覗いていたトーカが気付いた。

 いやいやそんなまさか、等と考え事をしていれば、とことことシキが歩いてくる。


「おい、トーカ。ハルは来るのか。」

「ん? 明後日来てくれるそうですよ。」

「明後日っていつだ?」

「明日の明日ですよ。」

「明日っていつだ?」

「お日様が落ちて、またのぼった時ですよ。」

「はやくお日様落とすのである。」

「無茶言うな馬鹿猫。我慢しなさい。」


 トーカがぺしんとシキの鼻を弾けば、シキは「むぅ。」と不満げに声を漏らす。

 しかし、それ以上我が儘を言わずに問い掛ける。


「スキヤキとはなんだ?」

「猫には食べられないものですよ。」

「お前達ばかりずるいのである。」

「はいはい。おやつあげますから。」


 トーカはエプロンのポケットからおやつを取り出しコタツの上に放る。

 これをあげれば大概黙るので、最近では常にポケットにいくつか忍ばせるようになっていた。

 シキはすぐにおやつに食らいつく。これで面倒臭い我が儘も落ち着くだろう。


 魔王の事が気になりつつ、トーカは頬杖をついておやつを頬張るシキを眺めてにまりと笑った。


 明後日、ハルが来る。



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