第87話 巫女と虫螻




 カムイ山きこりの泉。

 正直者に褒美を与える女神が住まうと言われる泉。

 その周辺の切り株に一人の少女が座っていた。


 ゆぅら、ゆるりら、ゆぅり、ゆら。

 ふぅら、ふるりら、ふるり、ふぅら。


 透き通った美声が泉の周囲に響き渡る。

 歌に誘われて普段は顔を出さない鳥や動物が集まってくる。

 少女から少し離れたところから、聞き入るように種族も大きさも異なる生き物達が並んでぼうっと立っている。

 草食動物に混じり、肉食動物も、更には凶暴な魔物までもが争う事なく並んで少女のコンサートを楽しんでいる。


 少女はひとしきり歌い終えると、ふぅ、と小さく息を吐いた。


 その拍子に、集まっていた動物達は散り散りに去って行く。

 争う事なくぞろぞろと解散していく動物達を見送って、一人その場に残った青い髪の女神がぱちぱちと手を打った。


「うんうん。仕上がってるわねぇ。いいわよぉ、ハルちゃん。」


 歌を歌っていたのは勇者ハル。

 ひらひらとした可愛らしい衣装に身を包み、ほんのり頬を赤らめて、ハルはうーんと悩ましげに唸った。


「……やっぱり人前で歌って踊るとか無理です。動物相手の特訓でさえ若干恥ずかしいのに。」

「慣れよ慣れ。動物から徐々に慣らしていきましょう。」


 ハルは今、歌と踊りの特訓中である。

 というのも、世界の破滅に対していずれ必要となる大地の神々の力を借りるための条件として、ハルが歌と踊りを披露する事になっているからである。


「……いや、でもやっぱり納得いかないです。なんで私がこんな事しなくちゃいけないんですか。」


 ハルは納得いっていない。むすっと不機嫌そうに口を尖らせた。

 可愛い格好をする事だけでも抵抗感があるのに、その格好で人前ならぬ神前で歌って踊って見せなければならないというのは耐えがたい事であった。

 そもそも、この神々との取引も勝手にオリフシが取り付けてきた話で、ハルは未だに納得していないのである。

 これで若干拗ねられてオリフシはあれこれ食べ物で釣った事で何とか若干機嫌を取り戻したところだったのである。

 

 娘のように愛しているハルに無視された時にオリフシは割と本気で心に来たので、再び機嫌を悪くしかけているハルに、慌てて擦り寄る。


「ハ、ハルちゃん。これは必要な事なのよ。巫女は古くから大地の神々との人々を繋ぐ役割だったの。これは必要な儀式なのよ。」

「…………確かに本にそう書いてありましたけど。」


 ハルはどうやら巫女に関する本を読んだらしい。

 その中に、巫女は歌で神々と人々を繋いだという記載があったようだ。

 故に、歌を歌うのは巫女の仕事の一つとハルも理解はしているようなのだが……。


「可愛い衣装を着て踊る必要はなくないですか?」

「必要なのよ。神様の為に捧げる儀式には綺麗な衣装と歌と踊りが必要なのよ。あなたも勇者の任命式には綺麗に着飾って出席したでしょう? 綺麗にするのは礼儀なのよ。」

「そ、そうなんですか……?」


 実際はそんな事はなかった。巫女の仕事に着飾って歌って踊るアイドルみたいなものはない。

 ただ、女神達が見たいという私的な理由である。

 自分も是非見てみたいと思っている正直者を労う女神はさらっと嘘を吐いた。


「そうデスよ。昔の巫女も煌びやかな衣装を着てまいと共に歌を捧げたものデス。」

「そうなんですか……。」


 他にも肯定する言葉が聞こえたので、ハルは流石に信じざるを得なくなる。


「ん?」


 オリフシとは違う声が聞こえた事に遅れて気付き、ハルは声のした方を振り返った。

 そこには黒い虫が飛び交っている。

 黒い虫は次第に集まっていき、ぎょろりとした目玉とずらりと並んだ牙を剥いた怪物の姿に変わっていった。

 オリフシがぶるりと身体を震わせる。

 ハルは虫の群れを見て、口を開いた。


「なんだお前?」

「アレ? 意外と驚かないんデスね。」

「さっきも歌聴いてる中に魔物混じってたのは見えたし。」

「マァ、そうデスケド……。」


 虫の群れが集まって作られた目玉と牙が、困惑したような表情を作る。

 虫の群れの魔物は、キシキシと牙を動かしてぺこりと礼をした。


「どうも。ワタクシ、寒蠱守ふゆこもりと申しマス。実は初めましてじゃないんデス。」

「……ああ。いたなぁ、そんな魔物。生きてたのか。」

「本当に驚かない人デスね。ワタクシを見たら大体そっちの女神のように嫌な顔をするものデスし、倒した筈の魔物が生きててそんなに反応薄い事とかあるんデスね。」


 オリフシはハルの後ろにすすすと隠れるように擦り寄って、耳元で囁く。


「ハ、ハルちゃん……? 何、この魔物……?」

「なんか、白菜とかいう魔物です。」

三厄災さんやくさいデス。野菜にしないで下さいデス。」


 女神オリフシはハッとした。

 このデッカイドーという世界には、三厄災と呼ばれる魔物が居るという。

 世界を滅ぼしかねない力を持った魔物で、三竦みで牽制しあっているが為に何とか平穏は保たれていたという。

 その一角が突然ここに姿を現した。

 ハルは平然としているが、オリフシはごくりと息を呑んで尋ねる。


「さ、三厄災がこんなところで何を……?」

「懐かしい歌が聞こえたもので、ついつい釣られてやってきたデス。」

「懐かしい……?」

「アア、アナタは見ない顔デスね。比較的新参の女神デスか? それならご存知でないのも仕方ないデス。」


 寒蠱守なる魔物は、キシキシと笑って言う。


「ワタクシは古くからこの地に根差すものデス。先代の先代の先代の……どのくらい前かは思えない頃の巫女とも交流がありましたデス。」

「どうして魔物が巫女と交流があるんだ?」

「ワタクシも巫女に"名付け"をして貰った神だからデス。」


 思わぬ話が冬蠱守から飛び出て、オリフシは目を見開いて驚きを隠せない。


「へぇ~。」

「それも驚かないんデスね。むしろ興味無さそうなリアクションデス。」


 ハルの方は興味なさそうに相槌だけ打った。

 寒蠱守はつまらなさそうにはぁと溜め息をついて、地面に座るように身を縮こまらせる。

 一方、オリフシの方は興味津々である。

 新参の女神であるオリフシが知らない古い時代の巫女を知っている元神。

 それがどうして今は危険な魔物となっているのか。

 巫女が"名付け"をしたとはどういう事なのか。


 オリフシはつまらなさそうに縮こまっている寒蠱守に尋ねた。


「あの……"名付け"ってどういう事ですか?」

「新参の女神はそんな事もご存知ないのデス? まぁ、古い時代デスし、仕方ないデスか。色々なものに名前を与えて神とする事デス。」

「巫女はそんな事もできたんですか?」


 ハルはああ、と何かに気付いたように手を打った。


「そういえばそんな事も本に書いてたな。」

「ワタクシは古くは名も無き虫の一匹デシタ。厳しい冬を越すのも大変な虫達に生きる力を与える為に、巫女はワタクシに"寒蠱守ふゆこもり"の名を与えてくれたのデス。寒さに震える虫達を守る力あるむしという由来デス。」

「じゃあ、お前は昔の巫女に生み出されたのか。」

「そうデス。」

「じゃあ、私の親戚みたいなものか。」

「それはちょっと違うんデスケド。」


 寒蠱守は困惑した。

 ブブブと羽音を立てて、寒蠱守は女神オリフシの方に目玉をぎょろりと動かす。


「もしかして、この巫女ちょっとアホの子デス?」

「……あはは。」


 オリフシは笑って誤魔化した。

 不満げにハルが見上げてきたのだが、目を逸らしつつ、オリフシは話を逸らしていく。


「そんな元神がどうして魔物なんかに……。」

「巫女が居なくなって神々と人々との関係も終わり、ワタクシ達も人に配慮する必要がなくなりマシタ。故に、人との対立を選んだのデス。」


 オリフシは思ったよりも巫女の影響が大きいことに驚く。

 女神の先輩ヒトトセから聞いた巫女は、大地の神々との間を取り持つ、程度の話でしかなかったのだが、こういった悪神さえも鎮めていた程に大きな役割だったらしい。

 話を聞いていたハルもへぇ~と先程よりは興味深そうに耳を傾けた。


「昔の巫女は色々やってたんだな。」

「そうデスよ。巫女の血筋を途絶えさせたと聞いた時、多くの神々が憤慨したものデス。かく言うワタクシもその内の一柱デシタ。」

「お前も巫女が好きだったのか?」


 ハルの何気ない質問に寒蠱守がブブブと震えた。


「……内緒デス。懐かしい歌に誘われて、すっかり口が軽くなってしまったデス。」

「ふぅん。好きだったんだな。」

「アナタ、デリカシーってモノがないデス? ムシケラのワタクシでもその位の気遣いは出来るデス。」


 寒蠱守がぶふぅ、と並んだ牙の隙間から空気を吐き出す。溜め息でもついたのだろうか、とオリフシは寒蠱守の様子を見ながら思った。

 ハルは切り株の上で足をぶらぶらさせながら、何とはなしに寒蠱守に尋ねてみる。


「さっきの私は昔の巫女みたいに歌えていたかな?」

「まだまだデス。ランの……ワタクシに"名付け"をした巫女の歌はもっと美しかったデス。」


 目玉の周りの黒い虫が目を隠す。昔を懐かしみ目を細めているのだろうか。

 寒蠱守がしみじみと語れば、ハルはへぇと立ち上がる。


「どう違った?」

「アナタ、まだ照れがあるデショ? ダメデス。ダメダメデス。神に送る歌を歌う誉れ高き役割に、恥じらう必要などないのデス。立派な事をしている自覚を持つのデス。」

「……やっぱり恥ずかしがるのが駄目なのかぁ。」


 オリフシはその様子を見ながら思った。


(なんでこの子、魔物に歌の指導してもらってるのかしら……。)


 ハルにレクチャーした寒蠱守の方も思った。


(なんでワタクシが巫女に歌の指導してるんデショ。)


 元々寒蠱守はちょっかいを掛けるつもりはなく、別件の用事が終わるまでふらふらと彷徨っていただけであった。

 そんな中、ふと感じた陽気に誘われて、ふらりとカムイ山までやってくれば、懐かしい歌を歌う少女がいた。

 一目見て巫女の末裔だと分かった歌う少女に、懐かしさを感じて思わず声を掛けてしまった。

 気付けば、そこらの人間と話しているかのような気軽さで、ハルは虫の魔物に話し掛けている。


(……あぁ。懐かしい。そうだ。ランも結構気軽でしたね。どうしてそんな大切な思い出を忘れていたのか。)


 寒蠱守は思い出す。

 神として名を得た時のこと。名を得た後も幾度となく会話を繰り返した巫女のこと。


「……観客を全部ムシケラだと思って歌ってみてはどうデス? 何も考えていない虫相手なら、恥ずかしいとか思わないデショ?」

「……ああ。見られてると思うから恥ずかしいのかな。ちょっと試してみよう。ちょうどムシケラが見てるし。」

「ワタクシが自分で言う分にはギャグで済みマスケド、人にムシケラとか言うものじゃないデスよ。」

「人じゃなくて虫だろ。もう一度歌ってみるから聞いててくれ。」


 ハルは切り株の上に立ち、すぅと息を吐く。

 そして、再び歌い始める。


 ゆぅら、ゆるりら、ゆぅり、ゆら。

 ふぅら、ふるりら、ふるり、ふぅら。


 ざわり、と寒蠱守の虫が群れなす身体が震えた。

 女神オリフシも今までとは違う空気を感じてふっと身体の力が抜ける。

 先程も美しい歌だったが、更に美しくその音は響き渡る。

 

 先程まではほんのりと感じていた陽気が、更にリアルに伝わってくる。

 心地良い音と陽気に、たちまち頭が真っ白になっていく。

 

(ああ。ああ。どうして、私は忘れてしまっていたのか。この温かさを。)




 

「どうだった?」


 ハルの問いかけで、初めてオリフシと寒蠱守は我に返った。

 ハルは切り株から飛び降りて、寒蠱守と目線を合わせる。


「今度のはどうだった?」

「…………良かったと思いマス。」


 寒蠱守が答えれば、ハルはにっと笑ってぐっと拳を握った。


「そっか! じゃあ、これからは観客をムシケラと思って歌ってみる!」

「ハルちゃん。それ、絶対女神達の前で言わないでね?」


 オリフシがツッコむ。想像以上にうまくいった寒蠱守の指導。

 

(なんかムシケラに負けたみたいで悔しいのだけれど……。)


 オリフシは若干複雑に思いつつ、思ったよりも危険に思えない寒蠱守という魔物に視線を移す。

 寒蠱守はどこか呆けた様子でふよふよと揺らめいている。

 そんな寒蠱守に、ハルは更に声を掛ける。


「なぁ、もっと昔の巫女のこと教えてくれ。」

「え?」

「昔の巫女の話、興味があるんだ。」

「…………。」


 寒蠱守は目をきょろきょろと動かす。

 しばらくぽかんと呆けていたかと思うと、キシシと牙を剥いて笑った。


「ムシケラの魔物相手にそんな事聞くなんて、おかしな子デス。」


 寒蠱守はゆらりと揺らめき背を向けた。


「気が向いたら教えてあげマス。今日はコレで失礼シマス、デス。」

「ああ。今日はありがとう。」

「ムシケラの魔物にお礼を言うなんて、やっぱりおかしな子デス。」

「もう悪さするなよ~。」

「また爆破されるのは御免デスし、余計な悪さはシマセンヨ。」


 寒蠱守はばらばらと虫の身体を散らして消える。




 "暴食の王"と、"三厄災"と呼ばれる程に暴れ回った凶悪な魔物は、懐かしい気持ちを思いだして怖くなった。

 今までの生き方が全て間違っていたような、これからの生き方が全て間違いであるような、そんな気がしてしまって。




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