第86話 秘められし力




 勇者"拳王けんおう"ナツ。

 預言により勇者に選ばれた一人であり、前世では異なる世界に生き、女神ヒトトセによって選ばれた転生者"虚飾の勇者"である。


 それと同時に、デッカイドーにて広く知られる武術"猛火流拳闘術もうかりゅうけんとうじゅつ"の家系に生まれ、若くして師範代の座についた名の知れた武闘家である。


 最近はもっぱら勇者としての活動に重きを置いているが、猛火流拳闘術師範代として、門下生に武術を教授する事もあり、時には道場破りとしてやってくる武闘家の挑戦を受けたりもする。

 英雄王に選ばれた勇者であり、拳闘術の頂点を意味する"拳王"の称号を持つ彼は、多くの武闘家達にとって超えるべき壁なのである。


 今日は久しく道場破りが現れ、ナツは挑戦を受けることとなった。


 猛火流道場にて、道着に着替えたナツは一人の男と対峙する。


「"拳王"ナツ殿。本日は拙者の挑戦を受けて頂いた事、感謝する。」


 男はナツに深々と頭を下げる。

 

「拙者、"迅雷流剛体道じんらいりゅうごうたいどう"ヒザシと申す。」


 ヒザシと名乗った道場破りは手を合わせてから構えを取った。


「いざ尋常に……勝負!」




 ニタァ…とナツは笑った。


「何がおかしい……?」


 ヒザシは困惑して、一旦構えを解いた。

 ナツはニヤニヤと笑いながら、ゆっくりと口を開いた。


「いや。俺は何もおかしいと思っていない。」

「ならば何故笑う……?」


 ナツはニヤリと不敵に笑った。


「俺は笑顔を作る練習をしている。」

「な、何故……?」

「俺は人とのコミュニケーションの特訓の一環として笑顔を常に心掛けるようにしている。」

「何故コミュニケーションの特訓を……?」


 ナツはクククと笑い、構えを取る。


「俺は会話がうまくできるようになりたいので特訓をしている。」

「そ、そうなのか……。」


 ヒザシは納得はできなかったものの、ナツの構えを見て、戦いが始まると身構える。


「あなたは俺の笑顔がどこかおかしいと思ったか?」

「あ、まだその話続くんだ。」


 ヒザシは再び構えを解いた。すると、ナツも構えを解いた。

 笑顔に食って掛かった事がナツは気になったらしい。

 ヒザシはナツの顔を見て、むぅと唸ってから答えた。


「笑顔が怖い。」

「ありがとう。俺はまだまだ笑顔の練習途中なんだ。俺は笑顔がうまく作れるよう頑張る。」

「あ、ああ。頑張れ。」


 ナツが構えを取って、ニヤァと笑う。

 ヒザシがそれに合わせて構えを取った。

 

「すまない。俺にひとつ教えて欲しい。俺の笑顔の何処が怖かった?」

「あっ、まだ続くんだ。」


 ヒザシが構えを解く。ナツもそれに合わせて構えを解いてニンッと笑った。


「なんか……無理してない? こう……無理矢理笑顔を作ろうとしてるというか。頬がひくひくしてて、顔が引き攣ってる。」

「そうか。俺はどうすれば自然に笑えると思う?」

「今は道場破りと戦うんだから笑わなくてもいいんじゃない?」

「俺は普段から笑顔でいたい。」

「そう……。」


 ナツがぐにゃあを笑みを浮かべて構えを取る。


「ちょっと待って。」


 ヒザシが待ったを掛ける。ナツは構えを解いた。


「一旦、笑顔とかの下り綺麗に片付けてからはじめない?」

「?」

「なんで笑顔にそんなに拘るの?」


 ナツはヒザシの質問に対して、ニヒッと笑って答える。


「俺は人との接し方を考え直した。俺は心の内をさらけだす事に臆病になっていた。俺は本心から人と接したい。俺は感情を表向きに出す訓練を始めた。」

「なんでそんな教科書に書いてあるみたいな文法で話すの?」

「俺は喋るのも下手だ。俺は全く喋れなかったり、しゃべり過ぎたりする。俺は国語を一から見直す事とした。」

「喋り方までそうする事ないじゃん。」


 ヒザシはいよいよ構えないどころかすっと正座までし始める。

 ナツもそれに合わせて正座した。


「俺、道場破りなの。お前の敵。そういう所作とか感情とか良いから。集中できないじゃん。」

「俺は普段から訓練をしている。」

「うん。多分その訓練無駄。どんどん酷い事になってる。」

「そんな……俺は思わぬ一言に衝撃を受けた。」

「小説かな?」


 ヒザシはうーんと悩ましげに唸って、ナツの目をキッと睨む。


「えっと……まず、無理しすぎ。笑顔も無理して作ってるでしょ。笑い所でもないのにずっと笑ってるのはむしろ感情なくない?」

「俺も確かにそうだなと思った。」

「その『俺』から始まるのもやめて。小説だって会話文ではもっと砕けた感じになるじゃん。普段通りでいいから。」

「…………うん。わかった。」


 ナツはスンッと無表情になり、こくりと頷く。

 ヒザシはよしと小さく頷く。


「感情を出すのを苦手だから、変わりたいってのはまぁ分かるよ。でもそれで訓練したり無理して表情を作るのは本末転倒じゃない? それは君の感情じゃないでしょ?」

「…………うん。」

「もっとこうさ、感情ってのは自然に溢れ出てくるものなんだよ。」

「…………俺はそういうのに疎くて。」

「そう? そんな事ないんじゃない? なんかない? こう、強い奴と戦う時はワクワクするとか。」


 ナツは腕を組んで考える。

 戦いに対して感情を抱いた事はなかった。

 いつも無感情に相対するだけである。


「それか、好きな子と居たらドキドキするとか。」


 ナツはハッとした。

 確かに、好きな子と居たらドキドキするというのは分かる。

 ナツのハッとした表情に気付いたヒザシは、すかさずナツを指差して言う。


「そう。それ。そういう感情が揺れ動く事あるだろ?」

「……ある。」

「そういうときに、思ったままを表現すればいいんだよ。」


 ナツは考える。

 感情の揺れ動くときというものに心当たりはあった。

 しかし、それを思ったままに表現する事を想像したときに、ナツはうーむと渋い顔をして顎に手を当てる。


「どうしたの?」

「……い、いや。それを表に出すのは照れ臭いというか。」

「そういうのも感情表現だろ? 照れ臭いなら黙ってしまうのも別にいいんじゃない?」

「な、なるほど。」


 ヒザシはおおと感心しているナツに向かって拳を突き出す。


「思ったままに表現というのは、何も表に見せろという事じゃない。自分の心に嘘を吐かない事なんだ。もしも、本当に感情表現がうまくいかないと思ったら、自分の心に嘘を吐いていないのか、それを見直してみるといい。」

「自分の心に嘘を吐いていないか……か。」


 ナツはぐっと胸に拳を当てる。

 ヒザシの言葉に強い感銘を受けた。

 確かに、ナツは感情表現や本音というものに拘りすぎていて、自身の心というものに向き合っていなかった。

 本当に自身の心に嘘を吐いていないのか?

 ナツは改めてそれを意識しながら生きていこうと決めた。


「ありがとう。勉強になった。」

「それなら良かった。」


 すっとヒザシが立ち上がる。

 ナツも合わせて立ち上がった。


「これからは自身の心も見つめるようにするよ。」

「ああ。精進しろよ。」

「それでは。」

「ああ。それでは。」


 ヒザシはスタスタと道場の出口に向かう。


「いや、それではじゃないだろ!」


 そして止まってくるっと振り返った。


「拙者道場破り! 戦いにきたんだって!」

「あ。」


 ナツも思い出した。


「何で道場破りに来て人生相談みたいな事してんだ拙者は!」

「とても助かった。ありがとう。」

「う、うん。それは良かったんだけど……。」


 素直にお礼を言われてヒザシは怯む。


「そういう感じになると戦いづらいじゃん!」


 ヒザシが言えば、ナツはハッとした。


「戦いづらいなら戦わない……これが心に正直になるという事ではないか?」

「いや、拙者は戦いたいの! 挑戦したいの!」

「俺は恩人とは戦いたくない。」

「拙者のアドバイスが全て裏目に!?」


 心に嘘を吐くなというアドバイスに従い、ナツは闘う事を拒否する。

 ヒザシの何気ないアドバイスが裏目に出て、挑戦が危ぶまれる状況となってしまった。


「お前も武人なら強者と手合わせしたいと思うだろう!? 拙者と戦いたくはないのか?」

「……………………。」

「あっ! 大して戦いたくないと思ってる顔! 感情出てる出てる!」

「すまない。あまり興味をそそられない。」

「言葉のナイフが鋭すぎる!」


 ナツは実は大して武術の頂点というものに興味はないのである。

 勇者として選ばれたのでそれに恥じない実力を身につけたいとは思ったものの、別に道場を継ぐつもりも"拳王"の称号にも拘りはない。


「拙者強いよ? 強者との戦いにはワクワクしない? ……あー、さっきワクワクしないって言ってたわ。好きな人にドキドキしか言ってなかったわ。」

「すまない。闘う事にもあなたにも興味がないんだ。」

「もう少し手心加えられない? あなたにも興味がないは言い過ぎじゃない?」

「その……言いづらいんだが……うん、やめておく。」

「言ってよ! そこまで来たら言ってよ! 気になるじゃん!」

「……あなたを傷付けてしまう。」

「その気遣いは手遅れだよ!」


 ヒザシが道場に戻り、構えを取る。


「此処までコケにされて引き下がっては男がすたる! 意地でも拙者と手合わせして貰う!」

「断る。」

「だったら、こちらから攻めさせて貰う!」


 言葉で話してもこの男は分かってくれない。

 ヒザシは身体で対話をする道を選ぶ。

 ダッ!と地面を踏み込み、勢いよくナツへと距離を詰める。

 高速のラッシュがナツに襲い掛かる!


 シュッ!と拳がナツをすり抜ける。

 当たっていると思われる拳は、ナツの身体を次々とすり抜けていく。

 棒立ちにしか見えないナツの身体がまるで幻であるように。


(くっ……! まるで当たらない……!)


 攻め立てれば"拳王"も応戦するだろうというヒザシの考えは外れた。

 反撃せずに回避に徹するだけの余裕が目の前の男にはある。

 彼が濁した言葉の意味を、薄々気付いていたが確信する。


 そもそも、ヒザシでは"拳王"ナツの相手にすらならない。


 先程までの間抜けな会話をしていた青年からは、そんな実力差は感じ取れなかった。

 この男は擬態していたのである。

 道場破りと対峙して尚、実力の深淵を見せなかったのだ。


「待ってくれ。俺はあなたと戦いたくない。」

「問答無用! 拙者は貴様を超えて"拳王"になる!」


 ヒザシの攻撃は止まらない。

 ナツは難なく回避しているが、くっと顔をしかめた。


(俺は彼と戦いたくないのに、彼は俺と戦いたい……これが本音と本音のぶつかり合い……! だが、これが俺が本当に求めていたものなのか……!?)


 ナツはハルとアキの会話を見て、本音で語り合う姿に惹かれた。

 今まさに、戦いたくないというナツの本音と、戦いたいというヒザシの本音のぶつかり合いである。


 今まで道場破りに対してこんな感情を抱いたことはなかった。

 挑まれたからただただ無感情に返り討ちにしてきた。

 こんな風にナツにアドバイスをくれたものはいなかった。

 ヒザシとは出来る事なら戦うことなく、勝敗を決すること無く、出来るのであれば友として終わりたい。


 しかし、ヒザシは武道の探求者である。

 彼にとって、ナツは超えなければいけない壁だという事もナツは理解できる。

 だからといって、わざと負けるような事は彼のプライドを傷付ける事になるだろう。


(俺は一体どうすればいいんだ……!)


 ナツは考える。

  

(相手には全力で立ち向かうのが礼儀だろう。)

(全力を出したら相手のプライドを傷付けてしまうかも知れない。)

(相手は戦わなければ納得しないぞ。)

(俺は戦いたくはない。)


 いくつものナツの考えがナツの頭の中でぶつかり合う。

 そんな事を考えながらも回避を続けるナツ。


 やがて幾つもの意見がぶつかり合い、消えていき、また新たな考えが生まれてを繰り返し、ナツの中で何かが弾けた。





 ピタリとヒザシの拳が止まる。

 そして、瞬時にバッと後ろに飛び退いた。


「な、なんだそれは……!」


 ヒザシはごくりと息を呑む。


 ナツの身体から溢れ出る黒いオーラ。

 溢れ出たオーラはナツを取り囲み、顔も身体も隠す霧の様になった。

 尋常ならざる雰囲気を醸し出す黒いオーラを纏ったナツを見て、ヒザシはにやりと不敵に笑った。


「それが貴様の切り札か……"拳王"……!」


 ナツは両手を前に出し、オーラを纏った手のひらを見ながらぽつりと呟く。


「なにこれ……。」

「えっ。」


 ヒザシがナツの一言を聞いて固まった。


「貴様の技か何かじゃないのか……?」

「いや……知らん……何これ……。」

「えっ。知らないものが身体から出てるのか……?」

「えっ、やだ……怖っ……なんか勝手に出てきた……。」


 ナツの知らない何かが身体から出てきた。

 普通にナツがビビる。

 その反応を見たヒザシの方もビビる。


「お、おい、それ大丈夫なやつか……?」

「良く分からん……。別に痛いとかはないけど……。」

「病院とか行った方がよくない?」

「病院で分かる物なのか……?」

「いや、拙者も知らんけど……。」


 対峙する両者の間に沈黙が訪れる。

 先程までの白熱の攻防が嘘のようである。

 そして、ヒザシと戦いたくないという事を思っていたナツも、急に身体から出てきた謎の物質のせいで普通に怖くなってきた。


「わ、悪い病気とかじゃないよな……?」

「いや、拙者もそういうの専門外だし……。」

「どうしよう……普通に怖くなってきた……。」


 ナツが珍しく不安げな顔で慌てている。

 それを見ていたヒザシは思った。


(これ、伝染うつるやつじゃないよな……?)


 見るからにやばそうな黒いオーラ。

 本人すら知らない謎のオーラに、ヒザシはちょっと引いていた。

 万が一、触ったら、近寄ったら伝染うつるかも知れないと思うと、先程の攻撃を繰り返す気が一気に失せてくる。


「とりあえず病院いきな……? 拙者も今日の道場破り諦めるから……。」

「うん……。なんか、ごめん……。せっかくの道場破りなのに……。」

「いいって。それ、出なくなったらまた挑戦させてな。」

「わかった……。」


 ヒザシはスッと一礼してから、スススと足早に道場の出口に向かった。

 そして、去り際にもう一礼して道場から去って行った。


 ナツはほっと一息つく。


「良かった……戦わずに済んで。」


 ひとまず、目下の悩みは解決した。

 ナツは身体から出ているオーラを見る。


「…………これ、どうやったら引っ込むんだろう。」


 そして、新たな悩みが発生した。


 ちなみに、この後氷で冷やしたら黒いオーラは引っ込んだ。



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