第82話 虫の知らせ




 魔王城にいる魔王の目の前に"それ"は突如として現れた。


 ゾゾゾとせり上がるように黒い粒子が集まっていく。

 突如として現れた謎の黒い粒子に、魔王は身構える。

 そして、凝視して背筋をぞわりと震わせた。


 黒い粒子の正体は虫。

 黒い虫がザワザワと集まり、一つの黒い影になっていく。

 集まっていく虫の群れを見て、虫が得意ではない魔王はぞっとした。


 黒い影は次第に形になっていく。

 虫は所々色を変え、黒一色から複数の色の集合体になる。

 ぎょろりとした目玉を二つ形作り、ずらりと並んだ牙を形作り、不気味な顔を作り上げる。

 魔王はその姿に見覚えがあった。それを思い出した時、更に魔王は震え上がった。


寒蠱守ふゆこもり……!?」


 寒蠱守ふゆこもり

 かつて、デッカイドーに存在した危険な魔物達"三厄災"―――既に勇者に滅ぼされた三体の強大な魔物達の中の一体。

 虫を統べ、ありとあらゆるものを食い尽くすと言われた"暴食の王"。

 魔王も勇者に倒されるところを目撃した筈のその魔物が、今まさに魔王の前に姿を現した。


「オヤオヤ。ワタクシをご存知とは、光栄デス。お初にお目に掛かりマス。ワタクシ、寒蠱守ふゆこもりと申しマス。以後、お見知りおきを、デス。」


 虫の羽音のように震える声で虫の塊が名乗りを上げる。

 魔王は虫の気色の悪さと、危険な魔物の出現に緊張を高めていたが、思いの外礼儀正しい挨拶に後者の警戒は緩めた。 


 魔王は特別な能力を持ってはいるものの、決して強くはない。

 "三厄災"とまで呼ばれた強力な魔物の一体と戦うには少し心許ない。

 戦闘にならないのであれば助かる、と考え、魔王は一旦敵意を向けずに会話に応じる事にした。


「ど、どうも。魔王フユショーグンです。」

「エエ。エエ。存じておりマス。オット、ご挨拶よりも先に、言い忘れてマシタ。ココで争うつもりはありませんデス。」


 寒蠱守の目がぎょろりと魔王の顔に向く。


「ワタクシに勇者を差し向けた復讐ではありませんデス。ので。身構えなくても結構、デス。」


 魔王は頬を引き攣らせた。

 どうやら、寒蠱守は魔王が勇者を差し向けた事を知っているらしい。

 礼儀正しい挨拶をしたとはいえ、決して良い印象だけを抱いている訳ではないという事には気をつけつつ、魔王はコタツに入り直して座った。


「え、えーっと。お、お茶でも出しましょうか?」

「イエイエ。お構いなく、デス。ワタクシ、水分に弱いのデス。虫デスし。溺れてしまうデス。」

「し、失礼しました。」


 寒蠱守は水が苦手だという。そんな相手にお茶を出そうとしたので思わず謝ってしまう魔王。


「謝る事ではないデス。むしろお気遣いさせてしまい、申し訳ありません、デス。」


 妙に礼儀正しい寒蠱守。警戒しつつも短気なタイプではない事には魔王は安心する。


「えっと……じゃあ、何か食べ物とかは……? ミカンとか煎餅ならありますけど……。」

「お気遣い感謝デス。でも、結構デス。ワタクシが一方的に押し掛けただけデス。お話をさせて頂きにきただけデスので。」


 ありとあらゆるものを食い尽くす"暴食の王"。

 そんな事をテラから聞かされていた魔王は以外に思った。

 別に食べ物にがっついているという事もないようである。

 聞いていたよりもずっと謙虚で、ずっと礼儀正しいその魔物に、魔王は意外そうに思う表情を隠せずにいた。


「分かりマスよ。インヴェルノの奴からワタクシの悪口を聞いたデスよね?」

「あっ。いや、えーっと。」


 インヴェルノ。魔王フユショーグンと名乗る彼以前に魔王を名乗っていた者。

 今は姿も称号も変えて、魔王の元で働いている"魔道化"テラ。

 確かに寒蠱守の話は彼から聞かされた話であった。


(まさか、あいつ嘘吐いたのか……?)


 テラが邪魔者を始末するために嘘を吐いたのか?

 そんな魔王の疑問に先駆けて寒蠱守が答える。


「マァ、インヴェルノは嘘を吐いていないと思いマスがね。ワタクシが危険な魔物だと聞いているのなら、そこに偽りはないデス。」

「…………話している感じそうは思えないんですけども。」

「ワタクシ、ワタクシがムシケラである事は理解していマスので、身の程を弁えた振る舞いをしているだけ、デス。虫の王、寒蠱守だけに、デス。」

「はぁ……。」

「今の笑うところデス。」

「はは……。」

 

 ジョークを言ったりもするらしい。

 気味は悪くとも、ますます危険な魔物に見えなくなってくる。

 寒蠱守はキシキシキシと奇妙な笑い声を上げて、ぎょろりと目を魔王に向ける。


「先程も申し上げたように、今日はワタクシ、フユショーグン殿とお話に参った、デス。」

「お話?」

「交渉と言った方が正しいかもデスね。」


 寒蠱守の交渉という言葉に魔王は身構える。

 果たして、この魔物が何を交渉したいというのか。


「アナタの力で、ワタクシを、何処か温暖な土地に飛ばして欲しいデス。」

「え?」


 思わぬ要求に魔王は呆気に取られた。

 要求の意味を一瞬理解できなかったが、言った言葉を反芻して理解していくと、次第に魔王は顔をしかめていく。


 寒蠱守は魔王の力を知っている。

 この魔物は見せた事もない魔王の力を何かしらの手段を持って知っているのだ。

 知性の無い魔物などではない。知性を持ち、情報を収集し、それを正しく理解している。その時点で魔王は目の前の虫の塊が油断できない相手だと理解した。

 それと同時に、要求した「温暖な土地に飛ばして欲しい」も危険極まりない提案だと魔王は思った。

 あらゆるものを食い尽くす"暴食の王"と呼ばれた魔物。デッカイドーに寒冷な土地にいるからこそ、活動が鈍っているとの事だったが、それを温暖な別世界に送り込んだらどうなるのか?

 完全な力を取り戻し、送り込んだ世界を食い尽くしてしまうのではないか?


 魔王にはこの要求が「一つの世界を寄越せ」と言っているように聞こえた。


「……俺に"危険物"を余所の世界に移せと頼んでいるのか?」

「誤解なさらないで下さい、デス。と、ワタクシを一緒にしないで欲しい、デス。」

「……お前は何処まで知っている?」


 アナタがこの世界に持ち込んだ災厄。

 恐らくは魔王がデッカイドーに持ち込んだ全能の願望機シキの事だろう。

 世界を滅ぼすきっかけにもなる、一部の者を覗いて極秘にされているその存在までも、寒蠱守という魔物は知っているのだ。


「オヤオヤ。怖い顔はやめて欲しいデス。アナタが思っている程、何も知らないという訳ではないデス。でも、アナタが危惧している程、何でも知っているという訳でもないデス。」

「ハッキリと答えろ。」

という部分までしか知りませんデス。」

「危険物が何なのかは分かるのか?」

「曖昧にデス。」

「どうやって知った?」

「虫の知らせが来たとでも言いましょうかデス。虫の王、寒蠱守だけに。」

「冗談はやめろ。」

「ジョークではありマス。でも、冗談で言っている訳ではないデス。」


 寒蠱守はキシキシと笑う。


「虫は変化に敏感なのデス。本能的に危険を察知しマス。アナタがろくでもないものを持ち込んだ事くらいは直感で分かるデス。」


 どうやら本能的にシキが危険物である、という事だけを理解しているらしい。


「ワタクシを、と一緒にされるのは甚だ遺憾デス。ワタクシは、愚かな人間共や怨念共とは違うデス。」

「……ん?」


 魔王は今の寒蠱守の言葉に引っ掛かりを覚えた。

 そんなものと一緒にされるのは遺憾。

 愚かな人間共や怨念共とは違う。

 人間の業が生み出した願望機を指して、『人間共』と言うのはまだ分かる。

 しかし、『怨念共』という言葉はどこから出てきたのか。


「怨念って何の話をしている?」

「…………オヤ? オヤオヤ? オヤオヤオヤ? オヤオヤオヤオヤ?」


 寒蠱守はキシキシキシと笑い声を上げる。複数の声が輪唱するように響き渡る。

 寒蠱守は何かに気付いた。


「……タダで教えるのは御免、デス。ワタクシの要求に応えない者に、ワタクシが色々と教えて差し上げるなんて虫の良い話はないデス。虫の王、寒蠱守だけに、デス。」


 寒蠱守は、虫の本能で、魔王の知らない何かに気付いた。

 それが交渉条件になる事に気がついたのである。

 魔王が寒蠱守を温暖な世界に飛ばす事に乗り気ではない事にも、この魔物は既に気付いている。

 自分達の要求を出す為に、この未知の情報を出し惜しみしているのだ。


 かといって、不確かな情報の為だけに、この危険な魔物を他所の世界に押し付けるような事は魔王もしない。


 取引に応じるつもりはない。そんな魔王の視線に気付いた寒蠱守はギチギチギチと笑って並んだ牙をぐぱぁと開く。


「軽率に飛びつかないのは流石デス。デスガ、ワタクシもアナタを謀るつもりはないデス。まずは誤解を解きマス、デス。」

「誤解?」

「ワタクシという魔物の生態をご存じないデスよね? きっとそこを知って貰えれば、アナタもワタクシの要求を呑むつもりになる筈デス。」

「生態……?」


 虫の集まった不気味な化け物。

 あまり興味をそそられない話だが、危険な魔物の生態という目で見れば知っておいて損はない。どこまで本当の事を話すかは分からないが、魔王は話に耳を貸す事にした。


「マズ、"暴食の王"と呼ばれるワタクシデスが、実際のところはそこまで大食らいという訳でもないデス。」

「そうなのか?」

「食料に乏しい極寒の大地では食べ足りないくらいの食欲はありマスが、デス。」

「じゃあ結構な大食らいだろ……。」


 キシキシキシと寒蠱守は笑う。


「実際のところは、ワタクシが食べる、というよりは、ワタクシの眷属達が食べる、と言った方が正確デスネ。」

「眷属?」

「ワタクシを取り巻く虫達デス。」


 多くの虫が集まって出来た身体。どうやらそれらは寒蠱守という魔物の眷属らしい。この虫の群れの中に寒蠱守という魔物がいるのだろうか、と魔王が探るように見ていると、寒蠱守は隠す事無く答える。


「ワタクシも虫の一匹デス。眷属となる虫達に指揮を出して操る事が出来る、それがワタクシ、寒蠱守という魔物なのデス。」

「なるほど……。」


 魔王は納得した。

 勇者達は確かに寒蠱守という魔物を倒したように見えた。

 しかし、あれは無数の虫の集合体の大半を消したに過ぎず、寒蠱守という虫の魔物の本体は倒し切れていなかったのだ。

 周囲に虫を引き連れていたので、取り巻きが手下の虫であり、この虫が集まった姿が本体だと思っていたのだが実際はその姿ですら手下の虫だったのだ。


「ワタクシが生き残った理由も分かりましたデス? 寒蠱守は一匹見掛けたら百匹居ると思って下さいデス。殲滅する事は不可能だと思って下さいデス。」

「……お前は一匹の虫ではないのか?」

「…………ワタクシも自身の情報を全て安売りする程、ムシケラではないデス。とにかく、ワタクシを滅ぼす事はできないと思って下さいデス。」


 何かを隠した寒蠱守。

 恐らくは何か彼を滅ぼす方法はあるのだろう。

 しかし、自身の生態は明かしても、それに通じる情報は開示しない。

 つくづく理性的な魔物だと魔王は思った。


「話が逸れましたデス。ワタクシが大食らいと言われるのは、ワタクシがこの世界の全ての虫を統べる者だから、デス。ワタクシ一固体としては大食らいに見えるデスが、実際は虫の群れとしては控えめな方なのデス。」


 あくまで自分は言うほど危険な存在ではないというアピール。

 大体寒蠱守の言いたい事が分かってきた魔王。 


「……お前達の食料の少ないデッカイドーでは災害と呼ばれる大食らいになるが、もっと豊かな土地に移り住めば大した害は与えない。そう言いたいのか?」

「ワタクシ共は食物連鎖の下位に位置するムシケラデス。生態系に悪影響をもたらすような真似はしないデス。」


 生態系という概念も理解しているらしい。


「ワタクシ共の目的はただ一つ……ワタクシ共が生きる事なのデス。」


 シンプルな目的意識に魔王はふむと顎を撫でた。

 確かに、虫にはこの極寒の世界は生きづらいかも知れない。

 限られた食料を集めるのには苦労するだろう。

 食料を集める事が出来ずに死に行く虫達を率いる指導者が現れて、生き残る為に限られた餌を食い漁れば、それは確かに悪意はなくとも災害になり得るかも知れない。


「ワタクシ共は、食料に困らない土地に移り住みたいのデス。それと……。」

「それと?」

「…………厄介事は御免なのデス。」


 寒蠱守はざわわと小さく囁いた。


 先に話した食料に困らない土地に移り住みたいというのに嘘はないのであろう。

 しかし、より深刻そうに聞こえたのは後から聞こえた「厄介事」という言葉だった。

 その部分に引っ掛かった魔王の表情を察したのか、キシキシと寒蠱守は笑う。


「オヤオヤ? もしかして、こんな危険物を持ち込んでおいて、お気付きではないのデス?」

「何に気付いてないって?」

「それを聞きたければワタクシ達の移住先を用意して下さいデス。」


 ハッタリなのか、それとも彼にしか聞こえていない虫の知らせでもあるのか。

 どちらにせよ、聞き出すには先に条件を呑むしかないらしい。

 

「……お前が移住しても問題無さそうな世界を選定しなきゃいけない。少し時間を貰えるか?」

「少し、というのは具体的にどれくらいデス?」

「分からん。分かったら連絡するじゃ駄目か?」

「駄目デス。」


 寒蠱守は即答した。


 魔王は気になった。

 何をそんなに急ぐ事があるのか。何故どれくらい掛かるのかを気にしているのか。

 思えば、食料を気にしての交渉であれば、何故このタイミングなのだろうか。

 魔王がこの世界に来てから大分経つ。接触するならもっと前から、更に言うなら寒蠱守の天敵であった雪女が居る頃から接触してきてもおかしくない。


 かつて勇者達が倒した三厄災の雪女。

 デッカイドーの大地により強い寒さをもたらしていた怨念は、寒さを苦手とする寒蠱守の抑止力になっていたという。

 彼女が昇天して、今はむしろ寒さが緩やかになりつつあり、寒蠱守にとっては状況は良くなっている筈である。雪女が活性化して寒さが強くなるならともかく、今になって接触を図る理由が分からない。


 勇者達との戦闘による損失が思いの外大きく、それを補う為に豊かな世界への移住を望んでいるのか?

 違う。寒蠱守は個ではなく群体を統べるものだと言った。群れの維持が目的であれば、個体数が減った群体の維持は以前よりも楽な筈である。


 減った群体を再び増やす事が目的なのか?

 寒蠱守の目的は生きることだと言った。真の目的は種としての繁栄なのか?


 虫の王を前にして、魔王は頭の中で思考を巡らせる。

 その考えを巡らせる沈黙の中で、寒蠱守は自身の即答がミスであった事を悟った。


「……焦り過ぎマシタ、デス。勘付かれてしまったデスね。」


 寒蠱守は魔王が何かに気付いた事にまでは気付けた。

 しかし、まだ魔王が寒蠱守の目的と動機にまで思考が至っていない事には気付かなかった。

 寒蠱守は、自身の目的と動機に気付かれたのだと誤解したのである。


 魔王は相手の買いかぶりを見て「しめた」と思った。

 疑問も不安も顔に出さず、ただ不敵に笑みを浮かべる。


 寒蠱守の怒りを買えば、この場で襲い掛かってくるかも知れない。

 この揺さぶりは吉と出るか凶と出るか、一か八かの賭けであった。


「……アナタが悪いんデス。アナタがそんなものを持ち込むから、デス。ワタクシ達は生きられるだけ貪れれば良かったデス。凍える様なこの世界でもよかったデス。人間人間人間人間人間人間人間人間なんて醜く愚かで卑劣な生き物デスデスデスデス。」


 人間への憎悪を剥き出しにして、寒蠱守はギチギチギチギチと牙を擦り合わせて、羽音をブブブブと震わせる。

 「そんなもの」。恐らくはシキの事だろう。

 しかし、それが何故人間への憎悪に繋がるのか。

 シキが人間によって作られたものだと分かっているのだろうか。


 ぎょろぎょろと目を回しながら、寒蠱守は今にも飛び掛かってきそうな勢いで唸り声を上げている。


 魔王はいつでもゲートを繋げるように身構える。


 寒蠱守のぎょろぎょろと回る目がぴたりと魔王を捉えて止まった。


 魔王がごくりと息を呑む。


「…………失礼しマシタ、デス。取り乱しマシタ、デス。」


 急にスンと寒蠱守は落ち着いた。


「移住先を探すのは一週間以内には終わるデス?」

「…………そ、そのくらいであれば。」


 一週間もあれば問題ない世界を探す事ができる。

 そして、万が一見つからなかった場合は、寒蠱守への対策を立てることもできる。

 魔王がそう言えば、寒蠱守はキシキシと笑った。


「分かりマシタ、デス。それならいいデス。ありがとうございマス、デス。」


 寒蠱守はすっかり落ち着いた。

 そこで魔王は問い掛ける。


「それで、お前は何に気付いたんだ?」


 まだ移住が確定した訳ではない。交換条件の情報を貰える確証はなかったが、念のために聞いてみる。

 すると、キシキシと笑って寒蠱守は答えた。


「アナタはどれだけ"それ"について知っているデス?」

「どれだけって……。」

「きっとアナタの思う"それ"と、ワタクシが気付いた"それ"は違うデス。ワタクシが気付いたのは底知れない悪意デス。」

「悪意?」

「忌々しき不死の王。奴と同じ類いの悪意デス。怨念デス。人間の醜い感情が見えるのデス。」

「……何の話をしてるんだ?」


 寒蠱守はブブブと身を震わせる。


「忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい。人間は醜い人間は醜い人間は醜い。我らも多くの動植物も、己が種の保存が為、生きる為に生きている。願う事は生きること。生かすこと。なのに人間。人間は。生きる為でなく生命を害する。お前らだけだ。死して尚他者の不幸を願い続ける、他者の足を掴み地獄に道連れにせんとするものは。」


 魔王は改めて思った。


(こいつ怖っ……。)


 しかし、気になる言葉はあった。


 生きる為でなく生命を害する。

 死して尚他者の不幸を願い続ける。

 他者の足を掴み地獄に道連れにせんとする。


 これが寒蠱守の言う「怨念」なのか?

 寒蠱守はシキにこういったものを見たというのだろうか?


「………………またもや失礼。下手に知性を得るものではありませんデスね。ただのムシケラでいる時には、こんな面倒な事を考えずに済みましたデスのに。」


 寒蠱守は再び落ち着いた。

 何やら時折スイッチが入るらしく、暴走したように怨嗟の言葉を吐くらしい。

 やはり、危険な魔物という印象が覆る事はなかった。


「そうそう。何に気付いたのか、デシタね。コレはアナタにも警告しておきマス。虫の知らせというやつデス。」


 落ち着いた寒蠱守はギチギチと笑った。


「この世界もそう先が長くないデス。だから、ワタクシ達は新天地を目指したいのデス。」


 魔王は背筋に冷たいものが走った。


 この世界もそう先が長くない。


 寒蠱守は、虫の本能で何かを感じ取ったらしい。

 来たるべき破滅の日を直感で感じ取ったのだろうか。

 

 それはもう目の前まで来ている。

 だからこそ、寒蠱守は焦っていたのだ。

 すぐにでも移住したいと。


「その日は、近いのか?」

「細かい事は分かりマセン。分かっても言いマセン。巻き込まれるのは御免だと、申し上げた筈デス。」


 寒蠱守はざわざわと身体を震わせて変形する。


「それでは素敵な交渉ができマシタ故、これにて退散させて頂きマス。虫の知らせが聞こえマス、デス。これ以上此処に居るのは危ないデス、と。」


 寒蠱守が次第に分離して小さな粒子……虫の群れに分かれて散っていく。


「一週間後、またお会いしマショウ。もしも、その時、約束を守らなければ…………。」


 ブブブブブブブブブブブブブと嫌な羽音が魔王城に響き渡る。

 約束を守らなければ……?

 魔王がごくりを息を呑む。



 その時、ガチャリと魔王城の扉が開いた。




「魔王。来ましたよ……って……。」


 姿を現したのは勇者"魔導書"アキ。

 先日は色々な誤解があって帰ってしまった彼女と、異世界の調査内容について話す為に呼び付けていた事を魔王は思い出す。


 アキは魔王の目の前で拡散する虫の大群を見た。


 アキの顔からたちまち血の気が引いていく。

 

「ひ、ひっ……!」


 アキが杖を構える。

 魔王は以前に勇者と寒蠱守が戦った時の事を思い出す。

 気色悪い程の虫の大群を見たアキは、悲鳴を上げながら虫達を魔法の大爆発で消し飛ばした。

 アキは虫が苦手なようだ。いや、虫が苦手でない人間でも、これ程の大軍を見たら青ざめるであろう。


 次の瞬間に起こることが魔王の頭の中に過ぎる。


「まっ……! アキ! ちょっと待っ……!」

「いやああああああああああああああああああああ!!!!!!」




 けたたましい悲鳴と共に、魔王城内に閃光が走る。


 魔王は消え行く視界の中で、ふと思った。


(虫の知らせ……強ち侮れないのでは……?)





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