第83話 死者の祈り




「マジで死ぬかと思った……。」

「ご、ごめんなさい……。」


 魔王城にてコタツを挟んで魔王と勇者アキが向かい合う。

 アキはぺこりと頭を下げて、魔王に謝罪をした。


「む、虫は本当にダメなんです……。で、でも、咄嗟とはいえきちんと加減はできましたので……。」

「マジで魔王城こと消し飛ばされるかと思った……。」


 魔王はアキが来る前に、突如として来訪した魔物、寒蠱守ふゆこもりと対峙していた。

 寒蠱守は簡潔に言うと、多数の虫が寄せ集まった虫の大群のような魔物である。

 魔王城を訪れたアキが一目見て、悲鳴を上げて魔法を叩き込んだ。

 突如走った閃光に魔王は死を覚悟したのだが、アキはどうやらかなり精密に魔法をコントロールしていたらしく、魔王城には破損もなければ焦げ目の一つすら残らずに、寒蠱守だけを消し飛ばしていた。


「こ、これ。お詫びの品という訳じゃないのですが。これで許して下さい。」


 アキがすっと箱を取り出す。

 不思議な文様が書かれた箱は、お札のようなもので箱と蓋の隙間を埋められている。

 一応、この世界での生活も長い魔王はそれが"冷凍保存"の魔法が掛けられた箱だと理解できた。


 先日話していたカニの手土産であろう、と分かった魔王は途端ににやけ面になる。


「あ、ああ。まぁ、被害は出なかったしな。お前も咄嗟の事だったし。別に気にしてないから。」

「え? あっはい。そ、それであれば良かったです。」


 魔王はアキが突然魔法をぶっ放したことを許した。

 「被害は出なかった」

 その言葉を聞いたアキは、引き攣った笑みで、上の方が焦げてチリチリになっている魔王の頭から目を逸らした。


「それにしても、まさかあの魔物が生きていたとは思いませんでした。でも、改めて退治できて良かったです。」

「俺も予想外だった。しかし、どうだろうな。今ので本当に退治できたのかどうか。『ゴキブリは一匹見たら何匹も居ると思え』ってよく聞くし。」

「や、やめて下さいよ。アレがまだいるんですか?」


 虫の王、寒蠱守。かつて勇者達と戦い滅ぼされたかに思われた魔物は未だ生きていた。今のアキの一撃を食らう前も、まるでアキがくるのを察していたように退散しようとしていたのを魔王は聞いている。生存本能というか、そういった危機にはかなり敏感な魔物のようである。上手い事今も逃げ果せているのかも知れない。


「まぁ、気になる事も話していたからそれについても共有しようか。」

「え。アレと話してたんですか?」

「ああ。急に来て交渉がなんやらと。」

「……結構長いことここに居たんですか?」

「まぁまぁ。」


 アキは無言で立ち上がり、何やら呪文を唱えて魔法を放つ。

 キラキラとした光が魔王城内に行き渡ったかと思うと、アキは再び座り直した。


「何した?」

「消毒しました。ばっちいじゃないですか。」


 アキは相当に虫が嫌いらしい。

 一応消毒をして落ち着いたようで、魔王はアキに尋ねる。


「じゃあ、この前の調査で分かった事を話すか。緑茶、紅茶、コーヒー、アイス、何がいい?」

「アイスで。」

「うん。一応聞いたけどそう言うと思ったわ。」


 魔王はゲートからアイスとスプーンを取り出しアキに渡す。

 アイスは早速アイスを開けると、早々に一口ぱくりと頬張った。

 幸せそうに頬を緩ませてから、アキはスプーンを持ったまま話し始めた。


「この前の調査で"思念エネルギー"というものが大体分かりました。」


 アキはスプーンを握った手の人差し指を立てる。

 その人差し指の先にぽっと青い光が灯った。

 

「えいっ。」


 アキは掛け声と共に手をひょいと振る。

 すると、青い光は風船のようにゆっくりとふわふわと魔王の方に飛んでくる。


「何だコレ?」

「触ってみて下さい。」


 魔王は恐る恐る飛んできた青い光に指先を触れてみる。

 

『これが思念エネルギーです。』

「うわっ!」


 突然頭の中に響いた声に、魔王は思わず声を上げた。

 アキはふっふと得意気に笑う。


「どうです? 何を伝えたか分かりましたか?」

「え? 『これが思念エネルギーです。』って聞こえたが……。」

「正解。実験成功ですね。」


 アキの放った青い光に触れたと同時に、アキが伝えようとした言葉が魔王の頭の中に走った。


「……という事は、今の青い光が『思念エネルギー』?」

「はい。魔法で作った『思念エネルギー』です。実験という事で可視化したものなので、実際は見えない形で発する事も可能です。」

「も、もう扱えるまでになったのか……。」

「今のは魔法での再現ですけど、実はこれ、私達も日常的に使ってるものですよ。」


 アキはアイスを一口食べてから、口にスプーンを当てる。

 

「今もこうやって、この口から発しています。」

「……どういう事だ?」

「あなたも今発しましたよ。『どういう事だ』って。」


 魔王は口に手を当てて、ハッとしてアキに視線を合わせる。


「言葉か?」

「そういう事です。」


 アキはスプーンで唇をとんとんと叩く。

 

「私達が考えている事、思っている事……『思念』を伝える時、たとえば言葉にして口から発したり、紙に文字にして書き出したりします。言葉の一つ一つ、文字の一つ一つには他人に何かを伝えようとする意図が込められているんです。いわばこの『何かを伝えようとする意図』が『思念エネルギー』と呼ばれるものです。」

「……分かったような分からないような。」

「たとえば、私が『アイスもう1個欲しい』と言います。その時には私は『アイスもう1個欲しい』と思っていて、それを伝えたいから言葉にしている訳です。言葉というツールに、私の『思念エネルギー』を乗せているんです。」

「アイスもう1個欲しいのか?」

「いや、欲しいのは欲しいんですけど、そういう事じゃ無く。」


 アキはスプーンをくわえてうーんと唸る。

 そして、後ろの自身の荷物から紙とペンを取り出して図を書いた。


「私が考えている事が『思念』。私の考えている事だと思って下さい。」


 簡単な人の絵を描いて、その上に○を書いて中に思念という単語を書き込む。


「私がこの『思念』を伝えたい相手があなたとします。」


 もうひとつ人の絵を描く。


「あなたにはこの『思念』は見えていません。私の考えている事は見えない、形のないものです。これは分かりますか?」

「ああ。」


 トントンとペンで思念を表す○を突いて、アキは次はアキと魔王を象った人の絵を交互にペンで突く。


「この『思念』を、あなたに伝えるには、『思念』を相手に伝えられる形に変換しなければなりません。」

「うんうん。」

「相手に伝えられる形。これの分かりやすい例が『言葉』です。」


 思念の○から矢印を伸ばし、矢印の中に言葉という単語を書き込む。


「『思念』を『言葉』に変換する事で、私の『思念』はあなたに見える、聞こえる形になります。ここまで、分かりましたか?」

「分かった。」

「エネルギーとは要は、何らかの仕事をする力の事です。」

「うん。」

「私の『思念』を伝える仕事をする力、それが『思念エネルギー』です。」


 アキは言葉の矢印の上に、四角い図形を書いて、その上に思念エネルギーという単語を書く。


「私達は無意識に『言葉』というツールに、『思念エネルギー』を乗せて、『思念』を相手に伝えています。『言葉』自体に『思念』がある訳ではありません。『言葉』を通して、『思念エネルギー』という形で、私の持っている『思念』を伝えているのです。」

「…………分かった。」

「適当に言ってるでしょう?」

「……うん。」

「分からないなら仕方ないです。そういう概念があると知らないとしっくりこないでしょうし。」


 アキは諦めて紙をくるくると纏める。

 そして、アイスを再び口に運んだ。


「ぶつけると思ってる事が伝わるエネルギーだと思ってくれればいいです。普段私達は言葉にそれを無意識に乗せているので、言葉をぶつけると思ってる事が伝わってるんです。」

「何となく分かった。」

「その知らず知らずに使っているエネルギーを、実際のエネルギーとして抽出したのがあの世界で取り扱っている『思念エネルギー』というものです。」


 アキはぺろっと口の周りを舐める。


「さっき私がぶつけた青い光は『思念エネルギー』を魔法で抽出したものです。私が言葉で話したときと何か違いはありませんでしたか?」

「違い?」

「分かりませんか。もう一回試しますよ。」


 アキは再び指を立てて青い光を作り出す。

 それをもう一度ひょいと飛ばし、魔王はそれを再び指先で触った。


『私はそろそろアイスを食べ終えるので新しいアイスが欲しいです。今度はチョコレート味をお願いします。』

「お前アイスの話ばっかだな。」

「気付きましたか?」

「なにがだ?」


 アキはスプーンで自身の口をツンツンと突く。


「私は」

「え?」

「そろそろ」

「……?」

「アイスを」

「……。」

「食べ終えるので」

「今度はチョコレート味が欲しいんだろ?」

「次はストロベリー味が欲しいです。」

「え?」


 アキが先程の『思念エネルギー』と違う事を言ったので、魔王はきょとんとした。

 

「私が言葉を最後まで言い切るまで、あなたは私の言いたいことが分かりませんでしたよね?」

「……あっ。」


 魔王は気付いた。


「さっきの『思念エネルギー』だと、一瞬でお前の言いたいこと全部分かったな。」

「正解です。『言葉』というプロセスを省いて直接『思念エネルギー』をぶつけたので、私の言いたいことがそのまま伝わった。だから、言葉だと全て発し終えるまえで伝わらないメッセージが一瞬で伝わったんです。」


 アキはアイスのぱくりと食べる。


「思った事がそのまま共有できるエネルギー。言葉や文字で伝えるのに比べると、圧倒的に軽量で高密度のエネルギーだと思いませんか。これを思念を伝える以外にも使う事ができたら……。」


 魔王は日誌を思い出す。

 異なる世界を渡る事のできるものは限られる。

 移住できる程の容量の移動はできない。

 その解消策として、軽量な思念エネルギーをやり取りできないか。

 そういった考えから、シキは生み出された。

 アキの言っている事と結びつく。


「実際、この『思念エネルギー』というものは、もの凄く膨大な仕事をこなす事ができる力です。たとえば、私が『アイスを食べたい』という思念をあなたに伝えた時、あなたは私が考えている事を知るだけじゃないでしょう。この思念は、あなたに『アイスを食べさせる』という仕事をさせる。思念を伝えるだけの筈の『思念エネルギー』から、あなたが私にアイスを食べさせるという更に大きなエネルギーが生まれている。」


 アキは手のひらを合わせる。


「これが『願い』。『思念』から他のエネルギーを生み出す概念です。」

「『願い』……。」

「複数の世界の人々の『救われたい』という共通の『思念』を極限まで集めて圧縮したものが"シキ"。『願い』の結晶、超高密度の膨大なエネルギーの塊という訳です。」


 シキがどんなものなのか。アキはその答えを導き出した。

 アキはアイスを食べ終えて、スプーンをカップの上に置く。


「そうなると、シキを動かす条件も見えてきます。要は叶えたい願いの『思念エネルギー』を送り込めばいいんです。」

「『思念エネルギー』を送り込む?」

「但し、前に私がやったみたいに願い事を語りかけるのではなく、もっと純度の高い高密度の『思念エネルギー』を送る必要があります。」

「さっきお前が飛ばした青い光みたいに?」

「そんな感じですね。」


 アキは再びぽっと指の先に青い光を灯す。


「私達の世界では『思念エネルギー』の概念がありません。故に、私達は『思念エネルギー』を伝える感覚が掴めませんでした。言葉に乗せて放つ『思念エネルギー』は、理解に時間が掛かるように密度の薄いものです。シキの起動には高密度の、純粋な『思念エネルギー』が必要だったんです。」


 デッカイドーにシキを持ち込んで以降、願いが叶えられる事はなかった。

 それは、シキが生まれた世界では浸透していた、『願いを伝える手段』が、デッカイドーには存在しなかったから。

 シキは今、休眠して願いを叶えられないのではなく、願いを受け取れていなかったのである。


「私の猫を求める願いが叶ったのは、恐らくは強い願いが強い思念エネルギーを生み出したからでしょう。私はあの時、トーカさんの歌を聞いて、猫の中にコタツがいるものと思っていました。猫がいるだろう、という期待と、猫への渇望から偶然『思念エネルギー』が発せられていたのかなと思います。」

「お前、どんだけ猫欲しかったんだ。」

「ずっと憧れだったんですよ。猫を使い魔にするのが。父がアレルギーで飼えない事もあって、心から猫に飢えていたんです。」


 アキは続ける。


「……強い『思念エネルギー』が生まれるきっかけは、『飢え』にあるんだと思います。」

「飢え?」

「世界が滅びるという切羽詰まった状態。どうしても救われたいという、後のない者達の心からの願い。滅び行く複数の世界で、強大な願望機が生まれたのは、追い込まれていたからこそ、彼らはシキを生み出す事ができた。」

「……。」

「此処に居る私達の願いがほぼ叶わなかったのは、私達が満たされていたから。コタツという快適な空間で、心にゆとりがあったからこそ、シキに願いは届かなかったんじゃないでしょうか。」


 シキは寒さに弱い。

 極寒の世界で活動を鈍らせ、コタツという局所的な温かさを生み出す事で、快適なコタツから出ないように促す事で封印ができていると魔王は思っていた。

 しかし、実際はコタツという快適な空間の中に周囲の人間が置かれる事で、強い願いを抱く事がなくなったが為に、シキに強い思念エネルギーが届かなくなっていたのだ。


 アキによって紐解かれたシキという存在の仕組みと、願いを叶えるメカニズム。


 シキを理解したアキは、一番重要な話に移る。


「じゃあ、シキはどうやってこの世界を滅ぼすんでしょうか?」


 アキは青い光をピンと弾いて魔王に飛ばす。


「シキはあくまで『思念エネルギー』を受け取って動く装置です。動かすには、誰かが強い思念を送る、願いを捧げるしかありません。」


 魔王は青い光に触れる。


『アイスもう1個下さい』。

「この世界の滅亡を望む者なんて、この世界にはいません。誰が、シキに願いが届くほどの、世界が滅んで欲しい等という強い思念を抱くのでしょうか? ただでさえ、元居た『思念エネルギー』が浸透した世界とは違って、願いが伝わりにくいのに。」


 魔王はゲートからアイスを一つ取り出し、アキの方に滑らせた。


「そもそも、何故元居た世界は滅びたのでしょうか。敵対者を消していくだけなら、最後に敵対者を消したものが残る筈なのに。」


 アキはアイスにスプーンを刺す。


「同時に敵対者同士が、敵対者の破滅を願ったから? それであれば、無関係の人間まで死に絶える事なんてない筈です。全ての生命が消え失せる事なんてない筈です。」


 アイスをぱくりと食べるアキを見て、魔王はふと思い付いた言葉を口にする。


「…………『怨念』。」

「……え?」


 アキはスプーンをくわえたまま固まった。

 魔王から意外な言葉が出てきた事にきょとんとした。


 それは魔王の元に押し掛けた寒蠱守という魔物が残した言葉。



 

「…………生きる為でなく生命を害する。死して尚他者の不幸を願い続ける。他者の足を掴み地獄に道連れにせんとする。」


 魔王は冬蠱守から聞いた言葉を復唱する。

 そして、ひとつの可能性に行き着いた。


「……道連れ。自分だけが死ぬのは嫌だ。だから、。自分が生きる為でなく、生命を害する。死して尚……他者の不幸を願い続ける。……『怨念』。」


 魔王はぽつりと呟いた。


「シキによって死に行く者達が、他の生命全てに嫉妬し、道連れを望んだ……シキはその願いを叶えたのだとしたら……?」


 アキはぱかりと口を開いた。

 アキも何かに気付いたように、ぽつりと一つの可能性を口にする。


「…………その『他の生命全て』というのが、『この世界』という括りで制限されてなかったら。」


 アキが口を手で塞ぐ。

 魔王もアキが想像したそのおぞましい結論に行き着く。


「……まだ。」


 死に行く者が、生き残る者に抱いた嫉妬。

 シキを世界滅亡に突き動かしたのがその願いであったのなら。

 全ての生命が消え去った事にも説明がつく。

 もしも、その願いが既に滅びた世界に限定されていなかったのなら。

 そして、その願いが未だに動いているのなら。

 デッカイドーに破滅の未来が見えた事にも説明がつく。


 魔王が聞いた、寒蠱守が怒り狂っていた話も、この仮定の元であれば理解できる。

 自分達が生きる為ではない、他人の足を引っ張りたいが為の醜い嫉妬心。

 人間でなければ抱かないであろう恐ろしい願い。

 寒蠱守の言っていた『怨念』という言葉がしっくりくる。


 魔王は女神オリフシのアドバイスを思い返す。


 ―――忌むべきは"シキ"ではない。本当に忌むべきものを見定めなさい。


「……俺達がどうにかすべきものは、シキの中に残された、生者を嫉む死者の祈り……?」


 魔王とアキは辿り着く。

 本当に倒すべきものは何か? その答えに。




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