第59話 一方その頃、魔王城
「魔王~、何か食べ物ないか~?」
「お前は本当にいつも通りなのな。」
ハルは今日も今日とて魔王城を訪れた。
先日、世界の滅亡に関する話をした後なのにもかかわらず、食べ物を求めてやってくる図太さにある意味感心しつつ、魔王はハルを招き入れる。
「少しは気負ったりするのかと思ったけど杞憂だったか。」
「倒すべき相手が変わっただけだからなぁ。私は元々世界滅ぼすくらいの相手と戦うつもりでいたから。」
出されたお茶をずずっと啜りつつ、ハルはぐてっとコタツにもたれ掛かる。
ある意味大物とも取れる物言いは、その実力故か自信故か。
何はともあれ、呆れるよりもその平常運転に安心感すら感じる魔王は、あっ、と思い出したようにハルに告げる。
「その調子なら大丈夫か。トーカがお前にお返ししたいってよ。この間のバレンタインデーの。」
「え? こっちは前のお礼にだったから別にいいのに。」
「この間がホワイトデーって日だったんだよ。バレンタインデーに何か貰ったら、ホワイトデーにお返しするってしきたりがあるんだ。」
「そうなのか。まぁ、貰えるなら貰うけど。」
「トーカが居る日にまた来てくれ。」
「ああ。」
ハルはずずっとお茶をもう一口啜って考える。
何やらぼーっとしているハルを見て、不思議に思った魔王が尋ねた。
「どうした? 珍しく何か考えてるみたいな顔して。」
「珍しくは余計だ。」
ハルはムッとしつつ、コタツにもたれたままに魔王の顔を見上げた。
「お前からは私に何かないのか?」
「なんでお前にお返ししなきゃいけないんだよ。」
ハルは眉をひそめた。
実はハルはそのつもりはなかったのだが、結果的に魔王にバレンタインデーの贈り物をしているのである。
本当は別のお礼の贈り物のつもりだったのだが、後にその日がバレンタインデーだったという事を思い出したので、バレンタインデーの贈り物をしたつもりでいる。
一方の魔王はあれがハルだとは気付いていない。バレンタインデーに何かを貰ったような記憶がないのである。実はあれに対するお返しは用意しているのだが、渡すべき相手が目の前にいることに気付いていないのである。
「……そうか、お前そういうやつだったんだな。やっぱりお前は魔王だよ。」
「なんでそんなあからさまに蔑んだ目で見られなきゃいけないんだよ……。」
残念なすれ違いが起きているのに二人が気付く事はない。
魔王としてはハルの言い掛かりとしか思えないのだが、やれやれと仕方なしにゲートを開いて手を突っ込んだ。
取り出したのは一つの小さな紙袋。それをすいっとコタツの上を滑らせてハルに渡す。ハルが袋を興味深そうに触って見ると、ほんのりと温かいことが分かった。
「なんだこれ?」
「肉まん。」
「ニクマン?」
ハルは袋を開いて見ると、白くて丸いものが入っている。
「最近、コンビニにあるみたいな中華まんの保温機を買った。ゲート繋ぐとちょっと小腹が空いたときに便利かなと。」
「コンビニ? チュウカマン? 良く分からないけど、なんだこれ?」
「まぁ、食べてみろ。下についてる紙は剥がせよ。」
ハルは言われた通りに、肉まんなるもののそこについた紙を剥がす。白くて丸いそれは触っただけでふわふわとしている。ハルは紙を剥がした肉まんにぱくりと齧り付いた。
「ッ!?」
ハルはカッと目を見開いた。
「旨いッ!」
「久し振りにそのリアクションを見た気がするな。」
ハルは満足げに声を上げた。
「何か中に入ってるぞ!」
「肉だよ。豚肉。肉が入ってるから肉まんな。」
「周りのふかふかしてるの旨いな! なんだこれ。パンより柔らかいぞ。」
「饅頭だよ。肉が入ってる饅頭だから肉まん。」
「へぇ~。まんじゅうかぁ。」
幸せそうにぱくぱくと肉まんを食べ進めていきながら話を聞くハル。
「それ以外にもあんこが入ったあんまんとか、ピザソースが入ったピザまんとか、中華まんは色んな種類がある。」
「それもあるのか?」
「今は用意してないけど。」
「じゃあ今度くれ。」
「うん。いいけど図々しいなお前。」
相変わらずの調子のハルを見て、魔王はふぅと落ち着いた。
図々しいとは言いつつも、何でも与えれば与えただけ食べて、美味しそうに食べる様は見ていて悪くないと魔王は思う。
あっさりと肉まん一個を平らげて、満足げに笑うハルを見て、魔王はふと尋ねてみた。
「ところで、女神様とやらと話はできたのか。」
「なんか留守にしてるみたいでな。カムイ山の木こりの泉ってところなんだけど。」
以前に話していた女神の知り合いという話を、何とはなしに聞いてみると、意外な話が飛び出してきて魔王はドキッとした。
カムイ山。魔王城からそう離れていない場所にある山で、野生の魔物が多数生息する危険地域である。
ドキッとしたのは、魔王がかつて最初に"春風の女神"と称する美しい女性を見掛けたのがカムイ山の麓なのである。
人間の女性が歩くのは危険な地帯だと思っていたのだが、あれがもし本当に女神と呼ばれる超常的存在だったとしたのなら、あんな場所を歩く事もできるのかも知れない。
「……なぁ、ハル。その女神様っていうのは美人なのか?」
「何でそんな事聞くんだ?」
「いや、何となく。」
「美人だぞ。すごく柔らかい雰囲気の神様で、すごく優しい。」
魔王の中で「もしかして」から「やはり」に切り替わる。
魔王が一目惚れした、不思議な女性"春風の女神"。ハルの知り合いだという女神は"春風の女神"なのではないか。
そう思うと是非お会いしたいという気持ちが湧いたが、そこでがっつくと引かれるかも知れないと踏み止まり、魔王はごほんと咳払いしてハルに言う。
「そうか。デッカイドーの危機を救うために、是非一度お会いして話をしてみたいものだな。ハルが話して上手く話が伝えられないようだったら、俺のところに連れてきて貰って構わないからな。」
「急にどうした早口で。」
早口で言った魔王をハルがじろりと睨む。
「魔王、お前まさか女神様に会いたいのか? 美人だって言うから?」
「そ、そんなんじゃねーし!」
「駄目だぞ。女神様をそういう目で見ちゃ。罰が当たるぞ。」
「ち、違うから!」
普通にハルに怒られた。普段間の抜けた大食漢というイメージを持っているハルから真面目にまともな正論で怒られて、若干魔王はへこんだ。
まぁ、真面目な話をする中で浮ついているのは普通に宜しくないのでしっかりと反省して、魔王はふぅと息を吐く。
「魔王もそういうの興味あるのか? おっさんなのに。」
「おっさんを何だと思ってるんだ。」
「その年で結婚とかしてないから興味ないのかと思ってた。」
「お前突然刺してくるじゃん。やめて?」
突如として魔王を襲う言葉のナイフ。
これ以上深掘りされると色々と辛くなるので、魔王は咄嗟にカウンターした。
「そ、そういうお前はそういうの興味ないのかよ。」
「そういうのって何だ?」
「色恋沙汰とか興味ないのか。」
「どうしておっさんとそんな事話さなきゃいけないんだ。」
「おっさんにだって人権はあるんだぞ。」
おっさんを言葉でボコボコにしつつ、ハルは特に気にした様子もなくさらりと答える。
「そういうのは私は無縁だな。」
(まぁ、そうだろうな……。)
「まぁ、そうだろうなって今思っただろ?」
ハルはムッとしつつも、別段気を害した様子はない。
「まぁ、自覚はあるから気にしないけどな。小さい頃から狩りに出て、気付けば勇者になって戦ってばかり。考える機会もなかったというか。」
「へぇ、小さい頃から狩りに?」
「中々貧乏で食べる事も大変だったからな。今も貧乏なんだが。昔から弓はからっきしだったけど、剣だけは上手い事扱えたからそれで狩りをしてた。多分勇者として認められたのはそれのお陰だと思う。」
「なかなかに大変なんだなお前も。」
"
そんな魔王の心配そうな表情を見たハルは、にっと笑みを浮かべた。
「まぁ、今は魔王に美味しいものを御馳走して貰えて幸せだけどな。」
そう言われると何だかご飯を御馳走している事に図々しいとか言ってるのも恥ずかしくなってくる魔王。少年のような無邪気な笑顔に若干胸が締め付けられるような思いがあった。
庇護心とでも言うのだろうか。何かしてやりたいなという思いが湧き始める。
ふと、魔王は思いつく。ゲートを開き手を突っ込み、中から取り出すのは一つの包装された箱。
「ほら。これやるよ。」
「ん? なんだこれ食べ物か? 開けていいか?」
「いいぞ。」
ハルは箱の封を解く。
「これは……小さな時計?」
「腕時計だ。こっちの世界の時間に合わせてある。」
箱の中から現れたのはアクセサリーのような、装飾の施された腕時計。
ハルは腕時計を取り出し、ぽかんとしてそれを眺めている。
「ホワイトデーのプレゼントなくて不満げにしてたろう。」
「……これ、くれるのか?」
「やると言ったろう。たまたま持ち合わせていたもので悪いが。」
本当は別の人に贈ろうとしていたものの、深く知らない相手には重いかも知れないと断念したものである事は魔王の中での秘密である。
他人に渡すプレゼントを渡すのは悪いと思ったが、ハルに贈ろうと思う気持ちには嘘はないと割り切り、魔王はそれを送る事にした。
「お洒落の一つでもしてみろ。色気より食い気のお前には残念なプレゼントかもしれんが。」
哀れみ、と言うと少し違う。女の子らしく生きる機会を得られなかった事や、貧しい家庭環境に同情する気持ちはあったが、そこから来る感情だけではなかった。
何だかんだでそれなりに関わりを持ち、施しを与える以外にも世話になる機会もあった。普段から食事を御馳走しているからと、しっかりとした礼をしていなかったという理由もある。
そして解決すべき課題を共有し、今後も協力していく相手として、こういった贈り物をする事は悪くないと魔王は思った。
このプレゼントは生きる事に必死で余裕のない勇者……ではなく、一人の女の子に対して。ふと湧いた庇護心を僅かなきっかけとして、やり場のなかったそれを贈る。
魔王の言った通り、色気より食い気といった性格の勇者ハル。
もしかしたら、こんなものより食べ物の方が喜んだかもな、と思いつつ、魔王はハルの顔を見ている。
「……腕時計、って事は、これは腕に巻くものなのか?」
「そこからか。そこの留め具を外して……いや、実際に付けた方が早いか。腕貸してみろ。」
ハルは腕時計と腕を差し出す。魔王は腕時計の留め具をハルの目の前で外し、差し出されたハルの手を取り、実際に腕時計を巻いてやろうとする。
「こうやってだな……。」
"
意識しないようにすっと腕に巻いてやると、ハルは腕に巻かれた腕時計をぽかんとした様子で見つめていた。
「え、えっと、ブレスレットみたいでお洒落に見えるだろ? 時間も分かるから実用性もあって邪魔にならないだろうし。気に入らなかったら返してくれてもいいぞ。食べ物がいいなら別に用意するし……。」
魔王が早口で言い切る前に、ハルは声を上げる。
「いや。食べ物じゃなくていい。」
ハルは左の手首に巻かれた腕時計を右手でそっと撫でて頬を緩める。
「これがいい。ありがとう。」
いつものような歯を見せる少年の様な笑いとは違う、柔和な、はにかんだような柔らかい笑みに魔王は思わずどきりとする。
初めて見せた筈のその笑顔は、魔王にはどこか見覚えのあるようなもののように見えた。
(こいつこんな顔もできるのか……。しかし、何か妙に見覚えがあるのは何なんだ……?)
ハルは粗雑な振る舞いや男勝りな言動、剣士というごつごつとした装いや身だしなみに気を遣わない自然体故に中々に目立たないが、よくよく見れば顔立ちは整っており、綺麗な指先や華奢なすらっとしたスタイル等々、かなりの美人である。
少し気恥ずかしげにすました態度を取るとそれがより一層際立つ。
娘、という程の歳の差ではないが、やんちゃ小僧みたいな気分で付き合ってたら、思いも寄らぬところでドキッとさせられて魔王はかなり動揺していた。
「どうした? 変な顔して。やっぱりくれないのか?」
「い、いや。やると言っただろう。ちょっと考え事してただけだ。」
「そうか。ありがとう。大切にする。」
ハルは腕時計をそっとさすってにかっと笑った。
いつもの少年のような無邪気な笑顔に、魔王はほっと安心したように息を吐く。
「お菓子とか食べるか?」
「え? お菓子もくれるのか?」
「安いもんだ。気にするな。」
「今日は気前がいいな!」
「いつも気前いいだろ。」
軽口を叩いて魔王は先程抱えた感情を忘れることにする。
魔王は今のような気楽な関係を気に入っている。
何となく、深く考えてしまうとこの関係が崩れてしまうような気がして、咄嗟にいつものように食べ物の話を出した。
色々な事件が動いているその一方で、魔王城では何かが起こりそうで何も起こらない、いつもの日常のような違うような時間が流れている。
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