第38話 女神より愛を込めて




 その日はちょっとした贈り物を贈る日。

 愛する人へ、お世話になっている人へ、親愛なる友人へ……理由は様々。

 本来そういう日ではないのだが、今ではすっかりそういった日に姿を変えたイベントを、このデッカイドーの地で知っているのは一握り。


「魔王様、これどうぞ。」

「ん? なんだこれ?」


 魔王の側近トーカから、魔王に渡されるひとつの包み。

 心当たりのない贈り物に魔王は不思議そうに首を傾げた。


「チョコレートです。上司に対する義理ですけどね。バレンタインデー、お忘れですか?」

「あー、あったなそういうの。」

「ひょっとして、貰えなさすぎて忘れてました?」

「は? そういう訳じゃないから。色々と忙しすぎて忘れてただけだから。」


 バレンタインデー。

 デッカイドーにはそのような文化はない。そもそも、イベントの成り立ちからしても歴史が違うのだから当たり前なのだが。

 一応、その歴史に生きていた事もある魔王とトーカは知っているイベントなのである。


「まぁ、この世界ではどちらにしても無縁な話か。」

「いや、もしかしたら貰えるかも知れませんよ。」


 トーカはコタツに入り込み、魔王の顔を覗き込んでにっと笑う。


「最近通話で魔王軍と勇者様、その他諸々の知り合いにそういうイベントがあるって話しましたので。」

「俺の知らない所で何やってるのお前。」


 魔王は慌てた。

 「この世界ならそんなイベントないし、貰えなくても普通だろ」とたかを括っていたら、イベントの存在を部下が勝手に周知していた。

 これで貰えなかったら非モテで人徳のない男だと周知される事になる。


 魔王軍。知性ある魔物や、魔王に協力する人間が所属する魔王のしもべ達。

 しもべというと何でも言うことを聞きそうにも聞こえるが、別にそういう訳ではなく、実際のところは報酬を支払い仕事内容を伝えて働いている、契約をしているだけの雇用関係である。

 契約周りの話の時や、仕事状況を確認する時くらいしか顔を合わせない。よく顔を合わせる幹部も別に仲が良いわけでもない。魔王を慕ってついてきている訳でもないのだ。


「どうしました? 随分と慌てているようですが?」

「あ、あわ、あわわあわ慌ててねーし!」


 魔王は慌てまくっていた。

 そもそも、態度に出さなくてもトーカは他人の心を読むことができる。

 魔王の内心など丸わかりなのである。

 

「フフ……試そうじゃありませんか。魔王様の人徳を。」

「謀ったなお前……!」


 それは、魔王の人徳を貶める為のトーカの策略なのである。

 トーカはそういう悪戯が大好きなのであった。




 ……というのはブラフであった。


(……人は、隠された善意よりも、表に出た悪意を信じたがる。フフ、どうやら気付いていないようですね。)


 トーカの真の目的は、好意を抱いている相手に自身が贈り物を貰う事なのである。

 その為にわざわざ勇者にまでイベントの存在を伝えたのだ。

 魔王の人徳を試すというのはフェイク、どさくさに紛れて自分も恩恵にあずかろうというのが狙いなのだ。

 あえてフェイクを加えた理由は単純、普通に魔王にハルに対する好意を知られるのが恥ずかしいからである。


(ハル様にもきちんと今日の事は伝えた……魔王城にいることも周知済み……きっと来る筈……!)


 こうして、魔王の人徳を試す戦いと、トーカの想い人を待つ戦いが始まったのである。




 そわそわしながら魔王とトーカはコタツにて待つ。


「…………これ、開けてみてもいいか?」

「どうぞ。」


 手持ちぶさただったので、魔王は早速トーカから貰ったつつみを開けてみる。

 割とお洒落な箱に入った贈り物用のチョコレートがそこにあった。


「おお~。」

「私にも一個下さい。」

「なんで贈ったお前が貰うんだよ。」

「自分用にはそういうの買わないじゃないですか。たまに食べて見たくなりません?」

「ああ~……まぁ、分かるかもしれん。」


 魔王は納得しつつ箱を二人の中央に置く。

 別にチョコレートが特別好きという訳でもなく、拘りもないので普通に分けて食べる事にする。


「……美味い。」

「……美味しいですね。」


 特に深みもない浅い感想を交わしつつ、ぼんやりと待っていると……。




 こんこん、と魔王城のドアをノックする音が聞こえた。

 その瞬間、跳ね上がる魔王とトーカの心臓。


(来た……!)


 いつもなら(また来たよ……。)とうんざりする場面だが、今日ばかりは違う。

 緊張の面持ちで魔王はドアに向かって声を発する。


「どうぞ~~~。」


 ガチャリ、とドアが開かれる。そこにいたのは……。







「…………お邪魔する。」


 勇者ナツであった。


「お前かぁ……。」

「ナツ様かぁ……。」

「…………お邪魔だったか?」

「いや、こっちの話。」


 露骨にガッカリする魔王とトーカ。

 訪れたナツは何やら包みをぶら下げてやってきた。


「……今日はこの前のお詫びにきた。」

「お詫び?」


 覚えのない話に魔王は怪訝な顔をする。


「……俺は酔った後も記憶が残るタイプでな。魔道化テラにこれを渡しておいてくれ。」

「え? 酔った? それにテラが何だって? 詫びって何かしたのか?」

「……今日はそれだけ。では。」

「では、じゃなくて。お前、テラと何かしたの? 酔ってって、酒でも呑んだのか?」

「……では。」

「ちょっと待っ……。」


 魔王の制止も聞き入れずに、珍しく気まずそうに顔を逸らしながらナツは一礼してそそくさと帰っていった。


「今の何!?」


 魔王はバレンタインデーとかより余程気になる事件に遭遇した。

 トーカの顔を見れば、トーカも困惑した顔をしている。


「な、何と言われましても……。」

「いや、心とか読めなかったのか!?」

「逆に聞きますけど、あの反応する人の心覗くの大分勇気いると思いませんか?」


 そう言われると反応できない魔王であった。

 ナツの意味深な言動は結局闇に包まれた。


 もやもやしながらも、二人のバレンタインデーは再開する。


「……お茶でも淹れますか?」

「……うん。」


 気まずくなってきたのでトーカがお茶を淹れる。

 お茶を啜りながら次の動きを待つ。


 こんこん、と魔王城のドアをノックする音が聞こえる。

 ナツの一件があったので、素直にウキウキで歓迎する空気感ではなくなってしまった。

 最初の一件があんな事になったので、二人は薄々勘付き始めている。


 今日は何かが起こる。そういう流れだと。


 魔王もトーカもごくりと息を呑み、来訪者に向かって声を掛けた。


「どうぞ……。」


 ガチャリとドアがゆっくりと開く。そこに居たのは……。







「お邪魔します。」


 勇者アキであった。

 トーカが惜しい、と少しがっかりして、魔王は「おっ。」と期待の目を向ける。


「ど、どうしたんだ?」


 ソワソワしながら魔王が聞けば、アキは手にぶら下げた包みを前に差し出した。


「差し入れです。この前美味しいと言っていたお酒の肴。」

「あ、ああ。ありがとう。」


 以前に魔王に持ってこられた一品、魔王も気に入ったと話していた酒の肴。

 確か、前に恩返しと称してやってきたときもまた持ってくるとアキは言っていた。

 これがバレンタインデーの贈り物という事なのだろうか? それにしては渋すぎる。

 魔王はコタツから出て差し出された品を受け取り、ソワソワしながら尋ねてみた。


「今日が何の日か知ってるか?」

「え? 何かあるんですか?」


 アキは寝耳に水といった顔である。どうやら何の日か知らないらしい。

 魔王がトーカの顔を見れば、トーカはテレパシーで(話した筈ですが。)とメッセージを送ってきた。

 アキがそのアイコンタクトを見て、トーカの顔を見てハッとする。


「あっ。」


 その一声を聞いた魔王は気付いた。


(あ、こいつ聞いた事忘れてたな。)


 アキはトーカから聞いたバレンタインデーなるものの話を忘れていたのである。

 今日はたまたま以前話していたお土産を持ってきただけなのだ。


 元々アキはこのバレンタインデーなるものに興味はなかったので、この日に何かを贈るつもりはなかった。

 しかし、こうして偶然にも同日に贈り物を持ってきてしまった。

 別に魔王に対して好意を抱いている訳ではない。そこのところを勘違いされては困る。

 かといって、バレンタインデーなるものでは日頃世話になってる人にも贈ったりするとも聞かされていた。

 ここでバレンタインデーの贈り物を否定する事は、結構お世話になっている魔王に失礼ではないか。

 そもそもすっかり忘れていたお馬鹿と思われるのも癪である。


 そんな考えに頭を巡らせて、アキは咄嗟に口を開いた。


「べ、別に恋慕の情からの贈り物じゃないですから! 義理です! 日頃のお礼ですから! 勘違いしないで下さいよね!」


 ツンデレみたいな台詞を言ってから、アキは自分から何言ってるんだと冷静になって顔を両手で覆った。


「屈辱です……! こんな辱めを受けるなんて……!」


 顔を隠す両手をどかし、アキは真っ赤な顔で魔王を指差し大声で叫ぶ。


「このお礼は必ずしますからね! お礼と言っても復讐の方です! 首を洗って待っていて下さい! 本日はこれにて!」


 そして、勢いよくバーン!とドアを閉めて帰っていった。




 大体、ここまでのアキの言動でその心中を窺い知れた魔王と、実際に心中を見ていたトーカは何とも居たたまれない気持ちになって、特に呼び止める事もなくアキを見送った。

 魔王は受け取った包みを持ってコタツに戻る。


「……これなかなかいけるんだよ。」

「お酒でも開けます? この前ナツ様から貰ったやつとか。」

「あー、いいかもな。」


 何事もなかったように、魔王とトーカは酒盛りの準備を始めるのであった。


 この辺りからトーカは自身の計画の大きな穴に気付く。


(そもそもハル様覚えているのか大分不安になってきた……。)


 アキですら忘れていたくらいである。馴染みのない文化の話など気にも留めていないかもしれない。

 魔王は魔王で、今日はまともにバレンタインデーの贈り物とか貰えない流れだろうと何となく察してどうでも良くなってきている。

 普段は健康上の理由からお酒を控えろと止められるものの、酒の肴を貰ったのを言い訳に酒が開けられそうなので、そっちの方が嬉しいくらいであった。


 以前に、アキ救出の協力のお礼としてナツが持ってきた酒(勝手に留守を預かっていたテラが受け取っていたもの)を取り出し、二人分のグラスを出して酒を注ぐ。


 そこで乾杯しようとしたその時であった。


 コンコン、と控えめなノックの音が聞こえる。

 あれ? と魔王は怪訝な顔をした。


「また誰か来たな。」


 自分の部下はトーカを除き、そういう気遣いをする訳がないとたかを括っていた魔王。

 残る勇者のハルも他人に何かを贈りに来るとかそういう殊勝なやつじゃないと魔王は思っている。

 割と律儀なナツとアキはともかくとして、魔王には他の心当たりがなかった。


 それであれば別の客人だろうか?

 魔王はコタツから出て、自分の手で魔王城のドアを開けた。




 そこには見たことのない女性が立っていた。


 扉が開いた瞬間に甘い香りが漂ってくる。

 ふわっとした美しい髪の毛に、この雪山には似合わないひらひらとしたワンピース、この世界にはない女性らしいお洒落な服である。

 ふわっとした服からでも分かる抜群のスタイル。そして、可愛さと美しさが共存する整った顔立ちの絶世の美女であった。


 魔王が思わずぎょっとする。


(誰!?)


 それを見たトーカもぎょっとする。


(誰!?)


 両手に小さな箱を持った謎の美女。

 互いに驚いた事から、どちらかの知り合いではない事を察したトーカがすぐさま美女の心の声を読む。


(恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。)


 心が恥ずかしい一色で何を考えているのかまるで分からない。

 

 魔王もトーカも戸惑っていると、頬を赤らめ顔を伏せた美女は、ぎゅっと唇を結んで手にした小箱を魔王に差し出した。


「これ……。」

「あっ……えっ?」


 魔王が戸惑う。小箱を受け取れという事なのだろうか。

 しかし、知らない人だし、あまりの美人に言葉を失ってしまい、魔王が受け取れずに困惑していると、女性は赤い顔をばっと上げて魔王を見上げた。


「これ……お礼……。」


 か細く上擦りながらも透き通った綺麗な声。

 その顔を見た瞬間に魔王は気付いた。


(彼女はあの時の……!)


 かつてカムイ山の近くで見掛けた、世にも美しき春風の女神。

 魔王が一目惚れし、恋を意識した女性である。


 それに気付いた瞬間に、魔王の心臓は更にバクバクと強く波打つ。

 そもそも「お礼」ってなんだとか、何故魔王が一方的に見ただけの女性が魔王の事を知っているのかとか、そういった疑問が全て通り過ぎていく。

 一目惚れした女性から差し出された贈り物、それを反射的に魔王は受け取っていた。


「あ、貴女は一体……?」

「…………じゃあ……これで……。」


 ドヒュウ!と風を切るような音が聞こえる。

 その瞬間に魔王と、魔王城の中にいるトーカの横を、暖かい風が吹き抜けた。

 突然の事にぎょっとする魔王とトーカ。

 そして、魔王城の前にいた筈の女性の姿がいつの間にか消えていた。


「え? え? な、なに? 今の何ですか!?」


 トーカは困惑している。


「…………本当に、女神か何かなのか?」


 突如として消えてしまった謎の美女。

 彼女を見て、以前魔王は女神か何かかと思った。

 人間とは思えない突然の消失が、魔王に更にそれを確信へと至らせた。


 手にする綺麗にラッピングされた小箱にはまだ温もりが残っている。


 魔王はドキドキしながらコタツに戻り、その箱の封を解く。


「これは……。」


 そこには、四つほどのチョコレートが詰まっていた。

 これはつまり……。


「バレンタインデーの贈り物ですか……?」


 箱を一緒に覗き込んでいたトーカが呟く。

 それを聞いた魔王の胸が高鳴る。


(あの春風の女神が……俺に……バレンタインデーのチョコレートを……!?)


 冷静に考えれば先程「お礼」と言っていたのに気付くのだが、魔王は舞い上がっていて完全に失念しているのである。


「ちょっと、魔王様! さっきの美人誰ですか! 私の知らないところで何があったんですか!」

「…………あれは春風の女神。」

「はあ?」


 チョコレート。デッカイドーには知られていない外の世界のお菓子。

 それを用意できたということは、デッカイドーに住まうものとは次元の違う存在だということだ。

 そして、人間とは思えない美しさ、この世のものとは思えない美しい歌声。

 更に突如として消えてしまう不思議さ。

 魔王はあれは女神だと確信した。


 魔王はチョコレートに蓋をして、傍らに開いたゲートにしまう。


「あれ? 食べないんですか?」

「大事に頂く。」


 美しき春風の女神の姿に思いを馳せて、魔王は今まで味わった事のない気持ちを胸に抱える。


(また……会えるのだろうか……。)


 今日はどうせ何も貰えないとたかを括っていた魔王に待っていたのは、思いも寄らぬ贈り物であった。 


 魔王は知らない。

 彼が思いを寄せる春風の女神は思ったより身近にいることを。



 ちなみに、魔王の部下はトーカ以外誰も来なかった。




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