第37話 ナツの恩返し




 魔王城を訪れたナツは、ドアをノックする。

 少しドタバタと慌ただしい音がして、遅れてガチャリと扉を開いて現れたのは謎の仮面の男であった。


 スーツ姿に奇妙な仮面。その姿を見た瞬間に、ナツは飛び退く。


「お前は……"魔道化"テラ!」

「あっ……ああっ!?」


 王国で指名手配されている魔王軍幹部"魔道化テラ"。

 その特徴的な仮面の男が、魔王城から姿を現す。

 すぐに相手が危険な男だと気付いたナツは、咄嗟に戦闘態勢を取る。

 対するテラは現れた男を見て、素っ頓狂な声を上げた。


「……何故お前が此処に居る?」

「な、何故って……そりゃ魔王城なんだから私が居ても良いでしょう。」

「……? ……ここの家主をどうした?」

「ま、魔王様なら留守にしてますけど……。」

「…………?」


 テラの言葉を聞いたナツ考える。


(魔王城……? ……いや、ここが魔王城か。いや、魔王城って書いてるけど普通の小屋だし……でも、魔王軍幹部の"魔道化"テラがいて、魔王城なんだから居ても良いと言っている……魔王城って、もしかして、魔王城なのか? ん? 魔王城はそりゃ魔王城で……いや、そうじゃなくて魔王城は魔王の城の魔王城なのか?)


 ナツはカッと目を見開いた。


(魔王城ってなんだ?)


 ナツは混乱していた。

 ナツは初めて魔王城を訪れた時から、此処が『魔王の居城』の魔王城とは思っていない。魔王城と書いている普通の小屋だと思っている。

 というのも、ハルが普通に鍋パに連れてきたので、まさか勇者が魔王の元に鍋パに行くとは思えなかった為である。


 しかし今日、魔王軍幹部として指名手配されている男、テラが潜んでいるのを見てしまった。

 つまり、魔王城は本当に魔王城なのだという可能性にナツは行き着いたのだ。


「…………魔王城って何だ?」

「魔王城は……魔王の城ですけど……?」

「…………城?」


 どう見ても小屋である。

 ナツは混乱している。


 対するテラも混乱していた。

 テラの中ではナツは以前、突然魔王城に侵入してきた謎の全裸の男である。(誤解)

 その男が今日は服を着て訪れて、魔王城に疑問を抱いている。


(この人、誰の家だか知らずに侵入して全裸でコタツに入っていたんですか……?)


 テラは戦慄していた。

 魔王の拠点だと知りながら不法侵入して変態行為に及ぶだけでもヤバイ奴なのだが、見ず知らずの人の家に侵入して変態行為に及ぶのは最早危険人物である。


 ナツは必死に考えている。


(『家主はどうした?』と聞いたら、テラは『魔王様は留守にしている』と答えた。家主は魔王? ……いや、確かにハルには魔王と呼ばれていたけど。……魔王は魔王だった? ……いや、魔王は魔王だろうけど。魔王……魔王ってなんだ? 勇者が倒すべき相手の魔王であってるのか?)


 ナツは魔王をただの気の良いオッサンだと勘違いしていた。

 というのも、ハルが普通に鍋パに(以下略)

 その後も、基本的に気の良いオッサンにしか見えなかったので、未だにナツは勘違いしているのである。


(でも、この間はアキの救助に力を貸して貰ったし……今日はそもそもそのお礼に来たんだが……そうだ、魔王が勇者を助けるか? そもそも魔王……じゃなくて、彼は確か"転生者"ではないのか?)


 ナツは前世の記憶を引き継いだ"転生者"である。

 そして、前世の世界にあったコタツ等々を所持している魔王が、同じく前世の世界を知る"転生者"であると誤解している。

 ナツは更に混乱していた。


 目の前にいるのは人類の敵、魔王軍幹部"魔道化"テラ。


 とりあえずこいつを倒さなければいけない……と、普段のナツなら判断できていたのだろうが、混乱してたナツは何故か敵だと思っているテラに用件を伝えた。


「…………今日は先日のお礼に来た。」

「せ、先日のお礼……?」


 テラは先日、魔王が勇者を手助けした一件を知らない。

 今日もまた魔王の留守を狙って魔王城で寛いでいただけなのである。

 別に留守を預かっている訳でもないのでまるで事情が飲み込めていないのだ。


 テラの中にある「先日」というのは二人の変態が遭遇した日に他ならないのである。


(コタツの中に隠れていた事がやはりバレていた……!? お礼って一体……!?)


 テラの中に生まれてこの方味わった事のない恐怖が芽生える。

 自身の能力を使ってあれをなかった事にしたいくらいの気持ちであった。

 しかし、下手な事をすると魔王のプランそのものが揺らぎかねない。特には固く禁じられている。


 テラはごくりと息を呑む。


「お礼とは具体的に何をするつもりなのですか……?」


 腹を探るように問い掛ければ、ナツは手に持った紙袋に視線を落とす。


(……今日は以前以上に奮発して良い酒を持ってきたんだが……これを渡せばいいのか? いや、相手は魔王軍幹部の指名手配犯だぞ? 待て、そもそも何で指名手配犯がここに? 空き巣か? いや、でも魔王城なんだから居て当然と……魔王城ってやっぱり魔王城で、つまりここは魔王の居城で、という事はあの男はやっぱり魔王で……。)


 また訳が分からない思考の堂々巡りにナツが陥りかけたその時、過去に聞いた一つの言葉が彼の脳裏を過ぎった。


 ―――たまには戦わないと、欲しいものは逃げていきますよ?


 この魔王城で、猫耳メイドから言われた言葉。

 誤解を受ける事を恐れて口数を減らしてきた。

 誰かと本音でぶつかる事を避けてきた。

 前世の反省から今生はそう生きてきたが、果たして自分はそれで満足しているのか?

 彼女が押したのは、そこで迷っていた自分の背中だ。


 言葉にしなければ伝わらない。

 ごくごく当たり前の結論に行き着き、ナツは自身だけの思考に頼らずテラに尋ねてみることにした。


「……いくつか質問をさせて欲しい。」

「え? 質問したのは私なんですが……ま、まぁ、いいですけど。なんです?」

「……此処は魔王城だ。合っているか?」

「合ってますよ。」

「……魔王城というのは魔王の居城の事だ。合っているか?」

「ええ。合っています。」

「……どう見ても小屋にしか見えないが。」

「……ああ! そこで引っ掛かってたんですか! 見た目はこうですが魔王の居城で合ってますよ。」


 テラはナツが怪訝な顔をしている理由に気付いたようでハッとした。


「……魔王というのは、あの魔王か?」

「あの、と言いますと?」

「……魔物の王様、人類の敵対者、勇者が倒すべき相手、お前の上司のことだ。」

「ええ。それ以外にどんな魔王がいるのです?」

「……あの色白のおっさんが魔王なのか?」

「ぶふっ!」


 仮面の上に手を当てて、テラが噴き出した。


「色白のおっさんて……! 実際そうだけど……!」

「……何がおかしい?」

「いや、失礼。ええ、あの色白の……おっさんが……ククッ……魔王です……!」

「……お前の上司の?」


 テラは顔を押さえながらこくりと頷いた。

 

 ナツはようやく理解した。

 ここは魔王城であること。あの色白のおっさんは魔王であること。

 つまりここは敵の拠点であり、あのおっさんは敵であるということ。


「……何故、ハルは敵地に食事しにきてるんだ?」

「そんなん私が知りませんよ。本人に聞いてみたらどうです?」

「……確かに。」


 敵である筈の指名手配犯に正論を言われて納得するナツ。 

 次第に話が通じるようになってきて、テラの方からも警戒心が僅かに薄れていく。

 口調は軽くなり、テラはナツに問い掛ける。


「で、何の御用です? お礼ってなんですか?」


 今度はナツは聞かれた事を答える。


「……先日、魔王より仲間を救う助力を頂いた。その礼にこれを。」


 そして袋を差し出せば、テラはようやく理解ができたようで「あぁ。」と頷いた。


「魔王様へのお礼の品を持ってきたという訳ですか。それならそうと早く言って下さいよ。」

「……言ってたんだが。」

「言葉が足りなさすぎますよ。たとえば、私は貴方のご存知の通り魔王軍幹部"魔道化"テラ。貴方は?」

「……勇者"拳王"ナツ。」

「え。貴方も勇者……?」


 テラは困惑した。

 前から魔王城にタダ飯くらいに来ている勇者に疑問は感じていた。

 新たな勇者は魔王城に不法侵入して変態行為(誤解)をしている上に、何故か魔王に助けられて恩返しに来る人間だという。


(勇者って何だ……?)


 今度はテラが混乱しはじめる。

 

「……一旦整理させて下さい。何故、勇者が魔王に手土産を?」

「……この前世話になったからだ。」

「貴方と魔王は敵対者の筈では? 何故魔王が貴方を助けるのです? そしてどうして律儀に貴方はお返しをするのです?」

「……頼んだら手を貸してくれた。助けられたのなら礼はするのが当然だ。」


 テラは考える。

 勇者よりは魔王をよく知るテラが断言する。

 あの人はそういう事をする。敵であろうと勇者に余計なお節介を焼くタイプである。

 それに対して、律儀に勇者はお礼に来た。ようやくテラの中で合点がいった。


「理解しました。今回の貴方の用件は。今日魔王は留守にしています。」

「……そうか。」

「ところで、この前勝手に魔王城に入ってきたのは何でです?」


 テラとしては全裸(誤解。正確には半裸)で魔王城に不法侵入してきてコタツに潜り込んだ事を指して言っているのだが、敢えて変態行為についてはあえて触れずに伏せて尋ねる。

 魔王が勇者に世話を焼いて、そのお返しを勇者がする。これは納得がいったが、このナツの謎の行動についてだけはテラは合点がいかなかった。


「……何の話だ?」

「とぼけなくていいんですよ。貴方の行動は確認済みです。」


 ナツは首を傾げた。

 テラが誤解しているナツの行動は、単純に魔王城を尋ねてきたら鍵を開けっ放しだったので心配して一時的に留守番をしようと思って入っただけなのである。

 その後魔王にはハルを通して通話で事情を説明して、戸締まり不要という事だったので撤退し、何事もなく話が終わったつもりでいる。

 そんなあっさり解決した件の事など、ナツは意識して覚えていないのである。


「…………すまん。本当に何の事だ?」


 ナツは真剣に尋ねる。

 その目の色が本気である事はテラにも分かった。


(えっ。本気で言ってる? 覚えてないくらいに日常的にやってるのか? それとも、二重人格か何か? そういえば……あの時も意味不明な事口走ってたし……。これもしかしたら触れない方がいいやつ?)


 テラは怖くなってきたので深く考える事をやめた。

 

「今のは忘れて下さい。私の思い違いです。」

「……そうか。」


 話を切り替えていく。


「ところで先程わざわざ魔王について確認を取ったのは、もしかして貴方、此処が魔王城だと、あの色白のおっさんが魔王だと気付いていなかったのですか?」

「……恥ずかしながらその通りだ。」

「それで、知らず知らずの内に交流してしまっていたと。何でそんな勘違いを……って、まぁあのおっさん見たら分からなくもないですけど。」


 ようやく双方の意思疎通が取れて誤解に気付く。

 その上で、ナツは冷静に自身の置かれた立場について考えた。


(あのおっさんが魔王だという事は理解できた。しかし、どうして魔王が勇者に御馳走したり、ピンチを助けてくれたりするんだ? ヒトトセ様からも英雄王からも、魔王は倒すべき敵だと聞かされていた。敵にしてはいやに親切すぎないか?) 


 盲目的に言われた事を信じる事は足元を掬われる結果に繋がる。

 前世からナツはそれを学んでいる。


(本当に魔王は悪なのか?)


 抱く疑問。その答えを確かめるのなら、目の前の男に聞けばいい。


「……魔王は本当に悪なのか?」


 仮面の男、テラはその問いに反応しない。正確には仮面に隠れた表情からは窺い知れないと言うべきか。

 その反応から答えを窺い知る事はできない。


「悪とか正義とか何を定義として言っているのか分からないので何とも。」


 テラは煙に巻いたような言い回しをする。

 しかし、ナツが真剣に答えを待っている様子を見て、やれやれと首を振る。


「……とまぁ、そういう二元論の話がしたい訳ではないという事は分かってますよ。ただ、私の答えた内容に貴方は納得できるのですか?」

「納得、とは?」

「大体貴方の考えは分かりますとも。貴方に取って聞き心地の良い言葉を返すことはできますよ。ただ、それを貴方は素直に信じるのですか? 逆に、貴方に取っては望まない答えを返すこともできますが、貴方はそれを聞き入れられるのですか?」


 テラはナツを指差す。


「結局の所、私の回答よりも重要なのは、貴方の思うところなのでは?」


 テラの指摘には一理あるとナツは思った。

 魔王が良い人である、と聞かされたところで、所詮は魔王の部下の話。都合良く敵意を削ぐ作戦とも取れる。

 逆に魔王が悪い人と言われたところで、仲間の命を救ってくれた人間を悪として容赦無く倒せるのかというと、ナツはそこまで割り切れない。

 それを理解した上で、ナツはテラに問う。


「それを踏まえた上で聞かせてくれ。お前はどう思うのか。」


 ナツの問いに、テラは「くくっ。」と仮面から笑い声を漏らした。


「アレは悪人ですよ。それも超がつくほどの極悪人です。それと同時に、アレは欠伸が出るほどにふぬけた善人でお人好しです。」

「謎掛けか?」

「いえいえ。捻りも何もない、実に率直な、私の彼に対する正直な人物評です。」


 その煙に巻くような、人をからかうような言い回しは"魔道化"故なのか。

 それ以上深掘りしても誤魔化されるだけだろう。ナツは違う言葉を選ぶ。


「俺達は戦わなければならないのか?」

「必要とあらばそうなるでしょう。必要なければ今のようにコタツを挟んで話もできるんじゃないですか?」


 やはり、ハッキリとしない言い回し。

 恐らくこれ以上は暖簾に腕押し、何を聞いても無意味だろう。

 そう思って話を切り上げようとしたナツに、テラはスイッとコタツに何かを滑らせて渡す。


「本音を聞きたいのなら、相手の本音を引き出す駆け引きが必要ですよ。」

「……グラス?」

「丁度退屈していたんですよ。これ、いけます?」


 テラはくいっとグラスを煽る様な手を作る。


「せっかく、お酒を持ってきてくれた訳ですし、一杯……。」

「それは魔王への贈り物だから開けるな。」

「あれま、残念。お堅いですね、勇者様は。じゃあ、私の所蔵するものでも開けますか。」

「……酒は苦手なんだが。」

「私の本音が聞きたいのでしょう?」


 ナツは深く溜め息をついてグラスを取る。

 

「……腹を割って話して貰うぞ?」

「私より先に潰れなければね?」


 そんなこんなでナツの魔王への恩返しの筈が、魔王の配下との飲み比べが始まるのであった。


 この後、テラが色々と大変な目を見ることになるのだがそれはまた別のお話。



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