第33話 ハルの恩返し




 ハルはカムイ山のきこりの泉を訪れていた。

 

「女神様~!」


 泉に呼びかければ、ザブンと泉から飛び出すのは美しき女神。

 女神は嬉しそうに笑って手を合わせた。


「まぁ、ハルちゃん! いらっしゃい! 今日は何の御用?」

「実は相談があって……。」

「そうなの! じゃあ、中で話を聞きましょう!」


 泉の女神オリフシは、勇者ハルがお気に入りなのである。


 パンと手を打つと泉が割れて、女神の家へと繋がる階段が現れる。

 慣れた様子でハルを案内して、女神は自身の家へとハルを案内した。

 女神の家……というには手狭だが、清潔感があり十分過ぎる広さの生活スペース。キッチンやら何やらがあり若干生活感がありすぎて女神の家っぽさはない。

 更に女神の家感を損なわせているのは、リビングにあたるスペースにでんと構えたコタツである。


 ハルとなんやかんやあって、女神の先輩に相談して導入した別世界の暖房器具、コタツ。なんやかんや女神もこの寒い世界には有り難いコタツを気に入っていたりする。


 早速二人でコタツに入り、話を始める。


「一般家庭向けのコタツ導入についてはまだ研究中なのよ、ごめんなさいね?」

「はい……それはいいです。」

「あれ? いいの?」


 このコタツ、この世界で導入するには設備やら費用やら莫大なコストが掛かる。

 それを何とか一般家庭用に導入できないか、とハルの希望を聞いてオリフシはあれこれ研究している。前はあれ程家に持ち帰れない事にショックを受けていたハルが妙に消極的なのでオリフシは若干気になった。

 オリフシは知らないのだが、魔法でコタツを再現するという同じ勇者アキの試みを目の当たりにしたハルは、拷問とした思えない魔法にドン引きしたので魔法コタツに対して熱が引いているのである。


「今日はそれとは別の相談があって……。」

「うんうん。言ってごらんなさい?」


 ハルは何処か恥ずかしげに言った。


「実は魔王に恩返しをしたいんです。」

「……うん?」


 オリフシは困惑した。

 ハルが何を言っているのか理解するのに数十秒掛かった。

 ハルは勇者である。勇者が魔王に恩返しをしたいと言っている。

 ハルが前から魔王に色々御馳走になっている事は聞いている。その時点でオリフシからしたら「なんで?」という感じだったのだが、「敵だから遠慮なくタダ飯かっ食らってる」という理解できるようなできないような理由を聞いて無理矢理納得していた。

 魔王に恩返ししたいという言葉を理解する。

 理解したところで訳が分からないので、オリフシは尋ねた。


「ど、どういうこと?」

「実は……この前アキが……えっと、勇者の仲間がピンチになって。その時に魔王が助けてくれたんです。」

「成る程……成る程?」


 魔王が勇者の仲間のピンチを助けてくれた、というところでオリフシがやっぱり「ん?」となる。

 

「な、何で敵の魔王が勇者を助けてくれたの?」

「頼んだら助けてくれました。」

「一応聞くけど、魔王ってあれよね? 魔物の王様の魔王よね? 私の知ってる魔王と、ハルちゃんが言ってる魔王って違う人だったりしない?」

「…………?」

「な、なんで自信なさげなの……?」


 ハルはオリフシに問われて思った。

 一応、あれが魔王だと思っていたし、魔王だと名乗っているから魔王なのだと思っていたが、話に聞く「魔物の王様」かと言われるとハルも疑問に思った。

 色々な事に詳しくて美味しいものをたくさん知っているが、見た目は角生やしたおっさんである。ハルを勇者に任命した英雄王のような王様的な貫禄もない。


「た、多分……。」

「多分……?」

「と、とりあえず魔王ではあるんです……!」

「そ、そうなの……!」


 ハルが非常に苦しそうな顔をしているので、オリフシは無理矢理納得して話を進める事にした。

 ハルは仕切り直す。


「流石にアキを助けるのに協力して貰ったから、何かそのお返しをしないとダメかなと思って……。ナツとアキにも相談したけど、アキがお礼は自分で用意するからと言って聞かなくて……。」

「成る程……ハルちゃんもお礼をしたいけど、相談相手はしなくていいと言う。それでもハルちゃん自身がお礼をしたいという気持ちがあって、私に相談しに来たのね?」

「そうです!」


 ハルはにっこり笑って力強く頷いた。


「私は貧乏だから大したものは用意できないけど、私のできる範囲で何かお礼はしたいなって思って……。」

「うんうん。成る程ね。そういう事なら、この女神にドンと任せておきなさい!」


 色々と気になるところがあるが、大体ハルの言いたい事を噛み砕いて理解したオリフシは願いを聞き入れ協力する事にした。


(まぁ、恩返しという事は良い事だものね。協力したってバチは当たらないわよね。あ、私女神だからバチなんて当たらないし当てるほうなのだけれど。)


 若干自分の中でも疑問はあるが無理矢理納得しつつ、オリフシは話し始める。


「まず、他人に対する感謝を伝える行為というのに価値の貴賤なんてないのよ。ハルちゃんは自分が貧乏だからと言ったけれど、大事なのは『どれだけの事ができるか』じゃなくて『どれだけ気持ちを込められるか』なのよ。」

「はい!」

「そこで、ハルちゃん自身は何をしてあげたいと思うの?」


 オリフシが尋ねれば、ハルは困った様に俯いた。


「私は不器用だから、何ができるのか分からないんです。」

「うーん、そうよね。それが分かってるのなら女神に相談になんて来ないわよね。」


 オリフシもうーんと考える。

 オリフシも知っている。ハルは色々と不器用である事、常識に欠ける部分がある事を。


「とりあえず定番は手作りとかかしらね。」

「手作り?」

「たとえばお菓子だとか……。ハルちゃん料理はできる?」

「家ではしてますけど……とても誰かに出せるようなものじゃ……。」


 自信なさげに呟くハルに、オリフシはチッチと指を振って言う。


「ダメよハルちゃん。女神の言った事もう忘れたの? 『どれだけの事ができるか』じゃなくて『どれだけ気持ちを込めるか』よ。」


 ハルが不器用な事はオリフシも分かっている。何も上手にやれとは言っていない。

 ハルが精一杯努力する事が大事なのだ。

 それを伝えると、しかしそれでもハルは難色を示した。


「でも……自信が……。」

「ハルちゃん……。」


 ハルはどうやら余程自信がないらしい。

 それも仕方がないのかもしれないとオリフシは思う。

 どうやら村でもおめかしして帰れば、お前は誰だと言われて理解して貰えなかったとも聞き、なかなかに自己肯定感が育ちづらい環境で育ったのかも知れない。

 まずはハルに自信を付ける事が一番だろうとオリフシは考えた。


「じゃあ、まずは私に何か料理を振る舞ってくれないかしら?」

「え?」

「ハルちゃんのお料理の腕を女神が審査します。それでハルちゃんでも作れるお菓子のレシピを考えてあげます。」


 とりあえず、ハルに料理をさせてみる。

 その上で、余程酷くはない限りは褒めて自信を付けさせる。

 家では父親と暮らしているらしいし、家族に振る舞う程度の腕なら酷い出来にはならないだろうとオリフシは踏んでの提案だった。


「で、でも、女神様のお口に合うものなんて……。」

「大丈夫よ。女神、割となんでもいけます。女神の食生活なんて人間とそう変わりませんもの。」

「でも……。」

「もう『でも』っていうの禁止! 女神命令です! お料理しなさい! 冷蔵庫の食材は好きに使ってくれて構わないから! 失敗しても怒りません!」


 オリフシに強く言われて、ハルは自信なさげな表情から、キッと決意を固めた表情に変わる。


「自信はないけど……全力で頑張ります!」


 ハルは女神から借りたエプロンと三角巾を身につけ、料理の準備に取りかかる。

 コタツからキッチンの様子を見ながら、オリフシはにっこりと笑った。


(エプロン姿も可愛いわねぇ。)


 ハルは冷蔵庫の中身を確認する。

 しばらく物色をした後に、いくつかの素材を取り出し、それを掲げて女神に声を掛けてきた。


「コレ使ってもいいですか?」

「いいわよぉ。気にせず何でも使って頂戴。」


 ハルは早速まな板を洗ってから、包丁を握り料理に取りかかる。

 リビングからハルの料理する姿は少しだけ見える。

 オリフシが見ていると、ハルは手を動かし始めた。


 タタタタタン!と小刻みにリズミカルな音が響く。


 ん?とオリフシはその音に疑問を感じた。


(包丁動かすのちょっと速すぎない?)


 何かしらをみじん切りにしているのだろうか?

 それにしても素人料理にしては速すぎる音が響く。

 オリフシが少し身を乗り出して覗いてみる。

 右手を凄まじいスピードでシュバババと動かしているハル。尋常じゃないスピードで振り回す腕。


(えっ、怖い怖い。何やってるのあの子。)


 ある程度包丁を走らせ終えると、ハルは包丁を手放す。

 そしてゴリゴリと何かをすり潰すような音が聞こえたり、ガタガタと何か動かすような音が聞こえたり、見えない手元で何かを行っている。

 何をしているのかは分からないが、各々の動作に迷いがなく、淀みなく行われている事ははっきりと分かる。


(手際がいいのかしら? それとも無茶苦茶やってるのかしら?)


 段々オリフシは怖くなってきた。


 ジュウ、と何かが焼ける音がする。フライパンに何か乗せて焼いているのだろうか。

 そうかと思えばしばらくするとボウ!と炎が立ち上がる音が聞こえ、キッチンに強烈な火柱が立ち上がった。


「何事!?」


 思わずオリフシは声をあげた。

 

「ハルちゃん大丈夫!?」

「大丈夫です。もう少しだけお待ち下さい。」

「今、すごい火柱が立ってなかった!?」

「フランベしました。」

「フランベ!?」


 何かオリフシが聞いた事のない単語が出てきた。

 訳が分からないといった様子のオリフシの前に、ハルが皿を片手にやってくる。 


「『ディアンシュ風白身魚のソテー エメラルドソース 野菜のムースを添えて』です。」

「今なんて?」

「『ディアンシュ風白身魚のソテー エメラルドソース 野菜のムースを添えて』です。」


 こんがりと焼き色の付いた白身魚のソテーに、緑色のソースが掛かった料理が出てきた。傍らにあるムースは料理名から聞くに野菜のムースなのであろう。

 お洒落に盛りつけられた料理を見て、オリフシは困惑した。


(何このオシャレなレストランに出てきそうなやつ……!?)


 料理は苦手と言っていた人間がこれを出してきたのである。

 想像の斜め上とはまさにこの事。

 てっきり家庭料理か何かが出てくるのかと思ったらすごいのが出てきた。

 ハルはフォークとナイフを差し出してくる。


「ディアンシュ地方では魚の生臭さを取る為に香辛料を程よく使った料理が親しまれています。その香辛料の風味と調和が取れるように複数のハーブを合わせて調味したエメラルドソースをかけました。」

「えっ、えっ……?」

「添えているのは野菜のムース。冷蔵庫からお借りしたいくつかの野菜を合わせました。まずはソテーを、その後にソースと合わせて、お好みで野菜のムースと合わせてお楽しみ下さい。」

「え、ええ……。」


 ハルはそれだけ告げるとそそくさとキッチンに戻って後片付けを始めた。 


(今のハルちゃんよね? 誰かと入れ替わってないわよね?)


 オリフシは若干怖くなってきている。

 どこぞのシェフのような料理の説明をしてくるハルが今まで見てきたポンコツ娘とは同じに思えないのである。

 とりあえず、オリフシは恐る恐る提供された料理に口をつけてみることにした。


「い、いただきます……。」


 まずは言われた通りに白身魚単体で。


「…………!」


 かりっとした表面とふわっとした中身、口に含んだ瞬間にふわっと広がる香辛料の辛みと旨み、そして遅れてやってくる魚の甘み。

 そして香ばしさと共に不思議といい香りがする。

 何も言わずに、オリフシは続けて緑色のソースにつけて白身魚を食べてみる。

 ハーブの香りと爽やかな塩気が、決して白身魚のソテーの味を損なう事なく調和して、また一段階味を上のステージへと引き上げている。

 ほんのりと甘い野菜のムースはそのままでも美味しいが、ソテーと共に口に含めばまた新しい味の広がりを見せていく。


 オリフシは無言で食べ進める。

 あっという間に皿から料理は綺麗に消えてなくなった。


「…………ハルちゃん、ちょっとこっちに来なさい。」

「え? 何ですか?」


 呼ばれて洗い物をしていたハルがやってくる。

 オリフシは険しい表情で皿を眺めている。


「も、もしかしてお口に合いませんでしたか?」


 ハルが不安げに聞く。

 オリフシは目を閉じ、しばらく黙りこくったあと、カッと目を見開いてハルを見上げた。


「ハルちゃん料理超得意でしょ!?」

「え?」


 ハルがきょとんとした。


「めちゃくちゃ美味しかったんですけど!!! これで料理得意じゃないは嘘でしょ!!! プロかと思ったわよ!!! 私嘘つきは許さないって言ったわよね!!!」

「お、怒ってるんですか……?」

「怒ってないけど!!!」


 感情のやり場を見失ってオリフシはとりあえず叫んでいる。


(美味しすぎる……! なんなら一人だったら皿を舐めてるくらいだわ……! まぁ、流石にハルちゃんの前でやったら女神の威厳が台無しだからやらないけども……!)


 料理の出来映えも味もオリフシの想像の数百段階くらい上だった。

 何ならオリフシが今まで食べた食べ物の中でも最上位に位置するくらいの出来だった。


「ハルちゃん、あなたが料理苦手とか嘘よ。めちゃくちゃ上手よ。とても美味しかったわ。」


 オリフシは一旦落ち着いてハルを褒める。

 しかし、ハルは首を横に振った。


「いいえ。私なんてまだまだです。まだ思い描いた料理に辿り着けていません。」


 これは謙遜でも何でもなく言っている。

 それがはっきりと分かる強い視線であった。

 オリフシは自身の誤解に気付く。


(この子、自己肯定が足りてないんじゃない……! 理想が高すぎるんだわ……!)


 思えば「勇者は無償で人助け」する等、勇者に対しても高い理想を持っている事が窺えた。

 料理も、恐らくハルの中ではもっと上手く作る余地が本当にあるのだろう。

 ハルは何においても自分に課す理想が果てしなく高すぎるのである。


「私の納得していないものをお出しするのは、女神様に対して失礼だとは思っていました。申し訳ありません。」

「そ、そんな謝らないで! 本当に美味しかったんだから!」

「女神様はお優しいんですね。」

「お情けで言ってる訳じゃないわよ!?」


 オリフシは慌ててフォローする。

 しかし、ハルはぐっと拳を握って悔し涙を目に浮かべた。


「女神様が言った通りです……! 『どれだけ気持ちを込められるのか』……納得したものをお出しできない私には、誰かに料理をする資格なんてないんです……!」

「私はそういう意味で言ったんじゃ……!」


 料理が苦手だと言うから、「気持ちさえこもっていればいいんだよ!」というつもりで言っていたオリフシからしたら、まさかその発言をそう取られるとは完全に予想外だった。

 悔し涙まで流されると、自分が苛めている気分になってくる。


「泣かないでハルちゃん? 一旦落ち着こ? 分かった! お菓子を作って贈るのは一旦なしで! もうちょっと色々考えましょう! あっ、美味しいお菓子があるの! それでも食べながら考えましょう!」

「はい……。」


 ハルはこくりと頷く。

 オリフシは思った。


(この子、面倒臭いわ……! でも、この理想の高さとか世間知らずを矯正しないと心配すぎるわ……! 多分、誰もこんなの直してくれないだろうし……! 私がなんとかしないと……!)


 世話の焼ける勇者を結局放って置けない女神であった。




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