第28話 魔王とは何か
魔王城のドアがノックされる。
(最近あいつら事前連絡なしで来るよな……。)
ついこの間、ハルには事前に連絡を寄越せと言ったばかりである。
またハルだったら今度は強めに叱ってやるか、他の勇者だったらもう一度注意するか、そんな事を考えながら魔王は入ってくるのを待つ。
しかし、一向にノックした誰かは入ってこない。
勇者ならこの後入ってくる筈である。
流石に不審に思った魔王は、自らドアを開きに行った。
魔王城のドアを開いた先にいたのは……。
「……誰?」
見たことのない少女であった。
勇者アキも大分幼く見えるが、それよりも更に幼い少女。
桃色のボサボサの髪を垂らした、見窄らしいボロ布を纏った少女はガタガタと震えながら立っていた。
首には何故か縄が繋がれており、何やら色々と怪しい少女である。
「……どうしたんだこんなところで。」
「……あの……真っ白な女の人に……閉じ込められてて……怖くて……寒くて……。」
震える口から紡がれる言葉が聞き取りづらい。かなり顔色も悪く、凍えてしまっているのだろう。
「分かった。事情は後で聞くからとりあえず入れ。」
「……ありがとう……ございます……。」
魔王は仕方なく魔王城に少女を招き入れた。
「あったかい……。」
「ほら、コタツにも入れ。温かいお茶でも出すから。落ち着いたら話を聞かせろ。」
「ありがとう、ございます……。」
少女はコタツに入り込む。その瞬間に強ばった顔はたちまち緩く蕩けてしまう。
「ふわぁ……。」
丁度魔王も飲んでいたので、そのままお茶を淹れてやる。
「熱いからゆっくり飲め。」
「はい……。」
少女はぐいっと湯飲みのお茶を一気飲みした。
「あっつ!!!」
「いや、熱いって言っただろ!」
「……あっ、大丈夫です。」
少女はげほげほと咳き込みながら言う。とても大丈夫には見えない。アツアツのお茶を一気に流し込むなど正気ではない。
「また淹れるから、ゆっくり、身体を温めるように飲め。いいか? 一気飲みするなよ?」
「はい……。」
「ほら。」
少女はぐいっと湯飲みのお茶を一気飲みした。
「あっつ!!!」
「だから!!!」
「あっ、お構いなく……。」
この少女はコメディアンか何かなのだろうか。とりあえず魔王はもうお茶は出さない事に決めた。
というかこの少女、凍えて弱ってるかと思いきや割と元気である。
ちょいちょい弱ってる風に弱々しい声を出すが、「あっつ!!!」というリアクションは相当声を張っている。元気が割と有り余ってるのが分かるリアクションである。
「お前一体何なんだ……。」
魔王は若干面倒臭そうに聞いてみる。
少女はふるふると震えながら
「そういうのいいから。」
「……そういうのって……なんですか……。」
「お前元気だろ。」
「……私は……麓の村で暮らしてたんです……。」
意地でも弱っている弱々しい少女で通すつもりらしい。
「……お父さんに言われて……山で薪を拾ってこいって……そしたら……真っ白な女の人が……。」
「もうちょっとテンポ良く頼む。」
「真っ白な女の人が出てきて、その人に捕まってしまったんです。」
少女はスンッと真顔になって話し始めた。
「そして、洞窟に閉じ込められてしまい、女の人に甲斐甲斐しく世話をされていたのですが、それはもう寒くて寒くて。」
「雪女に遭ったのか。」
雪女というのは、魔王城付近で夜に出没する魔物である。
美しい女の姿をしており、出会った人を凍えさせてしまう凶悪な魔物である。
基本的に出会えば凍えさせてくるのだが、稀に子供を見掛けると、自身の住処に連れて帰ってしまうという。
連れ去られた子供は結局凍えてしまうのだが、何やら子供を連れ去り育てたがる習性があるらしい。
この少女はその雪女の被害にあったのだろう。
しかし、他にも気になる点はある。
「その首に巻かれた縄は?」
「…………これは……その……繋がれていて……。」
少女は歯切れ悪く言う。
何やら複雑な家庭事情があるらしい。家庭事情と言っていいものなのかも怪しい。そもそも夜の山に子供を送り出す時点でろくな家庭ではない。
(首に縄を巻いて繋ぐ……まるでペットのような扱いだな。何処のどいつだそんな事するの。)
魔王は麓の村とは交流がある。
そこまで悪辣な趣味を持ち合わせた人間など居た記憶がないが、意外とどこかに潜伏しているのかも知れない。
見れば見窄らしい格好をしているものの、顔立ちは整っている少女。悪趣味な輩には好まれるのかもしれない。
「お前の親というのはどこのどいつだ。」
「…………。」
少女は黙りこくってしまう。言いたくないのか、それとも親に突き返されるとでも思っているのか。
「別に親元に帰そうという訳じゃない。お前が帰りたいのなら帰してやるし、お前が帰りたくないのなら新しい生活を送れるように手配をするし、親に文句があるなら文句を言うのを手伝ってやるし……。」
「優しいんですね……お兄さん。」
少女は困った様ににこりと笑った。
魔王はというと「お兄さん」と言われてちょっとドキッとしている。
どいつもこいつもおっさん呼ばわりしてくるのに魔王は若干傷付いているのである。「お兄さん」呼びは新鮮でありちょっと嬉しくもあるのだ。
「…………ここの小屋の前に『魔王』って書いてありました。こんなに優しいお兄さんは、本当に魔王なんですか?」
「……知っててノックしたのか。それだけ切羽詰まってたのか。まぁ、そうだな。魔王だ。」
少女は納得いかない様子で言葉を続ける。
「でも、私は魔王はとても悪い人だって聞きました。全ての魔物の王様で、人間を苦しめる事が生き甲斐の悪魔だって。」
「酷い言われようだが、まぁ世間一般の魔王の認識はそうだな。」
「お兄さんがそんな人だって、私には信じられないんです。」
少女は真っ直ぐに魔王の目を見て問い掛ける。
「お兄さんは本当はそんな酷い人なんですか?」
成る程、と魔王は思った。
世間一般の認識の魔王はそれはもう恐ろしい鬼畜だろう。多分この少女の親よりも酷い奴だ。
雪女に攫われて、命からがら逃げてきた少女が彷徨い見つけたのがこの一軒の山小屋だった。限界に近い寒さを凌ぐためにはそこに頼るしかない。
しかし、山小屋には「魔王城」と書かれており魔王の居城である事が分かった。
寒さを凌げなければ死んでしまう。しかし、魔王に頼れば酷い目に遭うのかも知れない。どう転んでも悪夢でしかない状況で、少女は今の自分を苦しめる寒さから逃れ、後に訪れる魔王の恐怖にさらされる方を選んだのだ。
しかし、噂の魔王が酷い事をするどころか、親切に話を聞いてくれている。
これが少女をこの後酷い目に遭わせる為の餌なのか、それとも本当に優しくしてくれているだけなのか不安がっているのだ。
本来であれば、此処に二度と近付かせない為に、魔王らしく振る舞うべきなのだろう。
しかし、この少女に必要なのはそういう事ではないと魔王は思った。
そして、こんな弱々しい少女であれば、これ以降二度と魔王と遭うこともないだろうと思って正直に話す事にした。
「……安心しろ。酷い事はしない。」
「……本当……ですか?」
不安げに少女は尋ねる。
「本当だ。口で言っても信じて貰えるか知らんが……。」
魔王は少女を不安がらせないように笑ってみせる。
少女はその笑顔を見て、にこりと笑い返してきた。
「信じます。もうこんなに優しくしてもらいましたから。」
でも、と少女は続ける。
「お兄さんは"魔王"なんですよね。"魔王"は本当は悪い人じゃないんですか?」
魔王は本当は悪い人ではないのか? その問いに答えるべきか魔王は悩む。
少女をこれ以上不安がらせない為には、悪い人ではないと答えるべきなのだろう。
しかし、少女をどこかに渡した後にそれを触れ回られても困る。
悩んだ末に魔王は話し始める。
「ひとつ、誤解のないように言っておく。俺がお前に何か酷い事をする事は絶対にないと誓おう。『これから俺が話すことを、誰にも口外しないと誓うならば』。」
多少悪者であると思われても構わない。
魔王は、今から話す事を秘密にするように脅す事にした。
その代わりに、質問に答える事にしたのである。
「具体的には口外したら何をされるんですか?」
少女は目を輝かせながら問う。
魔王は「ん?」と思った。
「酷い事って私何をされるんですか?」
「い、いや……秘密にするなら何もしないよ?」
「万が一、億が一、秘密をバラしてしまったら私はどんな酷い事をされるんですか?」
魔王はちょいちょい感じていた違和感がますます大きくなってきた。
熱いからゆっくり飲めと言ったお茶を一気飲みする奇行。酷い事をされるというところに異様に食いついてくるところ。
この少女、ただの可哀想な少女ではないのかも知れない。
魔王はますます言葉選びに気をつける事にした。
「…………ただの脅しだから別に何にもしないよ。」
「…………そうなんですか。」
少女はつまらなさそうにフゥと溜め息をついた。
「……内緒にできないなら話さない。」
「内緒にしますから話して下さい。」
魔王は気付いた。
この少女を怖がらせないようにという配慮は不要だと。
「俺は悪い人だ。」
「具体的にどう悪い人なんですか?」
「この世界を破滅に導きかねない事をしてきた男だ。」
「もっと具体的に。」
少女は目を輝かせている。
「この世界に厄介事を持ち込んだ。この世界にとって俺は異物だし、忌むべき存在と言えるだろう。」
「その厄介事とは?」
「それは言えない。言ったところで良い方向にも悪い方向にもどうこうできるものでもない。」
少女は少しだけつまらなさそうに「そうですか」と呟いた。
そして、コタツに肘を突いて話し始める。
「魔王というのは魔物の王という称号だと思っていたのですが、それは違うのでしょうか。前々から疑問だったんです。中には理性のあるものもいますが、多くの魔物は野生動物とそう変わらない知性しか持たない。そんなものを統一できる存在がいるのかと。」
流暢な口振りだった。
魔王は特に気にせずに返答する。
「魔王というのは前任の者から引き継いだだけの称号に過ぎない。お前の言う理性のあるもの達を統率する程度の称号でしかない。野生動物のようなものは元より制御外だ。」
「なるほど。合点がいきました。」
少女はふむと頷いた。そして、続けて問う。
「あなたは魔王の称号を用いて、魔物を束ねて何かをするつもりですか?」
「魔物を使って何かをするつもりはない。魔王の称号は魔物が余計な事をしないように圧をかける為に必要だっただけだ。無闇に人類に喧嘩を売られても困るのでな。」
魔王の話を聞いた少女は、ふむと腕を組む。
「つまり、魔を率いて世界に害を成すのではなく、魔を率いて世界を守っている……という訳ですね。」
「そんな高尚な話じゃないんだがな。」
魔王はやりづらそうに言う。
少女はその表情を見て、くすりと笑った。
「お兄さんの行動は世界を守るようにも思えます。そして、見ず知らずの私まで助けてくれようとした優しさを見ても……とてもお兄さんが悪者だとは私には思えないのです。」
「…………そんな事は」
「ああ。お兄さんの本当の目的は話さなくても大丈夫です。これは私の個人的な感想ですので。」
少女は二本指を立ててピースを作る。
「最後に二つだけ聞かせて下さい。」
「……なんだ?」
少女が指を一つ折る。
「お兄さんがわざわざ世界の敵のフリをするのは何故ですか? 勇者などという危険物を相手に回してまで。」
今まで見てきた勇者を見ても、「危険物」とはとても思えない魔王。
しかし、少女の言いたい事の意味は分かる。
「それは言えない。」
「内緒の目的に関わる事なんですね。ならいいです。」
そして少女は最後に一つ立てられた指を折って言う。
「最後にお茶をもう一杯貰えますか?」
「……それが最後の質問か?」
「はい。」
「……それは別に構わんが。」
魔王はお茶を淹れてやる。
少女は再びそれを一息に飲み干した。
「あっつ!!!」
「だからそれ何なんだお前!」
少女はにたりと笑う。今までの笑みとは毛色の違う、薄気味悪い淀んだ笑顔。
「もう十分です。私から聞きたい事は以上です。それと、麓の村まで送って貰う必要も、私の為にこれ以上何かをして頂く必要もありません。身体も十分に温まりましたし、そろそろ失礼しますね。」
「そうか。」
裸足とボロ布を纏う少女を、魔王はもう止めはしない。
その代わり、声を掛ける。
「最後に、俺からの質問にも答えて貰えるか。」
「いいですよ。」
「お前は誰だ? 何が目的で此処に来た?」
少女はにたりと笑って立ち上がる。
「私はうららと申します。此処に来たのは魔王がどういうものか知りたかっただけです。」
少女―――うららは魔王城への出口に向かって歩き出す。
「ご安心を。お兄さんの目的を邪魔するつもりはありません。私のモットーは『人の嫌がる事をしない』です。」
うららは魔王城の出口の前で、最後に頬に手を当て魔王の方に振り返る。
「私の目的は、私の"運命のひと"を見つけ出すこと。大変申し訳ないのですが、お兄さんは私のタイプではありませんでした。」
魔王はちょっとショックを受けた。
(なんか急に勝手に振られたんだけど。)
勝手に部屋にやってきて、勝手に振られた。なんか釈然としない魔王。
そんな魔王にうららは優しくにこりと笑う。
「気に病まないで下さい。」
「病んでねーし。」
「お兄さんは優しすぎるのです。私の好みのタイプは……。」
とろんと蕩けた表情で、うららはたらりと涎を垂らす。
「私をボコボコに苛めてくれる鬼畜生です……!」
魔王は確信した。
(こいつドMだ……。)
自分を苛めるかのようなお茶の一気飲み。
秘密をバラしたらどんな酷い事をするかについての異様な興味。
そもそものボロボロな身なりと首に巻いた縄。
魔王は少女うららに感じていた違和感に色々と合点がいった。
「魔王とかいう噂に聞く畜生なら、私の"運命のひと"になってくれるかと期待しましたが……駄目です、お兄さん優しすぎます。……かといって他人の
うららはつらつらと流暢に喋り終えると、最後にあどけない顔でにこりと笑った。
「とりあえずお兄さんの邪魔はしないし事を誓います。お茶、ご馳走様でした。久し振りに温まれたのは嬉しかったです。」
ぺこりとお辞儀してうららは帰った。
雪女の被害者であり、哀れな家庭事情を抱えた薄幸少女……かと思いきや。
嵐のようにしゃべくり倒して嵐のように去って行った謎の少女うらら。
(なんなのあいつ……怖い……!)
魔王は普通に変質者にドン引きした。
今後は戸締まりには気をつけようと固く誓う魔王なのであった。
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