外伝第4話 視えるもの




 テントのような布で覆ったスペースの中に、黒いローブを纏う女性が水晶玉を置いた台の前に座り佇んでいる。

 黒いベールの先に隠れるのは黒い瞳と黒い髪、全身真っ黒な怪しげな彼女は、王都では名の知れた占い師。


 地の果てどころか時の向こうまでも見通す、誰が呼んだか"万里眼ばんりがん"――――彼女の名前はビュワといった。




 ありとあらゆる相談事に、まるで未来が見えているようにピタリと的確な助言を授ける。希望を持たせるような曖昧な物言いはせず、どう足掻いても変わらない事にはぴしゃりと言い切る毒舌っぷりから恐れられる事もあったが、その脅威の的中率は広く話題になっていた。


 何を隠そう彼女には実際に未来が"視える"。

 占い師ビュワは、正確な未来を見通す特別な才能を持っていたのだ。


 今日の仕事を終えたビュワはベールを剥ぎ取り、椅子の背もたれに深くもたれかかり溜め息をつく。


「……クソだな。」


 その悪態は何に向けられたものなのか。

 ビュワは死んだような目で虚空を見つめる。




 未来を視る事ができる能力を持つ彼女が、これまで充実した生活を送れたかというとそんな事はなかった。

 生まれはごくごく普通の平民の家、物心ついた頃から彼女には未来が視えていた。

 ある日、幼いビュワは兄の死を予言した。

 最初は馬鹿な事を言うなと酷く両親に叱られたが、予言通りの日時に兄が死んだ事で両親は青ざめた。

 しばらくして、母の死を予言した。

 今度は両親は真面目にビュワの話を聞いた。

 どのように死ぬのか、必死に両親はビュワを問い詰めた。数日後の朝に眠るように逝くという事を幼い語彙力で伝えると、母は必死に様々な医者をあたり、異常がないかを確かめた。結局病は一切見つからなかった。

 ビュワはその時点で視えていた。いくら医者を回ろうと、母の死の未来が変わらない事が。

 母は死んだ。

 父はビュワを酷く恐れた。自分はいつ死ぬのかと、必死で問い詰める。

 数日中ではない。しかし、3年後には死ぬ事を告げた。父は青ざめた。

 どうやって死ぬのか。どうすれば助かるのか。父はビュワに死に物狂いで問い詰める。ビュワがそれ以上語れないと応えても、強く叩いてまで助かる道を探ろうとする。

 ビュワは必死に幼い頭で言葉を探していた。父を怒らせないように、悲しませないように、、ずっと言葉を濁していた。


 父は死に際に言った。

 どうして、助けてくれなかったのか、と。

 そして、呪うような目で告げた。

 この死神め、と。



 人間に変えることのできる未来など、そもそも限られているのだ。

 望んだ未来を得られる人間は、何かを意識しなくとも自然とそこに辿り着く。

 未来を知らなければ動けない人間に、未来を変えることなど殆どできない。

 気軽に変えることのできる不安定な未来は、そもそもビュワにははっきりと視えない。

 彼女が視た時点で、その未来は、余程の力を持つもの以外には変えようのない絶対なのだ。


 彼女の未来を視る才能は、後に多くの人に望まれるものになった。

 しかし、彼らが望んでいるのは未来を知る事ではない。都合のいい未来を知る事なのだ。

 ビュワは残酷な結末を告げて、感謝された事は無い。何とかしろと取り乱すのが大概だ。どうしてそんな事を教えたのかと怒鳴られる事もある。

 かといって、言葉を濁せばどうして教えてくれなかったのかと怒りをぶつけられる。


「やっぱり、人間は、クソだな。」


 ビュワは薄ら笑いを浮かべる。

 未来を視るという呪われた才能を手に入れたビュワが生きていくには、心を殺して、人々の醜さを、道化でも眺めるように楽しむしかなかった。

 怒ろうと嘆こうと、ビュワにはその者の未来が分かる。不幸が訪れるであろうその者を、ざまぁみろとほくそ笑む。

 心を歪ませる事で彼女はここまで生き抜く事ができ、王都でも名の知れた占い師になる程に才能を行使する事ができた。




 そんな彼女の前に、彼女の未来の中には視えていなかった男が現れたのは、とある満月の夜であった。


 ビュワの視た未来の中で、彼女はどう足掻こうとも、今日死ぬはずだった。


 ビュワの占いを逆恨みしたとある男。何を話しても話は通じない。どんな道を選ぼうとも、どこに籠もっていようとも、男は絶対にビュワを追い掛けてきて、夜の内に殺してしまう。

 あらゆる行動の末の未来をどれだけ視ても、ビュワは助からなかった。

 しかし、ビュワは取り乱さなかった。


(まぁ、私の人生こんなものか。)


 占いの店を早めに閉めて、誰もいない路地裏にふらりと入り込む。大きな満月を見上げながら、ふらふらとした足取りで、冷たい風を頬に受けながら歩く。

 死ぬ事は絶対。既に覚悟はできていた。だからこそビュワは、ただこの景色と冷たい空気を死の寸前まで楽しもうと思った。

 クソみたいな人間に囲まれた、クソみたいな世界に、今更未練などない。死のうと思った事はなかったが、死ぬなら死ぬで別にいいかとビュワは思った。

 死んだ後の未来は視えない。きっと、死ねばもう忌々しい未来を視ないで済むのだろう。それはむしろ嬉しい事ではないか。


 死ぬと分かっているからこそ、死ぬ事に幸福を見出しビュワは薄ら笑いを浮かべる。


「私の人生……本当にクソだな。」


 目の前にナイフを構えた男が立ち塞がった。

 未来の中で視た男だと気付いて、ビュワはにたりと笑って目を閉じると、腕を広げ男を受け入れるかのような姿勢を取った。


「来いよ、クソ野郎。」


 自身を殺す男に対する、最期の意趣返し。避けようのない未来を告げられた男は、顔を真っ赤にしてビュワに駆け寄った。




 どん、とビュワの身体に衝撃が走る。その衝撃で、ビュワは後ろにバタリと倒れた。

 刺されたのだろうか。しかし、思ったよりは痛くない。

 痛くないならそれに越した事はない。楽に逝ける方がいい。

 ビュワは目を閉じたまま、意識が落ちていくのを待ち詫びた…………のだが。


「…………?」


 いつまで経っても意識は途切れない。

 奇妙に思ったビュワは目を開く。

 開けた視界に映るのは変わらず存在する月夜、そして視た事のない背中。


 その背中を見た瞬間、真っ暗闇だったビュワの未来が、夜明けが訪れたかのように一気に開ける。


 ビュワは思わず身を起こした。

 目の前に現れた背中に隠れていて見えなかったが、ビュワを襲った男が一目散に逃げ出していく様子が見えた。

 背中の主が振り返る。何てことはない、普通の男のように見えた。何なら先程襲ってきた男よりも余程弱そうで頼りなさそうな男だった。

 それでもここにこの男が立っていて、襲撃者が逃げ出して、ビュワが無事であるという事は、この男にビュワは守られたという事なのだろう。


「怪我はないか? 咄嗟の事で突き飛ばしてしまってすまない。」


 あの時の衝撃は男が庇って突き飛ばした時のもののようだ。ビュワは一応身体のあちこちを検めたが特に怪我はなかった。


「あなたは一体……?」


 突如現れた男にビュワは問う。

 

「●●●という名前だが……名前より、目的を話した方が正体が分かりやすいかな。」


 男は未だ座っているビュワに手を差し伸べる。


「その力を貸して欲しい。最悪のを変える為に。」


 未来を変える事などまずできない。

 人間に変えることのできる未来など、そもそも限られているのだ。

 望んだ未来を得られる人間は、何かを意識しなくとも自然とそこに辿り着く。

 未来を知らなければ動けない人間に、未来を変えることなど殆どできない。

 気軽に変えることのできる不安定な未来は、そもそもビュワにははっきりと視えない。

 彼女が視た時点で、その未来は、余程の力を持つもの以外には変えようのない絶対なのだ。


 しかし、その男はあっさり変えてしまった。

 ビュワが視ていた"ビュワの死"という未来を。


「あっ、すまん! いきなりこんな事言ったら流石に怖いか! 俺は決して怪しいものではなく……いや、素性を明かしたら割と怪しいものかもしれんけど……! 悪意はないから!」


 急に慌てだす男。


「それとも、やっぱり何処か痛むか?」


 自身を気遣う言葉を聞いて、そこで初めてビュワは自身の頬を涙が伝っているのを気付いた。

 死んでしまって構わないと思っていた。助かったところで感謝できるとも思っていなかった。

 それは変えられない未来を視せられ続ける事が苦痛でしかなかったからだ。

 しかし、未来を変えられる存在が現れて、ビュワの中で初めての気持ちが芽生えた。

 

 生きたい。

 

 それを理解できた途端、涙はより一層ボロボロと零れ出す。

 

「うっ、ううううう……うわあああああああああ!」

「ご、ごめん! ごめんて! これ絵面やばい……分かった! 一旦退散する! 危ないからすぐに帰れよ!」


 男が慌てながら退散しようとする。

 それに気付いてビュワは咄嗟に男の手を掴んだ。


「えっ、ちょっ……。」

「…………。」


 掴んだものの何を言えばいいのかは分からない。

 人生観を覆すような出来事を前にして、ビュワの中では色々な感情がぐちゃぐちゃに混ぜ返されていた。

 助けてくれてありがとうと言うべきなのか。

 力を貸してくれ、という願いに対して貸してやると応えるべきなのか。

 いかないで欲しいと言うべきなのか。連れていって欲しいと言うべきなのか。


 ひとつひとつ話していけばいいのだが、去ろうとする男に慌てて、訳の分からないままビュワは口を開いた。


「……わ、私は今ので死んで楽になりたかったんだ……! なのに生かしてくれやがって……! どうしてくれんだクソが! こうなったら……お前が責任を取れ!!!!」


 自分でも何を言っているんだとビュワは更に混乱する。


「えっ……えっ……せき、責任……?」


 目の前の男も混乱している。

 ビュアが男の手をぐいと引く。男はこけそうになって踏ん張り、ビュワは男の手に引っ張られて助け起こされる形になる。

 立って視線を合わせた事で更にビュワは慌てたが、一旦一番言うべき事を言うことにした。


「置いてくな! 私も連れてけ!」

「…………は、はい。」





 結局、男と共に場所を移したビュワは、そこで初めて男の正体と目的を聞かされた。

 男は様々な世界を旅する旅人のようなものだという。

 その目的は、様々な世界や生物の危険を出来る範囲で回避すること。

 その一環で「とある事情」を抱えた男は、今はデッカイドーを中心に活動しているという。


 彼がビュワに「力を貸して欲しい」と言ったのも、その「とある事情」についてであった。

 下手をしたらこの世界だけでなく、ありとあらゆる世界をも巻き込みかねない

 勿論そうならないように男は対策を講じているが、万が一何かが起こってからでは遅い。

 だからこそ、男は"事前に何が起きるのか"を視る事ができるビュワに協力を求めたのだ。


 ビュワはとある事情を説明する為に、実際にを見せられた。

 その瞬間に目に飛び込んできたのは恐ろしい未来。


 言葉で聞いただけでは分からなかったが、実物を見た上で視た未来ではっきりと分かった。

 は世界の毒だ。

 ありとあらゆる世界を滅ぼす可能性のある危険物だ。


 どっと冷や汗を流し狼狽えるビュワの反応を見て、男は大した驚いた様子もなく、「だろうな。」といった様子で、むしろ納得したようだった。




 男はこの大きな課題を前にして、ビュワの能力を知りビュワに協力を求めたいと思った。

 その為、接触の機会を窺っていたところ、襲われる場面を見つけて咄嗟に助けに入ったという。




 男の目的は分かった。

 分かった上で、そんな目的など実のところビュワにとってはどうでも良かった。


「事情は分かった。協力してやる。」

「感謝する。叶う限りの対価は支払おう。必要な事があれば言ってくれ。勿論、今後も今日の事がないように守ってやる。」

「じゃあ、好き放題させてもらおうかな。」

「…………多少は手加減してくれよ?」


 引き攣った笑みを浮かべて男は言う。その顔を見て、ビュワはフフと笑った。

 好き放題するというのは勿論冗談で、対価があろうとなかろうと、ビュワは男に力を貸すつもりでいた。


 助からないと分かっていた自分の死を救われた時から、既に気持ちは決まっていた。

 変えられない筈の未来をあっさり変えてしまうような男が、どうしようもない行き止まりの未来を切り開くところをもう一度見てみたいと思ってしまった。


 こうして、"万里眼"ビュワは、男―――魔王フユショーグンの配下として、世界の終わりを覆す時を待ち続けている。







  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「…………まぁ、当時はそう思っていたんだけど。」


 魔王がありとあらゆる世界から持ち込んでくる様々な魅力的なグッズ。

 普段のローブや服とは比べ物にならない程に楽な衣服、ジャージを纏い、この世界では味わえない至上の甘味チョコレートを摘まみながら、この世界ですら暖かく過ごせるコタツにもたれ掛かり、ビュワは至福の息を零した。


「ここまで素晴らしいものを持ってると知ったら、流石に欲しくもなるってもんでしょ。だから、もう少しチョコレートを……。」

「手加減してって言ったよね?」


 今ではなんやかんやで、魔王の言っていた"対価"を享受しているビュワ。

 

「協力してやらないぞ?」

「そしたら二度とチョコレート食べられなくなるぞ。」

「…………クソが。守りたいものが増えるっていうのは不自由だなぁ。」


 それはそれで満更でもない、と思っているのだが、ビュワは口にはしない。

 未来を憂いて今を捨てて死すら望んだ"視えるもの"は、今を楽しみ生きている。




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