第22話 新たな幕開け




 魔王城の扉を開け放ち、"剣姫けんき"と名高い勇者ハルは高らかに叫ぶ。


「魔王! 来たぞ!」

「うわぁ……。」


 六畳一間の魔王城、コタツに籠もる魔王はあからさまに嫌そうな顔をした。

 勇者ハルはムッとした。


「うわぁってなんだ。」

「いや……まぁ、うん。」


 魔王を倒しに来る勇者が乗り込んできた時点で普通「うわぁ」と思うものだし、既に「勝負だ」とも言わなくなった勇者に対しても「うわぁ」と思うし、そもそも連絡してからこいと何度言っても覚えないのにも「うわぁ」と思うし、またメシたかりに来たんだろうなと思うと「うわぁ」だし、なんかもう色々と「うわぁ」なのだが面倒臭いので適当に濁す。


「おっ、なんだそれは?」


 ハルはコタツの上に置かれた見慣れぬものに目を映す。

 植木鉢のようなものに、鉄の網が敷かれており、その上では白い何かが静かに佇んでいる。

 魔王は深く溜め息をついて「入るならとっとと入れ」と手招きをした。


「寒いから早く閉めろ。」

「あ、悪い。で、それはなんだ?」


 手慣れた様子で扉を閉めて靴と服に纏ったの雪を払い落とし、すすっと魔王城に滑り込むハル。コタツにも遠慮無く足を入れ、コタツの上に置かれた謎の物体を興味深そうに見つめ始める。


「これは餅だ。」

「モチ? 美味いのか?」

「……食べるか?」

「頂こう。」


 即答であった。何なら前のめりすぎて聞く前から食う気満々だった。

 半ば諦めた様子で魔王は溜め息をつく。


「追加するから焼けるまでちょっと待て。」

「ああ。」


 素直に頷き、じっとモチを見つめているハルは、ぶるりと身を震わせてふと気付く。


「それにしても今日は魔王城の中も寒いな。」

「七輪使ってるからな。換気しながらじゃないと一酸化炭素中毒で死ぬし。我慢しろ。」

「そ、そんな恐ろしいものなのかこれ……。」

「使い方間違えなければ大丈夫だ。だから変な事するなよ。」

「あ、ああ。分かった。」


 見た事のない、下手したら死人が出るという謎の食べ物にハルは緊張感を高める。


「死ぬ覚悟で食べるもの……一体どれ程美味いんだ?」

「そんな大仰なものじゃないんだが……いや、あながち間違いではないのか……?」


 妙な期待感を募らせるハル。

 それを呆れてスルーするかと思いきや、何か納得した様子で魔王は呟く。


「食い意地張ってるお前には予め言っておいた方がいいか。」

「食い意地張ってるとは何だ。人を食いしん坊みたいに。」

「食いしん坊そのものだろうが。とにかく、餅を食べる時には絶対に守るべき事があるから肝に銘じておけ。」

「な、なんだ?」


 魔王は箸で餅をつんつん突きながら言う。


「焦ってがっつくな。よく噛んでゆっくり食べろ。決してたくさん頬張るな。」

「な、なんでたくさん口に入れたらダメなんだ?」

「死ぬからだ。」

「!?」


 衝撃を受けたように目を見開くハル。


「そ、そんなに恐ろしい食べ物なのか。」

「そうだ。だからがっつくなよ。」

「あ、ああ。分かった。」


 喉に詰まると大変な事になる、というだけの事なのでハルがごくりと息を呑む程に怯えるようなものではないのだが、魔王は敢えて放置する。

 このくらい言っておいた方がこいつの食欲にブレーキが掛かるだろうという判断である。

 パチパチと音を立てる七輪を二人でじっと眺める。


 やがて、白い餅は動き始める。


「ふ、膨らんできた!?  これ生き物……スライムか!?」

「いや違う違う。スライムとか生き物じゃないから落ち着け。」


 ぷくーっと膨らんだ餅を見てぎょっとするハルを宥めつつ、魔王はそろそろ頃合いかと手元にいくつかの器と皿を並べる。

 そして、少し悩む素振りを見せた後に、ハルの方を向いた。


「甘いのとしょっぱいの、どっちがいい?」

「え? 甘いのとしょっぱいのがあるのか?」

「色々と用意してるから。とりあえず今の気分で選べ。」

「うーん……うーん……。」


 苦悶の表情で悩むハル。


「そこまで難しく考えんでも……まぁ、じゃあ磯辺巻きでいいか。」


 魔王は膨らんだ餅を箸でひょいと取り上げ、手元の器の一つに放り込む。器の中で餅を転がした後に取り出すと、更に傍らから取り出した黒い何かを巻き付けた。

 姿を現した餅は先程までの焦げた白色から茶色い色へと姿を変え、黒い何かを衣のように纏っていた。

 魔王はそれを更に乗せて、新しい箸と一緒にハルの方に差し出す。


「ほれ。」

「な、なんだこれは……。どうして茶色になったんだ……それに周りのこの黒いのは……?」

「とりあえず食べてみろ。一口で行くなよ。噛み分けてゆっくりな。」

「あ、ああ……。」


 魔王は自分の分の餅も弄りながら注意する。

 食べると死ぬかも知れない謎の食べ物、モチ。ハルはそれを恐る恐る口に運び、ぱくりと噛み付いた。


 周りに巻き付いた黒い衣がぱりっと小気味良い音を立てる。それと同時に芳ばしい香りが口の中に漂う。続いて、ハルの歯が食い込んだ白いモチは柔らかく、それでいて奇妙な弾力があり、口の中に纏わり付くような食感である。

 周りの茶色は何やら汁のようなものだった。しょっぱい……香ばしく深みのある旨みがある。これはかつて貰った煎餅のような味だ。そして、遅れて白いモチからは若干の甘みを感じる。

 歯に纏わり付くような食感を何度も何度も噛み締めて、ごくりと呑み込んでからハルはすぅっと鼻から息を吸いこみ……。


「美味いッッッ!!!!!!」


 ハルの実食後の絶叫芸にもすっかり慣れた魔王は、予め耳を塞ぎながらハルのリアクションを見ていた。


「そりゃどうも。」

「なんだこの……なんだこれ!」

「磯辺巻き。餅に醤油を搦めて海苔で巻いたものだ。」

「イソベマキ……モチ……ショウユ……ノリ……?」


 一口齧った後の磯辺巻きをまじまじと眺めながら、ハルは未知なる食材だらけの新たな食べ物に驚愕していた。

 次の餅を網に載せつつ、魔王は自身も磯辺巻きを口に運ぶ。


「この食感で分かるだろう。慌てて食うと喉に詰まらせる。これで窒息死する人間もいるから気をつけて食え。」

「なるほど……。」


 ハルは納得したようにもう一口パリッと磯辺巻きを齧った。

 

「なんだか前に食べた煎餅と味が似てるな。」

「ああ、鋭いな。どっちも醤油で味付けしてるし、米からできてるものだな。米と言っても種類は違うかもしれんが。」

「ショウユ……がこの茶色いやつか。それで、コメというのは、こんなに違う食感になるものなのか。」

「米はいいぞ。今度普通の米も食わせてやる。」

「普通の……? コメはそのままでも食べられるのか。」

「ああ。色々と食べ方があるからな……入門として何を出すのがいいか。」


 しばらく米トークを弾ませていると、餅が再び膨らみ始める。

 魔王は再び餅を取り、手元にある器に放り込むと、また色の変わった餅を取り出す。それを更に乗せるとハルに差し出す。 


「今度は黒いな。」

「次はあんこだ。甘いやつ。」

「アンコ……頂こう。」


 粒々とした黒っぽい茶色の、ねっとりとしたものがまとわりつく餅にハルは迷う事なく口をつける。舌に触れただけで伝わる甘み。しかし、今まで魔王城で味わってきた甘みとはまた違った、少し落ち着いた感じの奥深い甘み。つぶつぶとした食感もまた新しく……。


「美味い……。」


 落ち着いた声色でハルはしみじみと呟いた。


「一応食う物でリアクション変わるんだな……。」

「初めて食べる甘さだこれ……。さっきのイソベマキもいいがこれもいい。モチ……奥が深い……。」


 しみじみとした様子でもむもむとあんこ餅を頬張るハル。

 その幸せそうな顔を見て、魔王は次の餅を網に載せた。


「これで餅を知ったつもりになるのはまだ早い。」

「まだ何かあるのか!?」

「フフフ……今から見せてやろう……餅の楽しみ方の一端を……!」








  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「あぁ……もう無理……。」


 魔王が様々なバリエーションの餅を振る舞い、与えられるだけハルが食す。

 それを繰り返してきて、いよいよ苦しそうな表情のハルはこてんと後ろに転がった。


「お前にも限界があったのか。まぁ、餅は腹持ちがいいからな。」

「こんなに美味くて腹持ちまでいいのか……素晴らしいな、モチ……。」


 最初はまたたかられるのかと呆れていた魔王であったが、いざ与えてみると実に幸せそうに食べるので気分が良くなり、ついつい与えすぎてしまう事が多い。

 魔王城で満足げに転がる勇者を見て、いい加減餌付けも止めるべきか、と反省したのは何度目の事だろうか。

 しかし、魔王が餅を食べようと思ったきっかけもあり、丁度いいと話し始めた。


「餅というのは、他所の世界では年神……年が明けるとやってくる神に捧げる供物とされていた。」

「へぇ。神様の食べ物なのか。なら美味しい筈だ。」

「その世界では新しい年の訪れには餅を食す。新たな年の幕開けを祝う食べ物と言っても良いかもしれない。」


 少し魔王の声色が変わった事を聞き、転がっていたハルが身を起こす。

 魔王は珍しく真面目な顔でハルの方を見ていた。


「……今日、餅を焼いていたのは、その他所の世界が丁度新しい年を迎えたのでな。俺も新年を祝おうと……気分を新たにしようと思ったのだ。」

「……そうなのか。」


 ハルと魔王の視線が交わる。僅かに今までなかった緊張感が走った。


「お前はいつになったら気分を改めるんだ?」

「……何?」

「お前の目の前にいるのは"魔王"だぞ。"勇者"ハル。」


 ごくり、とハルが息を呑む。

 珍しくハルの方もシリアス顔である。


(少しは腑抜けている自覚は持てたか?)


 "魔王"は"勇者"の敵である。

 本来なら勇者は魔王と戦わなければならない。

 魔王フユショーグンは『あっさりと倒されるつもり』も『あっさりと倒すつもり』もないが、それでもなぁなぁに仲良くやっていくつもりもない。

 そろそろ自覚を持って貰わなければ、魔王も困るのだ。


 その意図までは伝わらないだろう。しかし、魔王と勇者は敵同士である事は伝わっただろうと魔王は思う。


「……分かっている。」


 ハルは絞り出す様に声を出した。

 どうやらしっかりと伝わったらしい。

 こいつなら下手したら今の流れでも伝わってない可能性が若干あると思っていた魔王は胸を撫で下ろす。


「コメはいつ御馳走してくれるんだ?」

「…………嘘だろお前。」


 伝わってなかった。


「お前、今話聞いてた?」

「ああ。『気分を改めろ』って話だろう。モチの気分を切り替えて、話に聞いたコメに気分を切り替えたところだ。」

「あの……そうじゃなくて、"魔王"と"勇者"の……。」

「私に初めて食べさせるコメについてあれこれ考えてくれてたじゃないか。それなのに、モチにばかり思いを馳せているのは確かに失礼だったなと反省した。切り替えていく。」

「…………あぁ、うん。」




 勇者と魔王の決着はまだ大分先になりそうだ。






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