第18話 勇者を慰める会




 魔王城の扉は今日も叩かれる。

 特徴的な乱暴なノックの音から、魔王フユショーグンはそろそろノックの主が誰なのか、声を聞かずとも分かるようになっていた。

 魔王は扉に向かい、ノブを回す。


「いい加減事前に連絡をしろと……!」


 怒ろうとして魔王は途中で口を止める。

 そこに居たのは予想通り、勇者ハル。

 しかし、珍しく落ち込んだ表情と、いつも以上に乱れた髪で、最近は厚着だったのだが珍しく薄着で、僅かに目を潤ませながら立っていた。


「おい、どうした。」

「……何か美味しいものくれ。」

「いきなり何だ。何かあったのか。……まぁ、いい。上がれ。冷えるだろう。」


 いきなりの食物の要求に突っ込みたいところだったが、ただ事ではないと察した魔王は、深く触れずにハルを招き入れる。

 半纏を貸してやり、コタツに入れて、お茶を出してやれば、ハルは鼻を啜りながらもてなしを受けた。


「何かあったのか?」


 魔王が聞くと、ハルは話し始める。


「……女神様にお洒落にしてもらったら皆が私を誰だ誰だと言いだして、誰も私だと信じてくれないからいつものに戻した。それで家に帰ったらお父さんがテーブルはどうしたんだって聞いて来て、テーブルはコタツが欲しかったから泉に投げ入れてきたんだけど、女神様が返してくれなかったからそう言ったらめちゃくちゃ怒られた。」

「す、すまん……。全然分からなかった……。えっと、つまりお父さんに怒られたんだな。」


 とりあえず分かる部分だけ要約すると、ハルはこくりと頷いた。


「で、それがどうして俺の家に来るのと『美味しいものくれ』に繋がるのだ。」

「美味しいもの食べたら元気が出るかと思って。」

「お、おう。」


 分かるような分からないような返答に魔王は言いたい事が色々あったが、珍しく元気のないハルには何故か言い出しづらく、取り敢えず適当に何か食わせとけばいいやと思った。


「とは言ったものの参ったな。急に来られても用意できるものがないぞ。」


 魔王は後ろを振り返り、襖の方を見る。

 思い返しても、ここにはいつも出す煎餅やみかん程度しかなかったような気がする。

 魔王はしばらく悩んだ後に、呟いた。


「……俺が落ち込んだ時に食べるものと言ったら、まぁ、あるにはあるんだが……ちょっと地味だし、お前の慰めになるのかどうか。」


 悩んだ末に、魔王はコタツをとんと指で叩き、以前にハルの暴走を止める際に作った穴を生み出す。


「まぁ、物は試しだ。温かいものだし、多少元気出るだろう。」


 ついでに別の場所をこつんと叩けば、もうひとつの穴が空く。そこから魔王は底の深い器や箸、謎の細長いチューブなどを取り出すと、コタツの上に適当に並べる。

 そして、最初に開けた穴に手を入れると、何やら探るように穴の中で手を動かし始めた。

 ひょいと持ち上げられた手には銀の大きなスプーンがあり、そこには何かが並々と注がれている。魔王は器を一つ取り、注がれたそれを器に移すと、ハルに差し出す。

 ハルが中を覗き込めば、うっすらと茶色く染まった三角形の何かが、茶色い汁の中に浮かんでいた。


「なんだこれ? 鍋?」

「まぁ、鍋みたいなものだが。おでん。で、その具ははんぺん。」

「オデン? ハンペン?」


 ハルは箸を取り、早速一口食べてみる。ふわっと柔らかいそれから、甘みのある汁が溢れて、ハルは目を見開いた。


「……うまい!」

「そりゃ良かった。」

「なんだこれ甘いぞ!」

「甘めの関東風が好みでな。」


 はんぺんひとつくらいではぺろりと平らげてしまうハル。それに合わせて、魔王はすぐに具を追加してやる。


「これは?」

「こんにゃく。」

「コンニャク?」


 今度はつやのある灰色の三角形をハルが齧れば、先程とは全く違う食感が口に弾ける。


「ぷるぷるしてる……。ハンペンとは全然違うな。」

「嫌いか?」

「これもありだな。」


 魔王も自身の器に具を入れる。ハルはこんにゃくを噛みながら、細長い筒のようなそれを見つめて問う。


「それはなんだ?」

「ちくわ。」

「私にもくれ。」

「ほらよ。」


 魔王の作った穴から次から次へと出てくる、様々な形の珍しい具。

 ハルは新しい具が出てくる度に驚き、余す事無く堪能していく。

 途中、魔王が器に出した黄色いねっとりとしたものを見て、ハルはやはり興味を持つ。


「それはなんだ?」

「からしだ。付けて食べる。辛いからあんまりお勧めしないぞ。」

「試してみたい。」

「それなら別にいいが。程々にしろよ。」


 チューブを取り、魔王の真似をして、器の脇にからしを出す。

 それを少し、丁度とっていた大根につけて食べれば、ハルはぎゅっと渋い顔をする。


「辛い……。私駄目だこれ。」

「ほらな。」


 そこで少し気分が沈むものの、結局はおでんを味わい、ハルの機嫌はすっかり戻った。

 いつもの笑顔が戻ったのを見て、魔王は一安心した。

 そんな魔王にハルはふと聞く。


「魔王は落ち込んだときにオデンを食べるのか? 美味しいから分からなくもないけど。」


 そういえば、と魔王は思い返す。最初にそんな事をぽろりと零してしまっていた。

 しまった、と思いつつも、特段隠す事でもないので、何とはなしに話し始める。


「まぁな。お袋の味というやつだ。」

「オフクロノアジ?」


 魔王は箸を置き、視線を上に動かす。


「俺の母は料理が下手な人だった。滅多に作らないし、作っても美味しくない。唯一、まぁこれも大して美味しくもないんだが、くどいくらいに甘ったるいおでんだけが、何故か思い出せるんだ。」


 魔王の頬が僅かに緩む。


「いつからだか、どこか寂しい時に無性に欲しくなるようになった。だから、時折作って置いておくんだ。何故か落ち着く。母を懐かしむ……とかいうつもりはないんだが。お前にも分からないか? お袋の味ってやつ。」


 ハルは「へぇ。」と興味深そうに聞いていたが、魔王に問われると少し困ったように、むむむと唸って、首を傾げた。


「……分からないかな。お母さんの料理とか食べた事ないから。」

「そうなのか。」

「私が赤ん坊の頃にはもう居なかったからな。」


 魔王は「しまった。」と思った。

 聞いてはならない事を聞いてしまったと。

 しかし、ハルは気にした様子もなく話を続けた。


「基本料理は私がするから、小さい頃のお父さんの料理もあまり覚えていないし。今ひとつ、それで落ち着くっていう感覚は分からないな。まぁ、甘くて温かいから、それだけで落ち着くけど。」


 どうやら、地雷を踏んでしまったという訳ではないらしく、魔王は少し安心した。

 迂闊にそういう話をするものではないと反省していると、ハルは再び魔王に話しかけてきた。


「ところで、魔王には母親が居たのか。」

「そりゃ居るに決まってるだろう。俺を何だと思っているんだ。」

「ぽっと生まれたものかと。今も元気なのか? というか、考えてみると私はお前のこと全然知らないな。」


 魔王は懐かしむように上げていた視線を下ろす。

 うーん、と悩ましげに目を細め、魔王は腕を組む。


「元気と言っちゃ元気だし、元気じゃないと言っちゃ元気じゃない。」

「なんだそれ。」

「渡り歩きすぎた弊害か。"元居た場所"を思い出せなくてな。どれが俺が元居た正しい世界なのか、どんな状況が正しかったのかが分からなくなってしまった。」

「渡り歩きすぎた? "元居た場所"? なんだそれ?」


 同じく腕を組んで怪訝な表情を浮かべるハル。

 魔王も悩ましげに唸る。


「話してもどうせ分からないしなぁ。」

「話してみなければ分からないだろう。もしかしたら分かるかもしれないぞ。」


 いつかはハル達、勇者にも話さなければいけない身の上話。

 魔王もいつかは話そうとは思っていたが、今話して大丈夫なのかと不安に思う。


(少なくともこいつは理解できないだろうなぁ。)


 魔王は確信していた。


「俺は旅人でな。此処に居着くまではあちこちを旅してきた。地図のある旅でもないし、故郷が何処にあるのか忘れてしまった、という事だ。」


 ハルでも理解できそうな適当な嘘である。

 へぇ、とあっさり信じるハル。


「いつか故郷に帰れるといいな。」


 おでんの汁を啜り、ふぅ、と息を吐く満足げなハルを見て、魔王もおでんの汁を啜る。

 温かい懐かしき故郷の味。きっと戻れないであろう故郷に思いを馳せ、ハルの励ましの言葉に少し胸を打たれつつ、ハルのおかわりに応じる。


 暖かいコタツで、温かいおでんに舌鼓を打ち、他愛ない話に興じる。

 落ち込んだ勇者はどこへやら。

 懐かしい時間はのんびりと流れていった。



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