第16話 魔王に遅めの春が来る




 魔王フユショーグン。

 見た目は少し顔色の悪い、色白な普通のおっさん。

 見た目通り性格的にも魔王らしい要素はなく、それを馬鹿にされると若干凹む。

 デッカイドーでの拠点は六畳一間程度の山小屋で、中には電気カーペットとコタツと襖、その他諸々魔王ならではの不思議アイテムが隠されている。

 狭いがこのくらいの広さが一番落ち着くので、決して城を建築するだけの費用が無い訳ではないというのが本人の弁である。


 今日は度々押し掛けてくる迷惑名勇者達には事前に魔王城に不在の旨を伝えていた魔王であったが、今日も魔王城に居た。

 合わせて、二人の女性も居る。

 ネコ耳を付けたメイド、トーカと、黒ジャージを着た身なりを気にしない女、ビュワ。共に魔王の元で働く側近である。


 二人の側近が立って見守る中、魔王は部屋の中央に陣取るコタツの中に頭をつっこみ、中から一匹の黒猫を捕まえる。

 黒猫は別段抵抗する事もなく、だらんと魔王に抱きかかえられて、コタツから魔王城に引き摺りだされた。

 無抵抗に抱きかかえられる黒猫を見て、トーカは驚いたように目をぱちくりとさせた。


「わぁ。本当にネコさんになってる。」

「どうだ? 話せるか?」


 トーカはぶら下がる黒猫と目を合わせる。じっと見つめ合うが、うーん、と唸って、トーカはやがて首を横に振った。


「無理ですねー。形はネコに変わったけど、中身は変質してません。会話するだけの自我を持ち合わせてないです。」

「そうか……まぁ、そんな所だろうと思ったが。単に誰かの……まぁ、見当はつくが、誰かの願いに応えてネコの姿になったというところか。」


 するりと黒猫は魔王の手をすり抜けて、コタツの中に再び戻る。

 特にそれ以上追い掛けようともせずに、続いて魔王はビュワに問う。


「未来は変わったか?」

「全っ然。大体、変わるならネコの姿になった時点で変わるでしょ。変わったらちゃんと報告するし。」

「まあな。期待はしてなかったがやはり駄目か。悪いな、呼びつけて。念のために聞いておきたかった。まぁ、座ってろ。お茶でも出すから。」


 魔王に促されて、トーカとビュワがコタツに入る。今日は魔王が二人にお茶を淹れて、自身もコタツの中に入った。


「しかし、いよいよ"シキ"もコタツからも出始めたか。ここ最近デッカイドーも気温が上がり始めたからそろそろかとは思っていたが。」


 溜め息をついて、魔王はお茶を啜る。


「ネコになった時には状況が好転しているのかと思ったが。やはりそううまくは行かないか。」


 その言葉に対して、トーカは「え?」と不思議そうに返す。


「うまく行ってると私は思いますけどね。今すぐ解決とはいきませんが、少なくとも危ない方向には進んでいないですよね?」

「まぁ、そうとも言えるか。」

「それに、"この変化"をもたらしたのは多分、勇者様なんですよね?」


 トーカの指摘に魔王は頷く。

 "シキ"の形がネコに変わったのは、恐らくは勇者の影響であると魔王は考える。

 きっかけは何なのか分からないが、勇者アキが"コタツの中のネコ"を願った結果、"シキ"はあの姿になったのだろう。


("シキ"が願いを叶えたのは、封印が外れかけている予兆なのだろう。望ましい状況ではないが……ネコ程度で済んだのは、確かに逆に期待が持てるか。)


 魔王が考え込むと、「ん゛ん゛!」とおっさん臭い咳が聞こえる。

 お茶を飲んでいたビュワが口を押さえてむせていた。


「おい、大丈夫か。急にどうした。」

「だ、大丈夫……。何でもないから。」


 その様子を見て、にやりと不敵な笑みを浮かべるメイド。


「ビュワちゃん、"勇者様"って聞いて動揺しました?」

「し、してねーし!」

「最近、ビュワちゃん、勇者様の事が気になってるんですもんね~?」

「な、なってねーし!」


 二人のやり取りを魔王は聞いて察する。


(驚いたな。トーカはともかくビュワも既に勇者と接触していたのか。しかも……この感じ……あれか。色恋沙汰か。あの女っ気の欠片もないビュワが。へぇ。)


 魔王はあの男勇者の顔を思い浮かべる。


(あんなのが好みなのか、ビュワ。俺はあいつなんか怖いんだよなぁ。)


 魔王は誤解していた。

 色恋沙汰と言えば相手は異性だろうという考えから、魔王はビュワの想い人を唯一の男勇者、ナツだと考えた。

 その誤解に唯一気付いたトーカが、苦笑いしながら訂正する。


「魔王様。多分凄い誤解してますよ。」

「え。何が。」

「えっと、凄く説明しづらいです。またいずれ。」

「おい! 魔王様! トーカ! 何か私の事で内緒でテレパシーしてるだろ!?」

「してないですしてないです。まぁ、この話は流しますね。」


 ところで、とトーカは視線を魔王に向けた。


「魔王様は未だにそういう浮いたお話はないんですか~?」


 まさか、こういう話を自身に振られるとは思っていなかった魔王が「お?」と一瞬理解できずにぽかんとしている。

 話を理解した後も、魔王はビュワのように特に動揺した様子はなく、「ああ。」と冷めた様子でお茶を啜った。


「あるわけないだろ。」

「え~? こんな素敵な女の子二人と同じ部屋、同じコタツに入っててドキドキもしないんですか~?」

「そういうのはもう少し女磨いてから言え。」

「え~! ひど~い!」


 魔王は冷めている。トーカもその内心から、本当に動じていない事を察して、つまらなさそうに溜め息をつく。


「魔王様枯れてる~。」

「そりゃな。よくこんなおっさんに恋バナ振ろうと思ったな。」


 魔王の恋バナとやらに興味を持ったのと、自身から矛先が逸れた事の安心感から、知らんぷりをしていたビュワも話に参加する。


「魔王様は彼女とか居た事ないのか? 当然独身だよな?」

「当然とは失礼な。まぁ、独身だけどな。彼女とかもなぁ。」

「性欲とか無いのか?」

「少しは言い方考えろ。……いや、まぁ、忙しいし、あちこち行く用事が多くてな。そういう事を考える余裕もなかった。そして気付いたらこんなおっさんになってて……。」

「気になる相手とかいないのか?」

「今更だろ。」


 魔王は心底興味なさそうに、後ろの襖に手を伸ばして、中の棚から煎餅の袋を取り出した。

 話を振ったトーカもつまらなさそうにもう一度溜め息をつく。


「本当に枯れてますね~。つまんないです。何かそれっぽい話もないんですか?」

「ないない。」

「悲しいなぁ……。青春とかなさらなかったんですか?」

「ないなぁ。何か色々見ていると、色々と冷めてくるんだよ。」

「今から恋する可能性とかは?」

「ないな。毛ほども異性に興味がない。」

「同性は?」

「ないわ。」

「つまんなーい。」


 魔王は「ふふ。」と珍しく強者オーラを出しながら、得意気に煎餅を頬張った。


「絶世の美人なんて山程見てきたからな。俺が心動く事なんて余程の美人でもないと有り得ないぞ。少なくとも、お前達じゃ無理だな。性格クソなのも知ってるし。」

「ひどーい。」

「トーカは確かに性格クソだな。」

「ビュワちゃんの好きな人ばらすぞ。」

「そういうとこだぞ。マジでやめろ。」


 そんな他愛ない話を部下と交わしつつ、魔王はふと思う。


(そういう浮いた話とは確かにずっと無縁だったな。この年にもなれば二度とそういう事はないんだろう)


 そんな魔王の心中を覗き見たのか、トーカが優しく笑って言う。


「まぁ、いくつになってもふと見つかるものですよ。運命の相手なんてものは。」


 そういうものなのだろうか。魔王は今ひとつぴんとこない。


「お爺さんになってからふと寂しくなるかも知れないですよ? 良い相手を探した方がいいんじゃないですか?」


 言われると何だか老後が怖くなる魔王。

 今は色々と忙しいが、確かにこの後も生きていく事を考えると、将来の事は考えた方がいいのかも知れない。

 良い相手を見つけた方が良いのだろうか。しかし、今まで今ひとつ琴線に触れる相手はいなかった。

 好みのタイプすら曖昧な魔王は、流石に不安になってきた。


(…………何か急に焦りが。大丈夫か、俺。)


 その後も他愛ない話をしたのだが、魔王はあまりその後の話は頭に入ってこなかった。




 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





 魔王は自分の周りに居る異性について考える。


 側近の一人、トーカ。

 見た目は悪くない。仕事も出来るし、気が利く。

 但し、心を見透かし、弱みを見せると悪意に満ちた悪戯を仕掛けてくる。性格最悪、猫被りの小悪魔である。


 同じく側近の一人、ビュワ。

 ガサツ。

 当初見た時はミステリアスな雰囲気を漂わせる美人占い師といったイメージだったが、配下に引き入れ、色々と与えてやると次第にその空気が崩れ、今では会うときに化粧すらしなくなった。口が悪い。


 その他、交流のある魔物の女達。

 異種族は流石に無理だろう。


 勇者ハル。

 見てくれは悪くないが、身なりにはあまり気を使っていない。

 磨けば光るかも知れないが、どちらかというと世話の焼ける娘のようなイメージで、異性としてどうとは思わない。


 勇者アキ。

 見てくれが完全に子供である。見た目だけならハル以上に娘のようなイメージが拭えない。というか、今まで僅かに見てきた言動を見ても、背伸びしているだけの子供にしか見えない。


(…………よくよく考えると、良い相手が居ないとか、年が近い相手がいないとか、それ以前に……ろくなやついねぇな。俺の周り。)


 魔王は魔王城周りの見回りをしていた。

 この辺りでは、危険な雪女が出没し、時折迷い込んだ人間、魔物問わずに襲う事がある。魔王が見張りの目を光らせる事で被害が減る為、たまにこうして見回りをしている。

 それ以外にも、魔王城に電力を供給する発電用の施設の点検。余所行き用のゲート施設の点検。

 魔王城周辺には少し特殊な環境が多いので、時折人が尋ねてくる事がある。その来訪者が危ない事をしていないかの見張り。意外と見回りで確認する事は多い。


 異常がなければ歩き回るだけで事足りるので、考え事をする余裕はある。


 そんな風に魔王が老後の心配に頭を悩ませつつ歩いていると、ふと異変に目が留まる。


「…………人か?」


 確か、何とかという泉に通じる道を、人が歩いている。

 スキップしているようにも見えるその人影は、よくよく見ると女のようだった。

 泉に通じる道は、魔物の出没地帯である。女はそこから戻ってきたようだった。

 恐らくは、魔物と出くわさなかった為に泉まで行けて、更に帰りも魔物と出くわさなかった為に無事に帰ってこられたのだろう。


「……危ないな。無事だったから良かったものの、運が良かっただけだぞ……。ちょっと注意しといた方がいいか。」


 一般人が迂闊に踏み入って良い場所ではない。

 たまたま幸運だっただけで、次来た時に酷い目に遭わないとも限らない。

 魔王は流石に見かねて、女に歩み寄っていった。


 女の子らしいふわっとしたワンピース。揺れる、ふわっと柔らかさそうな栗色の髪。

 遠目に見ていた魔王は、近付いた瞬間、思わず足を止めてしまった。


 

 聞こえるのは歌声。スキップする女が歌っているようだった。

 歌詞はない鼻歌のようなものだったが、その歌を聴いた魔王は、心が揺れるのを感じた。


(綺麗な歌だ。)


 透き通った、優しさを感じさせる美しい歌声。


(まるで、永遠に春の訪れない筈のこの雪原に、春風が吹き抜けるような……なんて柔らかく、暖かく、優しい歌声なのだ……。)


 魔王は、雪原の中に淡い光が浮かんでいるように見えた。

 まるでその女の周りにだけ春が訪れたのではないかと、錯覚する程に、女の周囲だけ世界が違って見えた。


 事実、女の歌声に心奪われたのは魔王だけではなかったらしい。


 普段は隠れている筈の小鳥や、小動物達が、少し距離を取りながらも、スキップする女に付き従うように寄ってきている。

 心なしか、女の歩く周囲の雪だけが溶けていくようにも見える。


 歌声に魅了された魔王は、続けて女を見ている。


 全体的に淡色系の装いをした女は、柔らかく優しい印象を与え、暖かい春風を想像させた。

 永遠の冬に訪れた、一陣の春風。


(妖精か、女神か何かだろうか……。しかし、冬しかないこの世界に……? まさか、ここ最近暖かくなってきたのも、あの女神が?)


 女神に魅入る魔王。

 見惚れていると、一瞬だけ、首を揺らしながら歌う女神の顔が目に映る。


 そのこの上なく幸せそうな笑顔を見た時、魔王は自身の胸が高鳴るのを感じた。


(何だこの感覚は……?)


 声をかけようとしていた筈なのに、気付けば声をかける事を忘れていた。

 どきどきと止まらない鼓動。高鳴る胸を押さえ、魔王は離れていく女神の背中をじっと見つめる。


(……美しい。)


 そして、声をかけられないまま、女神の姿が消えたのを確認すると、途端にその胸は苦しくなってきた。


(なんだこれは。……俺に一体何が……。)


 春風が駆け抜け、冬の寒さが頭を冷やす。

 火照っていた身体が冷やされ、冷静になった魔王は気付く。


(…………まさか、これが恋だというのか?)


 枯れ果てたと思っていた魔王の心の中に芽生えたもの。その正体が未だ理解出来ず、魔王はふと思う。


(……また、会えるだろうか。)


 遠目に姿を見ただけだったが、また会いたいと魔王は思った。


 正体不明の春風の女神。

 魔王は彼女に思いを馳せ、再び見回りに戻った。



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