第15話 オオカミ姫は魔王と出会った




 ハルは以前から不思議に思っていた事があった。


「トーカはどうして、魔王に仕えてるんだ?」

「私も気になりますね。失礼ですが、とても下につきたい人だとは思わないです。」


 魔王城、今日のお客はハルとアキ。

 またアポ無しで訪れたので、魔王は不在である。

 今日は魔王城に居たトーカが二人を迎え入れ、お茶とお菓子でもてなしていた。

 威厳のない普通のおっさん、魔王。

 彼に側で仕える側近の、ネコ耳メイドのトーカ。

 気立てがよく、働き者で、頭に生えたネコの耳の異質さを除けば顔立ちも美人と言える。


 獣の特徴を持つ人型の魔物がいる。所謂"獣人"と呼ばれる者で、正確に言えばその特徴ごとに更に種族が分かれるが、一括りにそう呼ばれる事が多い。

 獣人は人間の理性を持ち合わせ、魔物として人間と敵対する際には獣の身体能力と人間の知性を併せ持つ非常に厄介な敵になるのだが、友好的な者に関してはかなり人間にも受け入れられている。

 魔物と認定され、偏見を持たれる事もあるが、人間に最も近しい魔物なのだ。

 彼女を少しの間ながら見てきており、召使いなどを雇う立場にも近いアキは、自身の見解を素直に述べる。

 

「トーカであれば、幾らでも雇ってくれる人が居ると思います。好待遇で迎えたがる人も居ると思いますよ。何なら私が口利きしますが。」

「あらあら。買い被りすぎですよ。嬉しいですが、お気持ちだけ受け取らせて頂きます。」


 トーカは柔和な笑みを浮かべて断る。


「魔王様にどうして仕えているか、でしたか。まぁ、勇者様のお気持ちは分かります。でも、ああ見えて実は結構凄い方なんですよ。」

「見えないな。」

「見えませんね。」

「ですよね。」


 トーカは苦笑し、二人の勇者に「お茶のおかわりは如何ですか?」と尋ねる。丁度少なくなったタイミングで、それとなく聞かれて、二人はおかわりを所望した。

 お茶を注ぎながら、トーカはぽつりと呟く。


「まぁ、凄いか凄くないかは別として。私はあの方から離れませんよ。一生をかけても返せない、大きなご恩がありますので。」


 何か懐かしむような意味深な表情と、過去を臭わせる言葉。

 トーカというネコの獣人の過去に、アキは興味が湧いてきたが、流石にそれが触れて良い過去なのかと思うと聞き出せなかった。

 大きなご恩を受けた。魔物とされる獣人である。魔物の王である魔王に付き従う、つまり人間との敵対を意味する立ち位置。暗い過去があると、何とはなしに想像できた。


「どんな恩なんだ?」

(こういう時は、この暴食メスオーガの無神経さが羨ましいですよ。)


 さらっと聞くハル。アキも自分からは聞き出せないが、聞きたいとは思っていたので特に咎める事はしない。

 トーカは優しく微笑んで、お茶を二人の勇者に差し出した。


「面白い話ではないですよ。茶飲み話としても退屈でしょうが。」

「聞かせてくれ。」

「そうですか。でしたら、少しお話しましょう。私と魔王の出会いについて、」




 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 獣人というのは、獣人から生まれるのが一般的だが、稀に人から生まれる事もります。

 原因には諸説ある。過去からある獣人の血の覚醒、突然変異、呪いによるもの等々……しかし、原因は何にせよ、人から生まれた獣人の子供は忌み子として疎まれる事が大半です。

 恐らくは、私も忌み子であり、私を疎んだ両親は、私を捨てたのでしょう。

 残念ながら、私には生みの親の記憶はありませんので、あくまで推測です。

 恨みはありません。その場で殺されてしまう忌み子も居る中で、捨てるまでに留まったのは、最低限の愛情だったのでしょう。単に手を汚すのが嫌だったのかもしれませんが、それでも私は生かされたのです。


 捨てられて、そのまま死んでいく筈だった、そんな私が生きてこられたのは……私を拾ってくれたとある魔物のお陰でした。


 人語を解するオオカミ、賢狼(けんろう)。

 その中でも特に大きく、多くの賢狼、ウルフ種の魔物を従える"大賢狼"シェパードでした。


 とある森に捨てられた私を見つけた賢狼が、シェパードに私を餌として差し出すと、何を思ったのか彼女は私を育てると言いだしたそうです。

 人間を恨む賢狼達は、殺してしまえばいいのにと声を揃えて言ったそうですが、シェパードは「生まれたばかりの子供に何の罪があるのですか。」と、賢狼達の意見を撥ね除け私を娘として拾ってくれたのだそうです。


 賢狼達に育てられたのが幸いでした。私は彼らに言葉を習い、最低限必要な言葉を話せるようになりました。今、こうして生活できているのもその教育の賜です。

 彼らは最初は私を快く思っていませんでしたが、次第に一緒に生活しているうちに、私を娘や妹のように可愛がってくれるようになりました。本当にそう思っていたのかは分かりませんが、少なくとも私は彼らを兄のように慕っていました。


 特にシェパードからは様々な人間の常識や、生きる為の知識を教わりました。

 彼女は私にとって、母のような存在でした。


 森の中で賢狼達と共に過ごす日々に不自由はありませんでした。私はこのまま、賢狼達と共に、ずっと暮らしていくものだと思っていました。




 ある日の事です。

 森の中で、一人食料集めに出ていた私は、彼に出会いました。


「驚いた。賢狼の森に人間が居るとは。」

「…………お前は誰だ。」


 人間は危険だと教えられていた私は警戒しました。男は警戒を解くように荷物を捨て、両手を上げて、名乗ります。


「此処では"フユショーグン"と呼ばれている。"魔王"と言ったら分かりやすいか。」

「マオウ……?」

「知らないか。まぁ、魔物を支配するもの、で分かるか?」


 魔物とは何か。支配とは何か。それは当時の私も知っていました。

 魔王という名が意味するところも、私はその場で理解しました。


「…………その、マオウがこの森に何の用だ。」

「賢狼という魔物が居る。私は賢狼の長を探しているところだ。此処は賢狼の住処だ。人間は早く出る事だ。」


 魔物とは何か。人間とは何か。私は当然それをシェパードに教えられていました。

 魔王が今発した言葉は、私達にとっては許されないものでした。


「私達は魔物でも人間でもない……! 取り消せ!」


 賢狼は悪しき者と忌避される魔物ではない。

 私は卑劣で穢らわしい、世界を破滅に導く者、人間などではない。

 魔王放った私の一言で、魔王は私の境遇をほぼ理解したようでした。


「……お前は賢狼に育てられたのか?」

「そうだ!」

「そうか。であれば失礼した。無礼を詫びよう。」


 魔王は当時から、思いの外聞き分けが良かったのです。私の怒りの内容を理解したのか、すぐに無礼を詫びました。

 魔物の王であるにも関わらず、易々と頭を下げ、人間のような姿にも関わらず、私達を見下す事無く対等な立場で話していました。

 少し驚いたのですが、魔物であっても人間であっても、彼が敵には変わりません。


「……帰れ! 人間も魔物も敵だ!」


 威嚇すると、魔王はそこだけは強く拒みました。


「それは聞けないな。俺は賢狼の長に用がある。それに、お前を知ってしまった以上、見逃す訳にはいかない。」


 魔王は手を差し伸べ私に言いました。


「俺と共に来い。賢狼の娘よ。お前は此処で生きるべきではない。」


 此処で生きるべきではない。

 この男が何を言っているのか、理解に苦しみました。

 私が生きる世界は此処にしかない。外の世界は私を捨てたのだから。

 私は返事をせずに、そこから走り去っていました。


 この時、まだ私には知る由もありませんでした。

 この後に、この森に事件が起きようとしている事など。







 森に魔王を名乗る男が侵入した。私はそれをシェパードに早々に伝えなければならないと思いました。この森は人間も魔物も、あらゆる害ある侵入者を許しません。

 シェパードは気紛れに動き回る為、森のあちこちに散る賢狼達に行き先を聞きながら、彼らにも侵入者が現れた事を伝えるように頼みつつ、彼女を探し続けました。


 彼女を見つけた時、既に侵入者は、彼女との会合を果たしていました。


(先を越されたか……!)


 茂みに隠れて様子を窺います。シェパードは賢狼達の中でも最も強く、私は彼女以上に強いものを知りませんでした。

 話す間もなく、すぐに魔王は殺される。

 そう思っていたのですが、意外な事にシェパードは魔王と会話を交わしていたのです。

 話は途中から聞いたので、内容は分かっていません。しかし、魔王がシェパードに何かを伝えに来た事だけはすぐに分かりました。

 そして、彼の要求も、すぐに分かりました。


「……それで、私達にこの森を捨てろと?」


 この森を捨てる。それが魔王の要求でした。

 そんなの受け入れられる訳がない。当然、シェパードも断ると思いました。


「できないな。この森を捨てた私達に一体どこで暮らせと?」


 魔王はすぐに答えます。


「より住み良い場所なら俺が提供しよう。先程俺が使った力を見れば、移住も不可能ではない事は理解して貰えた筈だ。」


 魔王は何か力を見せたようでした。そう言われたシェパードは、その言葉を否定しませんでした。きっと、納得いくだけの根拠を見せられたのでしょう。

 まさか、本当にこの森から去るというのか。

 シェパードは静かに答えました。


「私達に、人間から逃げろと言うのか? できないな。此処から移り住んだ先でも、人間が現れれば逃げるのか? 私達に永遠に逃げ続けて生きろというのか?」

「逃げるとしても、生きてこそだろう。」

「誇りもなく、他の者の都合で生きる。それが生きていると言えるのか?」

「生きていれば誇りなど幾らでも取り返せる。」

「お前には賢狼の誇り高き生き様は分からんだろう。あらゆる世界から逃げ続けてきた異界の王などにはな。」


 シェパードは魔王の要求を拒否しましたた。そして、高らかに宣言します。


「たとえ滅びようとも、最後まで逃げる事なく、真っ向から立ち向かう。それが賢狼の生き様だ。」


 私はシェパードが期待通りの返答をした事に喜びました。

 魔王も言い返せない筈だ。そう思ったのですが、魔王は少し語調を強めて言い返します。


「その誇り高き生き様は賞賛に値する。だが、他の者を巻き込むな。」

「……何だと?」


 魔王の言葉を受けたシェパードは凍り付くような殺気を張り巡らせました。

 しかし、臆する事無く魔王は続けます。


「戦いたければ勝手に戦うといい。満足行くまで戦い死ねばいい。しかし、種を巻き込み自己満足の為に滅亡を選ぶな。それは愚か者のする事だ。」

「……愚か、だと?」

「それだけではない。お前達の側に、獣人の娘がいるな?」

「……会ったのか。」

「あの娘まで巻き込むのか。人間との、同族との戦いに。」


 飛び出していきそうになった私に代わり、シェパードは唸り声を上げて、魔王を威嚇する。


「侮辱するな。あの娘は人間ではない。」


 しかし、一歩も引くことなく魔王は反論しました。


「分かっている筈だ賢狼の長。あの娘は人間だ。認めてあの娘を人に戻せ。」


 シェパードが声を荒げます。


「黙れロリコンジジイ!」

「ロリコンジジイはやめろ。」


 魔王は少し凹みました。いえ、違いました。大分凹みました。

 あまりにも悲しそうな顔をしたので、シェパードが少し申し訳なさそうに、咳払いをして、声を落ち着かせて話し始めます。


「ちょっとそれは言い過ぎたごめん。だが、お前にあの娘の不幸が癒やせるのか。親に捨てられた、人にも魔物にもなれぬ哀れな娘だ。お前にトーカが救えるのか。」


 シェパードの問いに、魔王は少し気を取り直して答えました。


「分からん。だが、困らない程度の衣食住を提供し、何ならまともな仕事を紹介し、趣味に費やす給金を支払い、病気などに備え主治医も紹介し、蓄えを残す術を提供し、老後も安心の人生設計を提供する事はできる。」

「い、意外と手厚い好待遇。」


 シェパードが若干断りづらい空気になってきていました。

 しかし、と。シェパードは返します。


「そこまで言うなら好きにしろ。」

「感謝する。」


 私はそこまで聞いて逃げ出していました。

 シェパードが、私を魔王に差し出した。

 当時の私は、唯一私を拾ってくれたシェパードにまで、捨てられた、なんて思ってしまっていたのです。

 今思えば、勘違いにしても、あまりにも愚かでした。





 シェパードと魔王の元から逃げ出した私は、森の出口の側まで離れていました。森の出口まではシェパードは普段やってきません。彼女に万が一にも見つかりたくなかったのです。


(シェパード、どうして……? 私は、あなたの娘じゃなかったの?)


 ショックでした。私が人間だという言葉を、シェパードが最後は否定しなかった事が。醜い生き物だと教えられてきた、私を捨てた人間。それと私が同じ生き物だと言われている気がして、胸が痛みました。

 そして、魔王の要求を最後まで撥ね除けなかった事が、たまらなくショックでした。

 死ぬまで一緒に生きる家族だと、私はずっと思っていたのに。


(私はオオカミなの? 人間なの? 魔物なの? 私は一体何なの? 私の居場所は……一体何処なの?)


 私は、私が何者なのか、分からなくなっていました。

 そんな私に悩む暇も与えずに、事件は起こります。


 ドォォォォン!と、響き渡る爆音。音に気を取られて振り返ると、森から火の手が上がっていました。

 賢狼達の寝床がある場所だと気付いた私は、気付くとすぐに駆けだしていました。


(何が起こったの!?)





 火の手が上がる場所に駆け付けた私が見たのは、森に火を放つ人間達の姿でした。

 賢狼やウルフ達が、次々に人間に襲い掛かりますが、瞬く間に斬り殺され、焼き殺され、数を減らされていきます。


「どうして人間が……!」


 私は茂みに潜みながら、すぐさまシェパードの元を目指しました。

 彼女に報告しなければ。彼女の身にも何か起こっているのではないか。

 もう先程見たシェパードと魔王のやり取りなどどうでも良くなっていました。

 森が焼かれている。人間に。仲間が殺されている。人間に。


 シェパードの隠れ家に辿り着くと、私はすぐさま報告します。

 そこには、まだ魔王も残っていました。


「シェパード! 人間が!」

「……本当に来たのか。早いな。」


 シェパードはまるで知っていたかのような口振りで、ぽつりと呟きました。

 そして……。


「トーカ。こっちに来なさい。」


 私はシェパードに言われるままに側に寄ります。シェパードは鼻を私にこすりつけてきました。


「シェパード?」

「よく聞きなさいトーカ。あなたにはこれから、この男について、森を出ていくのです。」


 先程の、シェパードと魔王の会話を思い出しました。

 シェパードはやはり、私を魔王に差し出すつもりだったのです。


「嫌! 私は行かない!」

「これから私達は人間と戦います。」

「私も戦う!」

「許しません。」

「どうして!? 私がシェパードの本当の娘じゃないから!? 私が狼じゃないから!? 私が……人間だから!? 魔物だから!?」


 シェパードは口の端を釣り上げました。


「貴女が私の娘だからです。」


 私は言葉を詰まらせました。

 そんな言葉が聞けるとは思っていなかったから。


「最初はほんの気紛れだった。ほんの少しの哀れみもあったのかも知れない。人から生まれながら、人に疎まれ、獣の特徴を持ちながら、獣とも相容れない、孤独な哀れな赤ん坊。見捨てる気にはなれなかった。でも、面倒を見て、言葉を教え、生き方を教えている内に、次第に違う感情も抱くようになった。……この感情が何なのかは、私にも最後まで分からず終いでしたが。」


 シェパードが私を舐めました。


「ただ言える事は、私は貴女に生きて欲しい。それだけです。」

「でも……! 私は……!」


 私はこの森の外では生きられない。

 シェパード達以外の皆とは生きられない。

 人間や魔物達などとは決して相容れない。

 私は何として生きればいいのか。何者にもなれない私に生きる価値があるのか。

 涙が溢れ、シェパードに柔らかい毛に顔を埋める。


 しかし、感傷に浸る間も人間は与えませんでした。

 駆け付けた賢狼が告げます。


「長! 人間がもうそこまで!」

「……行きなさい、トーカ。」

「嫌だ! 私は!」

「これは長の命令です! 行きなさい! トーカ!」


 シェパードの怒鳴り声に私は怯み、離れます。

 そんな怯えた私に、シェパードは優しく微笑みました。


「そしてこれは母の願いです。生きなさい。トーカ。私達の分まで。」


 最後にシェパードは魔王に歩み寄り、静かに、重々しく話しかけました。


「異界の王。娘を任せます。」

「承知した。誇り高き賢狼の長よ。」


 魔王は深々と頭を垂れ、再び顔を上げると、私の手を取りました。


「私は……。」

「俺と共に来い。トーカ。生きろ。お前の家族の分まで。」


 魔王の魔法の穴を通って、私は森から逃がされました。

 逃げる際に、穴の向こうで火が立ち上がり、シェパード達を包み込むのが見えました。

 こうして私は、森の外へと出る事になったのです。








 私が移動したのは、森から少し離れた洞窟の中でした。此処から、次々と森から出てくる人間達の姿が見えます。

 彼らは、死んだ賢狼達を次々に荷車に乗せて運び出していました。


「人間達が賢狼の森に狩りに入るという情報を得た。賢狼は余すところなく価値を持つ。好んで狩る人間も多い。だから俺は賢狼達を逃がす為に来たのだ。」


 魔王は目的を語ります。


「若い賢狼達は既に他の安全な場所に避難させた。残ったのは年老いた狼達だ。一方的に蹂躙され、踏みにじられ、逃げ回る事を彼らは許せなかった。一矢報いると彼らは言っていた。……まぁ、それは建前なのだろう。賢狼を捕らえられなければ人間共は躍起になる。少しでも、成果を得られれば、一旦は奴らも満足するだろう。種族の為に、家族の為に、彼女達は残る事を決めたのだろう。」


 家族達を物のように運び出す人間達。

 私は唇を噛み締めます。


「……シェパード達も助かる道はなかったのか。」

「人間を迎撃する事はできなくもない。しかし、反撃していれば、更に人間は躍起になり、更に凄惨な争いが起こるだろう。俺はまだ、人間達の前に表立つ事はできない。」


 悔しい。目の端から涙が流れ落ちました。

 物として、売られていく家族。見ているだけで胸が締め付けられました。

 そんな私の表情を見て、魔王は「ふぅ。」と溜め息をつきました。


「……だが、傲慢な者に天罰が下ったとなれば、復讐の連鎖は続くまい。」


 魔王の方を見ます。どこか物憂げな表情で、魔王は手を天にかざしました。


「本当は骨が折れるからやりたくはないのだが……誇り高き賢狼への弔いに。これでお前の溜飲が下がるとは思えないが、お前の悔しさをぶつけてやる。」


 魔王が空を指差し、私はそれを目で追いました。

 森から引き上げる人間の列。その上空に、無数の、大きな穴が空きました。


「"七次元門(セブンスゲート)"。接続先は神代。愚か者達に、裁きを司る、神話の雷を。」


 穴から降り注ぐ、無数の雷が、撤退する人間達を吹き飛ばします。

 森を包むように、人間達の列に火が付きました。

 逃げ惑う人間達。荷車は吹き飛び、燃え盛り、どんどん消え去っていきます。


「人間を皆殺し……とはいかないが。お前の同胞が人間の好きなようにされる事はないだろう。」


 魔王は降り注ぐ雷を遠く見ていました。

 その横顔を見上げ、疑問に思います。


「お前はどうして私達を逃がそうとした? お前はどうして私達の為に人間に手を下した?」

「なんとなくだ。だから、救えなくても申し訳無いとは思わないし、感謝しろと言うつもりもない。」


 魔王は感情の籠もらない声で言いました。

 救えなかった後悔も、感謝など要らないという気遣いもなく、ただ本心からそう言っているように私には聞こえました。


「……魔王。私はこれからどうやって生きていけばいい。」

「俺が生活は保障する。賢狼の長と約束したからな。」


 シェパードは私に生きろと言いました。

 でも、私には生きる意味がありません。


「……私はこれから何の為に生きればいい。」


 魔王に聞く事ではなかったのかも知れません。

 しかし、魔王は答えてくれました。


「今は『生きろ』と言われたから。それだけでいいんじゃないか。生きる理由は生まれながらにして持つものではない。生きながら見つけるものだ。」


 生きろと言われたから。

 私は胸をぎゅっと押さえました。


「……私は一体、何なのだろうか。狼なのか。人間なのか。魔物なのか。」


 魔王は答えます。


「お前はトーカ。賢狼の長、シェパードの娘だ。それでは足りないのか?」

「……その聞き方は卑怯だ。」


 答えは決まっています。


「十分だ。十分過ぎる。」


 強く賢く誇り高い、偉大な賢狼の長シェパード。

 彼女から与えられた名前。そして、彼女の娘だという、この世界で最も誇らしい称号があれば、私には他には何も要りませんでした。


「トーカ。改めて言おう。俺についてこい。」


 私達を救おうとし、私達の為に人間を裁いた、魔王。

 いつの間にか、私はそんな彼に心惹かれていました。

 彼と一緒であれば、こんな悲しい出来事は防げるのではないか。

 彼がこれから何を成していくのか。私はそれが見たいと思いました。


 でも、それを言うのは恥ずかしかったので、私は手を差し出し、魔王に言いました。


「……仕方ない。ついていってやる。私はシェパードに『生きろ』と言われたから。」


 魔王はふっと微笑んで、私の手を取りました。


「今はそれでいい。」





 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 話を聞き終えたハルは口元を押さえながら、小さな声を出す。


「……そんな事があったんだな。」


 アキは顔を覆い隠し、ぼそぼそと呟く。


「……ごめんなさい。辛い事を思い出させて。」


 トーカは困った様に笑うだけだった。

 

「人間もそんな酷い事をしていたんだな……。それに、魔王、あいつやっぱ魔王っぽいところあるんだな。でも、良い奴だ。」

「私達も考え直す必要があるのかも知れません。二度と、こんな悲しい事を繰り返さない為に。」

「そうだな。もっと、分かり合えるのかも知れない。今、こうして同じコタツを囲んでいるように。」


 涙を拭い、ハルがトーカに手を差し出す。

 アキもそれにならい、目を真っ赤にしたまま手を差し出す。


 トーカはその手をそれぞれ取る。


「湿っぽい空気になっちゃいましたね。ごめんなさい。」

「……いや、謝るのは私達の方だ。酷い事をした人間じゃないし、代わりにもなるとは思えないが……ごめん。」

「ごめんなさい……トーカさん。」

「やめて下さい。気に病む事なんてないですよ。」


 トーカは握手をとくと、苦笑し頬を指で掻いた。












「今の嘘ですし。」


 ハルは涙を拭いながら、トーカの言葉を復唱した。


「今の嘘か。そうか……………………ん? 今なんて言った?」

「今の嘘ですし。」

「…………ちょっと待って下さい。え? どこが?」

「全部です。最初から最後まで。」

「ちょ、ちょっと待て。」


 ハルが顔を押さえながらSTOPと手を前に出す。


「お前の育ての親の賢狼は?」

「そんなのいません。」


 アキもちょっと待てと手を前に出し問う。


「え? 獣人だから捨てられたっていうのは?」

「そんなのありませんよ。そもそもこれ付け耳ですし。」


 そう言って、トーカは頭についたネコ耳を外した。


「!?」

「!?」


 ハルとアキが絶句する。

 トーカはその表情を見て「うふふ。」と笑った。


「驚きました? 全部嘘です! 私が魔王様についてるのはお給料がいいっていうのと、単に面白そうだからってだけで、特にそういった悲しい過去はありませーん!」


 ハルとアキの顔がたちまち赤くなっていく。


「いやぁ、なかなかの作り話だったでしょう? お二人とも私の為に涙まで流して下さって……途中で流石に申し訳なくなってしまいましたよ!」

「お前……!」

「…………この……ッ!」

「あれ? 怒った? おこただけに! あっ、今のはコタツを『おこた』という事があるので、それに引っ掛けた駄洒落でして……。」


 ハルとアキは初めて息をピッタリ合わせて声を上げた。


「ふざけんなッ!!!!」


 今日は4月1日、エイプリルフール。

 嘘を吐いても許される日である。




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