第8話 勇者魔王問答(勇者編)




 謎のおっさんと猫耳メイドに招かれ開かれた鍋パーティ。

 勇者ハルに呼ばれるがままに、何の集まりか分からぬまま参加していた勇者ナツだったが、食事を御馳走になったのは紛れもない事実であり、その恩義に対して報いないのは勇者の名が廃る。


 勇者ナツは、酒瓶を入れた布袋を片手に、以前に来た山小屋を訪れていた。


(酒で大丈夫だよな。確かあのおっさんは酒が好きそうだった。メイドには窘められていたが、まぁ、少しくらいならいいだろう。他に何が好きかとかは話してなかったしな。)


 あの時はハルに引き連れられてろくに周囲に気を配っていなかったが、山小屋の入り口には不思議な言葉が書かれていた。


(魔王城……?)


 魔王城。文字通り、魔王の城である。

 この世界における魔王と言えば、魔物の王を指すのが常識である。

 勇者の宿敵であり、最終目標であるその名をどうして、あのおっさんの家が掲げているのか。

 そう言えば、魔王と呼ばれていたあのおっさん。


(……いや、まさかな。)


 魔王があんなおっさんな訳ないし、魔王の城がこんな辺鄙なところにある小屋の訳がない。冗談か、それとも魔王とは別の魔王さんか。多分そんな感じの無関係の人だろう。ナツはそう思うことにしてドアをノックした。

 はいはい、とおっさんの声がして、ドアが開かれる。


「……えっと、勇者ナツ、だったか?」


 おっさん(話の都合上、魔王と呼称する)が出てくる。

 部屋を見ると、どうやら今日はメイドは居ないらしい。

 半纏姿のおっさんは、驚いた様子でナツを見ていた。


(そうか。いきなり尋ねたらそりゃ驚くか。とはいえ、連絡を取る手段もないし。ここを尋ねるしかないよな。別にお礼の品を渡したいだけだし、これだけとっとと渡して帰ろう。大して迷惑でもないだろう。)

「…………これを。」


 ナツは酒を入れた袋を差し出す。

 魔王はそれを驚いた様子で見ると、ナツの方を見て尋ねる。


「これは何だ。」

「…………酒だ。」

「酒?」

「…………先日、鍋を御馳走になった。……その礼だ。」


 端的に告げると、やはり魔王は驚いているようだった。

 何をそんなに驚くことがあるのか。受けた礼を返しただけなのに。


(何か問題があったか。酒を控えているから迷惑だったか。それともやっぱり急に押し掛けたのが悪かったか。まぁ、迷惑だったら返して貰ってまた後日、菓子折でも持って尋ねればいいか。今度は都合の良い日でも聞いて……。)


 長々と思考を巡らすナツだったが、それは杞憂に終わる。


「これはどうも。有り難く頂こう。」


 淡く微笑む魔王。どうやらお気に召したらしい。

 これで用事は済んだ。ナツは早速帰ろうとする。


「…………では、これで。」

「ああ、待て。」


 しかし、軽くお辞儀をして去ろうとするナツを魔王が呼び止める。


「上がっていけ。冷えただろう。茶でも出すから少し温まっていくと良い。」


 ナツは少し驚いてきょとんとしてしまったが、別にこういった流れを予想していなかった訳ではない。

 客人をそのまま帰すというのも、人によっては納得できない事もあろう。この魔王というおっさんの人の良さが窺える。


 今日は正装は着てきていない。

 普段の上半身無装備スタイルである。己の身に重きを置く彼にとって、服は邪魔なのだ。

 寒そうだなと良く言われるが、ナツは鍛錬の一環で寒さに耐える訓練を重ねた末に、猛吹雪の中でも裸で余裕で過ごせる程の耐寒性能を保持しているのだ。

 氷系の魔物は相手にならない。


 しかし、温かさが恋しくなる事もある。

 魔王の面子もあるし、懐かしいコタツの温かさにも少し惹かれたので、ナツはその誘いを受ける事にした。


「では、お言葉に甘えて。」




 魔王城は狭い。しかし、この狭さが不思議と落ち着く。

 以前に勇者の任命式で招かれた城は広すぎて、どうにも落ち着かず、立食会の時には常に壁にくっついて落ち着きを取り戻そうとしたものだ。

 やはり、部屋は狭いくらいが丁度いい。

 早速促されるままにコタツに入ると、更にその窮屈さと温かさが心を和らげる。


(極楽極楽……。冬はやっぱりコタツだな。しかし、この世界にもコタツがあるとは。電気はどこから来ているのだろうか。魔法で動かしているのか。コードは……あるな。コンセントもある。此処には電気が通っているのか。電気は魔法由来だろうか? それとも発電施設がある? ……この世界では全然そんなもの見た事ないな。そう言えば、鍋もこの世界では見た事がない。電気カーペットもだ。これではまるで、俺が以前に居た世界のようだ。)


 ナツにはある秘密がある。

 ごく普通の平民の家庭に生まれ、冒険者の父に格闘技術を学んで育ったナツであるが、彼は生まれながらにして、別の世界で過ごした記憶を保持していた。

 "転生者"と呼ばれる特殊な存在。それがナツなのである。


 とはいえ、前世は平凡な青年だったナツが持っていたのは、「口は災いのもと」であったり、「努力は裏切らない」であったりといった、経験からなる教訓程度だったので、大したメリットにはなっていなかったりする。

 希代の天才と知られる彼だが、前世の記憶を活かしているのではなく、実際は人一倍影で努力しているだけである。「努力を見せられるのが好きな人間と嫌いな人間がいる」という前世の経験から、影で努力しているので誰もそんな事は知らない。


 それはそれとして、前世の記憶がまともに役に立ったのはナツにとってもこれが初めてであった。全然世界観が違うので、何一つ使えなかった知識が初めて活きる。

 ナツは他の者では至れなかったあるひとつの可能性を見出す。


(……まさか、この魔王という男も、俺と同じ世界を知っている?)


 部屋に入れて貰って以降、黙りこくっている魔王を見て、ナツは僅かに期待に胸を膨らませた。

 同じ境遇の人間に出会える事は嬉しい。共有できない孤独は苦しい。

 ナツは答えを知りたいとはやる気持ちを抑え、魔王の様子を窺った。


「……お茶のおかわりは如何?」


 魔王が口を開く。気を利かせてくれたのか。やはり、良い人のようである。

 しかし、水分の取りすぎには気をつけているナツは丁重に断る事にした。


「…………お構いなく。」


 やはり、魔王というこの男は良い人だ。

 たとえば、魔王が"転生者"であった場合、彼がナツと敵対する存在ではないとは言い切れない。前世の記憶を持つ事をアドバンテージとする者である場合、同じ知識を持つ者は脅威となる筈だ。この場で争いが生じても不思議ではない。

 故にナツはまず魔王の人柄を探ろうとしていた。


(悪い人じゃない。ハルが懐いているのを見ても、それは間違いないはず。しかし、唯一残る懸念は……やはり、『魔王』という呼称か。流石にそれはないとは思う。だが、慎重になりすぎて困る事はない。この『魔王』というものが何を意味しているのか、その答えは知っておきたい。)


 ナツは最初の危ない橋に踏み出す。


「…………魔王とは何か。」


 魔王の意味する事とは。

 そのまま魔物の王という意味なのか。勇者の敵対者なのか。

 魔王はしばらく難しい顔をした後、開き直ったようにさっぱりとした顔になって答える。


「……魔王とは、"深淵を覗くもの"、といったところか。」


 ナツは魔王の答えを聞いて思った。


(何言ってるんだこいつ。)


 深いことを言っているのかも知れないと思ったが、何かそれっぽい単語を並べたようにしか聞こえなかった。

 このそれっぽい言い回しを好む病気をナツは知っている。


(これあれだ。中二病ってやつだ。)


 ナツは確信した。

 このおっさんは自分を魔王だと思っている、ちょっと妄想が好きなおっさんである。変な人だが悪い人ではない。


「……………………成る程。」


 これであれば聞けるかも知れない。

 ナツはいよいよ本題を切り出す。


「…………貴方も"転生者"か?」


 魔王は一瞬表情を変える。ナツはそれを見逃さなかった。

 何かに気付いてしまったような表情。

 しかし、すぐに取り繕って、魔王は聞き返す。


「……何故、そう思う?」


 ナツはこれ以上、言葉を濁す必要はないと考えた。

 間違いない。彼は"同じ"だ。


「…………コタツ、鍋、電気カーペット……全て、"この世界"にはないものだ。だが、俺は知っている。そう、俺の"前世"で見た記憶がある。…………だから思った。貴方も、"俺の前世の世界"から"転生"させられた、"転生者"なんじゃないか、と。」


 根拠は十分にある。

 再び、ほんの僅かだけ、魔王は表情を変える。

 何かを恐れるような、そんな表情がナツには見えた。


「……ざ、残念ながらそれは違うな。俺は俺で"外の世界"を知る手段を持っているだけだ。」


 "外の世界"の存在は認める。言い逃れができないと思ったのだろう。どこか詰まった言葉からは、自身の出自を知られたくないという思いが見えたような気がした。


(確かに、早計だったかも知れない。秘密を共有したいと俺が思う一方で、秘密を隠し通したいと思う者もいるだろう。魔王は後者なのかもな。俺は俺の感情を優先して、そこまで配慮せずに発言してしまっていたのか。失敗したな。『口は災いのもと』。散々前世で学んだだろうに。馬鹿か俺は。)


 口惜しく思いつつも、ナツは一旦身を引く。

 但し、ほんの少しの未練を残して。


「…………そうか。初めて出会う"仲間"だと思ったが。残念だ。」


 仲間になりたかった。そんな想いだけは伝えておく。

 やはり、踏み入られたくない領域だったらしい。魔王はどこか安心した素振りを見せた。


「うむ。」


 重々しい呟きからは安堵を含んだ軽さも見えたような気がした。


(今後は慎重に話そう。もしかしたら唯一の、俺の理解者かも知れない相手だ。少しずつ、近付いていこう。お互いの気心も知れない内に先走る必要などない。慎重にだ。打ち解けた後なら、もしかしたら話せるかも知れない。同じコタツに入った中、仲良くなるのにそんなには時間は掛からない筈だ。それには共通の話題があると良いかもな。しかし、俺は酒はてんで駄目だ。何か共通の話題の材料でも見つかるといいのだが……。前世の話をどんどん持っていっても警戒されるだろうし。まぁ、焦る事はない。少しずつ探っていこう。それから……。)


 ナツが思索にふけっていると、ふと魔王が口を開く。


「ところで、勇者よ。腹が空いていないか? お茶漬けでも如何かな?」


 唐突に勧められるお茶漬け。

 ナツは以前の鍋の際にした自身の発言を思い返す。


 ―――俺は米が欲しくなるな。


 魔王はその言葉を覚えていたのだ。

 この世界には米がない。今思い返せば、そこも魔王がナツと同じ世界の人間である事を示すヒントだったのだ。そう言えば、トーカというメイドも知っていた。あの娘も同じ転生者なのかも知れない。


(それを探るのは今はいい。重要なのは、魔王が俺に米を勧めて来てくれた事だ。米を食べたがっていた俺に米を用意してくれるという。好意的な接触じゃないか。そして、前世の食べ物を共有する事は、前世についての話題を魔王自ら振ってきてくれたとも取れないだろうか。今はまだきつく閉ざされていたと思っていた魔王の秘密は、思いの外開かれつつあるのかも知れないな……。)


 ナツはパンと膝を叩いて気合いを入れる。

 応えよう。俺は何も偽らない。丸裸だ。


「…………いただこう。」


 久しく口にしたお茶漬けは、市販のふりかけで質素なものだったが、コタツの温かさも相まって、とても暖かくて、腹だけでなく心まで満たしてくれるようだった。


 気付けば時間が大分経っている。ナツは色々と考えすぎていたらしい。

 お茶漬けを食べ終わった頃に、ナツは壁の時計に気付き、そろそろ帰らなければいけないと思った。


「…………ご馳走様。」

「う、うむ。」

「…………長い時間お邪魔した。そろそろ失礼する。」


 ナツは立ち上がり、出口へと向かう。


「…………今後はまた別の土産を持ってくる。」

 

 魔王にそう告げて、ナツは表情には出さないが、喜々として寒空の下に踏み出した。








 魔王の小屋を出たところで、ナツはハルと出くわす。


「おおっ? ナツ。来てたのか。」

「…………ハ、ハル?」


 まさか、また此処に来ているのか。

 どうやら相当にハルは魔王に懐いているらしい。


(……まぁ、食べるのが好きなハルからしたら、異世界の食物が多い魔王のところは楽しいんだろう。……少し、複雑な気持ちだが。)

「ナツ、お前、裸って正気か? 寒くないか?」

「…………大丈夫、慣れてる。」

「魔王に上着借りてった方がよくないか?」

「…………大丈夫。もう帰る。」


 ハルが心配してくれている。それだけでナツは心が温まる。


「何か食べたのか?」

「…………お茶漬けを御馳走になった。」

「オチャヅケ? 何だそれ美味しいのか?」

「…………ああ、美味かった。」

「そうなのか! よし、私も貰おう! じゃあ、またな!」

「…………ああ、また。」


 喜々として、魔王の小屋をノックしにいくハルの後ろ姿を微笑ましく見つめてから、ナツは雪山を歩き出す。


 雪は降りしきっていたが、勇者ナツの心は晴れ渡っていた。



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