第7話 勇者魔王問答(魔王編)




 コタツに入るは二人の男。

 部屋の奥に構えるは、体調が悪いのか心配になるくらいに色白なおっさん。悪名高き魔物達の王、魔王フユショーグン。

 相対するは丁寧に鍛えたシャープな筋肉を剥き出しにする精悍な顔つきの男。その身一つで魔物と戦い、いつからか"拳王"と呼ばれていたデッカイドー最強の武闘家であり、その実力故に今世代の勇者として選ばれた男、勇者ナツ。


 二人の敵対する男がコタツに入り向かい合う熱気溢れるこの状況に至った経緯とは……?






 ―――話は数十分前に遡る。


 唐突にノックされる魔王城。今日の魔王は用事もないのでコタツで一人ぬくぬくと温まっている。基本、魔王のオフ日は魔王以外にこの部屋には誰もいない。魔王の不在時には側近兼家事手伝いのトーカが掃除に来たりもするのだが、滅多に一緒に居ることはない。年頃の娘と同じ屋根の下で普段から過ごすというのも宜しくないだろう、という魔王なりの配慮である。

 そんな訳で一人で居る魔王が、ドアに向かう。


 どうせあの大食らいのアホ勇者だろう。


 そんな気持ちでドアを開くと、そこには珍しい顔が立っていた。


「……えっと、勇者ナツ、だったか?」


 勇者ナツ。先日、鍋パーティの参加者として勇者ハルが連れてきた男である。

 折角鍋をするんだし大勢でやった方がいいと思い、身内に声をかけたけど全員悉く断りやがったので、仕方なしにハルに呼び掛けを頼んだ際に訪れた男である。

 冗談で他の勇者を誘ったら、と提案したら本当に誘ってきた。こいつら勇者は本当に魔王と敵対している自覚があるのかと、魔王は疑問に思っていた。


 その勇者が突然尋ねてきた。ハルとは違い食い意地を張っているようには見えなかったので、意外だった。


 ナツはしばらくの沈黙の後、口を開く。


「…………これを。」


 少し日焼けした腕により差し出したのはひとつの袋。魔王が受け取ると、中身は何かの瓶のようだった。


「これは何だ。」

「…………酒だ。」

「酒?」

「…………先日、鍋を御馳走になった。……その礼だ。」


 魔王は驚いた。

 勇者ハルは何度食べ物を与えても、礼のひとつをした事もなかったからである。

 故に勇者は物を貰う事に対して何の礼儀も感じずに、平気な顔をしているような人種だと思っていた魔王は、ナツの返礼など予想もしていなかった。

 しかも、持ってきたのは酒。魔王の好物のひとつである。前に鍋パーティの際に、トーカと酒について話していたのを聞いていたのか。意外と話を聞いているのだな、と話を聞かないハルと比較し感心しながら、魔王は淡く微笑んだ。


「これはどうも。有り難く頂こう。」

「…………では、これで。」

「ああ、待て。」


 軽くお辞儀をして去ろうとするナツを魔王が呼び止める。


「上がっていけ。冷えただろう。茶でも出すから少し温まっていくと良い。」


 勇者ナツに感心した、という理由も勿論あったかも知れない。

 しかし、魔王がナツを呼び止めた最大の理由はそこではなかった。


 ナツは少しきょとんとした様子だったが、さらけ出された肩の雪を払い落として、頭を下げた。


「では、お言葉に甘えて。」


 雪に隠れていた、筋肉で盛り上がった肩が剥き出しになる。

 腹筋に引っ掛かった雪も、ズボンの雪も落として、ナツは魔王城に踏み入った。


(何でこいつ裸なんだ……?)


 勇者ナツは上半身裸であった。

 このクソ寒い雪山の中でである。

 見ているこっちが寒すぎて、魔王は思わず勇者を魔王城へと上げてしまった。





 ―――そして、今に至る。


 相変わらず上半身裸の勇者ナツ。マジで服を持ってきていないらしい。

 デッカイドーは寒い日が圧倒的に多い大地であり、住人達は寒さにある程度の耐性を持っているらしいが、流石に裸は魔王も聞いた事がない。

 しかも、コタツに入っていると、唯一布を纏った下半身が隠れるので、魔王視点だと全裸の男が目の前に座っているように見えて視界が辛い。

 何でこいつを上げてしまったのか、と魔王は既に後悔していた。


 しかし、魔王の後悔はまだここで止まらない。


「…………。」

「…………。」

「…………。」

「…………。」


 続く沈黙。魔王は思う。


(……何か喋れや!)


 勇者ナツは無口である。魔王の前に陣取ってから数十分、一言も発していない。

 ある意味凄い。色白のおっさんと向かい会って、黙ったまま、何の動きも見せずに数十分座っていられる胆力は凄まじい。出したお茶にも最初に一度だけ口をつけただけで、それ以降一切触れていない。

 空気が重すぎる。耐えている勇者も凄いのだが、全裸(に見える)筋肉男が正面で無言で真顔で座り続けている魔王の心労は計り知れない。

 かつてない責め苦に耐えかねて、いよいよ魔王は自ら動き出した。


「……お茶のおかわりはいかが?」

「…………お構いなく。」


 あっさり断られた。会話が続かない。魔王はぐうと唸った。


(気まずいんだよ……! 何か喋れや……!)


 上がれと言ったが、上がった後にコタツに入ったままだんまりだとは思わない。この勇者は何をモチベーションとしてこの沈黙に耐えているのか。

 再び沈黙が訪れる。


 何分経っただろうか。何時間にも思える重苦しい時間が過ぎ、やがて勇者ナツは口を開いた。


「…………魔王とは何か。」


 魔王は一瞬戸惑う。しかし、真っ直ぐにナツは魔王を見ている。

 今のは質問なのだろう。


(魔王とは何か……? 哲学か何かか……?)


 魔王フユショーグンを名乗る彼自身も、実際のところ魔王というものが何なのか説明できない。魔物の王、というのが勇者達の認識からすれば正しいのだろうが、敢えてここで聞いているという事は、何か違う答えを求めているのだろう。

 しかし、実際の魔王の、というより彼自身の仕事を教えたところで納得できないだろう。恐らくは彼の仕事は、勇者やデッカイドーの人間が思っているものとは掛け離れすぎている。


 魔王は考える。

 しかし、勇者を正しく導く程、親切でもないのですぐ面倒臭くなった。


(何かそれっぽい事言っておけばいけるか……?)


 魔王は想像しうる限りそれっぽいことを言ってみた。


「……魔王とは、"深淵を覗くもの"、といったところか。」


 言い切った後に魔王は思った。


(我ながら何言ってるのかわかんねぇなこれ。)


 言った後から恥ずかしくなってきたのだが、恥ずかしさをさらけ出す方が恥ずかしくなると思い、あくまで堂々たる空気は崩さない。

 すると、無表情の勇者はしばらく黙った後にゆっくりと口を開いた。


「……………………成る程。」

(成る程……?)


 何が成る程なのか。意味など無い適当な台詞に何を見出したのか。

 魔王はごくりと唾を呑む。

 勇者ナツは腕を組み俯くと、目を閉じ再び黙り込む。


(いや、黙るのかよ……! 何が成る程なんだよ……!)


 魔王がちょっとイライラする。正直もう帰って欲しくなっていた。

 ナツはハルよりまともだ、という考えは既に改められている。こいつはハルより数倍は面倒臭い。

 喧嘩に自信はないが、いっその事戦ってもらった方が有り難いとさえ魔王は思い始めている。

 そんな魔王の心中を知ってか知らずか、ナツはゆっくりと顔を上げた。


「…………ひとつ聞かせて欲しい。」

「……な、何だ。」


 正直これ以上何も会話したくなかったが、反射で聞き返してしまった。

 聞かせて欲しい、の後また黙り出す。何故かこのナツという男、いちいち言葉のタメが長い。無駄に長い。


「…………貴方も"転生者"か?」


 魔王は確信した。


(こいつ……患っている……!?)


 魔王は、勇者ナツがとある世界の大病を患っていると確信する。

 年頃の少年が漫画やゲームの中の登場人物のような気分になり、ありもしない現実を実際の世界に持ち込んでしまう誇大妄想癖。成長すると恥ずかしくて死にたくなると言われる疾患。その名も……。


(チューニ病……!)


 ファンタジー風世界に居ながらにして、こいつは患ってしまっている。


「……何故、そう思う?」


 適当に流せば良いのだが、この魔王、そうするとあまりにナツが気の毒なので乗ってやる。ハルを寒い中放り出さずに魔王城に上げてやる等、基本、人が良いのである。

 魔王の問いに勇者は答える。


「…………コタツ、鍋、電気カーペット……全て、"この世界"にはないものだ。だが、俺は知っている。そう、俺の"前世"で見た記憶がある。…………だから思った。貴方も、"俺の前世の世界"から"転生"させられた、"転生者"なんじゃないか、と。」


 "この世界"という言い回しを聞いて、魔王は一瞬ハッとした。

 そして、"転生者"という言葉を頭に入れて、記憶の蓋を開く。


(何それ知らんし、怖っ!)


 魔王は"この世界"の外側にある世界を知っている。

 コタツ、鍋、電気カーペット、魔王が扱うこれらがその外側から持ってきたものである事はナツが言った通り正解である。

 しかし、"転生"とか全く知らない。

 全く知らないが、外の世界については正解をを言い当てたので、魔王は正直勇者ナツを気味悪く思い始めていた。


「……ざ、残念ながらそれは違うな。俺は俺で"外の世界"を知る手段を持っているだけだ。」

「…………そうか。初めて出会う"仲間"だと思ったが。残念だ。」


 危うく仲間にされるところだった。

 魔王はそこまで乗らなくて良かったと心底安心する。

 チューニ病患者に仲間と思われると、巻き込み事故の恐れが生じる。

 魔王は危機を回避した事に安心して、「うむ。」と重々しく頷いた。


 壁に掛けられた時計を見上げて、魔王は思う。


(マジで早く帰ってくれないかな……。)


 再び腕を組んでナツは黙りこくっている。

 

(まだ帰る気配がない……。もう帰れって言ってしまおうか。いや、しかし……。ここまで黙ってた手前言い出すタイミングが……。)


 魔王が困り果て、腕を組む。

 その時、魔王の脳内に一筋の光が走る。


(魔王様。聞こえていますか。今、貴方の脳内に直接語りかけています。)

(その声は……トーカ……!?)


 魔王の脳内に走るのは、今日はオフの筈の側近、トーカの声。

 彼女特有の能力であるテレパシーである


(何してるんですか。何で勇者様と無言で向き合ってるんですか。何か向こう裸だし。)

(いや……これには色々とややこしい事情があってだな。)

(男同士のあやまちが……?)

(断じて違う! 帰って欲しいんだが帰らんのだ!)


 凄い誤解を受けそうになったので必死で否定する。

 脳内に溜め息が聞こえた。


(帰って下さいと言えばいいでしょう。)

(……いや、自分で誘った手前……それに言い出すタイミングを逃してしまって。)

(はぁ。何でそういう所でハッキリものを言えないんでしょうね。だったらお茶漬けでも出したらいいんじゃないですか?)

(いや、お前そんなの……。)


 魔王はハッとした。

 魔王の知るとある世界のとある地域では、お茶漬けを出す事で「帰って欲しい」という意思を伝える習慣があるらしい。

 この世界の人間にそれが通じる筈もないが、目の前の"転生者"とかいう勇者、ナツであれば話は違うかも知れない。

 何を隠そう、そのお茶漬けの文化は、このコタツが存在する世界の文化なのである。コタツを前世で知っているというナツであれば知っているかもしれない。


(助かった、トーカ。光明は見えた。)

(え? 今ので? なら、まぁいいですが。)


 トーカは納得いかないようだったが、テレパシーは途切れた。

 魔王はこの一筋の光にかけて勇者ナツに話を切り出す。


「ところで、勇者よ。腹が空いていないか? お茶漬けでも如何かな?」


 お茶漬けを実際に出さなくても、出す意思を示せば意図は伝わる筈。

 お茶漬けの文化を知らなくとも、いきなり飯を出すと言われて聞き入れる図々しい奴が勇者ハル以外にそうそう居るとは思えない。

 勇者ナツは伏せた目を上げ、無表情で魔王を見る。

 そして、組んだ腕を解いて胡座を組んだ足に手をパンと置いた。


(よしっ!)


 帰る! 魔王は確信した。


「…………いただこう。」

(いただくのかよッ!)


 やっぱ勇者にはろくな奴が居なかった。


 この後、がっつりお茶漬けを食べてからナツは帰るのだが、入れ替わりにハルがやってきて飯を再びたかられる事になるとは魔王は知る由もない。



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