第3話 裏切りの魔王と魔法の器
勇者ハルは空腹である。
魔王フユショーグンは言った。
次に来た時はナベを御馳走してくれると。
ナベなる未知なる美味を存分に楽しむ為に、ハルは昨晩から何も食べていない。
空腹こそが最高のスパイス、それがハルの持論である。それに、折角のタダ飯だし、沢山食べたい。
期待に胸を躍らせて、魔王城を訪れたハルを待ち受けていたのは、魔王の卑劣な罠だった。
ノックして魔王城に入ると、いつも通りコタツに籠もっている魔王が居た。
「何だ勇者か。」
そう。いつも通りなのである。何も変化がない。
てっきりナベを用意しているのかと思っていたのに、それらしきものはどこにも見当たらない。思わずハルは部屋をきょろきょろと見回した。
「なんだなんだ。何を探しているんだ?」
魔王が不思議そうに問いながら、同じく周りを見回している。
ハルは怪訝な顔で魔王に問い返した。
「ナベはどこだ。」
「ナベ? 何で?」
何で、という言葉にハルの眉間にしわが寄る。
「ナベを食べさせてくれると言っただろ。」
「え? ……あー、あれか。前来た時の。お前がミカン食べ過ぎた日の事か。」
魔王が思い出したようだった。
その時からハルは不穏な空気を感じ取る。
思い出した……?
ごくりと息を呑むハル。
空腹の絶頂に居るハルに、魔王は残酷な一言を告げた。
「ごめん。忘れてたわ。」
ハルは激怒した。
「ウオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア嗚呼アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!」
「うわああああああああああああああああああ!? 何だ!? 何だ急に!? 何だ!?」
「よくもッ!!!!!!!! よくも騙したアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!! ウオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!!!!」
「何っ!? だまっ、何っ!?」
「ウオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア嗚呼亜!!!!!!!!!」
「落ち着け! 一旦落ち着け!」
噎び泣くハル。
魔王は勇者に何が起こったのか理解していない。
「まず、煎餅でも食って落ち着け! お茶出すから!」
「…………。」
「うわあ! 急に落ち着くな!」
ハルは鼻を啜りながら、いそいそとコタツに入る。
そんなハルに魔王はお茶を淹れてやり、合わせて煎餅も器に入れて出してやる。ついでに、襖からティッシュ箱を取り出して、それをハルに渡してやる。
「ほら鼻かめ。」
「な゛ん゛だごれ゛。」
「ティッシュ。箱からこうピッととれ。好きに使え。」
ぴっと引っ張ると紙が取れる。ハルはそれで思い切り鼻をかんだ。
鼻水がなくなり鼻がすっきりしたので、お茶に口をつける。暖かいものが口に、喉にと流れ込んでくると不思議と心が落ち着いてくる。続けて煎餅を頬張った頃には、魔王の残酷な一言により傷心だったハルの心は少しだけ癒やされていた。
魔王はやれやれといった様子で、頬杖をついて煎餅とお茶を交互に口に運ぶハルを見ている。
「お前急にどうした。」
しれっと聞いてくる魔王に、ハルはむっとして答える。
「ナベを食べさせてくれると言った。」
「え? 俺がか? ああ、言ったな。」
「私はお腹を空かせてきた。」
「え? 何だ、何も食ってないのか。」
「……昨日の晩から何も食べてない。」
「ど、どんだけ期待してきたんだ……。」
「ナベ……。」
「うわあ! 泣くな!」
また目が潤み出す勇者を慌てて制止して、魔王フユショーグンは考える。
「しかし、だな。鍋を用意するにもすぐには……。って、ああ、もう泣くな! 分かった! 代わりを用意する! 今日はそれで勘弁してくれ!」
「代わり……?」
「えっと、そうだな……今用意できそうなもの……。」
魔王は必死で考える。そして、何か思い付いたように、パチンと指を鳴らした。
「カップ麺でもいいか? "この世界"にはないから初体験だろう。」
「カップメン……?」
ハルは一度首を傾げるが、たちまち目が輝き出し、身を乗り出す。聞き覚えのない食品の名前に、自然と期待も高まる。
魔王がクイッと指を虚空で切ると、以前にハルが見た空間の穴が開く。魔王はそこに腕を突っ込むと、一つの器を取り出した。
「それがカップメン? 食べ物には見えないが……。まさか、また私を騙して……!」
「黙って見てろ。騒がしい奴だな。」
続けて、魔王が穴から取り出したのは奇妙な形のガラスの壺。中には色のついた粉が入っており、こちらもやはり食べ物には見えない。
「それは一体……?」
「砂時計だ。これは食えないぞ。」
「見れば分かる。馬鹿にするな。」
ムッとするハルをふんと鼻で笑い、魔王は器の周りに纏わり付いていた透明な膜を引きはがす。そして、器の上から薄い蓋を剥がした。
「その中にカップメンが……!?」
「だから待てって。」
そう言うと、お茶を淹れる際に使っていたポットに魔王は手をかける。そして、そのままお湯を器の中に注ぎ込む。
「お茶と同じものか? 私はお腹が空いたんだぞ。」
「待てって言ってるだろうが。本当にせわしない奴だな。」
魔王が器をハルの前に置き、スナドケイなる壺を逆さに引っ繰り返す。中の色のついた粉がサラサラと落ちていく。何かの魔術の儀式だろうか、と食べ物とはとても結びつかない魔王の行動に困惑するハル。
「その砂が落ちきるまで待て。砂が落ちたら開けて良い。」
「……これは何の儀式だ?」
「箸は使えるか?」
「ハシ?」
「じゃあ、フォークだな。」
ハルの質問に答えず魔王がカップの上にフォークを置く。
砂が落ちるまで待つ? 先程器に入れたお湯は何なのか? そもそもこの奇妙な材質の器は何なのか? 器に書かれた謎の文字の意味は? ハシとは何なのか?
謎多きカップメン。しかし、今のハルには待つ事しかできない。
(無知な自分が歯痒い……! 魔王、一体何を……!?)
じっと砂を睨むハル。
その姿を見て、魔王はごくりと息を呑んだ。
(どんだけ必死なんだこいつ。食い意地張りすぎだろ。)
しばしの沈黙。
そして、砂は落ちきった。
「今だッ!」
「いや、そんなピッタリに開けろとは言ってないから落ち着け。」
ハルが蓋を引きはがすと、途端に暖かい湯気が上がる。
嗅いだことのない芳ばしい香りが漂い、ハルは思わずゴクリと唾を呑む。
「こ、これは……!」
「それがカップ麺だ。」
器の中には薄茶色の汁が満たされていた。
その中に埋まっているのは細い大量の何か。そして、散り散りと見慣れない具材が浮かんでいる。
「こ、この細いのは一体……?」
「麺だ。小麦粉でできてる、と言えば分かるか?」
「この黄色いのは?」
「卵だ。その茶色いのは肉、赤いのはエビだ。」
「エ、エビくらい知っとるわ! 舐めるな!」
「分かった分かった。麺が伸びる前に召し上がれ。」
「メンは伸びるのか?」
「いいから。ほら。」
魔王に促され、ハルはカップにフォークを突っ込む。メンなる細いものを掬いあげ、口へと近づける。口先にメンが触れる。下にメンに絡んだ汁が触れた途端、ハルの背筋を衝撃が走り抜けた。
「……ッ!?」
ハルがカッと目を見開く。僅かにあった迷いが掻き消えるのを感じる。ハルはそのまま、口に咥えたメンをすすり上げる。
ずずずずずず、ちゅるん、とメンは口に滑り込む。
噛むと柔らかいそれは、味わった事のない薫り高い塩気を吐き出す。
ごくりとメンを呑み込んで、ハルはわなわなと震えて顔を伏せた。
「ど、どうした?」
「……なんだこれ。」
「く、口に合わなかったか?」
喉を通り抜ける滑らかな感触。熱が喉を通り、身体を温める。
ハルの目が輝く。
「なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ!」
「カ、カップ麺って言ってるだろ。」
「美味いッ!!!!!!」
「うわあ! 急に叫ぶな!」
魔王が耳を塞ぐ。
フォークで更にメンを掬って啜りあげる。この汁に味がついていると気付いたハルは、続けて器を持ち上げて、汁を口に運んでみる。やはり、味がする。先程絡んで来た少量とは違い、更にその味がくっきりと口の中に浮かび上がる。ただの塩気とは違う、香りのある味。
黄色い卵を口に運ぶ。ふわっとしている。肉を口に運ぶ。じゅわっとうまみが溢れでる。そしてエビも口に運ぶ。ぷちっとした食感と共に、肉とはまた違ったうまみが溢れる。はふはふと貪るようにカップメンに食らいつくハルの姿を見ながら、魔王は唖然としていた。
そんな魔王の視線などお構いなしに、ハルはカップを持ち上げ顔を上げ、ぐっぐっぐっ、とスープを煽る。
「…………ふはーーーーっ!!!!」
カン、とコタツに叩き付けられたカップが見事に空になっている。
気持ちいいくらいの食いっぷりに、魔王が感心したように「おお。」と呟く。
「ごちそうさまでした!!!!」
「お、おう。お粗末様でした。」
「ああ……カップメンはいいものだ……。」
「そ、そうか。」
ハルの機嫌は完全に良くなった様子である。
魔王も一安心して、お茶を啜った。
「満腹か?」
「ちょっと足りないが、満足ではある。」
「そいつは良かった。」
これ以上要求されても困るので、もう一安心しつつ、魔王は今後の為にハルに告げる。
「今日はまぁ、俺も不用意に約束したのが悪かったんだが、突然尋ねてこられて飯を要求されても困るだろう。」
「む? ……言われてみれば一理ある。大変失礼した。」
「おお。そこの常識はあるみたいで安心した。そこでだ、飯の時には事前に日程を決めてからにしよう。」
ハルは納得した様子で頷いた。
「構わない。いつなら大丈夫だ?」
「悪いが意外と忙しい。今日の時点でスケジュールを詰められるか分からんからな。」
「忙しいのか。そうは見えなかったが。」
「忙しいんだこう見えて。とにかく、すぐには決められん。調整しないといかん。……そうだな。ちょっと手を出せ。」
再び空間の穴を作り、魔王が取り出したのは紫色の結晶。きらきらと輝くそれにハルは見覚えがあった。
「この世界ならこれがいいか。"通話"の魔石だ。使い方は分かるだろう?」
魔石。魔法を封じ込めた石である。
ハルはフンと鼻で笑う。
「分かるに決まっているだろう。魔石くらい知っている。勇者だからな。」
「はいはい。俺の所に繋がるようになってるから。今度尋ねてくる時はこれで連絡しろ。都合つけるから。」
魔王から手渡された魔石を握り、ハルは頷く。心なしか顔が強ばっているように見えて、魔王は「ああ。」とハルの懸念に気付いた様子で頷いた。
「貴重品じゃないから安心しろ。大量に採掘できるルートは確保している。多少雑に扱っても壊れないしな。」
「べ、別に貴重品だからビビってなどいない!」
勇者ハルの生まれ育ちが貧しい事を魔王は聞いていた。魔石は一般的に貴重品で高価なものとされるため、緊張しているのだろうと魔王は思った。
とはいえ流石に勇者である。冒険でも使う機会が多いであろう魔石の使い方は知っているらしい。これで今後は突然尋ねてくる事も無くなる筈だ。
この時、魔王はある思い違いをしていた。
(やべぇ、使い方知らねぇ……。)
勇者ハルは知ったかぶりをしていた。
ハルは魔石の使い方を知らない。魔王に知っているかと聞かれたので、見栄を張ったのである。
勿論連絡など取れる筈もなく、ハルは再び唐突に魔王城を訪れるのであった。
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