第2話 卓上の禁断の果実




 デッカイドーの秘境、名も無き雪山の奥にその城は佇む。

 魔王フユショーグンの住まう魔王城に、勇者ハルは再び踏み込んだ。


 前回はコタツの魔力にやられて撤退を余儀なくされたが、今回は意気込みが違う。

 厚着してきたハルは次こそは魔王を討ち倒さんと奮起した。


(何がコタツだ。たかが背の低い暖かいテーブル。ネタが割れた今、負ける要素など微塵もない。)


 ハルは勢いよく魔王城の扉を開き、宣戦布告する!


「頼もう! 勝負だ魔王! コタツになど屈しない!」











 コタツの上に顔を突っ伏して、ハルは己の弱さを恥じた。


(やっぱりコタツには勝てなかったよ……。)


 厚着はしてきたが寒いものは寒い。一度くらいならと魔王に誘われるままにコタツに入ったら、やっぱり出られなくなってしまった。

 コタツの魔力は恐ろしい。


「勇者よ。戦わなくていいのか。いや、一度温まるかと誘ったのは私なんだが。」

「勿論戦う。……まぁ、もう少し休憩してからな。やるなら全力がいいからな。」

「まぁ、それなら別にいいんだが。このクソ寒い中で戦うのも正直気乗りしないしな。お前はどうしてこう特別寒い日に訪ねてくるんだ。」

「いつも寒いだろ。そういうお前こそどうしてこんな雪山に城を構えてるんだ。」

「こっちにも土地代とか色々事情があるんだ。」

「魔王の癖にそんな貧乏くさいこと言うのか。」

「王と言ってもあんな化け物どもの王だぞ。人間みたいに税を納めるような連中に見えるか。」

「見えないな。魔王も意外と世知辛いな。」

「言うな。悲しくなってくる。あと、ちゃんと晴れた日はそこまで寒くないぞ。まぁ、結構な頻度で雪が降るんだが。戦いたいならその日に訪ねてこい。天気予報ちゃんと見てこい。」

「テンキヨホーって何だ。」

「ああ、そうか。お前達には早かったか。忘れろ。山に雲が掛かってない時に来い。そうしないと互いに嫌な思いをするぞ。」

「分かった。覚えておく。」


 そんな感じでお茶と煎餅に口をつけながらぐだぐだと話していると、魔王はふと思い出したように「ああ。」と立ち上がる。

 一瞬身構えるが、このクソ寒い中戦いたくないと言っていた魔王の言葉を思い出し、ハルは警戒を解いて尋ねた。


「どうした?」

「そう言えばミカン貰ったんだった。食べるか?」

「ミカン? 何だそれは。」

「そうか、馴染みがないのか。果物だよ。今出す。」


 ハルは果物というものを食べた事がない。

 年中寒く、不毛な貧しい村に生まれ、育ってきた為、そういったものとは無縁であった。

 甘く、美味しいものとは聞いている為、若干期待しつつ棚に移動した魔王を目で追う。

 赤いネットに包まれたオレンジ色の球体が複数、木製の器と一緒に持ってくると、魔王はコタツに器を置き、その中にオレンジ色の球体を並べた。


「これがミカン……?」


 ハルが早速ひとつ手に取る。臭いを嗅ぐと、ほんのりと良い香りがする。

 ますます興味深くなり、ハルは早速それに齧り付こうとした。


「ああ、待て待て。皮をむけ。ちょっと見てろ。」


 魔王の制止を受けてハルはミカンから口を離す。

 魔王の手元を見ていると、オレンジ色の皮に指を入れ、めりっと剥いた。どうやら、このミカンの周りにあるのは皮らしい。ハルは見様見真似で指を突っ込む。

 ぐちゅっと指がめり込んだ。


「ああ、力入れすぎだ。ちょっと貸してみろ。」

「あ、えっと。」

「ほら、これ食ってろ。」


 魔王に差し出された手に、若干潰れたミカンを置くと、交換して綺麗に皮を剥かれたミカンがハルに渡される。白い筋のようなものに包まれた、オレンジ色の割れ目のある球体である。

 魔王はハルが潰したミカンの皮を剥きながら、どうしたら良いのかと困っているハルに目を合わせた。


「周りの筋は取らない方が体にいいらしい。まぁ、好みで好きにしろ。」

「あ、ああ。」

「アルベドっていうらしい。よく分からんけど。前調べた。」


 得意気に知識披露しつつ、魔王は自身も剥き終わったミカンを割って、ひとつ、半月上になったものをつまみ上げ、そのまま口に放り込んだ。

 ハルも今度は慎重に、実を潰さないように切り離し、恐る恐る口へと運ぶ。


 口に放り込んでぱくっと一噛み。

 じわっと果汁が口の中に広がる。


「…………旨い!」

「そりゃ良かった。」

「なんだこれ、甘い! 甘酸っぱい! 甘いぞこれ!」

「良いやつみたいだからな。……うん、いけるな。」


 ぱくぱくと次から次へとハルはミカンを口に運ぶ。


「もいっこ食っていいか!?」

「好きにしろ。たくさんあるしな。私は普段割と果物食わんのだ。」

「こんなに旨いものを? 勿体ない。」

「なんか皮剥くのが億劫だったりして。体には良いから食べた方がいいかもしれんのだがな。ビタミン大事。」

「旨いのに体にも良いのか!」

「食べ過ぎには気をつけろ。過ぎたるは及ばざるがごとし、だ。」

「よく分からんがもいっこもらうぞ!」

「はいはい。おあがりよ。」


 もう一個、今度はハルも慎重に皮を剥く。

 魔王の剥く様を見ていた。後ろの真ん中当たりに指を入れていたのを思い出し、そういえば中身の中央も穴っぽくなっていたと思い返す。

 指を入れる。皮を捲る。それを何度か繰り返すと、先程のように潰す事無く、中身を綺麗に取り出せた。

 思わず興奮し、ハルは綺麗に向けたミカンを魔王に見せつける。


「どうだ!?」

「上手上手。」

「だろう!? 物覚えはいい方なのだ!」

「そんなドヤ顔する程の事でもないと思うが……。まぁ、うん、上手だな。」


 適当に拍手する魔王に少しムッとしつつも、ハルは二個目のミカンを口にする。幸せな甘さに思わず頬が綻ぶ。

 

「煎餅もそうだがお前は本当に嬉しそうに食うな。」

「こんなに旨いものを食べた事がないからな。お前は旨いものをいっぱい持ってて凄いな。」

「仕事柄地方に出向く事が多くてな。その度に向こうの関係者に土産を貰うんだ。一人では処理しきれんから遠慮せずに食べていい。……最初から遠慮なんかないみたいだが。」

「食べられるときに食べろと親に教えられたからな。ろくに食べ物のない村だったから。」


 ハルは話しながら、こんな暖かさとも美味しさとも無縁だった自身の過去を振り返る、少し笑顔を崩す。

 魔王なんかに何を話しているんだか。

 そう思いつつ、ミカンを再び口に運ぶ。


「豊かではない村の出身なのか。よくそれで勇者に選ばれたな。」

「ろくに食べ物もないから狩りにはよく出ていた。弓はからっきしだったが、剣の才はあったらしい。その腕を聞きつけてやってきた腕試しの剣士を片っ端から返り討ちにして、気付けば剣姫(けんき)などと呼ばれていて、いつの間にか勇者に選ばれていた。」

「大したものだ。剣一本で勇者にまで選ばれるとは。」


 褒められると悪い気はしない。

 しかも相手は魔族の王である魔王である。

 ハルは少し得意気になる。


「剣の腕ならお前には負けないぞ。」

「まぁ、剣では勝てないな。私は剣を持った事すらないしな。」

「そうなのか。魔法でも使うのか? 私の知り合いに、魔法で何でもかんでもできる奴がいたが。」

「魔導書と呼ばれる勇者の事か。噂には聞いているな。あんなのみたいに器用な真似はできない。私も魔法を扱うが、一発芸しか持ってない曲芸師みたいなものだ。それがたまたま当たった一発屋ってところか。」


 比較的単純な思考のハルでも、それは謙遜だろうと感じる。

 魔物を統べる魔王が弱い訳がない。

 

(……試してみたい。)


 暢気に山のように積み重なったミカンの皮を避けて、もう一つミカンを手に取り、ハルはミカンを握る力を強くした。指がミカンの皮に突き刺さる。


(そうだ。私は魔王を倒しに来たんだ。暢気に談笑していたが、私はまだこいつの実力を見ていない。私の相手になるのか、試してみたい。)


 皮をむき、一欠片ミカンを摘まむ。

 ハルは遂に決意した。


(これ食べ終わったら戦いを挑もう。)




 対する魔王はごくりと息を呑む。


(人んちでどんだけ食うんだこいつ……。)


 確かにミカンを勧めたのは魔王の方だが、ここまで食っていいとは言ってない。

 食べきれないくらいあるから困る事はないのだが、勇者の食い意地に若干引きつつ、魔王はいつ食べ終わるのかをじっと観察していた。




 ハルはいよいよ最後のミカンを食べ終える。


「ごちそうさま。」


 一応食後の感謝を述べ、ハルは魔王を見つめ返す。


(いよいよだな。)


 決意し、傍らに置いた剣に手をかけ、立ち上がろうとする。

 今日は予め厚着してきたのでコタツの束縛には掛からない。

 いよいよ魔王との決戦だ。

 動こうとするハル。魔王はその様子を見て、静かに、重々しく口を開く。


「……もっとミカン出すか?」

「……まだあるのか?」


 ハルの動きが止まる。




 魔王は、ハルに興味を持ち始めていた。


(……こいつどれくらい食うのかな。与えたら与えただけ食いそうだな。)


 ミカン食うだけ食って帰ろうとしていたので、何とはなしにミカンをちらつかせて呼び止める。すると、案の定、目を見開いて動きが止まった。

 こいつはまだ食える。魔王は少し面白くなってきた。


「まだあるぞ。」

「くっ……!」

(なんだその悔しそうな顔。)


 もう一度棚からミカンを取り出し見せつける。生唾を呑み込む勇者。


(ミカンでどんだけ深刻な表情するんだこいつ。)


 魔王はミカンをお盆に置く。するとそれを血に飢えた獣のような表情で睨み付ける勇者。

 魔王は逆に勇者が気の毒になってきた。


(どれだけ腹減ってるんだこいつ。)


 このハルという勇者は貧しい村の出とは聞いていたが、勇者になったのだから多少は食えているのかと思った魔王だったが、そうでもないらしい。

 何か土産に持たせてやった方がいいのか、と真剣に考え始めつつ、どうぞ、と手を出しミカンを促す。


「どうぞ、お食べ。」

「……わ、私は敵の施しなど受けない!」

「いやもう大分食ってるだろ。」


 意地を張るタイミングがおかしい。


「ぐう……!」

「我慢しないでいいからお食べなさい。外も寒いし、今日無理に戦わんでも。」

「………………い、言われてみれば確かに寒い、な?」


 年がら年中寒いのだが、魔王は敢えて突っ込まない。


「そうそう。寒いだろ。今日はゆっくり休め。」

「し、仕方ないな! 今日だけだぞ? 今日だけは戦わないし、ミカンももっと貰うぞ?」

「どうぞどうぞ。」


 たちまち目が煌めく勇者。


「では、もうひとつ……。」


 ぺろっと舌舐めずりをして、ミカンに手を伸ばそうとした勇者ハルだったが、ぴたりと突然動きを止める。

 手を見て動きを止めた勇者に、魔王は思わず首を傾げた。


「どうした? 食べないのか?」

「…………わ、私の……手が……!」


 魔王が勇者の手を見る。


「私の手が黄色くなっている……!?」

「あー……。」


 魔王は察した。


「ミカン食べ過ぎだな。」


 ミカンを食べ過ぎると手が黄色くなるアレである。

 ミカンもロクに知らない勇者ならこんな反応になるのかも知れない。

 そんなに騒がんでも、と窘めようとした魔王だったが、先に勇者が口を開いた。


「ミ、ミカンのせい……!? おのれ、謀ったな魔王ッ!?」

「え? いや、そんなつもりは。」

「これは一体!? 私の体が黄色くなるのか!? 魔物になってしまうのか!? う、嘘だ……魔王の呪いにまんまと掛かってしまうなんて……!」

「落ち着け。取り敢えず落ち着け。」

「魔物になんてなってたまるものか……! 魔物にされるくらいならいっその事……!」


 剣を手に取り抜き放つ勇者!


「いっそ死んでやる!」

「わーーーーーーッ!!!! 馬鹿やめろッ!」


 即座に魔王は指を立て、剣に向けて魔力を解き放った。




 自分の首に向けて剣を振ろうとした手が止まった事に気付き、ハルは自身の首元に目をやる。するとそこには、空間に空いた穴から伸びた鉄の塊があり、ハルの剣を受け止めていた。


「ミカンで手が黄色くなったくらいで自殺する馬鹿がいるかッ!」


 魔王が怒鳴り指を振る。それと同時に空間にもう一つの穴が空き、そこから伸びた腕がハルの腕を掴んで、穴の中に引き摺り込む。

 そして即座に穴は狭まる。

 穴はハルの腕を拘束したまま、空中で固定してしまった。ついでに剣も引き摺り込まれてしまったため、ハルは完全に無抵抗の状態で拘束されてしまった事になる。


(このままでは死ぬ事もできずに魔物になってしまう……?)


 ハルの心臓の鼓動が高鳴る。

 そんなのは嫌だ。魔物になるのなんて御免だ。


「う、うくっ……! 嫌だ……! 離せっ! くそっ!」

「落ち着け! 落ち着いたら離してやる!」

「殺せ! いっそのこと殺せ!」

「魔物にならんから! その手が黄色いのは魔物になる兆候じゃないから! 治るから!」

「ころ……………え?」


 ハルの動きが止まる。

 魔王は今、「魔物にならない。」と言った。


「な、ならこの手が黄色くなったのは!」

「柑皮症(かんぴしょう)! ミカンとかの柑橘類とかでカロチン採りすぎると手とか足とか黄色くなるんだよ!」

「か、かろちん……?」

「言っても分からんだろどうせ! とりあえず、俺が悪さしたんじゃなくて、ミカン食べ過ぎると普通はそうなるんだよ! 食い過ぎだ馬鹿!」

「わ、私は魔物にならないのか? 何か手が動かなくなるとか、死ぬとかいう事ないのか?」

「もうミカン食うのやめろ! しばらく控えれば自然に治る!」

「ほ、本当に?」

「本当だ!」


 ハルはへたりと座り込む。

 魔物になる事も、死ぬ事もない。これは直に治るという。

 決めていた筈の死ぬ覚悟から解放された瞬間、ハルの全身からは力が抜け、同時に目の端から涙が零れだしていた。


「良かったぁ……!」

「泣くほどのことじゃないからな……?」


 魔王もふうと一息ついて、くいくいっと指を動かした。すると再び空中に空いた穴が開き、ハルの腕の拘束を解いた。


「ほら、手ぇ抜け。」

「え? あ、ああ……。」


 ハルは穴から手を抜く。

 そして、改めて空中に空いた穴をまじまじと見る。

 空中に空いた穴の向こうには、何故か此処とは違う景色が広がっていた。その様子を窺おうとすると、すぐに穴は閉じてしまい、何も見えなくなってしまった。

 剣を握った手を見ても何も異常はない。普通に動いてもいる。ハルは剣を鞘にしまい、傍らにまた置き直した。


「今の穴は?」

「とりあえずほれ。」


 ぱさりと顔に何かが被さる。慌てたハルだったが、すぐにそれがハンカチであると把握し、顔からはがすときょとんとした様子で魔王の方を見た。


「涙をふけ。勇者が泣いてるなんてみっともないぞ。」

「…………ッ!? な、泣いてなどいないッ!」


 ハルは頬が熱くなるのを感じ、すぐに顔をハンカチでごしごしと擦った。

 

「洗って返すとかいらんから落ち着いたらここですぐに返せな。」


 魔王にみっともない所を見られた。

 泣き顔など親以外に見られた事もないのに。

 

(屈辱だ……!)


 涙を拭き終えると、ハルはハンカチを振りかぶって、投げようとする。

 が、一応気を遣って貸して頂いた物なので、思い留まってそっと魔王に差し出した。


「……どうもありがとう。」

「投げるのかと思ったら意外と礼儀正しいな……。まぁ、どういたしまして。」


 魔王はハンカチを受け取った。


「とりあえずもう今日は帰れ。何かお互い気まずいだろ。」

「……うん。もう今日は帰る。」

「何かうまいもんでも食って元気出せ。な? お土産持たせてやるから。ミカンはもういらんよな。煎餅でいいか? いるか?」

「……いる。ありがとう。」

「じゃあ、包むから。帰り支度しろ。」

「うん。」


 結局今日も戦う事なく、ハルは撤退を余儀なくされた。

 禁断の果実、ミカンの恐ろしさを知ったハルは、次こそはミカンに釣られる事なく魔王を倒す事を心に誓った。

 剣を担いで上着を羽織り、ハルは出口へと向かう。

 魔王は一袋の煎餅を袋に入れて、ハルに持たせてくれた。


「ほれ。じゃあな。帰り道には気をつけろ。ボケッとしてて転ぶなよ。」

「ありがとう。うるさい。子供じゃあるまいし。余計なお世話だ。お邪魔しました。また来るぞ。」

「おう。またな。」


 ハルは外に出る。幸い吹雪はなく、晴れている。寒いが帰り道には困らなさそうだ。

 魔王は「あ、そうだ。」と何かを思い出したように言う。




 この時、魔王はミカンにがっついていた勇者の不憫な姿を思い出していた。


「今度来るときは鍋でもするか。」

「ナベ?」

「あー、飯だ。飯。」

「めし? 何か食べさせてくれるのか?」

「食べたくないのか?」

「食べたい。」


 誘っている自分が言うことでもないが、こいつ戦う事忘れてないか?

 魔王はそう思いつつも、「おう。」と一言返事して、「じゃあな。」と勇者に手を振った。


「またな。」


 勇者も手を振り返す。そして、ようやく背を向け帰っていった。







「…………よし、どんな鍋にするかな。とりまググるか。」


 魔王も魔王で色々と目的を見失っていた。




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