魔王城コタツ

空寝クー

第1話 六畳一間の魔王城




 雪降り止まぬ極寒の大地、デッカイドー。

 そこには人を脅かす危険な魔物が跋扈していた。

 魔物を倒し生計を立てるハンターや冒険者により魔物と人間の戦いは均衡を保っていたが、それも長続きはしないだろうというのが人間の王の考えだった。

 王はいち早い魔物の殲滅を目指し、魔族を統べる王、魔王の討伐を急ぎ、神のお告げを受けて三人の勇者を探し出し、魔王の討伐を命じる。

 剣姫(けんき)と呼ばれた最高峰の女剣士、ハル。

 拳王(けんおう)と呼ばれた最強の格闘家、ナツ。

 魔導書(まどうしょ)と呼ばれた天才魔法使い、アキ。

 三人の勇者は、人間王の命を受け、魔王討伐の為に果て無き大地、デッカイドーの旅に出た。


 そして、我が強すぎて協調性がない為に別々に魔王を目指した勇者達であったが、なんやかんやあって、女勇者ハルは倒した魔物のボスから魔王城の場所を聞き出す事に成功していた。


 吹雪の吹き荒ぶ中、いよいよ地図に記された魔王城の元に辿り着くハル。


「見えたぞ! 遂にこの時が来たか……。魔王、必ずや私の剣の錆にしてくれる……!」


 吹雪の中に黒い影が浮かび上がる。視界もロクに確保できない世界だった為に、ハルにも不安があったが、魔物ボスから聞いた街灯を辿ってきて、遂に見えた建造物に一安心する。

 しかし、安心すると同時に、思わぬ光景を前にしてハルはまた不安になった。


 まず、不思議に思う。


「……小さい?」


 魔王城は城というのだから、巨大なものかと思っていた。人間王の城は石造りの三階建てで見上げるような山のような大きさである。てっきりそれと同じか、巨体の多い魔物の住まう城だから、もっと大きなものなのかとハルは勝手に想像していた。

 しかし、見えた魔王城?はそこらの村にある民家よりも下手したら小さいくらいの小屋のようだった。


 闇に包まれた邪悪な建造物、という勝手なイメージからも掛け離れており、暖かみのある木造建築で、中からほんのりと暖色の明かりが漏れており、普通の小さな民家のようにしか見えない。


 これは普通の民家なのでは?

 ハルが不安になって入り口へと近付くと、表札に「魔王フユショーグン」と書かれており、ドアの上には「Welcome to 魔王城」という看板が掲げられている。


「間違いなく魔王城だ……。」


 ハルは地図が合っていた事に安堵した。

 そして、改めて気合いを入れ直す。

 不安などない。魔王に負けるつもりも毛頭ない。

 ハルは魔王城のドアを押し開き、威勢良く名乗りを上げる。


「魔王覚悟! 勇者ハル、参る!」


 扉を開くと、暖色の間接照明がハルの目を優しく照らす。

 狭い小屋の中はやはり狭かった。

 しかれたカーペットの上で、四角い、やたらとふかふかとしたテーブルクロス?がかけられたテーブルがひとつ置かれている。このテーブルも大分背が低い。

 そのテーブルのクロスの中に足を突っ込み、カーペットの床に直に座って、角を生やした色白なその男は待ち受けていた。


「ようこそ勇者よ。我こそが魔王フユショーグン。」


 男は名乗る。この男こそが、魔物の総大将、魔王フユショーグン。

 ハルは剣を構え、威勢良く叫びを上げた。


「勝負だ、魔王!」


 魔王はそんなハルを見て、重い腰を……。


「まぁ、待て勇者。まずはドアを閉めろ。寒い。」


 上げなかった。


「あ。……あ、ああ、すまない。」


 ハルは素直にドアを閉めた。

 違う。何故魔王に配慮してドアを閉めなければならないのか。

 ハルは品行方正な勇者である。故に、ある程度の礼儀を弁えている。

 正論を言われると魔王と言えど逆らえないのである。


「あと、靴は脱いでくれ。カーペットが汚れる。」

「え。……え、えっと、すまない。」

「そこに靴箱があるから使ってくれ。」

「あ、ああ。ありがとう。」


 ハルは雪に塗れたブーツを脱ぎ、靴箱にしまおうとする。


「雪は玄関口で払ってくれれば良い。表に出るの寒いだろう。」

「ああ、ありがとう。」


 ブーツと、ついでに服に纏わり付いた雪を落として、ハルは靴箱にようやくブーツをしまった。そして、いよいよ魔王城のカーペットに一歩踏み出す。


「ん? 温かい?」

「ホットカーペットだ。外は寒かっただろう。少し暖まるといい。六畳一間の狭い城だし、粗茶しか出せないがもてなそう。」

「ほっとかーぺ……? えっと……どうも。」


 聞き慣れない言葉に戸惑いつつも、冷たかった足先を温める謎の温もりに少しほっこりしつつ、ハルは魔王城へと踏み入った。しかし、狭い。

 魔王は重い腰を……上げない。四角いテーブルに置かれたポットに手をかけて、中央に置かれた杯を取り、ポットから杯に何かを注いだ。緑色の液体がハルからも見えた。木の皿に杯を載せて、テーブルの一辺にそれを寄せると、魔王は手招きし、ハルにそこにかけるように促した。


「さぁ、入れ。」

「入れ? これは一体……?」

「コタツだ。」

「こたつ……?」

「入れば分かる。」


 罠か何かか? とハルは疑う。

 四角いクロスの掛かったテーブル。そこに足を入れろと魔王は言っている。

 一体何の意味があるのかと思ったが、魔王も入っているのだから危険はないのではないか。

 それに、呪いの類いは氷の湖の女神の加護を受けている勇者には通じない。

 そして、魔王の誘いから逃げるような臆病者とも思われたくない。

 ハルは敢えて、魔王の誘いに乗ってやる事にした。


 クロスを捲るとオレンジ色の光が漏れる。「こたつ」とは一体何なのか。

 ハルは訝しみながらも、恐る恐るコタツの中へと足を滑り込ませる。

 次の瞬間、ハルに衝撃が走った。


「ぬ、ぬくい!?」


 足を包むのは、包み込むような温もり!

 クロスに密封されたフィールドに閉じ込められた熱気が、冷え切っていた足を休息に温める!

 ハルは吸いこまれるように、足先から脛を、腿を、そして腰までをコタツの中に滑り込ませた。


「こ、これがコタツ……!?」


 雪の大地、デッカイドーは常に寒い。

 ハルの生まれた小さな村では、暖炉などなく、耐寒魔法と毛布、外での焚き火などで寒さを凌いでいた。

 人間王に剣の腕を認められて王城に招かれた時、初めて暖炉というものを体感したが、その時は温かさに驚き、アキに「田舎者だな。」と鼻で笑われた事は記憶に新しい。

 その時の温かさにも勝る温もり、そして謎の安心感。

 ハルは温かいにも関わらず身震いした。


「お茶もどうぞ。」


 魔王が目の前に置かれた杯を指差す。

 謎の緑色の液体が湯気を立てている。温かいのだろうか。しかし、見た事のない緑色の液体の正体は分からない。


「オチャ……?」

「ああ。お茶だ。緑茶だ。安物で悪いが。」


 毒だろうか。しかし、毒は氷の湖の女神の加護でハルには通じない。

 長い道程で喉も乾いたので、ハルは恐る恐るその温かい緑色の液体、オチャだかリョクチャだかを口にした。


「……苦い! やはり毒か!」

「苦手だったか? 悪かったな。」


 苦みに顔をしかめるハル。しかし、口の中で液体を転がすと、次第に口の中の感触が変わってくる。

 苦みの中に甘みを見つける。そして、温かいお茶は口に含めば口内を温め、胃に流れ込むとハルの体を体内から温めていくような感覚を覚えさせる。

 もう一口、口に含む。今度は更に丁寧に口の中で転がす。

 苦み。甘み。そしてうまみ。更に口の中が温まる。


「……う、旨い。」

「ああ、良かった。お茶は初めてか。」

「あ、ああ。初めて飲んだ。」


 王城でコウチャなるものを口にしたが、それまでは水かミルクしか飲んだ事のないハル。初めての緑茶は思いの外、口にあった。

 気付けば体はぽかぽかしている。外が吹雪とは思えない程の温もりと、コタツの奇妙な安心感に、ハルは白い息をほっと吐いた。


(恐るべし……コタツ……!)


 お茶をもう一度口に含む。魔王は少なくなった杯に、再びポットでお茶を注いだ。

 気が利く魔王だ。

 魔王はコタツに入ったまま、部屋の隅にある棚に手を伸ばす。徹底的に腰を上げるつもりがないらしい。この男の下半身をハルは魔王城に入ってから一度たりとも見ていない。


「煎餅食うか? 貰い物だが。」

「センベイ……?」


 もうこの辺りから毒だの罠だのを疑う余地がハルにはなかった。食べ物らしきセンベイなる未知のものに興味を示す。

 魔王が棚から取り出したのはひとつの透明な袋。中には茶色の丸い物体がいくつか入っている。魔王はその袋をバリッと開けると、ハルの方へと袋の口を差し出した。

 ハルは恐れる事なく袋に手を入れ、センベイなる円盤をとる。


「頂こう。」


 固い。どうやって食べるのだろうか。

 困っていると、魔王も煎餅を一枚手に取り、何か処理をするわけでもなく、そのままバリッと噛み砕いた。小気味よい音が響き、ボリボリという咀嚼音が続く。

 ハルも見様見真似で、茶色い円盤、センベイに噛み付いた。


 バリッ、ボリボリ。固いが噛み砕けない程ではない。


 体感したことのない塩気が口の中にふわりと広がる!

 塩ではない。謎の味わい。こんな味はハルは体感した事がない!


 噛むと米だろうか? 何か食べた事のある味が見えてくる。

 ハルの結論はシンプルであった。


「旨いッ!」

「それは良かった。お茶とも合うぞ。」


 魔王の助言を受け、ハルはお茶に口をつける。

 絶妙なハーモニー! ハルはカッと目を見開いた。


「これはいい!」

「煎餅はまだあるから好きにとって良いぞ。」

「ありがとう!」


 コタツ! 緑茶! 煎餅!

 かつてハルが体験した事のないコンビネーション!

 体が温まる! 喉が潤う! 口が満たされる!

 手が止まらない! 口が止まらない! しかし、体は動かない!


(魔王城、恐るべし……!)


 ハルはしばしの間、魔王戦前に待ち受ける恐るべき魔王城三連星との戦いに現を抜かした……。




(……そろそろ魔王との決着を着けねば。)


 ハルは傍らに置いた剣に手を添え、立ち上がろうとする。

 そこで異変に気付く。


(立てない……!?)


 体が動かない。コタツから出ようとすると、体がまるで吸いこまれるようにコタツに縛り付けられる。

 呪いの類いは氷の湖の精霊の加護により通じない筈。にも関わらず、まるで呪いに囚われたかのように体が全く動かないのだ。


「何をした、魔王!?」

「わっ。何だ急に。いきなり大声出すな、びっくりするだろ。」

「あ、ごめん。」


 ハルは頭を下げて、再びお茶を口にした。これで五杯目である。

 相変わらずコタツからは抜けられない。ほんの少しだけ足を引き出すだけで、体に寒気が走り、すぐに体がコタツへと戻る。

 ハルは完全に自分がコタツに拘束されている事に気付き、ゾッと青ざめた。


(私は、魔王の罠に掛かったのか……!?)


 魔王はハルの表情を見た。魔王と目が合い、ハルは焦りを見せた。


(しまった……! 呪いが効いている事を悟られた……!?)


 魔王はコタツの呪いが効くのを待っていたのではないか。そして今、ハルの表情から呪いの効果が現れている事を悟ったのではないか。

 ハルはまんまと魔王の狡猾な罠に掛かってしまったのだ。

 座ったままで剣を振ることはできない。

 このままでは一方的に魔王にやられてしまう!

 頭では危機的状況が理解できている。

 しかし、いくら気合いを入れようとも、体がコタツから抜ける事を拒んでいる!

 この悔しさを魔王に伝えたいが、先程大声を出したら怒られたので、あんまり騒がしくもできない……!

 煎餅を手に取り、悔しげにハルは噛み締める。続けてお茶を口につけ、ごくりと息と一緒に呑み込んだ。


(不甲斐ない……! ようやく、ようやくここまで来たのに……! 魔王と戦う事なく、罠に落ち、魔王に傷ひとつ追わせる事もできずに、私はここで殺されるのか……!)


 煎餅をもう一枚手に取り、ハルは歯噛みした。続けて飲んだお茶が苦々しい。

 魔王は上を見上げ、ぽつりと、淡々と呟いた。


「そろそろ時間か。」


 いよいよ魔王はハルを殺すつもりらしい。

 動けない、抵抗もできない、煎餅が止まらない。

 嬲り殺しにされるのは御免だ。いっそのこと、ひと思いに殺してくれ。

 ハルは目を閉じ、声をあまり張らないようにして、魔王にせめてもの情けを要求する。


「くっ……! ひと思いに、殺せ……!」


 魔王はすくっと立ち上がる。ハルは覚悟を決めた。

 魔王が壁に歩み寄り、何かを手に取った気配がした。きっと武器を取ったのだろう。

 次の瞬間、首が撥ねられるのだろうか。ハルは結局孝行できなかった親の顔を思い出し、心の中で深く詫びた。


(ごめん……母さん、父さん。私、もう駄目だ。)


 魔王が背後に立つのを感じる。

 そして、魔王は静かに手に持ったものをハルに振り下ろした。
















 ふぁさっ。

 柔らかく、それはハルの肩に覆い被さった。


「…………あれ?」


 ハルは目を開き、肩に掛かったものに手を添える。もこもこしている。そして、触ると暖かい。よく見ると、それは服のようだった。


「これは……?」

「くつろいでたら遅くなっていた。ここから人里に降りるなら、そろそろ出た方がいいだろう。」


 ハルが振り返ると、魔王が先程見た方向には時計が掛かっていた。確かに結構な時間が経っている。


「全く、この吹雪の中で薄着すぎるぞ勇者よ。対して険しい山じゃあないが、冬の山を舐めるな。神の加護があっても寒いだろう。見てるこっちが寒いわ。あとせめて、腹とか足は隠せ。はしたない。もっと厚着しろ。」

「え、あ、えー、うん。す、すまない。」

「防寒着一式を貸そう。麓の村に返して置いてくれればいいから、取り敢えず今日は遅いから帰れ。」

「な! 帰れ!? お、お前、私は……!」

「これより遅くなると雪女が出る。凍死させられるぞ。」

「うっ……! そ、そうなのか……?」

「今日のところは帰れ。のんびりしすぎだ。私も女を一つ屋根の下に泊められないぞ。お前も男と六畳一間で一晩過ごすの嫌だろう?」

「……う、うぐ……!」


 まくし立てるように魔王が言い、更に棚から引き出した下履きも放ってくる。


「重ね履きで上からそれを着ろ。コタツ入ったままでもいいから。」

「あ、ああ。」


 コタツに入ったまま、ハルは下履きと上着を身に着ける。もこもこポカポカとしていて暖かい。


「ほら、コタツから出ろ。」

「あ、ああ。」


 魔王に促されるままに、ハルはコタツから出ようとする。呪いに掛かっているのに出られるのだろうか?

 しかし、今度は不思議とするっとコタツから出られる。呪いは解けたのか? ハルはきょとんとしたまま立ち上がった。

 

「雪降ってるし外に傘置いてるから持っていけ。これも麓の村に返して置いてくれればいい。後で勝手に回収するから。」

「あ、ああ。ありがとう。」


 ハルは背中を押されて、玄関口へと向かう。靴箱に入れたブーツを履き、そのままドアを開ける。刺すような寒気が頬を撫でる。ハルは思わずコタツに帰りたくなったが、魔王が行く手を阻んでいる。

 名残惜しそうに目を伏せるハル。その表情を見た魔王は、少し面倒臭そうに頭を掻くと、魔王城の中に戻り、棚を漁り始めた。

 取り出したのは煎餅の袋。煎餅を持って戻ってきた魔王は、ハルにそれを手渡した。


「どれだけ気に入ったんだ、食いしん坊め。まだ沢山あるから一袋持っていけ。」

「え? い、いや! 私は煎餅が名残惜しい訳じゃなく……!」


 食いしん坊とは心外だ! とハルが否定しようとする。


「要らないのか?」

「……………………要る。」


 でも、やっぱり煎餅は欲しい。

 ハルは悔しさに頬を赤らめながら、煎餅を素直に受け取った。


 *ハルは煎餅を手に入れた!


 魔王は倒せなかった。

 しかし、まだハルは生きている。

 悔しい。恥ずかしい。だが、まだ戦える。

 ハルは悔しさを押し殺し、にやけた顔で魔王フユショーグンに宣戦布告した。


「また来るぞ!」

「次はちゃんと厚着してこい。」


 ハルの戦いはまだ始まったばかりだ!



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