第五十話 フット・イン・ザ・ドア

 「まぁ、SNSは用法用量を守って正しく使ってくださいね」

 お薬か、と冴子が突っ込みをいれるも俊はソファに置いた本を拾い上げて、手をひらひらとさせながら自室に戻っていった。自室の机の上に置いてあったスマートフォンがメッセージ着信を報せる光を発している。俊は手に取って確認すると石光からのメッセージからだった。

 《せっかくお義母さんとお菓子を作ったので食べてね》

 俊は石光から送られたメッセージに少しイラっとしながら返信する。

 〈お”義母”さんやめれ。石光がうちの籍に入ったなんて聞いてないぞ〉

 《でもまあ、時間の問題だよね》

 というメッセージとともに音声ファイルも送られてきた。俊が送られてきた音声ファイルを確認すると、自分の母親が嫁に来てほしい旨を発言する内容が録音されていた。

 〈え?会話録ってたの?〉

 《ん?お義母さんにはちゃんと許可とってるよ。教わったこと忘れちゃいけないからって理由で》

 石光が小野寺家に上がり込むにあたって、一切の不正行為が無くしっかりと許可をとってプロセスを踏んでいるため、俊には反論のしようがなかった。

 《小野寺君はいったよね?学校では絶対に接触してはいけない。だが、学校の人の目に触れないところだったら考えもなくないって》

 〈まぁ……そうっすね……〉

 《それって小野寺君の家しかないんだよね。だって私の家は碧も咲良も知ってるから小野寺君が家の付近に現れるのは怪しまれるし。だから、クラスの誰もが知らない小野寺君の家に行くのが一番安全だって思ったんだ。せっかくさ、中間テスト対策のときに提案したのにスルーするんだもん》

 〈うん、確かに誰も知られていない俺の家に集まるのは遠くで会うよりコスト的にも安くて比較的安全だとは思う。誰かに見られないという点では〉

 《ですよね。私の案は間違ってない》

 ふんぞり返っていそうな石光を想像しながら俊は返信メッセージを作成して送信した。

 〈だがちょっと待ってほしい。俺の安全が確保される保証は一切ない〉

 《え?ちょっと何言ってるかわかんないです。私が小野寺君を襲撃するっていいたいんですか?そんなことあるわけないじゃないですか!》

 〈間違いなく性的な意味で襲われる〉

 《いやだなぁ、せいぜい腕に絡みついたりとか、胸に飛び込んでみたり、抱きついてみたりするだけですよ?》

 〈あ、いうの忘れてましたが、私は女性アレルギーでして女性に密着されるとアナフィラキシーショックを起こして死んでしまうんです〉

 《じゃあ、碧を羽交い絞めにしてたのはなんなの?その嘘、苦し紛れすぎでは?》

 〈いやいや、あのあと急いで病院に行って一命をとりとめたのです。動画を撮影してた協力者が救急車を呼んでくれてね〉

 《その説明は苦し過ぎでは?》

 〈くっ…殺せ!(大の字に寝そべる)〉

 《じゃあ添い寝する》

 〈ああ、死んだわ。アナフィラキシーショックで死んだわ。死ぬ前に冥途の土産に教えてほしい〉

 ふざけたやり取りの中で、俊はしれっと質問を試みる。

 〈どうやって、母親のSNSアカウントを突き止めた?〉

 《え?知りたい?どうしよっかなぁ?》

 石光が勿体ぶったメッセージを送ってくると、俊は半ば諦めた表情を見せて返信する。

 〈要求は何?〉

 《話が速くて助かる!じゃあ2点だけ。私が小野寺君の家に行っても自室に引き籠もってほしくないかな?リビングに居てほしい。あと苗字呼びはお義母さんと被るから名前呼びで》

 〈引き籠もってろは母親からの命令なんだが……まあ、ちゃんと身なり整えておけばそこまで怒られんか。名前呼びは別に構わんけど。あとお義母さんはやめれ〉

 《俊君ありがとう。お義母さんが部屋に戻れっていってきたら、私は構わないこと伝えるから》

 〈それにしても、もっとハードルの高い要求が来ると思っていた。……まさかフット・イン・ザ・ドアか?〉

 《ご想像にお任せします》

 フット・イン・ザ・ドアとは相手が受け入れ安い要求を何度も行い、要求を受け入れやすいものから少しずつ要求のハードルを上げていき、最終的に本来の要求を相手に飲ませるテクニックである。俊は短期間で知識を吸収し、それを積極的に実践していく石光に驚愕するしかなかった。

 〈では、どうやって母のSNSアカウントを知ったのか教えてもらおうか〉

 俊にとっての本題はこれである。知識を身に着けたとはいえ、いとも容易く家族から攻め落とされ、おめおめと家の進入を許してしまった。自分のカウンターインテリジェンスの弱さを自覚させられたとともに忸怩たる思いを抱いていた。

 《実をいうと偶然だった。料理を覚えてランチョン・テクニックで俊君を落とそうかとも思ってSNSの料理クラスタを眺めていたら、おいしそうなお菓子の写真を上げているアカウントを見つけたので絡んでいこうと思って》

 〈それが母親のアカウントだったと〉

 《それが分かったのは、中間テスト対策で俊君が持ってきたチーズタルトだよね。あ、これSNSで見たって》

 〈そうか、だから写真を撮ってたのか〉

 俊は当時の石光の行動を思い出していた。すこし気になる行動とは思ったがまさか確認用に撮影していたとは想像を働かすに至らなかった。

 《でも、その写真を直接お義母さんに見せて確認したら、確実に俊君に伝達されてブロックされる可能性があるから、あくまで自分の中での確認用としておいた。証拠として突き付けるにはまだ早いと》

 〈正しい判断だな〉

 《あとはきっちり調べて、証拠集めて、俊君の家族の方と分かったのでレイドしました》

 〈レイドとか行政執行みたいな言い方やめろ〉

 俊は、『母親がSNSをやっているわけがない』というバイアスにかかっており、セキュリティに穴を作っていたのは落ち度であるが、偶然でもその隙を見逃さず確実に攻めていった石光に負けを認めるしかなかった。

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