白のプロローグ 『誰よりも強く世界を救いたいと願った貴女に』







 今まさに事切れようとしている少女の前で、女は静かに涙を零した。


 少女は決して治らぬ病を抱えている。“散魂病”と呼ばれるそれは、次第に病にかかった者の体を白くしていき、最後には完全にこの世界から消してしまうという、得体の知れない病であった。

 少女は既に輪郭もぼやける程に白化が進んでいる。徐々に消えていく直前であった。


 女はプリーステス。神の名の下に行使される癒やしの奇跡の知識には長けている。

 それでも女には、散魂病の少女を救う事はできなかった。

 

 女は多少は名の知れたプリーステスであった。

 敬虔な神のしもべであり、その教えに従い、その奇跡を行使し、数多くの人々を救ってきた。そんな彼女が少女に出会ったのは、散魂病が進行し、少女が灰色になりかけてきた頃だった。

 珍しく、不治とされる病を前にして、力及ばぬ女はそれでも諦めずに手段を探した。世界中を歩き、その病を治す奇跡を探し続けた。

 世界中の医療分野にも目を通し、お伽噺にも近い古い文献を漁り、神への祈りも続けた。

 しかし、散魂病を癒やす手段は見つからず、少女の命は今まさに尽きようとしていた。


 もう救えない。少女の手をぎゅっと握り、女は白い手に額を押し当てた。

 どうして救えないのか。

 どうして祈りは届かないのか。

 どうして私はこんなにも無力なのか。

 何が足りない。

 知識か、努力か、祈りか、力か。

 

 こんな小さな命ひとつも救えない。

 こんな事で世界に救いをもたらす事などできないのではないか。


 何だっていい。救えるのなら何にだって縋る。

 神にでも。奇跡にでも。悪魔にでも。

 



 どうして私はこんなにも無力なのか。


 救いをもたらそうとする私が、救いに縋ろうとしている。

 情けない。しかし、それでも、女は強く願った。


「どうか、どうかこの子を救うだけの力を。」


 少女の体からふっと気配が消えていくのを女は感じた。

 駄目、と少女の魂を掴むように、女が少女の手をぐっと握りしめたその時。



(救いを求める者よ。その救いを成す為の力が欲しいですか。)


 高く、空の果てから降り注ぐような声が女の耳、というよりは脳内に響く。

 同時に女が見たのは、宙に浮かぶ白い球体であった。

 濁りなき純白。均整の取れた真円。明らかにこの場に似つかわしくないそれが現れた瞬間、世界はまるで停止したように沈黙した。

 唖然として見上げる女の眼前で、白い球体は動く事なく声を響かせる。


(我が名は“創世の白”。救いを求む者の声に応え世界に救いをもたらすもの。此度、貴女の救いを求める声に応え顕現しました。)


 女はその力の気配から、神の奇跡に似たものを感じ取る。

 神の光に似ている、が決して神とは相容れないもの。しかし、その力は大きく、そしてどこか空虚なもののようにも感じた。


「あなたは一体……?」

(貴女が奇跡と崇拝するもの、それと似たものと捉えて構いません。)

「……“創世の白”。それがあなたの名ですか?」

(はい。死が、怒りが、怨念が、世界の器を満たした瞬間。最も強く世界の救済を望んだ者が我が契約者として選ばれます。)


 白い球体がゆっくりと降りてくる。そして、最後の問いを投げ掛ける。


(選びなさい。私と契約し、世界を救う力を得て、世界を破滅より守るか。契約せずに、世界の破滅を見過ごすか。)


 それは神の救いの手か。それとも、藁にも縋る思いの女にぶら下げられた、悪の魔の手か。

 女は二つの可能性を頭に浮かべながら、即座に答えを出す。


「契約します。どうか、お力をお貸し下さい。“創世の白”。」


 白い球体は女の目の前まで降りてきていた。

 女の契約の言葉を受け取り、球体“創世の白”は初めて脳内に語りかけるような声ではなく、澄み渡るような透き通った声を放つ。


【契約成立です。敬虔なるプリーステス、リュミエール。我が力、存分にお使いなさい。】


 プリーステス、リュミエールは声に応えるように、“創世の白”へと手を伸ばす。白い球体は煙のように広がり、リュミエールの指先から、その体内へと溶け込んでいく。

 流れ込むのは膨大な力。まるで何でもできると錯覚するような、何者をも救えてしまいそうな、途方もなく高い力。

 止まっていた時が動き出す。

 魂を手放しかけた少女。

 そんな彼女から抜け出ようとしていた一筋の光を初めて見つけたリュミエールは、そっと光に手を伸ばした。


「“創世の白”。」












 それはさながら薄汚れた壁紙を、新しく純白のものに貼り替えたように。

 少女を包んでいた淀みは、まるで夢であったかのようにふっと、綺麗に消え去った。

 少女の消えかけていた輪郭は、くっきりと残っている。

 自身の手で消え去った淀みが、彼女の抱えていた病である事を、リュミエールは本能的に理解した。

 白い光が灯る自らの掌に視線を落とし、今まで届かなかった世界に届いた事を確信したリュミエールは、目を太陽のように輝かせ、ぽつりと呟いた。


「……なんてこと。」


 起き上がりきょとんとしている少女と視線を合わせ、同じく呆けているリュミエールの耳に、優しい声が囁く。


『我が契約者、リュミエール。貴女の望むがままに、世界に救済をもたらしましょう。』




 世界が終わりを迎えるべき時、この世界の救済を誰よりも強く願った女の元に、“創世の白”は顕現した。

 世界の滅亡を食い止める為の物語が動き出す。




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その契約はクーリングオフできません 夜更一二三 @utatane2424

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