第4話 ダーリンを探せ

 やがて、その日の夕方がやってくる。午後五時。春の短い陽が沈み、冷たい風が吹いてきた。

 

 俺は、実家から持って来たインスタントの袋麺を鍋で煮て、玉子を二個割り入れる。俺が袋麺を食べる時は二玉と決まっているのだ。若気の至りで済むのは、中年に差し掛かるまでの、ほんのひと時だけの言い訳でもある。ああ、今は暖かい豚骨醤油のスープの柔らかな風味が口いっぱいに広がるのを楽しむ。


「うまい!」


 一気に麺を吸い、スープを啜って体を温める。それから風呂に入って、急いで布団に包まって寝ることにした。午後七時。今から寝れば、夜中の二時頃には目が覚めるであろうという目論みである。


 そして、夜更けを迎え、再び襖の奥で、カタカタと音が鳴り始めた。俺の目論み通りだ。時刻は午前二時半。俺は、そっと襖を開けた。


 やはり、昨夜と同じく、クレインが金髪の髪をサラサラと揺らして、ハタ織り機を使って何か織っていた。確かに良く見ると、クレインは絵なのに瞳はブルーで、目鼻立ちが通っており、顏のバランスも申し分なく、ハリウッド映画に出てくるような美女に描かれているようだった。


(なるほど、この絵が島衣さんを虜にしたのか)


俺は固唾を飲み込み


「よぉっ!クレイン!元気っ!」


と、少しだけ遠慮がちに、クレインに挨拶をしてみた。クレインは冷たい眼差しで俺の方を一瞥いちべつし、


「ふんっ!なんやねん、自分!また、覗いてんのか!ほんま、しょうもないなぁ」

と素っ気ない返事を返す。


「いや、待ってくれ!クレイン。今日は、そういう話じゃないんだよ。君が、一体、どうして、こんな部屋の壁の中で動いているのか、それを聞きたいんだよ」


 俺は真壁に聞かれないように、かなりトーンを落として話しかけた。


「なんや?それ?ウチが、ここにいる理由やて?そら、決まってるがな!ウチの大好きなダーリンのために決まってるやん!ウチ、ダーリンのために、ここにおんねん」


「えっ?!何だって!ウチのダーリンが、ここで怨念になったって?!」


俺の聞き間違いに、すかさず、


「オ・ノ・レは!何処を聞き間違えたら、そうなるねんっ!ウチが、この押入れにおる理由やろ!ウチはダーリンをここで待ってるってゆうたんよ!もう!何を聞いてんの!」


クレインは少し怒ったように膨れた面を見せた。その色白の頬が赤く染まる表情と仕草を見ていると少しだけ愛くるしい感じがした。


「いや、それはゴメン、ゴメン。大体、さっきからクレインがダーリンって言っているのは、一体、誰の事なんだよ?」


「んっ?ダーリンか・・。まあ、そうやな・・。ダーリンとは、だいぶ昔に離れて、しもうたんやけどな。だから、今、探し中ゆうかな。そんな感じや」


何処か歯切れの悪いクレインが、寂しそうな顔になった。


「そうか・・そうなんだ。じゃあ、今は、いないんだね」


「せやなぁ、今は、おらんけども、でも・・でもな、この世のどっかにおるはずなんや」


汚い押入れの天井を遠くに見つめるクレイン。汚い壁に描かれた、ただの絵のはずなのに、健気でありながらも、何処か切ない気持ちがヒシヒシと伝わってくる。そんなセンチメンタルな感傷を覚えた俺は


「ふーん。よしっ!なら、俺が一緒に探してやろうか?」


と、胸を張って言ってしまった。よくよく考えれば、ただの綺麗な絵に何を感情移入してるんだろうか、俺は。


「えっ!それは、ほんまか!おおきに!拓真!頼むで!ほんじゃ、ダーリンの特徴を教えたるわ!」


 何故か、俺の下の名前で呼んできたクレイン。なんか背中を爪先で擦られたのように、むず痒い感じが沸いてくる。


 とはいえ、一旦、口に出してしまったことは仕方が無い。俺は、机まで行き、メモ用紙とペンを取ってくる。


「えっと、じゃあ、クレイン。そのダーリンの特徴とか・・・ああ、良く行きそうな場所とか色々、教えてくれ」


「えっとなぁ、ダーリンはなぁ・・」


とりあえず、俺は、クレインの言う通りにメモをしていく。それは次のようなものだった。


『背が高く、痩せ型で、髪は七三分けの長髪。不精髭を生やしていて、ゲームが好きだそうだ。謎めいている所が特に好き』


あまりに特徴が無さすぎる。俺は頭の中で今まで会った人たちを総合し、


「ああ、その男なら知っているよ。隣の真壁さんじゃないか」


と、俺は絵に描いたような三文探偵小説の推理で片付けようとした。ところがクレインは首を左右に大きく振りながら、


「なにゆてんねん!アホか!ウチのダーリンは、あんなボサボサ頭で朝から晩までずっーと、ネットゲームばっか、しとるような、しょーもない、ポンコツとちゃうわ!」


とバッサリ一刀両断。俺の脳裏で真壁さんの顏が真っ二つに裂かれた。


「えっ?いや、そんな言い方しなくてもいいじゃないか。真壁さん、きっと、いい人だぞぉ」


と俺は苦笑しながらかばったのだが、


「あんなぁ。あの人がエエ人か、悪い人か、なんて関係あらへんちゅうねん。とにかく、ウチのダーリンを探して欲しいねん」


「ああ、そう・・。さすがに隣に住んでる、真壁さんって事ないよなぁ。・・ていうか、クレインは、真壁さんと会った事あるんだ」


「会うたことあるよ。前に住んどった島衣っていう人が、この部屋で仰山、酒盛りしとったからなぁ。ごっつ、よう知っとるで。ただ、真壁いう人には、ウチの姿見えへんかったみたいやけどな」


「えっ?クレインの事が、見える人と見えない人がいるのか?」


「まあ、いるみたいやな。アンタと島衣って人は見えたけど」


 なるほど、それで合点がいった。島衣さんは、やはりクレインと夜な夜な話していたのだ。しかし、ただの絵に向かって”美しい”とか言っていたんだと思うと、何処か不気味である。無論、俺も人の事が言えないのだが。


「なるほど。それは、クレインを見える人が少ないってことだよね?」


「多分、そうやろうね。霊みたいなもんやで」


「霊?となると、ダーリンも?」


「いや、ダーリンは実物やで。ゲーム好きの」


「うーん。そうなるとだよ。問題はゲーム好きな男ってことだよな。大体、この世の中にゲーム好きなんて、どんだけいると思っているんだよ?こりゃ、探すの大変じゃないかな?」


と俺は、少々うんざりし始めていたのだが、


「ええか、拓真。ゲームいうても、フットサルやで。フットサル!」


「なるほど!太いサルか!それなら少しは的が絞れそうだな!」


俺は思わず、いきり立ったが、クレインの冷たい眼差しが突き刺さる。


「ちゃうわ!ボケ!太いサルやない!フットサルやで!大きなボール蹴るやつやがな!」


「ああ、フットサルか!それなら、俺もやってるぜ」


何を隠そう、俺は高校時代サッカー部だったのだ。そして、地域の行事でフットサルもしていた。


「ほんまか?それなら、その仲間にいるかもしれんやん」


「おおっ!そうか!それで当たってみよう」


 と、まあ、俺は十八歳のノリノリ気分で言ってしまったのだが、それが、いかに世間知らずで、お人よしな事なのか。推して然るべしである。


 それから、数か月、クレインのダーリン探しに奔走ほんそうする。よくよく考えれば、押入れに描かれたただの絵なのに、何故か、クレインに一喜一憂されることが日に日に快感になっていく。これが、恋なのだろうか。虜になるということなんだろうか。


 ところが、ここに来て急展開を見せる。数か月の捜索を行い、十月になった今頃になって、判った事実があったのだ。そう、それは、クレインが探しているダーリンとは絵であるという事実。


「えっ!それじゃ、探しようがないじゃないか!」


俺は、いつもより興奮して言った。


「だから、そう言ってるやんか!大体なぁ、拓真。オノレが最初に聞かんから、あかんのや!」


そう言って、クレインはソッポを向いて、むくれていた。


「だけどなぁ、そんだけヒント無かったら見つからないよ。もう少し手がかりってものはないのかよ?例えば、描いた作者とか、何処で描いたのかとかさー」


「そうやなぁ、思いつく限り、ゆうてはみたけど、思いつかんなぁ。あっ!」


「ど、どうした?」


「ああ、そう言えば思い出したで。確か、鶴とか亀とか言う人や」


「えっ?!それ、もしかして、大家さんの鶴山 亀三さんか?」


そう言った俺を憐れむかのような眼差しで、


「あんな・・・。自分、名前ぐらいよう覚えんのかいなぁ。鶴島やろう!」


「ああ、そうだった。って、いうかクレイン、知ってるじゃないか!」


「今、思い出したんや。そうや、鶴島 亀三さんや!」


灯台もと暗しとは良くいったものだ。結局、行きつく先はご近所なのだ。


「そうか!よっし!じゃあ、俺が鶴島 亀三さんに直接お願いしてみよう!」


「拓真!頼んだで」


 安直な結果だった。数か月の努力もむなしく、最後は勘違いと記憶違いが原因で振り回されていたのだ。だが、それが終わりではないと知るのは、鶴島 亀三を訪ねた時だった。

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