第3話 真壁 真治という男

 翌朝。俺は九時過ぎに目を覚ました。カーテンを通して春の日光が射し込んでくる。外では雀たちがお喋りに夢中だ。


 意外な事だが、あれほど”うるさい!”と思っていたハタ織り機の音が、まるで水滴を垂らすかのように等間隔で刻まれると、激しい睡魔に襲われるのだと初めて知った。

 

 俺は布団から飛び起きると、真っ先に押入れの中を確認してみる。下段の壁には、昨日の昼間に見た時と変わらない絵が描いてあった。


「やっぱ動いてないよなぁ。もしかして、俺は変な夢でも見たんだろうか?」


 俺は、首をひねりながら、眠い目を擦って、洗面所で顔を洗う。美しい表情のクレインに”岩国蓮根いわくにれんこん”とまで言われた顔に、いささか心が傷ついたのも事実。イヤイヤっと首をひねって、もう一度、鏡に写った自分の顔を見る。


 やっぱりカッコいいじゃないかと俺は自画自賛し、元気をつけた。そもそも、人の美的感覚は、十人十色なのだ。確かに、時々、髪が跳ね、イビキが、うるさいかもしれない。それも個性ではないか。


ちなみに”マイちゃーん”とはABK88のアイドルである。そして、俺の最も憧れの女性なのだ。そして、眠りながら、ドタドタと音がしたのは、おそらく密かに練習をしていたオタ芸が原因だろう。


しかも、それをよりによって、あんな絵のクレインに知られてしまったのは、致命的だ。思い出すだけでも羞恥心しゅうちしんが芽生えて、余計に腹が立つ。ただ、どう見ても俺の顏は蓮根れんこんとは似てない・・と思う。


 俺は、適当な外出着に着替えると、玄関ドアを開けた。昨夜のお詫びがてら、実家から持って来たみかんを三個持って、二○三と書かれた隣の先輩の部屋を訪ねることにしたのである。インターフォンを軽く鳴らしてみる。


 中々、出てくる様子はない。深夜三時まで起きていたのだから無理も無いのだろうか。俺は三十秒ほど待ってもう一度、インターフォンを押した。中でドタドタとした音が聞こえる。


 ようやく玄関の施錠せじょうが解かれ、ドアの隙間から真壁が顔を覗かせた。


「なんか、用?」


俺と同じようなボサボサの髪。整えられていない不精髭。痩せ型で長身である。どうやら、真壁も寝起きのようであった。


「ああ、どうも隣の日沖です。昨夜は、うるさくして、すみませんでした」

と俺が頭を下げると


「ああ、いいよ、いいよ。大丈夫だよ。俺も昨日はさー、ゲームしてて寝不足でね」


と、大あくびをする真壁。


「そうですか。ゲームされてたんですか。あ、これ、つまんないものですけど」

と、俺がみかんを差し出すと、


「おお、悪いね。何か。別に催促したわけじゃないんだけどね。たださー、ちょっとゲームのチャットが聞きとりづらかったんでね」


と、不精髭を擦りながら、笑みを浮かべた。俺は間髪かんぱつ入れずに


「あの・・ちょっと、お伺いしたいことがあるですけど、いいですか?」


「えっ?何だい?」


「俺の部屋って、少し変わってませんかねぇ?」


クレインの事をストレートに伝えられないもどかしさが、何とも奥歯が痒い言い回しになる。


「はぁ?変わってるって?何が?」


「いや、あの、何って言えばいいのか、判らないですが・・雰囲気とでもいうんですかね」


「雰囲気?うーん・・・どうだろうなぁ・・」


 真壁は眉をひそめて、不精髭ぶしょうひげを触りながら、思案しあんしているようだ。俺としては、何としてもクレインの手がかりを掴みたかった。何せ、俺のトップシークレット情報をクレインに知られてしまったのだ。


「何か、こう、ほら、変だなとか、あるじゃないですか?そんな感じの事で、思い当たるようなことはありませんか?」


「ああ、そう言われると、確かに変わってるような気もするなぁ・・」


「えっ!やっぱり、何かあるんですか?」


「ああ、確かに変わってたと思う。と、言っても、部屋じゃなくて、前に二○二号に住んでたウチの先輩が変わってたんだけどな」


「えっ?それは一体、どういう事ですか?」


「いやね、前にさ、二○二号に住んで居た先輩ってのは、島衣しまい 太郎さんって言うんだけどね。大体、夜中の三時過ぎた頃だったかな。俺がさー、ゲームしてるとさ、決まって、こちら側の壁に向かって、ブツブツと何か話しかけてくるんだよ」


「えっ?壁に向かって話しかける?」


「そう、壁に向かって。というか、そっちの押入れの中じゃないのかな。こっちはゲームに集中したいのに、ヘッドホンの隙間から、まるで、お経でも上げているような感じでさ。島衣さんの声って、腹の底からひびくって判るかな?そんな声なんだよ。その声で呟くんだから、結構、壁伝いに響くんだよなぁ。そん時は、もう背筋が凍るっつうか、気味が悪いったらありゃしなかったよ」


「えっ!じゃあ、その呟いている内容とかまで、聞こえたことがあるんですか?」


「いや、まあ、コンクリートの壁なんでね。そこまでは・・。何か、ボソボソっとだけどな」


 真壁は何かを思い当たることがあったのか、不意に視線が宙を舞った。俺は内心、あのクレインと島衣さんという先輩が会話をしていたのではないかと察した。


と、そこで、真壁は何か思い出したのか


「ああ、でも、一回だけだけど、はっきりと聞こえた事があったよ」


「えっ!どんなことですか?」


「えっと、確か、あれは去年の七月だったかな。そん時は俺もバイトで疲れててさ、窓を開けて寝てたんだよね。そしたら、例によって、三時ごろだったかなあ、急に島衣さんの声が聞こえたんだよ」


俺は相槌を打ちながら固唾かたずを飲む。真壁が続ける。


「確か“クレインちゃん、今日もイオニア式キトンが眩しいね”とか“今日も綺麗だね。一緒に遊ぼう”とか聞こえてきてさ。最初は空耳かと思ったんだけど、どう考えても、島衣さんの声質そっくりなんだよな。寝言ならいいけど、もしかしたら、見えない女でも妄想しながら呟いているのかって思うと、想像しただけで、すんげー気持ち悪かったよ」


「ああ、そうなんですか・・・」


(やはり、島衣という先輩はクレインと話をしていたのだ)


「あの・・・。ちなみに、その何とか、キトンとかって何ですか?」


「えっ?日沖君、知らないの?ほら、西洋の歴史もののロープレとかに出てくるじゃん。特にギリシャ時代をモチーフにしたゲームとかで、女の人が纏っているフワフワな白い服があるだろう?あれがイオニア式キトンって言うんだよ」


「ああ、あれが、イオニア式キトンっていうんですか」


俺はクレインの姿を思い出していた。確かにギリシャっぽいフワフワで白い服だったはずだ。


「たださぁ、俺は、島衣さんが、そんな事するわけないと思うんだよなぁ。大体、ゴリラ顏で胸毛とすね毛がボウボウだったし、一日三箱吸うヘビースモーカーで、酒はウィスキーかスコッチ好き。あとの趣味と言えば、麻雀、競馬、競輪・・・その他もろもろ・・・。堕落しきった、ただのおっさんみたいだったんだぜ」


想像すると笑えるが、本人、目の前には流石に言えない言葉の羅列だ。俺は訊ねる。


「でも、その島衣さんが、そういう趣味を隠していたとか有り得るんじゃないですか?」


「いや、絶対に無いと思う。大体、俺のゲーム趣味をオタクだと抜かして、鼻で笑ってたし、そういうゲームだのアニメだの興味ゼロだったよ。典型的な現実主義だったからな」


「ああ、そうなんですか。ちなみに、その島衣さんは、今、どちらにいるんですか?」


「えっ?ああ、今年の春に卒業して、沖縄の実家に帰ったよ。就職はしないで、家業のサトウキビ畑を手伝うんだそうだ。まあ、今頃、ゴリラの恰好でもして、沖縄の綺麗な海でも見て、のんびりしてるんじゃないかな」


 と、真壁は本人不在を良い事に言いたい放題であった。ただ、夜中の三時までゲームをしている、あなたに言われたくないと、おそらく、その島衣さんも思っていることだろう。

 

 俺は、これ以上、情報を何も聞けなさそうあなので、話を打ち切る方へ舵を切った。


「そうですか・・・。分かりました。どうも有難う御座いました」


「いや、こっちこそ、有難う」


「では、失礼します」


 真壁はドアを閉めた。どうやら、あの壁に描かれたクレインが見えるのは、俺だけではなさそうだ。本来ならば、島衣さんとやらを探すのが謎を解く近道なのだろうが、それだけのために、沖縄まで追いかけるのも現実的ではない。かといって、電話やメール、SNSと言う手段を使えば、真壁を通すハメになり、よく判りもしないクレインの話をしなければいけない。


(もう少し、クレインと話をしてみるしかないな)


とりあえず、方向性は決まった。あとは実行するのみだ。

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