第2話 クレイン・トータス

 俺が布団に包まって寝ていると、何やら、“カタッカタッ”と軽快な何かを叩くような音が聞こえてきたのである。俺が、ぼんやりとした意識の中で、目覚ましに目をやると、まだ深夜三時だった。それにしても耳障りな音だ。


 俺は重くなった瞼をゆっくりと押し上げると、辺りを見渡した。俺は耳をそばだて、その音の出所を探る。その音は俺の左耳から入ってくる。そう、出所は、この押入れの中から聞こえてくるようだった。と、思った瞬間だった。俺の全身にブルッと冷たい緊張が走った。


「一体、この音は何だろう?」


こんな夜中に、何か得たいの知れないものが、押入れの中で不気味にうごめいている。そう考えるだけでゾッとする。


(ああ、お化けじゃありませんように・・)


 心の中で祈るが、無駄に恐怖心が湧き上がって、余計に両肩が重くなってくるのだ。今まで独り暮らしなんてしたことも無く、こういったシチュエーションにはめっぽう弱い。正直、どうすればいいのか、思案に暮れた。だが、その間にも、カタカタとした音は止む気配を見せないのも事実だ。


(ああ、どうしよう・・。このまま、朝まで、ほっとこうかなぁ。いや、でも、何か訳が分からないのも気にかかるし・・)


 俺の頭の中は鳥の巣を突いたようにパニックになっていた。すると、どうだろう。

(とっとと、開けちまえっ!)


そう天の声のようなものが聞こえた。切り替えの早さと勢いが俺の自慢だ。


「そうだっ!ハッキリさせてやるっ!」


と、俺は自分自身を鼓舞し、思い切って襖を開けた。すると、どうだろう。そこには、壁に描かれた絵が、まるでアニメーションのように動いているではないか。良く見れば、昼間に見たハープでも奏でていそうな金髪美女が古びたハタ織り機を使って、何かを織っているのである。


「はぁ!なっ!何だ?これ?」


俺が思わず、引き気味に目を大きく見開いて、その映像を見ていると、突然、金髪美女が、こちらをキッと向き直り


「コラッ!なに勝手に人の部屋の扉を開けてんねん!」


と、何故か関西弁で話しかけてきたのだ。


「うわっ!」


思わず、俺は後ろに飛び退いた。


「なんだ?!こりゃ?」


 心臓が口から飛び出しそうになるのを抑えると、その絵から目が離せない。ただ、その絵は見た目、金髪の美女であり、長い黒髪を垂らし、呪われた眼を剝く霊の類ではないことだけは確かだった。それに少し安堵を覚え、俺は壁に、ゆっくり近寄ると目を凝らした。


「どうなってるんだ?コイツは?」


と、俺が壁を触ろうとした、その瞬間だった。その”コイツ”という言葉に過敏に反応した金髪美女は突如、激昂げっこうし、


「誰がぁ!コイツやねん!勝手に人の部屋を覗いとって何を言うてるねん!大体、オノレこそ誰やねん!大体なぁ、ココは、ウチと愛しのダーリンの特別部屋なんやで!オノレみたいなポンコツが勝手に入らんで、ほしいわ!ほんま、気が利かん男やね!ほんま!岩国 蓮根みたいなボコボコと穴開いた顔してからにぃ!」


と長セリフを喋った金髪美女に対し、俺も売り言葉に買い言葉だった。


「なんだと!もう、一度、言ってみろっ!」


「どこからやねん!いっぱい喋っとるやないか!この、茹で玉子の黄身みたいな目ん玉をしてからに!」


「何だよ!茹で玉子の黄身みたいな目って!どういう目だよ!ふざけんなっ!」


「何やと!そんな、こんな目に決まってるやないかい!」


そう言って、金髪美女は垂れた目を両手で横から押し出し、その目を丸くさせた。


「なーっ!何なんだ!この変な絵は!」


 と、俺も激昂した、次の瞬間だった。


 突然、玄関のチャイムが鳴ったのである。俺は弾かれたように肩を揺らすと、ガラスのハートが波打ち始めたのだ。俺は背筋に冷たいものを感じながら、音をたてないように立ち上がり、そっと玄関に向かった。そして、覗き窓に写っていたのは、昼間、引っ越しの挨拶に行った隣の部屋に住む、真壁 真治まかべ しんじという学年が一つ上の先輩学生であった。俺は、とりあえずドア越しに


「あ、はいっ」


と応対する。覗き窓の魚眼レンズ越しの真壁は眉間に皺を寄せ、


「ちょっと!今、何時だと思っているんだよ。うるさいんだけど。もう少し静かにしてくれる?」


と、欠伸でも噛みしめるかのような口調だった。俺は咄嗟とっさ


「ああ、すみません。以降、気をつけます」


「んじゃあ、よろしく~」


真壁は面倒くさかったのだろう。大きな欠伸を残して立ち去った。


「クソッ!アイツの所為で俺が怒られたじゃないかっ!」


俺は例の絵に怒りを覚え、きびすを返して、金髪美女の元へと戻った。ところが、あの金髪美女は俺の存在などこの世に存在しないかのように無視し、ハタを織っていたのである。無視された俺はトーンを抑え気味にしながら


「おいっ!お前は、一体、誰なんだ!答えろ!この野郎!」


と、金髪美女に掴みかかろうとしたのだが、一体、どういう仕組みになっているのだろうか。壁に映る絵に全く触る事ができないのである。


「えっ?どうなってるんだ、この絵?もしかして、今流行りのプロジェクション・マッピングか?」


 俺は壁と反対側の襖側を調べた。だが、画像を投影するような光源が全く見当たらない。本来、液晶テレビにしろ、プロジェクションマッピングせよ、映像を壁やディスプレイ上に投影するには、光源が必要なのだ。ところが、この金髪美女の映像は、まるで壁から浮き上がっているかのように発光している。


「これは、どういう仕組みなんだ?これっ?」


 と、俺は両手で壁をベタベタと触っていたのだが、余程、その動作が気に障ったのだろう。金髪美女は眉を上げ、眉間に皺を寄せると


「ちょっと!こらっ!止めんかい!“岩国 蓮根”っ!その薄汚い手で、何をベタベタ触ってんねん!ほんま、気持ち悪いやっちゃなぁ。デリカシーの欠片すら無いんかい!」


と、俺を痛烈に批判するのだ。ああ、なんなんだ!この絵は!


「ちょっと待て!俺は“岩国いわくに 蓮根れんこん”なんて、名前じゃないぞ!俺の名前は、日沖 拓真だ!判ったか!この野郎っ!」


「誰が、この”野郎”やねん!ウチは女やで!”野郎”ちゃうわ!このボケッ!バーカッ!」


金髪美女はあかんべーをして俺を挑発する。


「くぅぅー!なんつー、ムカつくヤツだ!この垂れ目ブス!どうせ、お前、変な名前なんだろう!名を名乗れ!」


「誰が、垂れ目ブスやねん!オノレの顔を棚に上げてよう言うわ!そんなに知りたいんやたら教えたる。ウチの名前はな、クレイン・トータス言うねん!どや、何処が変な名前や!それよりもなぁ、アンタ、もう少し男を磨いたら、どうやねん?その頭、跳ねまわして寝癖だらけやし、イビキはうるさいし、寝言で“マイちゃーん”って、何回叫んどんねん!おまけに何か、変な踊りでもしとったんか?畳をドタドタ叩き回してからに。ホンマに、うるさかったで!」


 俺は、心臓を一瞬にして撃たれたかのように、息の根を止められ、グウの音も出なかった。クレインにトップシークレットであった俺の夜の姿を知られてしまったのである。俺は傷心を抱え、後ずさりする。


「なんや、図星やったんか?どうや!負けたやろ?ほれ、ほれ、さっさと退散しぃ」


クレインは両手を掃くように振って、あっちへ行けと催促する。俺は悔しさと恥ずかしさに耐えきれず、すごすご押入れから出ることにした。それにしても、なんて、腹が立つ奴なのだろうか。俺は苦々しい思いを抱えながら、とりあえず襖を閉じて、布団に潜り込むと


「クソッ!何なんだよ!あの野郎は!確か、アイツ、クレインとか言ってたな。大体、何で、あんなところに描いてある絵が普通に喋るんだよ?」


俺は怒りに頭を抱えて、某探偵のように髪をクシャクシャとかき回した。そして、脳天から一筋の光りが漏れ、ひらめいた。


「ああ、そうだ!さっき来た、隣の真壁さんに聞いてみよう。あの人は一年前からここに住んで居るんだから、もしかして、何か手がかりを掴めるかもしれないな」


 俺は、そう考えて、一旦寝ること決めた。カタカタとしたハタ織り機の音が押入れの中から響いてくる。時刻は既に明け方の五時を廻っている。俺はあまりの疲れによって、夢の中へと堕ちていくのに時間は掛からなかった。

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