第十八話 宵に酔って、余威によって

 夜が深まるにつれて、居酒屋の人口密度も高くなる。賑やかな客と店員の声を背景にしながら、僕と船江のささやかな飲み会は続いていた。


「そのせせり、くれ」

「いいよ」


 船江が指差したせせりを一つ箸で新しい小皿に取り分ける。皿を差し出せば、船江は何も言わずにそれを受け取った。見れば、少し耳の端が滲むように赤く染まっている。普段は乱暴な言動を繰り返す癖に酒には弱いのか、こいつ。


 僕は二杯目のビールを飲みながら牛タンを頬張った。


「さっき船江、自炊するって言ってたじゃん」

「それがどうした」

「どんなもの作るの? 僕はあんまり料理作らないから気になる」

「気になるって……適当に豚肉と野菜炒めてタッパーで保存しておくだけだ」

「へえ」

「ジャガイモをレンジで蒸かしてマヨネーズでも混ぜればそれだけで食える」

「なんか、料理する船江って全然想像できない」

「うるせ」


 肩をすくめて少しだけ笑いながら船江がビールを飲み干した。手を差し出してきたので、大人しくメニューの冊子を手渡す。


「ペース早くない? そんな急いで飲まなくていいのに」

「別に早くない。今日は飲みたい気分なだけだ」

「ふぅん」


 メニューに目を落としながら事も無げに言う船江の言葉を聞いて、僕はなんとなく腑に落ちない気がした。何か嫌な事でもあったのだろうか。

 そんな風に考えている僕のことなど知らず、船江は思い出したようにふと口を開いた。


「そういえば、最近老嶺さんに会ったぞ」

「え、あの人そんな体調良くなってたの?」

「この前は境内歩いてた」

「へえ、珍しい事もあるもんだね」

「俺も驚いた」


 僕が分けたせせりをつまみ、船江がさらに言葉を続ける。


「参拝に来る子供の成長が嬉しいとかなんとか言ってた。相変わらず呑気な人だ」

「老嶺さんらしいじゃん。その子、これからも元気に育つといいね」

「あの人が見てるなら問題ないだろ」

「それもそうか」


 一瞬、船江は何かを言おうと口を開いたが、何も言わずに呼び出しベルを鳴らした。すぐに店員はやってきて、ハンディを開きながら注文を聞く。


「クラシックラガーひとつ」

「かしこまりました! そちらのお客様は何か追加で頼まれますか?」

「あ、じゃあ僕はこのしその焼酎、鍛高譚? をひとつ。あとエイヒレ。お猪口ひとつでいいです」

「ふたつ」

「え、船江もこれ飲むの? やめておいたら?」

「いいだろ別に」

「じゃあ二つご用意しますね!」

「ありがとうございます」


 笑顔の店員が部屋を出ていく。その姿をぼーっと眺めながら僕は二杯目のビールを空にした。串から外してねぎまを口にすれば、タレの甘ったるい味が口に広がった。


「焼酎なんて普段飲まないのに」

「気になった」

「変なの。今日の船江、なんかいつもと違うね」


 僕の言葉に、船江が固まった。僕でも分かる程に視線を彷徨わせ、逃げるようにビールのジョッキを持ち上げ、中身が入っていないことに舌打ちをする。


「何もない。余計な詮索はするな」

「所長として所員の変化は気になるし」

「はっ、丹田さんの受け売りか」

「バレた?」

「当たり前だ。あの人との付き合いはお前より長い」


 刺身を一度に二切れも口に放り込み、船江は顔を伏せた。いつの間にか、耳から首にかけて赤みが広がっている。


「あのさ、船江もしかして酔」

「お待たせしました、こちら鍛高譚とクラシックラガーです!」


 僕の言葉は、見事に店員に遮られた。元気も手際も良い店員は素早く注文した品をテーブルに配置していく。


「お猪口こちらに置いておきますね」

「あ、ありがとうございます」

「ごゆっくりどうぞ!」


 青年が元気の良い笑顔を見せている横で、船江は運ばれてきた飲み物に手を付けた。僕は個室を出ようとする店員の背に声を掛ける。


「すいません、お水二つもらっていいですか」

「かしこまりました!」


 ビールをテーブルに置いた船江は、いつもより緩んだ雰囲気のまま、不服だと言いたげな顔をした。


「別に、水はいらない」

「僕が飲みたかったからついでに。飲まなくてもいいよ」

「……ふん」


 納得したのか、表情を戻して船江は枝豆に手を伸ばした。食べ終わった殻は少し離れた皿に投げ入れる。コントロールが狂った緑は皿の手前であっけなく落下した。


「残念」

「捨てとけ」

「はいはい」


 僕に殻の処分をさせながら、船江は次の枝豆を食べ始める。僕はエイヒレに手を付けた。こりこりとした食感が美味しい。合間に焼酎を流し込み、一息つけばたまらない幸福感が胸中を満たした。


しばらく僕たちはお互いに無言でつまみを口にし、酒を飲んだ。ふと、僕は先程の会話で気になった事を口にした。


「船江さ、丹田さんとどうやって知り合ったの? 僕はバイトの広告見て事務所に来たけど、そういえば聞いてなかったと思って」

「丹田さんか……話したことなかったか?」

「知らない」

「あの人はそもそも、俺の父親の知り合いなんだよ」


 船江はビールを呷って一息吐くと、お猪口を手に取ってコツコツとテーブルをノックした。まさか、まだ飲むつもりなのか。仕方なく焼酎を少しだけ注げば、船江はそれを飲まずに手の中で揺らした。


「俺は昔から視えすぎるタイプの人間だった。はっきり怪異が視えるようになるまで時間はかかったが、まあガキの頃から幽霊だとか呪いだとか、そういうのはずっと視えてた」

「そういうのって具体的にどんな風に視えるの? 幽霊は想像できるけど、呪いっていうのがいまいちピンと来ないんだよね」

「俺の場合は、他人を呪う程の感情なら靄になって視える。顔の周りだったり背中だったりに纏わりついてんだよ」

「え、じゃあ僕の周りにも」

「たまに憑いてる。毎回毎回おぞましいものをお前はどこから連れてくるんだか」

「ま、まあそれはこれから気を付けるから……それで?」

「……色々視えてた所為でガキの頃から友達はいなかった。親からも嫌われてたのは分かってたからな。それである日、親父は俺を丹田さんに預けた。事務所の方針として本来なら人間の依頼は断るんだが、あの人は引き取ってくれたんだ」

「嫌われてたって、そんな事ないかもしれないじゃん」

「そんな事あるんだよ。言っただろ、俺には人を呪う程の感情が視えるって」


 言葉に詰まった。つまり、船江には親の心の滓が視えていたということか。黙り込んだ僕を無視するように、船江の言葉は止まらない。


「丹田さんは俺に、そういうモノとの付き合い方を教えてくれた。極力視ないようにする方法も、祓い方もあの人から聞いた。丹田さんも視える人だったらしいからな、俺と接するときは随分気を使ってくれたよ」


 手元のお猪口をぐい、と飲み干し、また催促するようにこちらに向ける。話に聞き入っていた僕は、そのまま徳利から酒を注ぐ。


「高校を卒業してからは、事務所に住み込みで働くことにした。丹田さんは好きに生きればいいと言ったが、俺にとっての居場所は事務所だけだ。役に立ちたくて、怪異と術について知りたくて、丹田さんの伝手で物部とも知り合った。あいつのことは嫌いだが、腕は信頼している。それで、お前だ」

「……僕?」

「お前がバイトで入ってきた」


 一口酒を含み、また船江は俯いて黙り込んだ。すっかり首まで赤くなっていて、いよいよ本格的に酔っているようだ。


「船江、酔ってるでしょ」

「酔ってない」

「酔っ払いは皆そう言うって。水飲みなよ」


 水の入ったグラスを差し出すと、船江は素直にお猪口を置いてグラスの中身を一気に飲み干した。乱暴に音を立ててグラスをテーブルに戻し、またお猪口を手にする。


「……さっきも言ったが、俺にとっての居場所は、あの相談事務所だけだ。今の事務所の所長がお前なら、俺は」

「ストップ、ストップ船江。やっぱり酔ってるでしょ。そこまでにした方がいいよ」


 気恥ずかしくなって、思わず話を中断させてしまう。船江にとって事務所が大切なのは知っていたが、まさか酔った勢いとはいえここまで話すとは思わなかった。

 酔いとは違う意味で熱くなる顔を誤魔化すように、焼酎を呷る。酒を手酌してから船江を見れば、うつむいたままピクリとも動かない。まさか、と肩を揺さぶるが反応は無し。


 こいつ、寝落ちしてる。


「……これ、船江家に帰れないじゃん」


 閉店までには目覚めてくれないだろうか。僕はため息を吐きながらお猪口の中身を見つめた。





 また今晩も事務所に宿泊だ。ソファは船江が占領するだろうから、恐らく僕の寝床は作業椅子だろう。いっそ明日は臨時休業にしてしまおうか、と思って酒を飲み干した。

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