溝の口で会いましょう

逆立ちパスタ

本編 溝の口で会いましょう

第一話 こちら西萩相談事務所

 川崎市高津区溝の口。駅前にショッピングセンターを構えるその場所は毎日多くの人で賑わっている。居酒屋も多くあるために、夜も人通りと灯りが絶えることはほとんどない。娯楽施設もある程度揃っている上に電車一本で渋谷まで行けるため交通の便もよく、ベッドタウンとして評判の良い街だ。




「いただきまーす」


 周りの客に配慮して僕は小声で呟いた。目の前には黒い器が置かれていて、中身は白い泡で満たされている。遠慮なく割り箸をその中に突き立ててかき混ぜれば、白かった泡は茶色の液体に浸食されていった。その液体から顔を覗かせる太い麺を箸で摘み、はしたなく音を立てて勢いよく啜る。僕の衣服めがけて向かってくる飛沫は全て黒い不織布のエプロンに防がれた。


和風だしの香るピリ辛のカレールーは、じゃがいものムースによって口当たりがまろやかになっていた。具材も食感にメリハリを与え、いつまでも飽きずに食べられる。弾力のあるうどん麺がしっかりと絡まって、重たい品なのに箸が止まらない。


 好物のカレーうどんを頬張りながら幸せをかみしめていると、ポケットが震えた。通知を見れば、事務所にいる同僚の船江からメッセージが届いている。


「客」


 性格が表れている飾り気のない文章だ。むしろ単語だ。僕はそれに了解の意を込めて可愛らしいキャラクターのスタンプを返した。お茶でも出して待ってて、とコメントを添えるのも忘れない。来客なら急がなくては、と行儀悪く器から直接スープを口に流し込んで僕は席を立った。




 足取りも軽く事務所に戻ると、来客用のソファには小柄な女性の後姿が見て取れた。目の前に置かれている船江が出した湯呑には手を付けていない。


「西萩、遅い」

「ごめんごめん。それで、お客さんね」

「そこ」


 部屋の隅で女性の方を指さした船江の脇を通り過ぎ、僕は女性の対面にあるソファに腰かけた。女性は僕が座った気配を感じただろうが、うつむいたままこちらを向こうとはしなかった。努めて笑顔を顔に張り付け、相手の警戒心を解くようにして語り掛ける。声のトーンは少し高めを意識だ。


「こんにちは、初めまして。僕はここの所長の西萩と言います」


 女性は俯いた状態からさらに顔を下げる。会釈のつもりなのだろうか。そこまで顔を見せたくないのには何か理由があるのか、と考えていると女性がやっと口を開いた。テグスのように透明でか細い声だ。


「この度は……お願いが、ありまして……」

「はい、どのようなご相談ですか?」

「……」


 僕の質問に女性が応える事は無く、しばらくの沈黙が事務所内に流れた。確かフランスのことわざでこういうのを天使が通るって言うんだよな、なんてどうでもいいことを頭の片隅で思う。なかなか続きを喋らない依頼人に苛立つ船江の貧乏ゆすりだけが唯一聞こえる音だ。


「船江、うるさい」

「……ちっ」


 隠す努力も見えない舌打ちを置いて、船江は給湯室に入っていった。足音がいつもの三割増しでうるさいのを見ると、おそらくこの女性は船江が対応している時も無言を貫き通していたのだろう。船江ははっきりしないタイプの人間が大嫌いなのだ。

「すいませんね、あいつうるさくて。それで、もう一度聞くんですけど、ご相談って?」


 俯いた女性の表情を見るようにじっと、視線を彼女に固定する。少し間をおいて、女性の声が聞こえた。


「あの……顔を、探してほしいんです……」

「はあ、顔ですか」

「……はい、顔を……」


 女性がゆっくりと俯いていた顔を上げる。事務所のブラインドから透けてきた光に照らされた顔には、おおよそ人間に必要なパーツが欠如し、血色の悪い青白さだけが広がっていた。そこでやっと僕が合点が行く。


こいつ、のっぺらぼうか。


「先日……二子玉川の人込みで……誰かとぶつかった後……なくしてしまったみたい、なんです……顔を……」

「あれま。それは大変ですね。」


 僕は手元の手帳に聞いた情報を適当に書き込みながら相槌を打つ。二子玉川、人込み、ぶつかる、顔、と。


「船江ー! ちょっと来て!」

「何だよ」


 僕が声を張り上げて呼ぶと失礼にも、給湯室から顔だけ出して船江がこちらを見てきた。手招きをすれば、嫌そうな顔をしながらも素直に僕の元まで歩いてくる。


「この方、ニコタマで顔なくしちゃったんだって。探すから手伝ってよ」

「……ああ、人間じゃなかったんですか。すいません」


 眉間にマリアナ海溝ばりの皺を刻んでいた船江は、女性がのっぺらぼうだと分かった途端に表情を柔和なものに変えた。あまりの変わりように女性が驚いたのが表情のない顔からも伺えるようだ。


「しかし、顔をなくすなんて災難でしたね。どこらへんでなくしたとか何か心当たりあります?」

「それが……とんとなくて……」

「俺たちが探すから大丈夫です。契約書用意するんでそこに記入してもらえればすぐ顔持ってきます」


 船江が湯呑を下げながら女性に笑いかけた。媚も諂いもない子供みたいな笑顔だ。あまり見ない船江の顔に一抹の気持ち悪さを感じて僕はため息を付いた。


「それじゃあ僕が契約書を用意します。利用規約に目を通してからサインしてくださいね」




 女性の契約書を丁寧にファイルに挟みながら、僕は地図を無言で眺めている船江をちらりと見やった。その表情は真剣そのもので、仕事中の彼が良く見せる顔だ。


「西萩、書類片付け終わったなら行くぞ」

「はいはい。相変わらず人間以外の依頼は真面目にやってくれんだな」

「何を当たり前のことを」


 心外だと鼻を鳴らす船江にやれやれと肩をすくめて僕は事務所の鍵を手に取った。目的地は事務所のある溝の口から田園都市線で三駅向こうにある二子玉川駅だ。




 二子玉川。レジャースポットである多摩川を中心に娯楽施設を数多く揃え、さらに交通アクセスも良い。設備の整った映画館や高級店も軒を連ねるデパートもあるため、夜になっても人通りが途絶えることはほとんどない。季節のイベントも揃っているために、時折人があふれかえることもあるのがこの土地だ。




「こんだけ広いと探すの難しそうだなあ」

「のっぺらぼうの落し物なんてそうそうあるものじゃない。歩いていればすぐに見つかる」


 目当ての“顔”がどこにあるか分かっているように、僕の先を船江がさっさと歩いていく。慌てて着いていくと、船江は辺りを見回して呟いた。


「この辺で顔が落ちた形跡が残っている。探せばあるはずだ」

「僕そういうの視えないって知ってるでしょ船江」

「もちろんだ。だから使えないポンコツ事務所長はそこのマックでポテトでもかじって待ってろ」


 研いだばかりの包丁くらいキレッキレな言葉を残して、船江はそのまま視えない何かを辿りながら人込みに消えていった。仕方なく、僕は船江の言う通りに駅前のマックで彼を待つことにする。


 テイクアウトで頼んだコーヒーを飲みながら、僕は人の流れをぼーっと眺めた。駅から目的地へ向かう人、これから帰宅するために駅へ向かう人、その流れの中で何かのチラシを配っている人、路上に座り込んでギターを弾く青年などなど、挙げればキリが無いほどに色んな人間がいる。


「お兄さん、よかったらどうですか?」

「うわっ」


 目の前から聞こえた声に驚き、咄嗟に一歩下がると声の主は押し殺したような声で笑った。


 声の主は黄色いジャンパーを羽織った少女だ。アルバイトの制服なのか、少し離れたところにも同じような色の上着を着た人がチラシを配っている。目の前の少女は後頭部の高い位置で結んだ髪の毛を揺らしながらニコニコと愛嬌のある笑顔で話しかけてきた。


「お兄さん、さっきからずっとここに立ってますよね。よかったらこれ、もらってくれませんか?」

「あ、すいません……人を待ってて」


 差し出された紙きれを受け取りながら言い訳がましくそう呟くと、チラシ配りの少女はふぅん、と興味なさそうな声を漏らした。


「チラシ、受け取ってくれてありがとうございます。私たち一応宗教って謳ってますけど怪しいところではないんで。興味あったら連絡くださいね、お兄さんみたいな人は歓迎しますから」


 早口でそうまくしたてると、にんまりとした意味深な笑みを顔に張り付けた少女は僕の返事も待たずにまた人込みの中に消えていった。


なんとなく受け取ったチラシを眺めると、そこには見やすいフォントで大きく「希望の日の出」と書かれていた。その下に小さく並んだ言葉は、悪く言えばどれも胡散臭いものばかりだ。この世界の浄化だとか、死後の幸福の約束だとか、そういうことが小難しい言い回しで続いている。くだらない、と一蹴してチラシを丸めようとしたとき、裏面がふと目に入って思わず手が止まった。


そこに描かれていたのは、呪詛だ。文字が帯びる雰囲気は、霊感が低い僕でも分かる程に怨念に満ちている。日本語ではないが、明らかにこちらに害意のある代物であることは間違いない。



慌てて僕は近くの喫煙所に飛び込んだ。幸い人は誰もいない。すぐさま僕はポケットに入れていたライターでチラシの端を炙った。呪詛の書かれた紙の上を炎が舐めるように広がっていく。


「……何だったんだ、今の」


 深く息を吐きながら僕はさっきの呪詛を思い出していた。感じ取った印象は恐らく“憎悪”だ。これを描いた術者は対象に並々ならぬ嫌悪や憎悪を抱えている。それが文字を媒介に対象に接触して害を与えるのがこの手の呪詛のセオリーだ。だからセオリー通りに考えると、術者はあの少女。そして対象は僕になる、はずだ。だがあの呪詛の対象は僕ではなかった。少なくとも、直接的に僕を害しようとする意志は感じられない。


 考えれば考えるほどドツボにはまっていくような感覚に頭を抱えていると突然背中に衝撃が走った。痛い。


「いって!」

「こっちは真面目に顔探してんのにクソポンコツいも事務所長はのんきに煙草吸ってんのか。死ね」

「誤解! 今はタバコ吸ってない!」

「嘘つけ。お前なんか変な匂い……」


 出会いがしらにいきなり僕の背中を蹴り飛ばした船江は、僕をまじまじと見て口をつぐんだ。急に無言になった船江を恐る恐る見ると、彼は無言のまま僕の背中をまた蹴り飛ばす。


「痛いってば! なんでそんな怒ってるの!」

「西萩、お前何に触った?」

「は? 触ったって何が……」

「さっきから臭いと思ったらお前の右手だよ。何だそれ」


 僕を睨みつける船江の目は、吐き捨てられてコンクリートにへばりついた古いガムを見るようだ。慌てて右手に目をやるが、普通の腕にしか見えない。掌も手の甲もいつもと変わらない。


「船江、なんか右手に視えてる?」

「視えない。だが臭いのは分かる」

「さっき駅でもらったチラシの裏に呪詛が書かれてた。多分それだと思うんだけど」

「それだ。右手出せ。綺麗にしてやる」


 言われたとおりに右手を船江に差し出すと、彼はその右手を思いっきり叩いた。それはもう、狭い喫煙室の中に音が響き渡るくらいに思いっきりだ。


「~~~っ!」

「これでいいだろ。そのチラシはどうした?」

「も、燃やした……」

「お前にしては迅速な対応だな」


 右手を押さえながら涙目で答える僕を見て船江は満足そうだ。僕に対して当たりが強いのはいつものことだが、今日は殊更に酷い。


「そんなに僕の右手酷かったの」

「最悪だ。気味悪いレベルの憎悪と執着だった」


 執着? 僕は憎悪しか感じ取れなかった。首を傾げて船江を見るが、ただ嫌そうな表情が帰ってくるだけだ。


 呪詛が効果を発揮するのは基本的に、対象がその呪いの意図をはっきりと理解した時だけだ。“呪いがかけられた”という事を対象が認識して初めて最大の効果を発揮する。そのために、呪詛には対象が気付くほどの強い感情を込めるのだ。船江曰く、僕の右手に残っていた呪詛の残痕には憎悪のほかに執着もあったらしい。何故、僕は気がつけなかったのだろうか。


 まさか、執着する相手は僕ではなく船江なのか?


 そこまで考えてから、浮かんだ疑問を払うように頭を振った。そもそも、術者と思われるあのチラシの少女は僕と船江が知り合いなんてこと知らないはずだ。


「事務所戻るぞ。明日顔を返すから依頼者に連絡しておけ」


 知ってか知らずか、船江はいつもと変わらない様子を装っている。船江は僕より呪詛絡みについてはずっと詳しいはずなのだから、きっと僕では理解の及ばないことまで呪詛の残滓から読み取っているだろう。その船江がもう警戒するそぶりを見せていないなら、きっと本当に大丈夫なのだろう。


「分かったよ。船江、ありがとな」


 僕が礼を言うと、船江はフンと鼻を鳴らした。




 翌日、僕の電話に応えて事務所まで来てくれたのっぺらぼうの女性に顔を届けることができた。船江と女性が何やら僕には視えない何かを手渡しやり取りをすると、瞬きする間に女性の顔にパーツが浮かんでいた。


 こうやって見ると、何処にでもいる普通の女性だ。誰も彼女が現代日本に溶け込んだ妖怪だなんて思いやしないだろう。


「ありがとうございます。これで姿を隠さずに外に出られます」

「お役に立ててよかったです」

「顔があるとそんな流暢にしゃべれるんですね……」

「はい。口があるとないとじゃ全然違うんですよ」


 にっこりと笑いながら僕にのっぺらぼうの豆知識を教えてくれる女性に苦笑いを返すと、彼女はほっとしたように呟いた。


「でも、本当に良かった……これで外を歩いても連れていかれずに済むわ……」

「連れていかれる?」

「お客さん、それってどういうことですか?」


 聞き返した僕の言葉に便乗するように船江が尋ねた。女性は、困ったような表情で頬に手を当てながら答える。


「実はここ最近、多摩川の周辺で私たちみたいな人間じゃない存在が行方不明になってしまう事件が続いているんです。はっきりした原因は良く分からないんですけど、何やら変な集団が連れ去ってしまうとからしくて、怖いんですよねぇ」


 僕と船江は顔を見合わせた。そんな話ならこの相談事務所に情報が入ってきてもいいものだが、まったく聞いたことがない。どういう事だろう。


「あの、その集団? ってのが何なのか知りません?」


 僕が尋ねると女性はあぁ、と声を漏らした。次の瞬間、彼女の口から放たれた言葉を耳にして僕の背筋は凍り付くことになる。





「それ、宗教団体なんですよ。確か“希望の日の出”とか呼ばれていたような」


 チラシを配っていた少女の笑みが、頭の隅でちらついた。

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