佐々木さん
「ねえ、夕くんは今度どこに行きたい?」
「そうだなー、映画とかどう?」
「あっ、私見たい映画があるんだけど、よかったら見にいかない? その、恋愛ものなんだけど」
「いいよ、行こう」
あれから俺は、佐々木さんと一緒にいる時間が増えた。今も学校からの帰り道、明日はどこに行こうかと話をしている。
休日に京と遊んでいた時間はそのまま佐々木さんと一緒にいる時間になった。初めはあんまり一緒にいる時間が長いと飽きが来てしまうのではないかと思っていたが、なんだかんだ丁度いい感じに収まっている。
恐らく、佐々木さんも同じような不安を持っているのだろう。そうならないように積極的になろうとしているのが伝わってきた。だから、俺はデートのネタをわざわざ考えることも少なくて済み、どちらかと言うと、佐々木さんが行きたいところに行く方が多くなっている。
「てっきり、動物映画を見たいのかと思ってた。ドキュメンタリーのやつ」
「そっちも見たいけど、折角夕くんと見るから」
佐々木さんは俺と恋愛映画を見ることに何か思うところがあるのか、さっきから恥ずかしそうに俯いている。そんなに恥ずかしがられたら、こっちも緊張してしまいそうだ。
「じゃあ、明日はその、よろしくお願いします」
最後までぎこちない様子で佐々木さんは家に去っていった。もう俺と一緒にいてもドキドキしたりしないのかと思っていたけど、いまだに佐々木さんの小動物感は抜けていない。
「さて、帰るか」
最近は家までの帰り道がやけに静かに感じる。佐々木さんを送り届けた後の駅までの道、駅のホーム、電車の中、駅から家までの帰り道、どこも人は大勢いるはずなのにどこか寂し気で淡々としているように感じられた。
虚無感を埋めるようにイヤホンで耳を塞ぐ。耳元で鳴り響く音楽に耳を澄ましているうちに、あっという間に家の前まで来ていた。早く着替えて本でも読もう。そうすれば、この気持ちも落ち着くだろう。
*
その日の佐々木さんは積極的だった。いや、確かにいつも積極的に振舞ってはいるのだが、今日はそれとは違う系統の、物理的な積極性を発揮していた。
「ふふっ、楽しみだね」
にこにこと楽しそうに笑う佐々木さんは、ぴったりと俺の横にくっついて指を絡ませるように手をつないでいる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないです」
「なにそれ」
まあ、佐々木さんが楽しそうならそれでいいか。そのためのデートだし。
早速、チケットを買うためにカウンターへと向かう。
「この『オオカミ少女と黒魔術師』を二つ」
「はい。本日はカップルデーとなっております。お客様はカップルでしょうか?」
「えっ? あー、はい」
「ありがとうございます。カップル割を適用させていただきますね」
突然、カップルかと訊かれて変に緊張してしまった。改めてカップルか尋ねられると、ついドキッとしてしまう。
「えへへ、なんかドキッとしちゃったね」
「うん」
佐々木さんが同じことを考えていて、再びドキッとする。まさか映画を見る前にこんな思いをするとは。
映画館は入り口付近も混んでいたが、中も結構な人の数だった。それに、意識しているせいかカップルが目に付く。もしかしたら、この空間の八割くらいがカップルなのではないだろうか。
長い予告編が終わり、本編が始まる。映画の内容は、オオカミに育てられた少女が黒魔術師の人間と恋に落ちるというものだ。政府から迫害を受けている黒魔術師は、少女とともに政府が送り組んでくる暗殺者との逃亡劇を繰り広げる。
『もう終わりだな。悪の魔導士、レイン・モンターナ!』
『マチ! 早く逃げろ!』
『いや! レインを置いていくなんてできない!』
『行くんだ! きっと会える。運命がそうさせるんだ』
『絶対、絶対だからね!』
マチがレインのもとを去っていく。レインは優し気な目でマチを見届ける。
『これからの新しい世界にお前のような闇は要らない。ここで死ね』
『黒魔術は人の感情そのものだ。そこから目を背けることは出来はしない』
『消えろ! 悪人!』
『世の理よ、数多の同胞の想いを闇となして敵を打ち払わん! グルハレム・ジスゴーダ!』
漆黒の闇がレインと暗殺者を包む。
『じゃあな、マチ。楽しかったよ』
「まさか、死んじゃうなんて」
映画が終わると、佐々木さんは目元をハンカチで拭っていた。
「あんなのあんまりだよ。あんなに、幸せそうだったのに」
映画を見ている途中、佐々木さんは俺の手をぎゅっと握っていた。ラストシーンではずっと手に力が入っていた。よほど入り込んでいたんだろう。
「はぁ、いっぱい泣いちゃった」
「もしかして、お腹空いた?」
「えっ、なんで分かったの?」
「泣いたらお腹空かない? 何か食べに行こうよ」
「うん」
早めの夕食をとるため、手をつないで映画館に隣接しているレストラン街へと歩く。俺と佐々木さんの距離はいつもより近くて、寄り添うように歩いた。
「佐々木さんって、服可愛いよね」
「そう、かな」
パスタを食べながら呟いた一言は、ほとんど無意識に発したものだった。
いや、実際、佐々木さんは可愛い。佐々木さんが可愛いのも、佐々木さんが着ている白い襟の着いた水色のブラウスが可愛らしいのも、別に俺が佐々木さんと付き合っているからそう思っている訳ではないはずだ。おそらく。まあ、俺以外が佐々木さんをどう思っていようと、どうでもいいのだろうけど。
俺は、佐々木さんを可愛いと思っているし、佐々木さんと一緒にいるだけでドキドキもする。幸せにもなれる。そこに客観的なものが何一つなくても、何一つ不都合はなかった。
「夕くんはこういう服好き?」
「女の子っぽくていいと思うけど」
「よかったあ、私身長低いからかっこいい服とか似合わないし」
そっか、女の子は色々気にしてるのか。服なんてその人に似合っていれば、それで良いと思う気がするけど。
「心配しなくても、佐々木さんはそのままで十分可愛いから」
「えへへ、そんなことないよお」
口では否定しているが、何だか嬉しそうだ。きっと、佐々木さんはポーカーが弱いだろう。それでも可愛いのが彼女の特権なんだろうけど。
「私ね、夕くんは城ケ崎さんのことが好きなんじゃないかって思ってたの」
佐々木さんは少し間をおいてそう切り出した。特に思いつめた様子もなく、ごく自然に佐々木さんは話し始めた。
「一年生の時は怪我をした城ケ崎さんのお世話もしてたし、仲良いなあって思ってた。二年生になって、私は夕くんと別のクラスになって、その時初めて気付いたの。夕くんのことが好きだって」
「それに気が付いた時からどうしようもなくて、もしかしたら、夕くんは城ケ崎さんのことが好きなのかもしれない、もう付き合ってるのかもしれない、色々考えたけど、結局は私には夕くんに告白することしかできなかった。」
「別のクラスになってから、すっごく後悔したの。同じクラスのときに告白していればよかったって。だから、フラれてもいいって思って告白したの」
佐々木さんは晴れ晴れとした表情で、しっかりと俺を見つめていた。優し気な、しかしはっきりと瞳に宿った光は佐々木さんの決意を物語っているようだった。
「って、ごめんね。こんなところで話すことじゃないよね」
苦笑いを浮かべるその顔は、さっき明確に意思を語ったものとはまるで違い、ただ居心地の悪そうに空になったグラスを見つめていた。いや、本当はグラスなんか見ていないのかもしれない。佐々木さんが見ているものはもっと別な、この場にないようなものの気がした。
「ねえ、佐々木さん」
声をかけると同時に佐々木さんの身体がびくっとと震える。たった今まで寝ていたかのようだ。
「な、なに?」
目を見開いて慌てる姿に思わず笑みがこぼれる。
「行きたいところがあるんだけど」
*
俺は佐々木さんを観覧者に誘った。映画館の近くのビルには観覧者が設置されており、陽が落ちた今くらいの時間なら綺麗な夜景が見えると思ったのだ。
「高いとことか、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫」
本当に大丈夫なんだろうか。なんだかさっきから佐々木さんの様子がおかしい。話しかけても上の空のことが多いし、動きもぎこちない気がする。
「嫌なら無理しなくていいよ?」
「ううん! 大丈夫だから!」
こう全力で否定されると、今更引き返すわけにもいかない。まあ、死ぬわけではないし、なんとかなるか。
「お次の方ーどうぞー」
そうこう言ってる間に順番が回ってきた。先に佐々木さんを奥にのせて隣に座る。
「これ、透明なんだね」
「そうそう、下が丸見えなんだよね」
ここの観覧者はゴンドラが透明になっていて、あたり一面を眺めることができる。夜はフレームがライトアップされて虹色に光るため、幻想的な風景が広がっている。
「へ、へぇーっ、すごいねー」
「ごめん、先に言った方がよかったかな?」
佐々木さんが中々にガチガチなため、見ていて面白くなってきてしまった。ここでいたずらしたら怒るだろうか。
「夕くん」
手をぎゅっと強く握られる。手汗も出ているし、緊張が肌を通して伝わってくる。
「その」
できたら外の景色も見て欲しいけど、もう限界かもしれない。
握った手に優しく力を込めて佐々木さんを励ます。ゴンドラが揺れ、頂上へ近づいていく。
しんとしたゴンドラの中で、佐々木さんと一緒にいた時間のことを思い出す。
いつもの小動物のようにびくびくしている佐々木さん。
ほっとするような笑顔を見せてくれる佐々木さん。
照れて耳を赤くしている佐々木さん。
一生懸命想いを伝えようとする佐々木さん。
俺は佐々木さんのために何ができるんだろう。
「佐々木さん」
「へっ?」
迷ったが、一歩踏み出すことにした。
佐々木さんがこちらを向いたのを見計らって、彼女の身体を抱き寄せる。
驚く彼女の唇と優しく重なる。
お互いの柔らかな唇が溶け合って一つになるのを感じた。
「ほら、あっち見て」
顔を離して彼女の顔を前に向ける。
頂上に来たゴンドラからは闇に輝く大小さまざまな光の粒が見渡せた。俺と佐々木さんは一言も話さず、ただ目の前の闇と光が織りなす景色を心に留めるように眺めた。
観覧者から降りると、さっきの幻想的な時間が嘘だったのかのように世界が広がっている。
「帰ろっか」
「うん」
それでも、心のどこかに幻想の残滓が残っている気がした。どこか奥底の方で踊るように舞う光の結晶が。
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