1-2:読者と作者の自己紹介
「ほんっとーに申し訳ないッ!!」
明は文に向かって頭を下げて謝罪していた、それも床に頭を着けてのいわゆる土下座である。
対して明に頭を下げられている文はと言うと、長い前髪ごしからでも分かるくらいに困惑し――困っていた。
明が必死に頭を下げ、文はそれに困っているというのが文が意識を取り戻してからの現状だった。
「つい、勢いとは言え悪いことをした! ごめん!」
「い、ぃぇ……その、大丈夫ですから」
文自身あまり人から頭を下げられるという状況に慣れていない上に、年頃の男子に土下座をさせているという事実がものすごく居心地が悪い。
なので文としてはまだ本当は言いたいことがあり言うのを抑えてまで、なんとか明に頭を上げてもらおうとしていた。
しかし明としては自分で自分を許せないため、こうして頭を下げ続けている。
あれからさほど時間はかからず文は目を覚ましていた。
厳密に言えば明が何かをする前に、何かをするべきか右往左往している間の内に気が付いていた。
そもそも気を失ったと言っても頭が混乱したことで一時的にフリーズしてしまったという感じだったため少々時間が経てばもとに戻る程度だったのだ。
そして文が目を覚ましたことで明と文は双方ともに完全に勢いを失い、互いに気まずい空気が流れそうになったところに明が謝罪をはじめたのである。
正直なところ気まずい空気が流れるよりも良いとは思うのが当事者である文としては困ることに変わりはなかった。
「ほ、本当に大丈夫ですからっ。だから、それ、やめてくださいっ」
「うっ!……も、申し訳ない」
文は大きな声で、と言ってもそれほど大きいものではないのだが――文と明、現在は二人だけの文芸部室内においては十分な声量で明にそう言ったためとりあえず明は土下座を止めた。
土下座をやめて明は近くにある椅子に座り、居住まいを正した。だがまたやってしまったという失敗に失敗を重ねたような羞恥心のためまともに文の方を見ることが出来ない。
(怖い、人じゃないのかな……?)
と、文はそんな明の様子を見て少しだけ認識を改めた。
混乱を極めて気を失うくらい追い込まれはしたが、それはそれで悪気あったりしたわけではなく、自分の対人能力に問題があったと省みることができるくには認識を改めた。もちろんそれで目の前の男子をすべて許すかと言えば別の話ではあるが。
これでようやく互いに自分自身の事を、相手の事をそれなりに冷静に見ることが出来るようになった、そうなったことで文には少しだけ明に聞きたいことがあった。
それは文にとっては初めてのことではあったが、同時にずっと誰かに聞いてみたいことでもあった
「ぁ、あの……私の……。……った?」
恐る恐ると言った感じで文は明に尋ねた。だが、その声はあまりにも小さかったため明には聞き取ることが出来なかった。
「んっと……なんか言った?」
「ひゃっ」
だから明は今度は聞き逃さないように、といま座っている椅子ごと文へと近づいた。どの程度、近づいたのかと言えばそれは文の隣とも言えるぐらいである。
明は一応、この短い間に文に対して行った数々の無礼に気をつけてはいたが、遠慮なく一気に距離を詰めてきたことに文は驚く。
(ち、近い……)
文は明との距離感に緊張してしまう、そちらを見れば年頃の男子の顔がそこにあるのだ。生まれてこの方、男子との関わりの薄い道を歩んできた文としては意識しすぎてしまっていた。
明の方を見れば異性に対する緊張とかそういったものを文は感じ取れなかったため、自分が意識しすぎで年頃の距離感としてはよくあるのだろうかなどと考えてしまう。
しかし今はそれを考えている時ではなく明に気になっている事を聞かなければならない、それにこの状況が長引けばまた緊張で頭がいっぱいになるだろうから。
「あの、これ……わたしの小説、面白かった?」
文は恐る恐る、といった感じで勇気を振り絞って明に尋ねた。尋ねる、というよりも確認だっただろう。
既に明の感想を文は聞いていたが、文にとって許容量を超える状況が連続していたのでそのことはあまり頭に入っていなかったためである。
人に自分の小説の感想を自分から聞くなんて小説を書いてからはじめてのことだったので文は顔から火が出るほど恥ずかしかった。その表情は長い前髪と手に持った原稿用紙の束で隠されて明に伝わることはないのだが。
「ん~~~っ!!」
その質問に明はと言えば、まず自分の感情を内に留めることにした。
思いのままに、勢いのままに口走ったり行動すれば失敗することが目に見えている、というよりもつい先ほど失敗したばかりなのだから。
興奮のあまり声が大きくなってしまうことも咄嗟に判断し、少しだけ文から距離を取る。
「めちゃくちゃ面白かった! この後、最後どうなるのかな~って気になってさ!」
「……そ、そうなんだ」
「この二人の関係性とか、この世界観とかさ~、めちゃめちゃ俺の好みで! もう、最高っていうか! それで――」
明はその後も次々と文に感想を言っていく、興奮のままに感情のままにそれを伝えることにある種の快感があったが同時に明は後悔もしていた。
それは作者に対してそのまま感想を言うことに恥ずかしい、というわけではなく自分の語彙力の無さについてだ。
自身の幼稚で陳腐な感想を言えばいうほど九条文の『サイハテの駅』に対して申し訳ないと思ってしまっていた。真面目に現国の授業を受けておけばよかったと現在進行形で明は後悔していた。
文はそんな明の感想を赤い顔で聞いていた。明からは文の顔色しか分からないため、少しでも嫌がるのならばすぐに止めようとも思っていたがその素振りはなかった。
そして明には顔色しか分からないので、文のその表情の変化も伝わらない。文は明の感想を聞いて、口元を原稿用紙の束で隠したその奥が少しばかり緩んでいたことを。
「ぁ、あの……この後――」
「あ! 待ってくれ!」
明の、文にとってはじめての読者の感想は想像以上に文が嬉しいと思うものだった。社交辞令的なものではなく、しっかりと読んでくれた上での感想と言うものは。
だから文のその緩んだ口が明の想いに応えようと小説の先の話をしようとした瞬間、明はそれを止めていた。
「? え、えっと……?」
突然に制止に文は驚き、困惑する。文としては全く心当たりがなかったからだ。そもそもこの眼の前の男子は突拍子もないことばかりしてくるので心当たりも何も関係ないのだが。
どの道、文には明が続ける言葉は予想できなかったし、だからこそそれは文にとってはじめての、なんと形容したらいいか分からない不思議な感情を湧き起こせるものでもあった。
「この後、続きを書いてくれるんならそれで読みたい! こう、完成したやつで! ……って、ことで……九条さん! 続き出来たら読ませてくんない?」
明はそう文に返した。明自身、勝手に小説を読んだ上にとても図々しいなと思いつつも言わざるを得なかった。
概要だけ摘んで教えてもらうのと、完成したものを読むのとは、知識として知ったのと体験として知ったものではそこからうける印象の差は歴然である。
ネタバレを踏んで、後から完成品を読んでその印象が覆るものだとしてもネタバレはなるべく避けたいと思うし、やはりそれの虜となった身としては何も知らない状態で続きを読みたいと思うのは当然だろう。
明の読者的感情を直接、目の前で受け止めた文はかろうじて返事をする。
その顔は原稿用紙の束ですっぽりと隠されており、表情は見えないが髪の隙間から覗く耳は真っ赤に染まっていた。
「え、ぇと……ぁ……うん。……いい、けど」
「うひょー! やったぜ、楽しみー!!」
文から許しが出たことに明は喜ぶ。その喜びようは無邪気な子供のそれのようであった。
その顔を見たせいかあるいは最初からそうだったのか、文の胸中にはある疑問があった。明の言葉が、表情が嘘だとは思えないけれど、それでもそう思ってしまう。
それを確かめるのは文にとっては怖いものだったが、それでも聞いてみたいという好奇心が勝った。
「ぁ、あの……どうして、その……そこまでこれを、褒めるの?」
明から向けてくるそれが本物だったならばどうしてなのだろうか。それがどこからくるのかが気になってしまう、なにか別の理由があるんのではないかと文は勘ぐってしまう。
それは文の考え過ぎである、同時に自身のなさの表れでもあった。
「どうしてって言われてもな……めちゃくちゃ自分の好みの作品があったらそうするだろ」
「ぁ……そ、そうだね……」
そして返ってきた答えは文のそんな思いをぶち壊すようなあまりにシンプルであまりに身も蓋もない答えであり、それゆえに反論の出来ない正論でもあった。
文はなにも言えなくなり、あまりに直接的な答えに嬉しさと恥ずかしさがない混ぜになったよくわからない感情でいっぱいになる。
それに対し明はと言えば文の表情が見えなかったため、どんな状態か分からなかった。それだけに文のことよりも自分のある事を考え、答えを出していた
「よし、決めた!」
「ぇ、な、なに?」
「俺、文芸部に入るよ。九条さんって文芸部だろ?」
明はなんでもないように自分の中で出した答えと同時に質問を文に向かって言う。そのまま入部届に自分の名前を記入し始めた。
それは文にはいくつか段階を飛び越えたものであり、よく考えれば明がそう考えるのも理解できるものではあったが、明がさも当然のように言うものだからそれは文の虚をつくことになった。だから何も考えずにそうしてしまった。
「ぁ、う、うん……」
当然、そうなのだろうと思って明の口をついて出たそれに思わず答えて、応えてしまう。
九条文は文芸部の部室にいたが、それは必ずしもそれは文芸部の部員ということに繋がるわけではない。
石上明が部活見学に訪れたのならば九条文もまた同じ可能性は十分にあったのだが明はそれに思い至らない。なぜなら石上明という人間はあまり物事を深く考える様な人間ではなかったからだ。
そして文の応えを聞いて明は別の事に気付く。もうその可能性について考えることはない。
「あ! そういや俺の名前言ってなかった、ごめん! 俺は
「う、うん……私は
気づいたのは文が明の名前を知らないということだった。
明の方は文の名前を知っているのに知らないというのは気づけば随分と居心地の悪いもので、こうして名乗ることが出来て明はすっきりしていた。
ともあれ、ようやくお互いの自己紹介を終えた二人だった――人間としてはうまく噛み合わないが、作者と読者として噛み合う二人の。
そして文に向かって明は手を差し出す。それは握手のそれ。
「んじゃ、よろしく! 九条さん!」
「よ、よろしく……石上、くん」
と、それを文はたどたどしく握り返した。
文が握手をするということは、それは両手で原稿用紙の束を持つことで隠していた顔が握手の相手に明らかになるということを意味する。つまり明は文の表情を見たのだった。
明がはじめて間近でしっかりと見た文の顔は恥ずかしさで赤くなっていて、でも嬉しそうに口元が緩んでもいて、躊躇いと期待が入り交じったような長い前髪から見える瞳は少しだけ潤んでいて。
それは日が傾きはじめ、夕日が文芸部内に差し込んでいるせいでそのような
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