文芸部の九条さん

大塚零

文芸部の九条さん

第一話:出会いの九条さん

1-1:読者と作者の出会い

 足の向くままに明はB校舎を歩いた結果、そこへと辿り着いた。

 そこは普通に高校生活を送っていればおそらくは立ち寄る機会はないと思われるような場所にあった。

 B校舎三階の奥、石上明はその部屋の表札に書かれていた名を呟く。


「……文芸部」


 文芸部。小中と運動部に所属していた明にとってそこは未知の場所であった。

 かろうじて本を読んだりなにやら文章を書いたりするというイメージを持ってはいるのだが具体的な情報は何一つとして思い浮かばない。

 だからこそ明は興味を持った、なにをやっているのかを覗いていこうという気になった。

 高校に上がり、今まで体育会系男子として関わることのなかった事に関わってみるのもいいだろうとも。


 とはいえ一月ひとつきに本を一、二冊読むか読まないか。それなりに流行の本を読む程度ではある。

 自分のような奴はお断りという排他的なグループという可能性もあるだろう。

 そうだったならば出ていけばいいだけの話だ、お邪魔だったらその空気に従ってさっさと立ち去れば良い。

 明はそう軽く考えてから文芸部室の戸に手をかける。


「すいませーん、失礼しまーす」


 明は堂々と文芸部室に入ったが、とりあえずの予想に反して室内には誰もいなかった。

 室内中央には長机のように固められた複数の机と椅子があり、それを取り囲むように数々の本が本棚に並んでいる。


 その中で明の目を一際、惹きつけるものがそこにはあった――それはクリップで束ねられた原稿用紙の束。


 それが原稿用紙の束が明の目を惹いたは単にこの室内で目立つ、固められた机の上で存在を主張していたためか。

 それとも窓から差し込む日が室内の他の要素を影として切り取り、その存在がまるで特別な存在であるかのように、ある種の幻想的、運命的な情景シチュエーションに見えたためか。

 明の目を惹いたのはその両方によるためか、あるいはそれらとは違う第三の理由があったのかもしれない。だが、いかなる要素によるものだろうとそれは明の目を、意識を惹きつけたという事実は変わらない。

 明はそのまま机に置かれた原稿用紙の束を手に取り、綴られている文字を読み始めた。


 常識的に考えればそこに置いてあるというだけで勝手に読んでいいというものではないが、ついというべきか、なんとなくというべきか、ごく自然にそうしてしまっていた。

 はじめは原稿用紙に綴られた文字を軽く目で追っていた程度だったが、やがて集中して文章を読み、ついには物語に明はのめり込んでいた。

 読み終えるのにさほど時間はかからなかった。それは明が文章を読むスピードが速かったからではなく単純に完結していなかっただけであり、途中で終わっていたからだ。

 しかし、それでも、途中で、未完であっても明は思った。思わざるを得なかった。


「これ、すっげぇな……!」


 明のその呟きは自然と溢れたものであった、原稿用紙を持つ手は震えている。明にとってこんなことは初めてであり、それほどまでにこの読書体験は特別だった。

 明自身の読書体験はそれほど多くはなく、少ない方である。だから大袈裟にそう呟いてしまったと、そのように感じたのかもしれない。

 だが、今の明にとってはこの感情が全てであった。それをうまく言い表す語彙を明は持っておらず、


 ――すごいものを読んでしまった。この続きが読みたい。


 明は原稿用紙の束を最初の一枚へと戻し、確認する。

 最初の一枚目に書かれているのは『サイハテの駅』というタイトルと『九条文』という名前。タイトルと作者名だろう。

 じっとそれを明は見つめた。これを書いた『九条文』とは一体どんな人間なのだろう、と考え始める。

 だがそれは長くは続かなかった。なぜなら入り口の戸を引く音が明の耳に届き、思考を中断したからだ。


 明がそちらに視線を移すと一人の女子生徒が部室の入り口に立っていた。

 身長は平均よりも少し低いくらいだろうかやや制服が余っており、真新しい。それは彼女が明と同じ一年生であると分かる。

 そして彼女がなによりも特徴的だったのはその前髪だった、自分の目を隠すように長い。長い髪も相まって幽霊のような印象を受けるだろう。


 彼女は先程までこの部室にいなかった明を見て驚いたが、明には伝わらなかった。その長い前髪のせいで明は彼女の表情の変化に気付かなかったためだ。

 だから明は彼女の次の変化にも気付くことはできなかった。彼女の頬は赤く染まっていた、その理由は何故か。

 彼女の視線は明自身からその手に持っている原稿用紙の束へと移っている。


「わ、わたしの、それ、返してください……っ」


 理由は一言で言えば羞恥によるものだった。

 何かを作ったものならば分かるであろう、それ。未熟で未完成のそれを覚悟もせずに他人に見られてしまったという事実が文の頭の中をいっぱいにしたのだ。

 だったら見えるようなところに置いて部室から出なければよかったとも言えるが、それはそれだけの危急の事態があったとも言えよう。


 ともあれそう言った感情の元、彼女は明の持つ原稿用紙の束を取り返そうとする。その声はか細く小さいものではあったが、必死な事は言うまでもない。

 いつもの明だったならばその様子を見れば、いやそれよりも前に彼女に謝って原稿用紙の束を返していただろう。

 しかし今の明はいつものそれではなく、またそうするよりも先に聞き流せない言葉を聞いてしまっていた。


 その言葉とは明が持っている原稿用紙の束を取り返そうとしている彼女が束を指してわたしのと言ったのだ。

 そう、この彼女こそが明の心を掴んだこの作品の作者――九条文くじょうあやだった。

 だからそれに気付いた明は思わず、無意識の内に文の肩を掴んでいた。明自身、これに何か考えがあったわけではなく勢いで思わずそうしてしまっただけだった。


「ひゃっ!?」

「えっと、アンタが――くじょう、さん?」

「え、あ……は、はい?」


 明の突然の行動に文は困惑した。見知らぬ男子がいきなり肩を掴んで名前を聞いてくるのだから当然のことだろう。

 またこの明の行動によって出鼻を挫かれた文は、少しだけ自身を省みることが出来るくらいには冷静になってしまった。

 その結果、文自身と目の前の名も知らぬ男子――明との距離の近さを意識して、緊張、萎縮してしまう。


 そんな文に対して明はというと文が気付いたそれをまだ意識しておらず、勢いに身を任せたままだった。

 明が冷静になり自身を省みればとんでもないことをしてしまったと猛省するだろうが今はその時ではない。

 勢いで動いてしまったものは自身では止まれず、この次の行動もまた明にとって大いに反省することになるものだった。



「好きだっ!」


 いきなり明はそう言った、告白した。

 正しく明にとってのそれは一般的な男子が女子にするそれとは違う意味合いであり、厳密に言えばたったいま明が読んだ作品に対してだった。

 しかし文にとって予想できなかったことで、そこまでは思い至らない。僅かに戻った冷静さがこの告白で吹き飛び頭が混乱しているからだ。


「これ、めちゃめちゃ面白かった! なぁ、この後どうなるんだ!」

「え? ……え、えぇ??」

「そんでさ、ここんところって――」


 もう文としてはこの部室に戻ってきてからの展開に頭がついていけてない。

 なにかを考えようとしても自身の胸の内に渦巻く感情を整理できず、なにを処理していけばわからないと言った具合であった。その様子は長い前髪の隙間から見える瞳から混乱している様が分かる。

 しかしそれを明に理解する余裕はなく、その明はと言うと次々と文と作品に対する賛辞を文に浴びせていた。

 既に文の頭は限界であり、それは次の瞬間にも迎えるだろう。


「あ、あ、ぇ。えっと――……ぁ」


 ついに文は立っていられなくなって足から力が抜け、気を失ってしまった。

 混乱で目を回しており、その顔は羞恥やら様々な感情が渦巻いた結果、真っ赤に染まっている。

 文がそうなることでようやく異常を察した明は崩れ落ちる身体をかろうじて両腕で支える事に成功し――


「――って、あれ!? 九条さん、九条さん――ッ!!」


 などと慌てて呼びかけるのだった。

 当然、文が意識を取り戻すまでの間に明は冷静になり、自分の行動について反省して死にたくなったことは言うまでもない。

 ともあれこれがこの二人の、一人と作者と一人の読者の出会いだった。

 これはそんな二人の話である。

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