31話 最後の花

「さてと、約束を果たしますか」


 それは、最後の日だった。

 もうここで霧を見るのは何度目だろう。壁が本で埋め尽くされたこの部屋は、初めて来た時とはずいぶん印象が変わった。女性の部屋にしては色素の薄いこの部屋も、今ではキエナらしい部屋だと感じる。


「ああ、よろしく頼むよ」


 いつも通り、ベッドに座っているキエナには薄っすらと霧がかかっている。

 埃と見間違えそうなほど薄くなったそれは、間違いなくキエナが起こした罪の原因、「霧」だ。

 私たちはようやく約束を果たそうとしている。カバネとの戦いが終わり、またこの家に帰ってきたらキエナの浄化を終わらせる、という約束を。


「では」


 コサメが指にはめたアルニタの石に力を込める。アルニタは段々と透明な青白い光を放ち始め、それに呼応するようにキエナの首に下げられたペンダントも青い光を灯す。

 青い光はキエナの身体を包み、宙を漂っていた霧は星のように閃光を放つと青い光にのまれて消えていく。

 瞼を閉じたキエナは大きく息を吐くと、そのままベッドに倒れ込んだ。


「終わったね」


 青い光はキエナの周りを漂い続けている。

 霧が浄化されるにつれて、アルニタの光はキエナの周りに残り続けるようになった。

 コサメが言うには、アルニタは霧を浄化するのに一定の魔力を使っているそうだ。霧が濃いころはすぐに消費されていた魔力も、薄くなるにつれて消費量が減っていく。残った魔力は青い光として漂い続け、霧の人が見る夢に影響を与えるようになる。


「もう、苦しんだりはしないんだな」


「うん。今日は最期だから、きっと幸せな夢を見てるよ」


 キエナは、ようやく霧の呪縛から解き放たれた。

 きっとこれからも、自分の過去を後悔することはあるだろう。それでも、キエナは自分の足で生きていける。罪も後悔も、背負って生きていける。


     *     *     *


 キエナは夢を見ていた。


 それは、キエナがコサメたち霧払いに捕まったあの日の記憶だった。


 幼くして山に捨てられた自分を拾ってくれた盗賊たち。たとえそれがキエナを利用するためだったとしても、生きる場所を与えてくれたのは確かだった。

 ただ、どこかで終わりが来ることは分かってはいた。

 それがはっきりとした自覚だったのか、それともおぼろげな不安だったのか。思い出すことはかなわないが、どちらも正しい気もする。

 キエナ達盗賊は必死に抵抗をしたが、押し寄せる魔法の前では虚しいものだった。


「あァ、私死ぬんだ」


 視界が真っ白な光に覆われて朦朧とする中、キエナは我が身の終わりを悟った。


 当然の結末、抗えない運命、無意味な一生。


「たいしたことなかったなァ。犬っころの方がよっぽど幸せだ」


「ま、そんなもんか」


 だから、目を覚ましたキエナは自分の置かれた状況が理解できなかった。

 どうして私は目を覚ましたのか、どうして私はこんなところに寝ているのか、どうして私の身体に布団なんかがかけられているのか。

 どうして私が生きているのか。

 キエナが目を覚ましたのはアレムクルスの館だった。「霧払い協会本部」もしくは「本部」と呼ばれるこの館には捕獲された「霧の人」が運び込まれる。キエナもその一人であった。

 

「牢獄、にしては随分立派だな」


 それは、ひょっとしたら初めての感触かもしれなかった。

 物心ついたころから盗賊にいたキエナにとって、ベッドで寝た記憶などなかった。

 柔らかい布団に清潔なシーツ。部屋には砂埃も舞っておらず、のびのびと息ができる。そんなこと、今までで一日たりともなかった。


「そっか、死んだ人間はここに来るのか」


 キエナはそう考えて納得した。

 自分みたいな人間にも、神様は情けをかけてくれるのか。

 そうか、神様はそういうやつなのか。

 キエナはこのとき初めて神のことを思った。

 神の存在は知っていたが、どんなものなのかはよく知らなかった。けれど、神様というのは自分のような人間にベッドと温かな布団を与えてくれるような存在なのだろうと思った。


「ん?」


 気配を感じ扉の方を見ると、そこには隙間と誰かが覗いているらしい雰囲気が漂っていた。


「誰か、いるのか?」


 すると、静まり返った部屋に扉の開く音が響いた。

 そこには金髪の少女がいた。

 キエナはその少女に見覚えがあった。


「あっ」


 その少女は、キエナたちを襲った魔法使いの一人だった。

 黒いローブこそ着ていないものの、幼さを残す顔立ちもどこか面倒くさそうな目つきも見たことがあるものだった。

 死ぬときまでこいつと一緒なのか。

 キエナはうんざりしたが、そういうのも自分らしいと受け入れることにした。

 少女はそんなキエナの気分など知る由もなく、つかつかとキエナの方へと歩みを進めた。


「今日から、私と住むことになったから」


 一体何のことやらさっぱり分からなかったが、キエナは「へえ」とだけ口にした。キエナはこういう強がりを言う癖があった。


「私が預かることになったんだよ。だから、私の家で一緒に住むの。わかった?」


 ここにきてようやく、キエナは自分の思っている事とは違う方に進んでいるらしいことを悟った。

 意味は分からなかったが、どうやら自分は死んではいないし、死ぬこともないらしいとは分かった。


 とりあえず、キエナは頷いてみることにした。


 それからキエナは得体の知れない金髪の魔法使いに付いて行った。

 自分がどこに進んでいるのか、魔法使いがどこに連れていこうとしているかなんてさっぱり分からず、キエナはただ付いて行った。だけど、あまりいい想像は湧かなかった。

 

 そのときのことは、ただ途轍もなく不安だったことだけは憶えている。

 不安で、真っ暗な中を歩かされている気分だった。

 初めて魔法使いの家で過ごした日、キエナは焦げたビーフシチューを口に運んだ。

 それは全く味がしなかったが、キエナは気にせず口に運んだ。


 ある朝、魔法使いはキエナにこう問いかけた。


「可愛い顔してるよね」


 変な女だな、とキエナは思った。

 盗賊を捕まえて自分の家に置くだけでも十分変なのに、平和に朝食を取りながら間の抜けた話をしている。よっぽど平和ボケしているか、よっぽど狂っているかのどちらかに違いない。


「私、思うんだよね。もっと綺麗な格好したらいいのにって」


 その日の夜、その女は大量の服を買って帰ってきた。

 すべてキエナに着せる服だった。


 キエナは変人と日々を重ねていった。コサメという名前の変人はたまにキエナに魔法をかけるぐらいで、概ね魔法使いらしいことはしていなかった。魔法使いってのはそれが普通なのかと訊くと、普通じゃないのが魔法使いだとか言ってはぐらかされた。


 ある日、キエナは霧のことを聴かされた。

 霧が原因で罪を犯していたと言われ、眉唾だと感じた。

 でも、キエナには変化が起き始めていた。

 盗賊にいた頃に感じていた、真っ黒でどうしようもない衝動が弱まっていた。

 まだ世界を呪う気持ちはあった。だけど、それを壊してやりたいとまでは思わなかった。

 それくらい、今の生活がキエナにとって大切なものになっていた。


 霧が晴れたらどうなるんだろう?

 キエナは時折そんな未来を想像した。

 もし霧が晴れたなら、少しはマシな道を歩めるんだろうか。


 ある日、キエナはコサメに誘われて丘の上にある庭園に行った。

 そこにはキエナの知らない花が色鮮やかに咲きほこり、見渡す限りどこまでも続いていた。

 真っ白なワンピースを着たコサメが振り返る。

 コサメが笑った瞬間、キエナの頬を涙がつたった。

 あれはどんな感情だったのだろう。

 どうして自分は泣き崩れて、コサメに抱きしめられていたのだろう。


 キエナは目を覚ますと、先ほどまで見ていた自分の過去こそが最後の夢なのだと気付いた。

 どうして最後にあんな夢を見たのだろうと思ったが、答えはすぐに現れた。


「起きた?」


 扉からひょっこりとつやつやとした頭が覗く。

 キエナはベッドから跳ね上がると、扉を勢いよく開いた。

 驚いたコサメの顔がキエナの視界に飛び込む。

 その顔を見ていると堪らなくなり、キエナは思いっきりコサメを抱きしめた。


「んあ」


 コサメがキエナの懐でもがもがする。

 キエナは胸いっぱいに広がる感情に、自分の想いは間違っていなかったのだと思った。

 これからも生きていこう。この思いを抱えながら。


「コサメ、行こう」


「うん」


 今晩はうんと美味しいビーフシチューを作ろう。

 そう決めて、キエナは部屋を後にした。

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