旧市街の聖者

30話 エンドロールの選択

 私はまだ誰も救っていない。

 カバネをこの家に連れてきて一週間が経とうとしているが、まだカバネの浄化は始まっていない。

 理由はカバネの霧があまりに濃く、このまま浄化に踏み切るとカバネの精神に大きな影響が及ぶ危険があるからだった。

 浄化を始めるまでの間、カバネは私と共に過ごすことになった。私と居ることでカバネの殺意は抑えられる。どこかの監獄に入れられるよりはと、私が言い出した提案だった。


「体調は良いの?」


「ああ。お陰様で、たいしたことはない頭痛がずっと続いてるよ」


「お気の毒ね」


 カバネと一緒に居る、ということはそれだけ死神の力を使うということだ。ほとんど一日中一緒に居るわけだから、休む間もなく死神の力を使い続けることになる。

 始めの数日は特に疲労感もなかったのだが、最近はどことなく身体がけだるく感じられる。馬車だって走り続ければ車輪だって軋むし、馬だって歩けなくなる。コサメが言うには、私がカバネと居ることで少しづつ霧が薄くなってきているらしいが、それまでに私が狂い死にしてしまいそうだ。


「そんなに辛いのなら私を放り出せばいいじゃない」


「もしそうしたら、君は脱獄でもなんでもしてまた人を殺し始めるだろう。私はそこまで無責任にはなれないよ」


「そんなことはしないと言ったら?」


「その言葉を信じろと?」


「信じてはくれないのね」


「いや、今の君の言葉は信じられる。でも、私の前から居なくなった後の君は信じられない」


 私はコサメという「霧払い」と行動を共にしたことで罪に対する考え方が変わった。罪とはあくまで霧が引き起こすものだ。罪を起こす当人の人間性はある意味関係がない。

 人間性によっては、霧に魅入られやすいものもあるだろう。だが、その人間性すらも変えてしまう霧の前では信用するべき人間性なんてないような気もする。


「あなたの言うことはもっともね。だって、随分楽になったもの」


「その代わりに私は苦しんでいる」


「恨んでる?」


「いや、話し相手がいるだけまだましだ。それに君は意外と優しい」


「殺し屋を捕まえて何を言っているの」


「元、殺し屋だろ。今はただの女の子だ」


「そうなの? 知らなかったわ」


「ただの女の子なんだよ。それが今の君であり、本当の君だ」


「でも、ただの女の子のことなんてよく知らないわ」


「ただの女の子は、幸せなことがあるとにっこり笑うんだよ。それがたいしたことでなくてもね」


 カバネはいかにも眉唾だと言いたげな顔をしていたが、不意にふふっと小さく笑った。

 殺風景な部屋が不思議と似合う彼女は、その訳を口にすることなく笑みを真っ白な手で隠していた。

 きっと、たいしたことはない幸せが転がっていたのだろう。私はそんなカバネを見て一緒に笑みをこぼした。

 コンコン、と扉が叩かれる。私が返事をすると、その隙間から金色の髪が現れた。


「二人とも元気?」


「なんとか楽しくやってるよ」


「ほうほう、結構結構」


 コクコクと頷きながら、コサメは手に持っている小瓶とグラスを机に置いた。透明な小瓶には紅色の液体が入っている。


「なんだ、それ」


「これはね、魔法のお薬です」


 紅色の液体がグラスへと注がれる。薬という割に鮮やかな液体はどろりとグラスに流れ落ち、みるみるグラスを紅に染め上げた。


「風邪はもう治ったよ」


「ううん、これはカバネちゃんに飲んでほしいやつだから」


「私が? まるで毒みたいな薬だけど」


「これは一時的に霧の増殖を抑える薬なんだよ。まあ、味は毒みたいなんだけどね」


「なるほどね。毒殺されないだけマシかもしれないわね」


「一応、口直しの飴も持ってきたから」


 そう言ってコサメが包みを取り出す。中には黄色い飴が2粒入っていた。

 どことなく、カバネに対しては面倒が手厚い気がする。私が寝込んだときは、薬もなく一日中放っておかれていただけだったが、カバネが私と一緒に過ごすようになってからはこうしてコサメが様子を見に来るようになっていた。


「いただきます」


 カバネは躊躇わずに液体に口をつけた。

 グラスに注がれた紅色はみるみるなくなっていく。コン、と机に置かれたグラスは綺麗さっぱり空になっていた。

 まずいとは言っても、飲み干せないほどではなかったようだ。カバネの表情にもあまり変化は見られない。


「大丈夫、か?」


 しかし、カバネは固まったまま微動だにしなかった。

 ただ地面の一点を見つめて棒立ちになっている。

 それを不審に思ってカバネの顔を覗き込むと、私は思わず息を呑んだ。


「あっ」


 その瞳からは一筋の涙が頬を伝っていた。

 無感情な顔に涙が流れる、というとおかしく思われるかもしれない。だが、泣いているカバネの顔はまるで人形に感情が宿った瞬間のような顔だった。

 私はその顔を見て、殺意を向けられた時とは違うぞわりとした感覚を覚えた。

 恐ろしいものを見せつけられるというより、見てはいけないものを見てしまった感覚。私は自分の目に映ったものを理解すると、とっさに目を逸らした。


「ごめん、やっぱりまずかったよね!」


 カバネが泣いていたことに動揺したのか、コサメは机の上に転がっていた飴を2粒つかむと無理やりカバネの口に放り込んだ。

 赤い唇にねじ込まれた飴は頬を膨らませながら転がる。ころん、と口の奥へと入るとカバネは大きな目をパチパチとまばたきした。


「大丈夫?」


「あ、ええ」


「びっくりしたよ、まさか泣きだすとは思ってなかったから」


「私もびっくりしたわ。あんなにまずいなんて」


「えへへ、噂には聴いてたけど中々だったね」


「まったく、酷い目にあったわ」


 カバネは肩をすくめると、ひとつ息をついて私に視線を投げた。

 

「どうかした?」


「いや、なんでもない」


「そ、じゃあ付いてきて。水が飲みたいから」


 カバネが私の脇を通り抜ける。

 その背中は初めて会ったときの彼女とは全く違っている。

 コサメに服を着せられるのはもうすっかり日常になり、カバネも特に嫌がる様子もなく淡々とコサメに渡された服を着ている。服なんてどれでもいいのか、意外と気に入っているのかは私には分からない。

 でも、いつもとは違うところでいつもとは違う服を着る生活は、徐々にカバネを変えているような気がした。


「どうしたの? 行くわよ」


「ああ」


 人の気も知らずにカバネは淡々と歩いていく。

 水を飲みに行くのも私と一緒に居なくてはいけないし、シャワーを浴びようと思ったら誰もいない脱衣所に私を待機させないといけない。

 面倒この上ない生活だろうが、カバネはどこか楽しそうでさえあった。

 そんなカバネを許さないという人もいるだろう。それでも私はカバネを守らないといけない。自分の行いが正しいかなんて一生かけても分からないような気がするが、それでも私はこのただの女の子を守るのだ。

 ただ、そうすると決めたから。


「ヒソラ」


「うん? どうかした?」


「あなた、いくつだっけ」


「14、だけど」


「そう」


 どうしてそんなことを訊くのだろう。

 そんな疑問を問い返す間もなく、カバネはリビングへとつながる扉を開けた。

 すると、そこには見覚えのない空間が広がっていた。


「よう、久しぶり」


「どうして」


 見覚えのある空間に見覚えのある人物がいたとしても、その組み合わせが見覚えのないものであった場合、そこは見覚えのない空間に変容する。つまりは絶対にわが家に現れないであろう人間が、堂々とわが家のソファに陣取っているとわが目を疑って顔をしかめてしまうということだ。

 ひょろりと長い手足に白髪交じりの髪。そして、その虚脱した口ぶり。間違いなく目の前でソファに座っているのはアレムクルスであった。


「何をしに来たんです」


「困っているだろう、と思ってな」


「どういうことですか」


「あ、私が説明するよ」


 後ろから付いてきていたコサメが視界に現れる。どうやら、コサメが事情を知っているらしい。


「アレムさんはね、ヒソラの力とカバネちゃんの浄化について教えに来てくれたんだよ」


「カバネの?」


「うん、今のままだと浄化するのに時間がかかっちゃうでしょ? だから、アレムさんが他の方法を教えに来てくれたんだよ」


「そそ、そういうこと」


「何です、その外の方法とは」


「なに、簡単なことだ。お前の持つ死神の力を使ってカバネの霧を浄化する。ただそれだけの事だ」


「そんなこと、できるんですか」


 私の知る限り、死神の力にできるのは殺気を抑えることだ。他に出来ることがあるとは聴いていないし、今のところそのような気配もない。


「霧っていうのは、目には見えるが触れることはできないだろ? だが、それは俺たちに触れる力がない、もしくは触れている感触がないだけだ。霧が人に影響を及ぼしている以上、そこには何らかの実態があってそれなりの手順を踏めば触れることだってできる」


「その触れるための手順が死神の力、ということですか」


「まあ、死神の力だけでは霧に触れることはできないんだがな。しかし、死神の力を持っているお前がいるっていうのは重要なファクターにはなる。なにせ、お前がいなかったら話が進まないからな」


「では、どうやって霧に触れるんです」


「方法は方法はいくつかある。一つは魔法を使ってお前を霧と同属にする方法。これはお前に一時的に霧を纏わせてカバネの霧をおびき出しながら払う方法だ。これだとカバネの負荷はそれなりに減らせる。代わりにお前の負荷が大きいけどな」


 同属、というのは以前コサメから貸してもらった魔法書で見たことがあった。対象の人間またはそれ以外の存在と同種の魔力を纏うことで、より強い力で相手に干渉できるという術式らしい。

 大型の魔獣を倒すときには魔獣と同属の魔法を打ち込むのが基本、とも書いてあった。


「二つ目は、魔法で霧をカバネから分離してお前が死神の力で浄化させる方法。通常の浄化と違って、一時的にカバネから霧を引きはがす魔法を使う。いつもならたいして意味もない魔法なんだが、霧に触れることができるとなったら話が変わってくる。一時的に引きはがした霧をお前が浄化することで、一瞬でカバネを楽にすることができる」


「それを聴くと、二つ目の方が良さそうですけど」


「ただ、二つ目の方法を使えば膨大な霧を一度に浄化しないといけない。何が起きるかは分からないし、当然浄化するお前の危険も大きい」


「どちらでも、私にとっては危険なんですね」


「そこで、三つ目だ。今度は、他の二つとは違うアプローチで霧を浄化する。端的に言えば、お前がカバネを眷属化けんぞくかすることで霧に触れようって作戦だ。眷属化は一般的には魔法使いが使い魔や獣を使役するときに使う術式だ。だが、これは死神と人間の間でも行うことができる。眷属化って言うのは同属化以上に強い魔力で結ばれる魔法だ。これなら、当然カバネの霧には触れられるし、より近しい存在になったことで霧に行使できる死神の力もずっと強いものになる」


「それをして、私やカバネに不利益は起きないんでしょうか」


「不利益っていうか、眷属化はするまでが大変なんだよ。同属より近い存在になる以上、お互いのことはよく認めている必要がある上に、相手のために命を賭す覚悟まで用意しないといけない。正直、ちゃちゃっと済ませたいんだったらお勧めはできない方法だな」


 話を聴く限りどれも大変そうだ。特に私に降りかかる危険が大きく、どの方法を選ぶのも躊躇われる。

 それに、最後の方法はあまりに越えなければならない壁が大きすぎる。

 私とカバネが命を賭せるほど親密になれるとは思えない。カバネが私のことをどう思っているかは分からないが、私には彼女をそこまで許せる自信がない。


「ま、ゆっくり考えることだな。どっちにしろ時間がかかる話なんだ。少しくらい悩んだところで死人は出ないさ」


 アレムクルスは一通り話し終えると、ソファの背もたれに体重を預けて出された紅茶を飲み干した。

 確かによく考えたほうが良い話だ。選択を誤れば、私もカバネの精神も大きな傷を負いかねない。場合によっては崩壊する可能性もある。


「今は、この生活を続けていようと思います。どれを選ぶにしても、カバネと過ごすことは悪くはないはずですから」


「お嬢ちゃんもそれでいいのか?」


「構わないわ。それで」


「大事なのは選んで決めることだ。しっかり悩めよ、若い衆」


 年老いた魔法使いはいたずらっぽく白い歯を見せると、痩せ細った身体を起こして踵を返した。ひらひらと片手を掲げながら去っていくアレムクルスは、前に会ったときとは少し変わったように見えた。

 アレムクルスはここに来た。重たい影を背負いながら。

 彼に課せられた呪縛は、少し前に進んでもふと気が付けば過去に引き戻されてしまう。歩き続けなければ、すぐに悲しみの渦に飲み込まれてしまう。

 彼は歩き出した。悲しみと向き合うために。


 最愛の人はどんな顔をしているだろうか。

 もう二度と会えない人とどう向き合えばいいのだろうか。

 歩き出さなければならない。

 どの道が正解なのかは分からない。けれど、歩き出さなければ救うことはできない。

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