29話 手にした空想

「私は空想が嫌いだ」


 何のはずみでそんなことを言ったのだろう。

 カバネとの戦いが終わり、疲労と寒さにあてられた私は部屋で寝込んでいた。

 リベルに来てからは体調が良かったため油断していたのは否めない。今朝も眩暈と頭痛が襲いかかり、私は無理をした自分を恨んだ。

 そうして私が苦痛にうなされていたところ、枕元にひっそりと女性が座っていた。

 私はその女性をすぐにはカバネだと認識できなかった。

 理由ははっきりしている。服が違うからだ。

 いつも真っ黒の服を身に纏っていたカバネは、家に着くや否やコサメに身ぐるみ剥がされてしまった。

 風呂に入り、肌に色々と塗りつくし、髪を念入りに梳かし、綺麗な服を着せる。すると、あっという間に色白の美少女が出来上がってしまった。コサメに着せられた白のセーターもよく似合っている。


「なに、それ」


「ん?」


「空想が嫌いだ、ってやつ。あなたもそんなこと言うのね」


「ああ、たいしたことじゃないさ。現実主義なだけだ」


「魔法使いと一緒に居るのに?」


 私は首を横に振る。

 私はぼんやりとした頭でいつも考えていることを口にした。


「私はこの街に来てから考えていた。魔法こそが空想なんだろうかって。でも、私は違うと思う」


「この街では魔法は空想ではない。現実であり、日常だ。私は魔法を見て驚いた。空想が現実になることもあるんだと。私は空想なんて何の役にも立たないと思っていた。でも、空想が現実に起きたら、その日から世界は全く違うものになる。だから、私は空想を現実にしようと思うんだ。」


 息をついて窓の外を見つめる。

 よくこれだけ具合の悪い頭で話せたものだ。明日思い出した時にすべて間違いになってはいないだろうか。

 いや、それは違うか。明日になったら話したことすら忘れてしまっているだろう。


「現実に起きていれば魔法も空想の産物じゃないってこと?」


「現実に起きたならね」


「じゃあ、あなたの妙な力も現実なのね」


「君がここにいることもね」


 カバネは本に目を落としていた。

 そこには様々な海が描かれている。

 同じ海は二つとなく、そのどれもが違う表情を持っている。

 同じ場所を描いたものも、人の心が変わっていくように少しずつ違った一面を見せている。


「罪を犯した人を全力で助けるなんて、普通はしないだろう。だから、私がやっていることは空想めいたことかもしれない。でも、それも現実に起きれば空想ではなくなる」


「私を捕まえたのは、その証明のため?」


「どうだろうね」


「殺すことも出来たでしょ? それとも、これも復讐?」


 私はすぐに言葉が出てこなかった。

 一体、何が私をここまで突き動かしていたのか。事が終わり、こうして振り返って見るとまるで夢の中の出来事のようにさえ思える。

 どうしてこんなに面倒な生き方しかできないのだろう。

 私は、自分のことがおかしくて、どこか愛おしくも思えた。


「好きだったんだよ」


 カバネはまだ本に目を落としていた。

 私はひとり言のように続ける。


「母さんは、空想が好きだった。だから、空想めいた生き方をしたかったのかもしれない」


 本のページがめくられる。

 カバネは海の世界に行ってしまったんだろうか。

 元々異質な存在だったが、今はさらに違う世界に住んでいるように感じる。

 ぺらり、と本が風を起こす。海や本の匂いを乗せた風は、カバネから離れていくにつれて匂いも温度も失いながら部屋を進む。表情のなくなった風はただの冷徹な風として私の手に当たり、冷たさだけを残して消えた。


「いい夢を見せてね。死神さん」


 柔らかな髪の間から笑みが覗く。

 どうして目が惹きつけられてしまうのだろう。

 ナイフを突きつけられているときとは違うこの息苦しさは何なのだろう。

 怪しさや恐怖が奥に眠るその笑みは私の首筋を撫で、ぞくりと這いずり回った。


「あなたの運命の人が来たわ」


 カバネが投げた視線を追うと、扉の向こうから微かに足音が聴こえていた。

 足音のリズムからコサメのものだとわかる。様子を見に来たのかもしれない。


「おかしなことを言うね」


「違うの?」


「それはまだ空想だ。運命なんて分からないさ」


 私とカバネは肩を揺すって苦笑した。

 静けさの中で足音が近づく。

 これは空想の結末だ。

 空想はこれからも続き、それは現実になることもあれば綺麗な空想として額に入れて飾られることもあるだろう。

 私は空想を愛そう。

 私を救ってくれた空想たちに。

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