25話 リグレットの約束
あの夜のことを思い出すと、にわかに恥ずかしさがこみ上げてくる。
しかし、それもあの時のコサメの顔を思い出せばすぐに収まる。
不思議なもので、自分以上にうろたえている人間がいると幾らか冷静になれるのだ。
ここ数日、私はそんなことを何回も繰り返している。
「まあ、これも麻疹のようなものか」
ため息をつきながらリビングへと続く扉を開ける。
「ひょわっ」
そこにはコサメがいた。
「おはよう」
「んん、お、おはよ」
コサメは不自然に目を泳がせながら、そろそろと後ずさりしていく。
やはり、相当に重体のようだ。
私の知る範囲では、コサメはこういうことでうろたえる様な種類の人間ではないと思っていた。いつも眠そうな顔をして淡々と魔法を使う、それが私の中のコサメであった。
「何してんだよ、おふたりさん」
「さあ?」
「ここんとこ、おかしくないか?」
「麻疹のようなものだよ」
「ふうん」
キエナが意味ありげに笑みをたたえる。キエナから見ても、ここ数日の私たちは十分におかしかったらしい。
「まあ、健全でよろしいんじゃない?」
「人生の先達にそう言われると心強いな」
キエナからパンとベーコンと目玉焼きが乗った皿を受け取る。
その黄金に色づいた焼き目と香ばしい匂いは唐突に私の空腹のベルを鳴らした。
この家で一番料理がうまいのはキエナだ。
どうやら盗賊にいた時から料理はしていたらしく、私やコサメより格段に速くて上手い。
「ベーコンが一枚多いのがコサメのやつな」
「だってよ」
渡された皿を食卓に並べる。
キエナに言われた通り、ベーコンが一枚多い皿はコサメの前に置いた。
「ありがと、キエナ」
「回復祝いにしては貧相だけどね」
「十分だよ。こうしてキエナの料理が食べられるんだから」
アンドレイの餌を床に置き、私とキエナも食卓につく。
「いただきます」
「ぐぁ!」
皆空腹だったのか、皿の上はみるみるなくなっていった。
それはコサメの皿も例外ではなく、頬をほころばせてパンを食べるその姿はいつも通りのコサメだった。
「元気そうで何よりだ」
「キエナ、ごめんね。最後の浄化ができなくて」
「いいんだよ。私はいつまでも待つさ」
「キエナ、最後って?」
「ああ、次で終わりなんだよ。霧の浄化」
私がこの家に来て、もうそんなに月日が経ったのだろうか。
でも、思い返せば納得する部分は多い。
キエナは初めて会ったときと比べて雰囲気が柔らかくなった。
重い荷物を下ろして身軽になったキエナは、もう浄化の時のような寂しげな表情を見せることはなくなっていた。
「浄化が終わったらどうするんだ」
「晴れてここから卒業、ってとこかな」
「いいのか? それで」
「そういう決まりだからね」
「そうか」
「そう心配しなくても、どこかで料理人でもやってるさ」
その言葉には妙な説得力があった。
生き続ける自信。そんなものがキエナには充ちているような気がした。
「じゃあ、今から浄化する?」
「いや」
少しの間をおいて、キエナは首を横に振った。
「やらないといけないことがあるんだろ? 私はその後でいいさ」
「でも」
「少しやり残してるくらいが丁度いい。その方が帰って来る気がする」
その言葉にはっとした。
あの惨劇の記憶はあまりにも新しい。コサメも最悪の事態を思い浮かべてしまうのだろう。
それだけに、私たちは清算しようとしていたのかもしれない。
できるだけ、誰も困らないように。できるだけ、悲しませないように。できるだけ、悔いのないように。
私は心のどこかで、この景色に別れを告げようとしていたのかもしれない。
「うん、わかった」
コサメはひとつだけやり残したことをつくった。
またキエナに会えるように。
またこの家に返って来れるように。
また一日を始められるように。
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