24話 解答者・S

「じゃあ、私は部屋に戻るよ」


「おう、おやすみ」


 たまご粥で腹を満たした私は片付けとシャワーを済ませ、キエナにおやすみを言った。

 結局、コサメが起きてくることはなかった。

 ひとり欠けた食卓はやはり寂しい。キエナはいつもより静かだったし、アンドレイは頻りに羽をばたつかせた。きっと私も浮かない顔をしていたのだろう。

 私は自分の部屋に行く途中、コサメの部屋の前で立ち止まった。

 あれだけ毎日顔を合わせていたコサメも、今となっては会うことすら憚られる。

 勝手に私が怖がっているだけなのだろうが、どうしても目の前の扉を開けることができない。

 あの事件から、私がコサメと会うのは決まって誰かと一緒だ。

 私ひとりでコサメの部屋に入ったことは一度もない。

 ドアノブをつかんだまま手が止まる。冷え切ったドアノブは私の指からみるみる体温を奪っていく。


「はあ」


 ドアノブから手が滑り落ちる。

 私は今日もコサメの部屋に入ることはできなかった。

 折角、セーハやキエナが元気づけてくれたというのに。私は意気地なしだ。

 私は自室に入ると、すぐにベッドに横たわった。

 寒気を感じて毛布に包まる。それでも、どこかから冷気が入り込んで来るような、何かが抜けているような気がした。


「相変わらず君は暗いな」


「君に言われる筋合いはない」


「そう言うな。君をここまで導いたのは私だろう?」


「初耳だ」


 鏡の男は鏡の中にいることを良いことにいつも通りの態度だ。

 同様に私もいつも通りの態度であしらう。この男と真面目に話すと精神がもたない。


「あの娘は大丈夫なのか?」


「しばらくすれば治るさ」


「そうか」


 ぎこちない沈黙が流れる。こんな空気にするくらいなら初めから話しかけてこなければよかっただろうに、と思うが、それを言ったところで更に空気と気分を悪くするだけだ。

 それに、鏡の男も少しは気を遣っているのだろう。あまり八つ当たりをするのもみっともない。ここは甘んじて黙ることにしよう。


「君は、あの娘のことが好きなのか?」


「は?」


 ダメだ、この男は全く空気なんか読んでいない。

 それどころか普通は訊かないようなことを、普通は訊かないような場面で訊いてきている。

 やはり、この鏡は速やかに処分してしまうべきだろうか。


「どうしたんだ、そんな顔をして」


「おかしなことを訊くからだ」


「いや、なんとなく訊いてみただけだよ。なんとなく」


 そのなんとなくに振り回されるのが一番迷惑だということを、この鏡にはよく分からせなくてはいけない。

 鏡の男は私の心の裡など露知らず、余裕そうな表情を浮かべて私の様子を伺っている。様子を伺うなら、もう少し心配した顔をしてほしいものだ。


「急に訊くからには何か理由があるんじゃないのか」


「私は気まぐれだからな」


「なるほどな」


 思わずため息をついてしまう。

 いくら腐れ縁とは言え、私とこいつは運命共同体なのかもしれない。


「君は、嘘をつくのが下手だな」


「ほう?」


「我ながらうんざりするが、私は君の嘘を見破れるようになってしまった」


「はったりかい?」


「いや、本当だ。君は嘘をつくと笑い方が変わる。おそらく無意識だ」


 鏡の男は少し動揺していた。

 もちろん、私が指摘したのは嘘ではない。

 事実、鏡の男は嘘をつくと笑い方が変わる。私から見て右側の口角がいつもより上がるのだ。


「直されても困るから、どんな癖かは教えられないが。大事なのは、君が『なんとなく』訊いた訳ではないということだ」


「君も成長したものだ」


 正直、かなり微妙な違いだ。それだけに、私はそのことに気が付いたときはうんざりするような気分だった。

 何が悲しくて、こんな鏡の男のわずかな癖に気が付くほど一緒に寝起きしなくてはならないのだろう。


「別にたいしたことではないさ。あの娘の願いは叶ったのかと思ってな」


「願い? コサメの?」


「君をこの家で預かるように言ったのはあの娘だ。『支えあえる家族がほしい』、それがあの娘の願いだったんだからな」


「そうなのか」


「かつての主であり、コサメの父親であるあの男はこの鏡を使って後継者を探した。『僕が居なくなってもコサメを守ってくれる人を探してくれ』と言ってな」


「二人の願いが作用した結果、君が探し出されたというわけだ」


 つまり私はコサメを守り、支えあうためにこの家に呼ばれたらしい。

 何とも情けないことだ。守らなければならない存在が目の前で戦っているというのに、私は何も出来なかった。

 それどころか深い傷を負わせてしまった。

 セーハが助けてくれなければコサメは死んでいたかもしれない。

 私はコサメを見殺しにするところだった。

 いや、結果的に助かっただけだ。

 見殺しにしたのだ、私は。


「業が深いな」


「ああ」


「誰もが罪を少なからず背負っている。君もそれに気が付いただけだ」


 今まで目を背けようとしてきた罪は重く、醜い。

 でも、私はこれを抱えて進むしかないのだろう。

 そうすることでしか、私はコサメといられないのだから。


「君はあの娘が好きか?」


「ああ、大好きだ」


「それは素晴らしいな」


 私は立ち上がると、部屋から出た。

 ひやりと冷える廊下を早足で進んでいく。

 さっきまでは開けることのできなかったコサメの部屋の扉。私はドアノブをつかむと躊躇なく扉を開けた。


「えっ」


 闇の中で月の光が差し込む。月の光は金色の髪を青白く照らし、澄んだ瞳は大きく見開かれて私を見つめる。

 そこには眠りから覚めたコサメが立っていた。


「コサメ!」


 その姿を見た途端、私は思わずコサメを抱きしめた。

 自分でも驚くほどの突然の衝動。

 金の髪が頬や腕を撫で、冷たくなったコサメの体温が肌を伝う。


「どうしたの?」


 答えようとするが、すぐに声が出ない。

 荒れ狂う気持ちの波が私の理性を洗い流し、一切の言葉を阻む。

 コサメは硬直したままゆっくりと息をしている。ひとつひとつの息遣いは私の鼓動と重なり、荒れ狂った感情の波をなだめていく。


「コサメ」


「なに?」


「ああ、ダメだな」


 堪えていた涙がこぼれる。

 見上げようとするコサメの顔を抱き寄せ、必死に声を殺す。

 別にかっこいいところを見せたい訳ではない。ただ、見せたくないと思ったのだ。『支えあい、守る』人間になるために。

 ようやく収まったところで、コサメから腕を離す。


「割と痛かったんですけどー」


「ごめん」


「ん、許す」


 コサメが私の腹に拳を突き出す。

 それで気が済んだのか、コサメは私を見上げてニッと笑った。


「今日は珍しいね」


「今日で最後にしてくれ」


「私だって、刺されたくて刺されたわけじゃないし」


「うん、わかってる」


「じゃあ、もっと労わってよ」


「ああ、ご苦労様」


「それだけ?」


「いや」


 私はコサメの目を手で覆うと、そのままキスをした。

 一瞬だけのキス。でも、コサメは魂が抜かれたような目をしていた。


「びっくりした」


 コサメのこんな顔は初めて見るかもしれない。

 でも、私は泣いているところを見られたんだからお互い様か。


「コサメ」


「へ?」


「私も霧払いになるよ。罪人も、コサメも救えるように」


 この選択も誰かの思惑通りなのかもしれない。

 でも、これで大切な人の願いが叶うのならば、私はそれで良いと思う。

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