23話 救いのない週末
「あー、生き返る」
買い物から帰ってきたキエナは、買い物袋を置くや否や暖炉の前に陣取った。外は寒かったのだろう。キエナはしきりに身体を動かしながら暖炉に手をかざしている。
「今日はおかゆでいい?」
「うん」
「チーズは?」
「入れる」
「私も入れよっかな」
羽のように揺れる火はキエナの顔を赤く照らす。
火は人を落ち着かせる。どうしてなのかは分からないが、暖かさとゆったりとした揺らめきは自分自身のリズムを整えてくれる気がする。
慌ただしく乱れた心の時ほど、火は人を癒す。秒針ゆっくりと進めながら。
「さっき、セーハが来たよ」
「甲斐甲斐しいことだね、あの人も」
「性分だろうね」
セーハは今もカバネを追ってリベルの街を駆け回っているのだろう。
彼は私が止めたところでカバネを探し続けるだろうし、コサメの見舞いにも来るだろう。だからセーハにとっては私がカバネを殺したいと願うのも、救いたいと願うのも、どちらでも良かったのだ。
私がどちらを選択したところでセーハはカバネを追い、何らかの結末を迎えさせる。
結末はどうなっても良い。それが私の望んだ選択ならば、彼はあらゆる結末を受け入れるだろう。
たとえ、自分自身が犠牲となっても。
「セーハは何か言ってた?」
「また来るってさ」
「じゃあ、早いとこ見舞いの果物は食べないとね」
「いざとなれば配って歩けば良いさ」
「普段なら考えられないことだね」
いつものコサメなら、どれだけ果物があろうともすべて食べてしまうことだろう。「魔法使いに空腹はつきもの」というのはコサメの言葉で、身体中のエネルギーを魔法で消費してしまうコサメは通常では考えられないほどよく食べた。
「まさか、あのコサメが少食になるとはねえ」
今のコサメは怪我のために魔法を使うこともままならない。
病院で一緒になったライラ曰く、怪我そのものよりもコサメの体内で魔力のバランスが崩れているのが体調を悪化させているらしい。
魔力と言っても、実際にはいくつも種類があるらしく、それらの数や量は個々人で異なる。
例えば四種類の魔力を4:3:2:1の割合で持っている人の場合、その割合であることが「正常な値」となる。もし、4あった魔力が3や2に減ってしまったり、4種類あった魔力が3種類になってしまったら魔力の均衡が崩れ、体長を崩すことになる。
魔力の均衡が崩れたコサメは眠ることで均衡を取り戻そうとしている。来る日も来る日も眠りながら、少しずつ魔力を元の形に戻しているのだ。
「すぐ良くなるさ。食事だって全然取ってないわけじゃないんだし」
「うん。今はとにかくたくさん寝て魔力も体力も回復することが最優先だと思う」
「ヒソラは? 大丈夫?」
「えっ?」
改めてそう訊かれると答えに戸惑う。私は本当に大丈夫と言って良いのだろうか、そんなことがつい頭をよぎってしまう。
「傷つくのは身体だけじゃない。いや、心の方がよっぽど心配だ」
「ああ」
「心の傷はそう簡単に治らない。霧と同じように、誰かに見守られながら少しずつ治していくしかない」
暖炉の火が音を立てて揺れた。
もしかしたら、私も霧の人と同じなのかもしれない。
いや、誰もが少なからず霧に囚われているのではないだろうか。
心が弱った時に湧いてくるどこにも行けない感覚。私はそれをよく知っているはずだ。
「でも」
私はセーハにカバネを救うと言った。
そう誓ったときから私は悩んでいる。いや、初めから私は迷宮の中を彷徨っている。
「救うために愛するなんて、私にはできない」
愛で人を救うなんて、口ではいくらでも言える。
でも、人はそれほど器用に生きられるだろうか。
アレムクルスに言われた言葉が重くのしかかる。『無理で当然』、今の私には否定のしようもない。
どうしてあの時の私は救えると思ったのだろう。こんなにも私の心は苦しんでいるというのに。
「愛せないなら愛さなくていいんじゃない?」
キエナは暖炉に薪を放り投げた。
弱くなった火は新しい薪を囲んで静かに揺れる。
「愛なんてそんなもんだと思うよ」
もう十分暖まったのか、キエナは暖炉から少し離れて絨毯に座った。
「それに、ヒソラが解決しないといけないわけじゃない。他の誰かがカバネを捕まえても、誰もヒソラを咎めたりはしない」
「それは」
もっともな意見だと思う。
結局、私は自分のことで今まで迷い続けていただけだ。誰かを救うなんて、そんな高尚な悩みは本質じゃない。
「でも、自分こそが蹴りをつけたいんでしょ?」
「うん、そうだ」
「愛を与えられるなら救えばいいし、無理そうなら救うのをやめてもいい。そんなものだよ、みんな」
「コサメも?」
「多分ね」
愛するから救う、それはコサメもライラも同じだ。
愛せると思ったから賊だろうと怪盗だろうと救う。愛せると思ったから同じ屋根の下寄り添って暮らしている。
コサメもライラも何でもは救っていないし、何でもは救えないだろう。
「一番救われたいのは私自身かもしれない」
「それが分かっているなら十分さ。それくらいが丁度いい」
キエナは軽快に笑うと、立ち上がって伸びをした。
心底気持ちよさそうに腕をぐるぐると回しながら、キエナはキッチンへと入っていった。
キッチンから鼻歌が聴こえる。キエナもここに来た当時はこんな風に過ごすなんて思っていなかっただろう。本当に救われるとは信じていなかったかもしれないし、そもそも救いなんてものを否定すらしていたかもしれない。
「コサメはすごいな」
暖炉の中の火がぱちぱちと燃え盛る。すっかり大きくなった火は積み上げられた薪を包み込み、音を立てながら崩した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます