18話 遠ざかる罪

 一歩扉から出ると、そこはすでに屋敷の外であった。

 私は真っ白に照り返す石畳に目を細めながら辺りを見回した。見覚えのあるレンガ造りの建物に等間隔に植えられた街路樹、何も変わらない景色の中に探していた顔があった。


「やあ、ごきげんよう」


「ごきげんよう。今日は散歩日和ですわね」


 おほほ、とコサメが笑う。いつもやる気なさげなコサメとお嬢様言葉は、あまりに似合っていなくておかしかった。


「なによ、失礼ねえ」


 苦笑する私を見てコサメが拗ねたふりをする。そのひとつひとつの仕草のどれもがわざとらしく、私は笑いを堪えきれなかった。

 私が笑うとコサメが拗ねる。

 私がもっと笑うとコサメが私の腹を小突く。


「コサメはかわいいなあ」


 コサメはこれでも普通に可愛らしい女の子だ。

 家では腹を出してソファに寝たりしているが、それはそれで普通の女の子らしい。

 私はこれくらいの歳の女の子をよく知らないが、普通の女の子はいつもお行儀よくしているわけではないように思う。だから、たまには気を抜いてもいいのだ。それが自然で普通な女の子なのだろうから。


「ヒソラもかわいいよ」


「どこが?」


「アンドレイを膝にのせて本を読むところとか」


「あったかいんだよ、アンドレイが」


「もふもふしてるしね」


「あいつは大人しいから助かる」


「いきなり翼を広げたりしたらびっくりするもんね」


 コサメがけらけらと笑う。

 私はこの顔を見るとほっとする。

 どこか居場所を見つけたような、今のこの時間を肯定できるような気持になる。

 私はコサメには出来るかぎり自然体でいてほしい。

 霧の人を救う魔法使いとしてだけでなく、普通のひとりの女の子として。


「さっき、アレムクルスに会ってきたよ」


 私は大通りへと続く坂を下りながら、先ほどの出来事について口にした。


「どうだった?」


「どこか忙しなかった」


「そっか」


 アレムクルスは思考の海を漂っているような人だった。考えては迷い、考えては迷い。そんなことをくり返しながらあの部屋で生きているのだろう。


「私はあの後棒に流されて外に追い出されちゃったけど、アレムさんがヒソラと会っただけでも安心したよ」


「本当に会えてよかった」


「中々面白い人ではあるでしょ?」


「うん。コサメともライラとも違う魔法使いだった」


「今はああだけど、本当はすごい魔法使いなんだよ。リベルの魔法使いにとって伝説みたいな人だし」


 私はアレムクルスと会って、今まで見えていなかったものが開けたように感じた。

 あの人と私は違う生き方をすることになる。でも、私はあの人に会わなければいつまでも暗い部屋の中で生き続けることになっていたかもしれない。


「訊きたかったことは訊けたみたいだし、今日はここに来て正解だったね」


「ああ。でも、今度は外で話したいな」


「また棒に襲われるのも嫌だしね」


「まったくだ」


 あんな面倒な仕掛けのある家、ひとりでは絶対に入りたくない。入る度に棒の山に押しつぶされるなんでごめんだ。


「そういえば、コサメが言ってた『ニクロムの妖精』って?」


「そういう夢を見せる妖精がいるんだよ。アレムさんは、スピカさんに会うためにニクロムの妖精を探しているって話を聴いたから言ってみたんだ」


「なるほど、それに反応して階段が崩れたのか」


「あるいは動揺したのか」


 実際に屋敷が崩れたことを考えれば、コサメの一言がアレムクルスの精神に何かの影響を与えたのは間違いないだろう。彼が何を思ったかは分からないが、手すりと階段が崩壊する程度の変化はあったに違いない。


「まあ、何はともあれアレムさんが生きててよかったよ」


「断言した割には心配してたのか」


「死んでも動き続けるタイプの魔法って可能性もなくはなかったから」


「まるで呪いみたいだな」


「あれだけの魔法使いだと、そんなとんでもないことも出来ちゃうだろうからねえ。まったく、解除する魔法使いの気持ちにもなって欲しいよ」


 尊敬する魔法使いが生きていてほっとしているのだろう。言葉とは裏腹に、コサメの表情は穏やかなものだった。


「下るときはあっという間だね」


「ああ」


 私たちは話に夢中になっているうちに大通りのすぐ近くまで坂を下りきっていた。道は人影で埋まり、喧騒がこちらまで聴こえてくる。

 相変わらず大通りは人が多い。まるで祭りのように人がひしめき合っている。


「今日の夕飯の当番は誰だっけ」


「昨日は私が作ったからキエナのはずだ」


「何か買って行ってもいいかもね」


 くるみパンと温かいスープが欲しいな、と私が考えていた時だった。

 ふっ、と宙に黒い石のような物が放られた。


「伏せて!」


 コサメが私を押し倒す。

 私は突然のことに押されるがまま、地面に突っ伏した。

 私が突っ伏した直後、強烈な光が一瞬にして私たちの身体を包む。その眩しさは伏せていた私が思わず目を開けていられなくなる程だった。

 ほどなくして光は消えたが、立ち上がった私の前には恐ろしい光景が広がっていた。

 大通りにうめき声が広がる。あまりに強い光をまともに目にした大勢の人たちは、目を開けることができずにうずくまっていた。


「ヒソラ! こっち!」


 声のした方を向くと、コサメは細い路地を奥へと走り出していた。

 私は急いで走り出し、その先に目を凝らす。


「コサメ、あれは?」


「ひったくり! さっき、閃光弾を投げたのもこいつ!」


 コサメの先にはひとりの男が走っていた。男はひったくったと思われる物を抱えながら必死に逃げている。

 その逃げ足は一般的な男性のそれと比べれば素早い。その上、執拗に狭い路地を何度も曲がりながら進むため、コサメもその姿を捉えきれずにいた。


「ヒソラ! これをあいつのすぐ前に落として!」


 コサメが小さな球を私に放る。私がそれを受け取ると、コサメはぐっと地面を蹴り上げて上空へと跳び上がった。

 前の男はまた角を曲がって私を振り払おうとする。入り組んだ路地は逃げるには格好の場所だ。これだけ曲がり角が多ければ、そうそう追いつかれることはないだろう。

 ただ、上空から逃げる男目掛けて落下すれば、もしかしたら捕まえることができるかもしれない。

 この球が何なのかは分からないが、魔具であることは間違いない。それも男の動きを封じるようなもののはずだ。

 それならば、この球が男の前に落ちた時点で勝負が決まる。


「よし」


 男が再び角を右に曲がった瞬間、私は曲がり角に向かって思い切り身体を投げ出した。

 身体が角を越え、男の姿が視界に映る。


「いけ」


 私は左腕を思い切り振り、手にした球を男の足元に向かって思い切り投げつけた。

 放り投げた球は真っすぐ男の方へと飛び、私の身体は地面に叩きつけられる。地面に当たった背中に鈍い痛みが走り、声が漏れる。

 直後、男の方から何かが弾けたような音がした。私が痛みを堪えながら視線を投げると、そこには道いっぱいに大きな風船のようなものが広がって行く手を塞いでいた。

 風船に弾き飛ばされたのだろうか。逃げていた男は風船の前に倒れ込み、今にも立ち上がろうとしている。


「おりゃあ!」


 風が舞い上がる。高速で上空から落ちてきたコサメは風を引き連れて男の前に降り立ち、風船とともに男を挟み込んで仁王立ちしていた。


「ほら、盗ったものを返しなさい」


 男はその場に座り込むと、手に抱えていた大きなかばんを投げ捨てた。

 コサメがかばんを開ける。

 しかし、コサメはかばんを覗き込んだまま身動き一つとらずに黙っていた。

 不審に思った私は身体を起こしてコサメに近づく。男を捕まえたというのに、そこは奇妙なほど沈黙が張り詰めていた。


「どういうこと?」


 コサメが男を睨む。

 それに対して、男は薄笑いを浮かべて座り込んでいた。


「へへ、へへ」


 大通りの喧騒から離れた路地に男の笑い声がこだまする。

 コサメは男に向かってかばんを放り投げた。かばんは男にぶつかってぺしゃりと落ちる。平たく萎んだそのかばんは、私たちの負けを意味していた。


「中身は?」


「残念だったなあ。無駄足ご苦労さん」


 男はまた「へ、へ」と笑った。

 コサメはこの不気味な男も浄化するのだろうか。この男の精神は根本から歪んでしまっているように見える。とても真っ当な人間として生きていけるようには思えない。


「はあ」


 男はため息をつくと、心底うんざりしたような顔で瞼を閉じた。

 その時だった。

 男の手から黒い球が放られる。私は反射的に顔を背けようとしたものの、もはや間に合わなかった。

 強い光が視界を塗りつぶす。

 パン、と破裂音が建物の狭間に鳴り響き、にわかに風が頬を掠める。

 しかし、私は目を開けることができないままそこに立ち尽くしていた。逃げられたことは分かっている。しかし、今の私には男を追うことも出来ない。

 隣で心底悔しそうなうめき声が聴こえる。

 苦しくてやりきれないような自分を責める声はかすかに震えながら、遠ざかる足音に向けられていた。

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