17話 思考する亡者
「お前か、俺に用があるのは」
私が目を開けると、そこには白髪交じりの男が立っていた。
「ヒソラと言います」
「落とされたのは一人だけか。まあ、あいつはいいか」
男は独り言のようにぶつぶつと話すと、細長い椅子に腰かけた。部屋には紙や石が散らばり、足の踏み場もないが男は気にしているようには見えない。
男は顎に手を当てて、天井を見上げた。
その目は天井の梁を見ているようで、何も見ていないようであった。その虚脱した顔つきを見て、私は男がこの部屋にある物を何も見ていないのだと感じた。
「知りたいことがあるなら言っていけ」
男は天井を見上げながら呟いた。依然、その意識はどこか遠くにあるようであった。
「答えられるかは分からないけどな」
膝を組み、物思いにふけるような男の姿はまるで学者のようでもあった。しかし、その目には一切の輝きが失われ、世捨て人たる空気を十分に纏っていた。
「死神の力、というものを知っていますか」
私の問いを聴いても男はこれといった反応を見せなかった。膝を組み、顎に手を当てて天井を眺めるばかりで、私の声など届いていないかのようであった。
「ああ」
男はそれだけを漏らすと、私の問いに答えないままふいに立ち上がった。
男は床に散らばる紙を意にも介さないように踏みつけながら本棚へと向かった。男は壁一面にそびえる本棚をろくに見もせずに、長い腕を伸ばして一冊の本を取り出した。
男はその本をぺらぺらとめくると、ある項を開いた状態で私に見せた。
『死へと至らしむるものとそれらに対する異法的解決策』と見出しの付いたその項には、次のような文が書かれていた。
生あるものを狩る者に対し、武をもって治めようとするは愚人・凡人の策である。我々のような知恵ある者は血を流さず、傷を受けぬようにして事に当たるのが肝要である。
死神の言うところ、狩る者への罰は武ではないという。その罰の処し方こそが死神の死神たるゆえんであり、死を司りながらにして神たる特質である。
その在り方、我々人間には真に理解できぬ境地なれど、低頭して倣うべき境地と言えよう。
「それを読んだところで死神の力が何なのかはさっぱりわからねえ。きっと、これを書いたやつも何なのか分かってなかったんだろう」
確かに、この本を読んでも死神がどんな力を使い、どんな罰を与えているのかはまるで分からない。「狩る者への罰は武ではない」という一文から、人を痛めつけるようなものではなさそうだが、それでもまだ具体性に欠ける。
「でもな、そいつが言うには死神も死神の力もあるんだろうな」
男は独り言のように呟くと再び椅子に腰かけ、足を組んだ。
しかし、今度は宙を見上げることはなかった。その代わり、男は顎に手を当てて私の方をじっと見ていた。
「お前、死神に憑りつかれているだろ?」
私はすぐには声が出なかった。果たして、それを肯定していいものか分からなかったのだ。
私は鏡の男に死神の力があると告げられた。しかし、死神に憑りつかれたと言われたわけではない。
ならば、否定すればいいではないか。そう私の心の裡で声響く。
なぜ私は否定できないのだろう。
なぜ私は憑りつかれているという指摘を心の裡ですら否定しきれないのだろう。
「分からんのも無理はないか」
男は私から視線を外すと、腕を組んで立ち上がった。
「俺の見立てを話そう」
男は床に転がる様々な散乱物を無視して歩き始めた。
踏みつけられた紙が音を立て、蹴とばされた石は紙や床の上を転がった。
「俺には死神というものがわからん。そもそも、神というものが理解しがたい。だから、俺は死神という概念やそいつが引き起こす現象を魔法の一種として考えてみることにする」
男はそう前置きをすると、私の周りをぐるぐると回りながら話を始めた。
「さっきの文献によると、死神ってやつは人殺しのような罪人に武力以外の方法で罪を与えるらしい。俺がまず思いつく方法としては、罪人の財産を根こそぎ失くしてしまうってやり方だ。これなら罪人に直接手を下していないし、武力どうこうって面では一応条件を満たしている。ただ、これを我々人間が見倣うべきことと言われると幾らか疑問が残る。罪人に罰金刑を執行しているところなんか腐るほどあるし、別に今更見習うほどのやり方には思えない」
「では、精神的な罰は?」
「まあ、そう考えるのが妥当だろうな。拘留は十分身体への罰だし、身内への不幸は本人に武力が及んでいないだけで人に物理的罰を与えている点では論外だ。だが、何らかの精神的だけを与える方法なら十分武力を用いない罰として成立する」
私は男の話す内容はともかく、その饒舌ぶりに幾らか驚いていた。さっき天井を見上げて空想の世界に行っていたのは思索を重ねていたからかは分からないが、男は溢れ出す思考をそのまま口にしているかのように話し続けた。
「まずありえそうなのが、対象の人間を非常に憂鬱な気持ちにしてしまうといった罰だ。あまりにも憂鬱になった人間は罪を犯そうとすら思わなくなる。もしかしたら、自ら命を絶つかもしれない。そうなれば、死神としては十分過ぎる罰を与えたことになるだろう。直接手を下さずに死刑を執行しているんだからな」
「死神らしいやり方ですね。でも」
「でも?」
私はそれが死神の力だとは思えなかった。鏡の男は「死神の力は人を救うための力だ」と言った。それが本当なのだとすれば、罪人を自殺に追い込むような悲しい力だとは思えない。
きっと、もっと救いのあるような力のはずだ。
「死神は人を殺すことばかりが仕事なんでしょうか」
男は顎に手を当てて私の周りをぐるぐると歩き回っていた。一面に広がっていた紙くずは男が歩き回ったことで払いのけられ、男が歩いているところだけ床の木目が顔を出していた。
「なるほどな」
男は私の目の前で足を止めた。
そして険しい目で私を見据えた。
「どうやら、お前は俺と似た考えのようだ」
私が何のことか分からず茫然としているのを見て、男は笑った。
くしゃっと口と頬を歪めたその顔は、心底楽しそうにも見えた。
「俺が思う死神の力ってやつは、俺ら霧払いのやってることに近い。だが、その根源は違うような気もする」
そう聴いて私ははっとした。
人を救う力、かつてアレムクルスが掴み取った力。死神の力も人を救うための力なのだとしたら。
「罪人を救う力?」
「俺もそう思う」
なんということだろう。魔法使いと死神、まったく立場が違う者同士が同じような力を手にしているなんて。
「ただ、厳密に言えば死神の力は浄化とは違う」
「というと?」
「死神の力は殺意を消すんだ。それも蝋燭の火を消すようにあっという間にな」
「殺意を、消す」
それは当たり前と言えば当たり前のことであった。
死神は死を司る神だ。つまり、その力も死に関連するものとなる。
それに対して、霧払いの力は霧を纏った人なら誰にでも効果を発揮する。その代わり、完全に浄化するには相当の時間がかかり、その間は一人の霧の人を見守らなくてはならない。
だが、死神の力は罪人の殺意を瞬時に消すのだという。
それができれば、凶悪犯を無効化できる。コサメ達が身を削って戦うこともずっと少なくなるはずだ。
「とんでもない能力だ」
「もし、そんなものがあるなら救われるやつは多いだろうな」
男は再び椅子に座ると、じっと天井を見つめた。
その表情は、先ほどの虚脱した表情に似ていた。ただ、それでいてどこか愁いを帯びたような表情だった。
「でもな」
男はふうっと、息を吐いた。
天を見上げた男は、ゆっくりと目を閉じた。
「それは力が使えたらの話だ」
男は閉じた目をゆっくりと開く。
開かれた目は、心底悲しそうな、どこか遠くを愛おしむような目だった。
「もしかしたら、使える人がいるかもしれないでしょう」
「いや、それでも無理だろうな」
「どうして」
「あくまで俺の私見だが、力を使うには条件がある。単純で厳しい条件だ」
魔法を使うには無数に条件が設定されている。それは、コサメが魔法を使っているのを見て気が付いたことだ。
きっと、死神の力も例外ではないと思っていた。
何らかの条件があるだろうと。
「条件はひとつ。愛を与えること、これだけだ」
男は単純で厳しい条件だと言った。
でも、それで人が救えるのだとしら。
「愛、ですか」
私は人を愛そう。
それが私に与えられた使命なのだから。
この力の宿命なのだから。
「予め言っておく。俺は無理だと思う」
男がそう言い切ったが、私の意志は変わらなかった。
「私は救ってみせます。人を愛することで」
「はん、そうかよ」
「はい」
「精々、足掻け。無理で当然だ」
男がそういうのも無理はないと思う。
でも、私はやらないといけない。
この魔法使いを救うために。
私は身体を翻すと、扉に向かって歩き始めた。
足を踏み出すたびに紙が音を立てる。
私はここから歩み始めよう。人を救う道を。
部屋から出ると扉が勢いよく閉まった。きっと、次にここを訪れるのはあの魔法使いを呪いから解き放つときだろう。
それはそれほど遠い話じゃない。私の足ならたどり着ける場所だ。
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