5話 霧払い

「可哀そうって思った?」


「あんな顔を見せられたらね」


 浄化を終え、私たちはリビングに戻った。まだ私の脳裏にはキエナの表情が残ったままだ。


「浄化の度にあんなに苦しい思いを?」


「あれでも治まった方だよ。前はもっと辛そうだった」


「そうか」


 もし私がそこに居たらキエナを直視できなかっただろう。アルニタの青白い光はあんなにも綺麗だというのに、キエナの表情はあまりに悲しかった。


「霧の濃さで見る夢が変わるからね。霧が真っ黒のときはとても辛い夢を見るんだよ」


 そう語るコサメの顔は暗く沈んでいる。苦しむキエナを思い出しているのかもしれない。


「すごいな、コサメは」


「へ?」


「だって、今まで浄化をする度にあんな顔を見てきたんだろ? 私には出来そうもない」


「褒められることじゃないよ。それに、もう慣れたし」


 コサメは私から目を逸らすと、髪をくしゃっと握った。


「ふふ」


「何笑ってるの」


「いや、嘘が下手だなと思って」


「えっ」


 コサメが目を見開いて息を呑む。しばらく目を泳がせると、コサメは顔を赤くしてうつむいてしまった。


「辛いかもしれないけれど、慣れないほうが良いこともあると思う」


 強がりを言ったコサメの目は悲しさでいっぱいで、とても慣れてしまったようには見えなかった。


「一緒に悲しんであげられるコサメはすごい。誰にでもできることじゃない」


 私が褒めたところで何になると言うのだろう。だけど、私は目の前に居る小さな魔法使いを認めたかった。特別な力を持って、苦しみを背負い込む少女を肯定して、褒めたたえて、寄り添ってあげたかった。


「そうだね、ありがと」


 コサメは顔を上げると、迷いのない顔つきになっていた。大きな瞳は光を取り戻し、全身からは生気が溢れている。


「キエナみたいな人のことをね、『霧の人』って言うの。そして、私みたいに霧を浄化する魔法使いは『霧払い』って呼ばれる。霧は弱った心に入り込んで罪へと導くんだけど、濃くなった霧からは中々抜け出せない。だから私たち『霧払い』が魔法で霧を浄化するの」


 私が見た限り、キエナは罪を犯すような人には見えなかった。よく笑う、明るくてさっぱりとした女性だ。

 それも、コサメがキエナを霧から救い出そうとしてきたからなのだろう。


「私が『霧払い』を始めたのはみんなを幸せにしたいからなんだ。こんなの夢物語だって分かってはいるんだけどね」


 私ははっとした。いつもなら思わず心の裡で否定してしまうような大それた理想。だけど、私はコサメの言葉を否定したくなかった。

 私はこの少女に夢物語を諦めて欲しくなかった。


「言っとくけど、その中にはヒソラも入っているからね」


 まるでおとぎ話のようだ。魔法使いに救われるなんて。


「私は『霧の人』じゃないよ」


「そういうことじゃなくて、私はみんなを幸せにしたいの」


 私はこの家に来る前、かすかな希望を抱いていた。あの薄暗い部屋とは違う、明るくて暖かい場所。あまり多くは望まなくても、明るくなれるような居場所が欲しかった。


「すごいな」


 ここは私が空想だと言って切り捨てた場所なのかもしれない。


「だから、笑いなよ。ヒソラは私が幸せにしてあげる」


 私には目の前に灯る理想を消すことなんてできない。

 私はこの瞬間、確かに救われたのだから。目の前で堂々と胸を張る少女に。

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