6話 鏡の男

「コサメ、荷物はどこに置いたらいいかな?」


 コサメは眠そうに瞼を擦る。浄化で疲れたのか、コサメは二人掛けのソファを占領して横になっている。

 しばらく目をしばしばさせてから、コサメは部屋の奥の扉を指さした。


「そこを出て突き当りの右側。そこがヒソラの部屋だから」


「そっか、ありがとう」


 私はブリーフケースを持って扉をくぐった。廊下はやや天井が低く、表面のざらついた梁が露出している。突き当りには丸窓があり、節くれだった枝で囲ってある。丸窓の外には夕日に照らされた木々が見える。春には美しい景色が広がるだろう。

 窓の左側には廊下が続き、右側には木の板を継ぎ合わせた丸い扉がある。

 扉のノブには木の板が下がっていて、『新しい家族の部屋 ようこそ、わが家へ!』と炭で書いてある。


 私は扉を開け、自分の部屋へと入った。部屋は思ったより広いようだ。家の外側に面しているため、外側の壁は幾らか湾曲している。壁には小窓が一つあり、その手前にはベッドが置かれている。

 手前の平らな壁には本棚がそびえ、その一部には本が並んでいる。一冊を手に取ると、表紙には『とっても便利! 日常魔法』と題が付けられている。どうやらどの本も魔法関連のものらしい。

 他にも衣装棚や机、一人掛けのソファが備えてある。元々誰かの部屋だったのだろうか。とても快適そうな部屋だ。


 私は机の端に目を止めた。何かが光ったが見えたのだ。

 それは鏡だった。私は立てかけられた鏡を手に取ると、顔を寄せて眺めた。

 しかし、それは妙な鏡だった。覗き込んでも私の姿はどこにも無い。映っているのは部屋の景色だけだ。


「おかしいな」


 私は角度を変えて鏡を覗き込んだ。しかし、いくら覗いても映るのは部屋の壁や床ばかりだ。

 私は気味悪く思いながら鏡を机に戻した。

 一体何なのだろう。もしかしたら、魔法の道具かもしれない。コサメに訊けば分かるだろうか。

 私は気を取り直して荷物を片付けることにした。

 だが、荷物を片付けているときにも妙なことが起きた。どこからか人の声が聴こえるのだ。小さくて何を言っているのかは分からない。どうやら男性の声のようだった。

 私はますます気味が悪くなった。私は一心不乱に衣類を棚に詰めると、そそくさと部屋から出ようとした。


「おい、待て!」


 私は思わずその場で固まった。はっきりと私の背後から声がした。それも私を呼び止めるように。

 扉にかけた手がじわりと濡れる。

 私は意を決して振り返った。目を凝らして素早く辺りを見回す。

 しかし、どこにもそれらしき人影は見当たらない。侵入者がいないのは良かった。だが、声が聴こえたという事実は変わらない。誰もいない、ということもそれはそれで気味が悪い。


「ほら、立ち止まってないでこっちに来るがいい」


 声は前方から聴こえてきた。

 私は恐る恐る足を踏み出す。


「どこにいる」


「鏡を見るといい」


 この部屋に鏡は一つしかない。先ほど私の姿だけが映らなかった鏡だ。

 私は机へと足を忍ばせると、鏡を覗き込んだ。


「やあ」


 鏡の中には私ではない男の姿が映っていた。


「誰だ?」


「それはともかく、まずは起こしてくれ。君も見づらいだろ?」


 私はそっと鏡に触れ、壁に立てかけた。鏡の男は満足げに頷いている。


「ありがとう。さすがだ」


「君は誰だ」


「おかしなことを訊くな。私は君だ」


「何を言っているんだ」


 鏡に映った男の姿はどう見ても私ではない。黒い髪こそ同じだが、顔立ちは全く違う。服はどこぞの貴族のような華美なものだ。何より、私はこんな人を食ったような薄笑いはしない。


「現実を見ろ、ヒソラ。私は君そのものだ」


「どう見ても君は私には見えない。何か証拠でもあるのか」


 鏡の中の男はいかにも思案しているような顔をした。額に指を立てて考え込む仕草はきざと言うほかない。


「ふむ、明確な証拠はないな」


 さも当然といった顔で鏡の男は答えた。


「それでは君が私だというのは信じられないな」


「それでいい。私の目的はそんなちっぽけなものではないからな」


 男は椅子にふんぞり返り、鼻で笑った。


「何か目的があるのか」


「君はなぜこの家に貰われたのか気にはならないかい?」


 私は男をじっと見つめる。男は変わらず薄笑いを浮かべ、私に意図を掴ませようとしない。ただの悪ふざけにも見えるが、強い意志を持っているようにも見える。


「知りたくて堪らない、といった表情だ。さすが私だ」


「いいから話をしてくれ。何か知っているんだろ」


「そう急ぐな。時間はあるんだろう? ゆっくり語ろうじゃないか」


 鏡の男はいやらしい目つきで薄笑いを浮かべる。これが私だなんて到底信じられない。


「まず、どうして君が魔法使いの家に貰われたのか。これは実に簡単だ。この家のかつての主は後継者を探していた。もちろん『霧払い』の後継者だ。それに君が引っかかったというわけだよ」


「主というのはコサメの父親だろ? コサメがいるんだから後継者は事足りているはずだ」


「まあ、君は保険のようなものなのかもしれないな。その真意は私にも分かりかねるよ。しかし、考えてみると良い。君は相当都合が良い」


「私は身体が弱いし、魔法も使えない。後継者には適していないだろう」


「いや、能力的には問題ない。大事なのは他の部分だ。この家は君が病弱であったために君を手に入れることができた。才能を持った若者をね。それに君は男だ。もし『霧払い』になれなければ、コサメの結婚相手にだってなれるだろう?」


「いい加減なことを」


「確かに半分は私の推測だ。だが、強ち間違っているとはいえないはずだ」


 頭が痛くなるような話だ。私には鏡の男が語る未来は想像できない。『霧払い』になることも、コサメと結婚することも。


「私が魔法を使えるようになるとは到底思えない」


「ああ。君は魔法なんて使わなくていい」


「どういうことだ。『霧払い』は魔法使いの仕事なんだろ」


「いや、魔法使いである必要はないさ。要は『霧の人』を浄化できればいいのだから」


 私は苦笑する。あまりに馬鹿げたことだ。魔法も使えない私が『霧の人』を浄化できるはずがない。

 しかし、鏡の男は至って真面目な顔で私を見据えていた。そこには先ほどまでの薄笑いは消え失せていた。


「いいかい、君には生まれながらに力が宿っている」


「力?」


「ああ。君の中にある恐ろしいほどの力だ」


「それは魔法ではないのか」


「もっと恐ろしいものさ」


 鏡の男は不気味に笑う。歪に曲がった口がゆっくりと開く。


「死神の力だ」


 鏡の男はそれだけを告げると、ふっと消えてしまった。鏡には部屋の景色が映り、人の姿はどこにも見当たらない。

 私の脳裏には不気味な男の顔と「死神の力」という言葉がこびりつき、部屋にはただ気味の悪さだけが残っていた。

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