#99 それが彼らの物語

 あれからどれくらいの日々が、月日が、年月が過ぎただろうか。

 毎日を代り映えのしない、つまらない部屋で過ごしている。

 時々、研究所へ駆り出され、厳つい装置で検査をされる。

 その痛みも、息苦しさも、何もかも慣れてしまった。

 

 それでも、私が平気でいられるのは、きっと、あの日があるからだろう。

 あの日の、あの思い出が、きっと私を正気に保たせて、生かしている。

 今日も、昨日と同じように、つまらなくて、死にたくなるような拘束された日々が待っているのだろう。部屋にどんなに娯楽があふれていても、何も心躍らない。


 そう思っていた。


「枢、あなたは必要でなくなったわ」


 ただ一言、今まで固く閉ざしていた扉を開けて、そう伝えられた。


「好きにしなさい」


 はじめ、母の言ったその言葉の意味が分からなかった。

 けれど、扉は空いたままで、ふらふらとその外に出た。

 私を咎める人なんて誰もいなくて、そのまま家の外にでる。

 一人の人影が家の門のそばに立っているのが分かった。

 記憶の中より少し大人びていて、やつれた白衣を着ていて、私の姿を認めると、嬉しそうに笑顔で手を振っていた。


 思い出していた。


 あの時、私の手を力強く握りしめた、その感触を。 


 思い出していた、そして後悔した。


 あの時、彼に言った、さよなら、の一言を。


 気づけば、走り出していた。


 あぁ、きっと、こんな気持ちなのだろうか。


 大地を走る獣は、


 街中を闊歩する人々は、


 大空を羽ばたく鳥たちは、


「―――――――――」

 

 そうして私たちの物語は、ここからようやく始まった。

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赤聖枢の見上げた空 風鈴花 @sd-ime

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