Repeat #00 鳥籠の外の世界

「これが、私が欲しかったもの……なのね」


 彼女は崖端に立ち、静かにそうつぶやいた。


「…………」


 僕はそんな彼女の言葉に、何も答えることができなかった。

 だからか、彼女は黙したままの僕に、眉をひそめ何か訴えるような瞳を向けた。

 でもそんな表情もすぐに消えて、


「ふふっ、そうよね。あなたはいつもそうだった。だから、私はあなたに頼んだの。あなたなら、きっと、私を……」


 そう静かに口角を上げながら、唇を動かしたのだ。

 その時、彼女がなんて言ったのか、僕には分からなかった。

 

 そして彼女の小さな体は、崖下へとゆっくりと傾いていった。

 風になびかれ、髪が揺れ、彼女の着ていた真っ白なブラウスがやけに目に焼き付いた。足元に咲いていた山吹の花が太陽に照らされ黄金色に輝いていて、


 なぜだろうか。


 そんなときに、僕は思い出していたのだ、昔飼っていた一匹の小鳥の事を。白と薄黄色の綺麗な羽を持つ小鳥で、金網に囲われた小さな枝木にいつも止まっていた。そして、傍にある窓から見える、どこまでも広く、青い空を羨ましそうに見つめていた。


 そして晴れたある日、僕は、そんな小鳥のいる鳥籠の扉を、傍の窓が空いていることを確認して、家族が誰もいないときに、そっと……開けたんだ。


 そうだ。きっと今は、その時に似ていて、だから思い出してしまうんだろう。

 僕のせいで……僕が鳥籠を開けたせいで、死んでしまった小鳥のことを。


 重ねているんだ。


 彼女の体は崖下の海へと向かっていって、このままでは彼女は……死んでしまうかもしれない。あの時、鳥籠から大空に飛び立った小鳥は、風に煽られ、壁に叩きつけられ、死んでしまった。


 小鳥は確かに外に行きたかったかもしれない。

 枢は確かに自由を求めて、海に来たのかもしれない。


 けれど、そのせいで小鳥は死んでしまった。

 けれど、そのせいで、彼女は死のうとしているのかもしれない。

 

 赤聖枢の体はゆっくりと、確実に崖下に落ちていった。


 宝石が散りばめられ、光があちらこちらに浮かんでいる、そんなすべてを受け止めると言わんばかりの場所に向かって、彼女の体は落ちていく。

 小鳥が大空に羽ばたいたように、彼女の体は、真っ青な海へと向かっていき、


「どうして……?」

 

 か細い枢の声が、僕に届いた。


「どうして……、私を助けたの?」


 気づけば体が動いていた。走って、崖から手を伸ばして、彼女の手を取っていた。


「自分でもわからない。けれど、そんな風にして鳥籠の外の世界に行くのは、きっと間違っていると思う」

 

 何が正しくて、何が間違いかなんて、誰にも分らない。だから、きっと、これは僕の我儘。


「それに……枢に、死んでほしくない。そう思ったんだ」


 右手に彼女の重さを感じながら引き上げて、僕の思いを正直に言葉にした。

 彼女はぺたんと座り込んで、それで、


「本当、あなたなら……きっと見逃してくれるんじゃないかって、……思ってたんだけど。でも……、きっとあなたは、バカ……だったのね」

 

 両手で顔を抑え込みながら、途切れ途切れの言葉を口にする。


「これは……あなたの最後の仕事……それすら満足にできないなんて」


 プロペラが空を切る音があたりに響く。見上げるとヘリコプターが近づいてきていて、そこには赤い三角形が重なったマークが記されていた。赤聖グループの印だ。


「本当に、バカで、出来損ないで…………残念だわ。もう……そんなあなたとお別れだなんて」


「…………」


 ヘリから一人の黒服が下りてきて、僕を一瞥し、彼女を誘導する。

 彼女は抵抗せず、僕もただ見ているだけ。

 そして煩く喚くプロペラの音にまぎれて、彼女が一言、


「さよなら」


 そう呟いた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る