#03 脱走姫のお守り役
それはこの半年の間、ひたすらに繰り返されてきた一連の流れだった。
その日は大体いつも、空がどんよりと重たくて、道路脇に設置された警報灯はリンゴ飴のようにぼぉっとした赤さを放っている。
もちろん、そんな夜の街中を人々が往来するわけもなく、ただ命知らずな僕だけが走り回る。
今日彼女はどこへ逃げたのだろうか。
おそらく、隣町の公園のブランコで時間を持て余しているのだろう。どこから沸くでもないそんな直感を信じて動くと、その勘は大体当たる。
「今日は少し……来るのが遅かったわね。退屈だったわ」
公園のブランコで、ゆらゆらと体を揺らしながら、どこまでも濁りのない黒髪が、丁寧に磨かれた器のように艶やかな肌が、青空のような碧色の瞳が、白い街灯に照らされ暗闇から浮き彫りになる。
「今回は少し距離があったので……そりゃ、時間はかかります。もう気は済みましたか?」
僕は手首の端末を弄りながら、彼女、
「さっき退屈だって言ったでしょ? いま、連絡したら解雇するから。もっと私とお話ししなさい!」
高圧的な口調だけれども、どこか聞き入ってしまうような声音で、魅惑的な笑顔を浮かべて僕に言い放つ。
「……はいはい、わかりました、お姫様。…………それでは、今日は何の話をしましょうか。確かこの前は、シーソーについて話しましたっけ」
僕はそう言いながらブランコの脇にある柵へと腰をかける。
「うーん、そうね……。ねぇ、
「海……ですか? 絵本や昔の写真でなら見たことはありますが、実物は見たことはありませんね。なんて言ったって、国によって立ち入りが規制されているものですから」
「そうよね。でも、昔は自由に海を見て、感じて、入ることさえできたっていうじゃ
ない。今とは大きな違いだわ」
「ええ。この世界がこうなってしまってから、海は危険なものと考えられていますからね。そこに行く人も、立ち入ろうとする人もいません」
「…………危険なもの。確かにそうなのかもしれないわ。それでも、本の中で見る海は、写真の中で見る海は青くて、宝石を散りばめた様に輝いていて、シルクの布のように滑らかで……こんな隣町に来ることしかできない私にとっては、遠くて、見てみたい存在なのよ」
多分、今回は、今回の脱走は今までとは少し違うような、そんな気がしていた。今まで枢の退屈しのぎに話していた話なんて、本当にどうでもいいようなことで、次の日には忘れてしまうようなものだけれど、今日の枢の言葉には、今までの人生の思いが乗っているような、そんな気がしたのだ。
「でも、枢は海に行っても平気かもしれませんが、きっと僕は死んでしまいますね」
「そう……言われているわね」
「ええ。まだ僕は死ぬわけにはいきませんので、当分海を見ることはできなさそうです」
「なにも行きたいなんて言ってないじゃない。自意識過剰よ、反省なさい」
「はは、すみません」
枢は体を揺らしブランコを漕ぐ。勢いがついたところで、椅子からジャンプして、
僕の目の前に着地する。
「さて……そろそろ時間かしら」
枢は公園に設置された時計を見ながら、そうつぶやく。
「そう……ごほっ……ですね。連絡してもいいですか」
僕は少しせき込みながら、枢の言葉に答える。
「ええ。連絡したら帰っていいわよ。妹の世話でもきちんとするのね」
そして今日の脱走劇は終わる。
警報灯の色はいつの間にか真っ赤になっていて、僕のおんぼろデバイスでは、きっとこのまま事切れてしまうだろう。
それでも僕は彼女の脱走劇に付き合う。
樹木が人の天敵になってから20年のこの日、唯一この状態で被害を受けない赤聖の血族に、僕は尽くして、それで妹がこれから先、無事に生きていくためのデバイスを手に入れる。
そのためだったら、何だってしてやる。
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