「楽しくやる」ことは不真面目だと思われてしまうのか
中学の野球部に所属していた時、監督がこう問いかけたことがあった
「楽しく野球をする」ことと「勝つ野球をする」どっちがいい?
という2択だ。
なんとなくチームの戦績が不振気味だったからか、チームの一体感がなかったからか、どんなミーティングの場面だったか記憶にはない。
とはいえ、何か重い空気の中だったことを覚えている。
みな顔を伏せた上で挙手することとなり、私は前者に手を挙げた。
結果として、後者多数だったらしい。
監督は部員の「勝つことへの執念」を確認したかったのだろうか。
だとしたら、釈然としない。「楽しく野球をする」を選んだが、それがイコール「勝ちたくない」というわけではない。
この2択、今になって振り返ると、受け手と出し手で認識が異なる中で選ばせることが酷なことに思える。
つまり、監督の頭には「楽しくやる」=「お遊びで野球をやる」という図式になっていたのではないか。
楽しくやることとは、真面目にやらないこと
楽しくやることとは、勝つ意欲がないこと
もしかしたら、「意欲がないと思われるのは嫌だ」という思いで後者に手を挙げた部員もいたのではないか。
私は楽しく野球がやりたかった。
勝ちたくないわけではない。
仲間と楽しく、しんどい練習ですら楽しいと思えるような環境と関係性を築くことを、真面目にやりたかった。
その先に勝利という結果があれば、なんと素晴らしいだろうか。道中で拾うものが多いのは、こっちの道だと思っている。
「楽しい」への偏見は、部活だけでなく、学業、仕事、あるいは私生活の中にも潜んでいるのかもしれない。
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